恋に落ちたのはいつかと問われたら
放課後、二回目の茶話会に向けて、マリアとの待ち合わせの場所へ向かうため教室を出たところでクリスティンは、思わぬ人に声を掛けられていた。
「エマーソン嬢、少々時間を貰えないだろうか?」
声の主はアルバート・グレッグソン、まさにクリスティンの片思いの相手でアルベルド様のモデル、その彼から声をかけられたのだった。
アルバートは騎士科、クリスティンやマリアは淑女科の為、学院内で遭遇するとすれば食堂くらいなもので。だとすれば、彼はわざわざやってきたに違いない。
クリスティンは、まさか話しかけられる事があるとは思ってもみなかったので、咄嗟に言葉が出てこなかった。
「も、申し訳ございません。急いでおります。何かわたくしに御用でも?」
やっとの思いで答えたが、頭の中は、何故?何事?と疑問で一杯だ。これまでまともに話したことが無かったのだから。
「急ぎではないのだが尋ねたいことがあって」
アルバートは少し耳を赤くしている。マリア様の事をお尋ねになりたいのね、きっと。お会いする約束をしていたのに断られて、その原因がわたしにあると思ってるのだわ。落ち着くのよ、クリス、うまく言葉を選ばないといけないわ。
「ご心配なのですね。大丈夫です、きっと上手くいきますから。グレッグソン様は安心なさってください」
アルバートは怪訝そうな顔をしていたが、納得したように頷いた。
「わかった。しかし何故なのか理由が知りたい。一度エマーソン伯爵家を訪れたいのだが?もちろん、伯爵の許可は得るつもりだ」
それほどまでにマリア様の事が気になって、茶話会についてお聞きになりたいのね。
「差し出がましいかもしれませんが、そういう事は直接本人にお聞きになるのが一番だと思いますわ」
「そうか。尋ねたらちゃんと答えて貰えるのだろうか」
「それは…誤魔化さずに向き合われることをお勧めします。お互い素直になるのが一番です」
ああ、胸が痛い。アルバート様はマリア様をとても好きなのね、だから心配で仕方ないのだわ。わたしがマリア様にある事ない事吹き込んでいると思ってるんだわ。
「誤魔化しているわけではないが断られた理由が知りたいと思っている。答えてもらえるのだろうか」
「間に人が入ると誤解も生じましょう。ただすれ違ってらっしゃるのではないかと思います。グレッグソン様のお気持ちがちゃんと伝わると良いですね。
では急ぎますので失礼いたします」
クリスティンは早口で告げると会釈して、小走りで逃げ出した。淑女にあるまじき行動だったが、取り敢えずアルバートから早く離れなくてはと思ったのだ。
そうでもしないと、真っ赤になった顔を彼に見られてしまう。同年代の男性と言えば兄としか話したことがないクリスティンにとって、片思いの相手と会話した事は奇跡のような出来事で、平静を保つなどとても無理で。
まさか初めての会話であんなに長く話すとは思ってもみなくて、早口になってしまったて、何か失礼な事を言わなかったかしら?と心配になった。
それにしても思い返すと恥ずかしくて照れてしまう。しかもアルバートは声を顰めていたから、至近距離に立っており、間近で顔を、それも真正面から見てしまったのだ。
ううっ、心臓を直撃する破壊力だったと、クリスティンは顔を赤らめた。
そして、見ていた誰かが親切心からマリアに伝えて、その結果誤解でもしたらお互い嫌な思いをしてしまうので、今日お会いしたらきちんと事情を説明しておかねば、と肝に銘じた。
やはり素敵だったわ、アルバート様。眼福ね。内容はともかく、恋する人と話が出来ただけで舞い上がっていたが、気持ちを引き締めねばと思った。
これから会うのは、そのアルバートの婚約者のご令嬢なのだから。
*
クリスティンがアルバートを知ったのは、入学式へと向かう道中だった。
学院を目前にしてエマーソン家の馬車が脱輪するというトラブルが起きてしまい、後少しだから歩きましょうかと侍女と相談しているところに通りかかったのがグレッグソン公爵家の馬車だった。
流石に公爵家子息、恐縮するクリスティンと付き添いの侍女に、公爵家の馬車に同乗するようにと声を掛けてくれたばかりか、エマーソン家への連絡も手配してくれた。
自分も新入生であるから遠慮はいらない。困っている学友を助けるのは当然だと言われて、同い年なのに堂々としたその態度に感動してしまった。
学院の入学式、代表として壇上に上がった彼に、クリスティンは胸がきめくのを感じた。
美しいだけはなくその行動は人として尊敬できる人だ、まるで小説に出てくるヒーローみたいだと見惚れてしまったのだ。異性に対してそんな気持ちを抱いたのは初めての事だった。
周りの令嬢達が、グレッグソン様はいつ見ても凛々しくて素敵よね、などと小声で話しているのを聞いて、その上親切で優しい方なのよと、一緒になって彼の良いところを語り合いたいと思った程だ。
クリスティンはどちらかと言うと人見知りだし、派手な姉の反動なのか外へ出るより家で過ごすのを好んでいた。何より姉から譲り受けた小説を読むのに嵌っていたので、世の令嬢達が憧れる男性の情報に疎かった。
しかも姉も兄も義兄もそれぞれが美しい人達で美の基準が彼らにあるせいか、生半可な美には反応しなかったと思う。
アルバート・グレッグソンは凛々しい硬質な美を持っていると思った。自分の知る身内の男性は、柔らかい優しい美だから、それはとても新鮮だった。
そんな人が困っているところを助けてくれたのだから、ときめくのは必然だったかもしれない。
クリスティンは壇上のアルバートを熱く見つめていた。
その後、父から公爵家へお礼を送ったところ、これから同じ学舎で学ぶ者として当然の事をしたまでなのでお礼には及びませんと丁寧な返信を貰った。その文はクリスティンの宝物として、鍵付きの引き出しに仕舞い込まれている。
きっとあれが恋の始まりだった。
しかしその後は選択科目が違うため顔を合わせる事はなく、もちろんたまたま出会えたとしても気軽に声を掛けられるような関係ではないから、ただ遠目に見ているのがせいぜいで。
そのうち同じ淑女科のマリア・リコッタ侯爵令嬢がアルバートの婚約者だと知ってからは、慎重に避けていた。万が一秘めた想いが知られてしまったらと考えると怖かったのだ。
「貴女みたいな地味な女をアルバート様が相手にするわけがないでしょう?身の程を知りなさい」と、マリアから叱責されるのではないかと、怯えていたのだ。
それは恋愛小説の読み過ぎからくる被害妄想に過ぎないかもしれないけれど、物語の中の恋しか知らないクリスティンにとっては、考えただけでも恐ろしかった。
だから最初にマリアから接触があった時に、片思いがバレて罵倒されるのだと怯えていた事を思い出して
気持ちを切り替えた。
マリア・リコッタは、思っていたよりずっと純朴な娘だった。
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