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あの人の婚約者

『それは優しい抱擁だった。クリスティーヌはアルベルドの背中にそっと手を回す。両手では届かない鍛えられた逞しい背中。ただ愛しくて切なくてクリスティーヌは溢れる涙を抑えられなかった。


 婚約者の方はどうなさるのです?聞きたかった言葉をぐっと飲み込んだ。


 様子のおかしくなった愛しい少女に、アルベルドはどうしたの?と尋ねた。


「いえ。なんでもないの」

「貴女が何を気にしているのか私はわかるつもりだ。だから誠意をもって真摯に答えようと思う。クリスティーヌ、私は…………」』


 ペンが止まる。

 ふたりは思いを通じ合えたけれど、どうすれば良いというの?だって彼には婚約者がいるのに。不毛だわ、不毛。婚約者とは別れると言ってくれるのかしら?

 こんな展開になるとは思いもよらなかった。二人には何の障害もなく結ばれる筈だったのに。


 多少げんなりしながらも、普通に登校して授業を終え、帰り支度をしていたところで声を掛けられた。


「エマーソン様、この後で宜しいかしら?」


 顔を上げるとそこにいたのは、マリア・リコッタ侯爵令嬢だった。緩やかにカールした柔らかな金髪に尊い青い瞳をした美少女だ。

「ええ、勿論」

「ではいつもの場所でお待ちしておりますわ」


 マリアはそう言って席に戻ると自分も帰り支度を始めた。その後ろ姿を眺めながら、可憐な人だとクリスティンは思う。わたしも彼女くらい可愛らしければと幾度考えた事だろうか。自分の薄い色味の容姿を恨めしく思ったが、自分と似ている父が母という美女を娶って、しかも恋愛結婚だと聞いている。万が一という事も有り得るかもしれない。期待は薄いけれど。


(でもどう頑張っても無理よね。マリア様に勝てるわけない)


 女性から見ても愛らしく守ってあげたくなるような美少女こそがクリスティンの恋敵なのだ。クリスティンの秘めた片思いの相手はマリアの婚約者。そんなマリアから、クリスティンの創作小説を気に入ったからと声をかけられ、しかも恋愛相談に乗って欲しいと言ってきたのには驚いた。


 確かに同じクラスではあるけれど、ただ挨拶する程度の間柄だった。確かにクラスメートの恋の話や悩みを聴く事はあるが、クリスティンにしてみれば、小説のネタに使えるからという理由が全て。

 彼女達の恋の悩みを解決出来るような、占い師のような不思議な能力はない。ただ、同年代の少女達より知識があるだけで、その経験は全て、恋愛小説から得たものだ。


 クリスティン自身が知らないところで、恋の悩みをエマーソン令嬢に聞いてもらうと、その恋は成就するという摩訶不思議な噂が流れていた。そのせいでクリスティンは放課後に呼び出される事が増えた。机の中に恋文よろしくお誘いの手紙を見つけるたびに、何故自分に?と戸惑ってしまうのだった。


 それにしてもリコッタ様からの恋愛相談とは、一体何事が起こったのか、まさか片思いがばれて、身の程知らずだと非難されるのかと最初は身構えていた。

 いずれにしても相談の中身はきっと婚約者の事に違いなく、クリスティンの心はずんと重たくなったので適当な理由をつけて断ったのだが、マリアは引かなかった。級友として交流を深めたいと思いますの、それでも駄目かしら?と愛らしい顔で懇願されて逃げ道を防がれた。

 

「お時間は取らせませんわ。学院レストランの我が家の個室でお茶でも飲みながら、ね?」と微笑むマリアは、それはもう可憐だった。

 実際のところ、あの方の婚約者から話を聞けるとは思ってもみなかったので、これは千載一遇のチャンスかもしれないと思考を切り替える事にした。クリスティンは現実を直視出来る性質だったから、これでいよいよ諦めもつくだろうと開き直る事にしたのだ。


 それに、自分の恋愛小説は全て妄想であり実践を伴っているわけではないから、恋人たちの生の声が聞きたいのもある。しかも高位貴族のご令嬢で、彼女はおそらく望めば何もかもが手に入るような身分で、そんなマリアにも悩みがあるのだから、クリスティンの片思いのあの方にも人間くさい部分があるという事ではないかと思うのだ。

 自分の知らないあの方の話が聞けるかもしれない。断れないから話を聞くのではなく、知りたいから話を聞くのだと思考を切り替えたら、随分気持ちが楽になった。


 そして一度目の「茶話会」で、クリスティンはマリアの可愛らしい部分をたくさん発見してしまった。

 愛しい人を思って頬を赤らながら、気持ちを伝えられなくて歯痒い思いをしているのだと告げられた時には、正直な気持ちをお伝えになれば宜しいのではないかと言ってみた。


「でも、あの方はわたくしの気持ちなどご存じないの」

「思い切ってご自分からデートにお誘いになるのは?」

「そんな、無理ですわ。はしたないと嫌われてしまうわ」


 マリアは恋をしているのだと言う。その相手は婚約者だろう、何を遠慮しているのだろうか。


「わたくしの事など目の端にも留まっておりませんのよ」


 何故?貴女達婚約者でしょう?と突っ込みたかったが、しょげかえっているマリアの様子に胸が痛んだ。

 一度目の茶話会では、マリアのぐだぐだした心中を聞かされて終わった。そして今日誘われたのが二度目の茶話会ということになる。


 クリスティンの心中には、恋する乙女マリア嬢の味方でありたいと願う気持ちと、彼女は恋敵なのだという相反する感情がある。何やら婚約者とすれ違っているように思えるこの2人の婚約が解消になったら、わたしにもチャンスがあるかも?などと、ほんの少しだけ思ってしまった。


 無いわよね。お相手は公爵令息で、うちは伯爵家に過ぎない。相手が強く望まない限り無いわね。

 

 冷静になったその後に待っていたのは自己嫌悪だったので、クリスティンは自分を恥じた。




 

お読みいただきありがとうございます。



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