分岐点(その5)
「もちろん、一度消したものを完全に元通りにするのは簡単ではないけど――その場合の流れはこう。レーテゲートは忌まわしき竜ではなく、一人の女の子として裂け目砦に保護されることになった。とは言っても墜落してくる竜の姿は他の自警団員や騎士たちも目撃していたから、当然彼女は何者だという話になる。きっと竜の化身に違いない、と大人たちが右往左往を始める前に、ルカ、あなたがリディアやアランたちと一緒にレーテゲートを逃がそうと一緒になって裂け目を出て、ふもとのカイエス砦を目指した」
その言葉に、ルカの脳裏にかつて見た光景がよみがえった。
アランと二人、裂け目を出て見上げたあの見事な星空。
「……でも、結局カイエス砦の部隊に捕まってしまったんですよね?」
「残念ながら。自分を逃がしてくれた人たちが一人ずつ処刑されるのを見て、レーテゲートは怒りに我を失い、ふもとの砦を全滅させた後、もう一度この裂け目に自ら戻ってきた。マイエル大尉たちに自分から襲い掛かって、満身創痍のまま今回もまた裂け目の奈落に落ちた。……あとは最初と同じ展開」
「……」
「それで、現地の人たちだけでどうにかするのは難しそうだ、と思って、私が自分で旅人としてそこに立ち会う事にしたの。状況を色々調べてみると辺境域の視察のためにパルミナス大尉たちが近くまで来ているのに気づいたから、大尉たちに今回のレーテゲートの一件のさいに砦に居合わせてもらって、あなた達が捕まった場合に簡単に処刑されないように、皆の身柄を守ってもらうようにしようと思ったの。わざわざ昔の身分を出して、彼ら王国軍とも面識を取り付けた上で、ベルナールと二人でこの裂け目を降りた、という次第ね」
「じゃあ、その先に何が起きるのか、ジュディさんには全部分かっていたんですね?」
「まあ……でもそうだともいえないのよね」
ジュディはそう言うと、深々と何度目かのため息をついた。
「こういうのも何だが、正直おれたちは手際が良かったとは言い難いな」
そうこぼしたベルナールを、ジュディは思わず睨みつけた。先ほどの話に従えば彼は単に、彼が言いそうだとジュディが思っている通りの事を喋っているだけなのだが、ジュディは苦い表情のまま老騎士に説明をしばし委ねるのだった。
「まずおれ達が裂け目に着いた時点で、どうしてだか知らないが金竜の墜落地点が砦ではなく、想定していたよりも下方にあった。砦を避けて崖を降りることも考えたが、少なくともルカには面識を通しておく必要があったからな。とはいえ、話し合いで砦を通過するには、残念ながらおれもジュディも交渉上手とは言えなかったな」
「黒竜になって飛んで降りればよかったんじゃ?」
「それで、砦の皆に目撃されて大騒ぎになる? 元々はルカが金竜をすでに助けている前提で、それに手を貸すために来たつもりだったから」
「あと、いざ下層へと向かってからレーテゲートを見つけるまでも手際が良かったとは言えないな。あのレイモンドが一緒についてきてしまったのは明らかに失敗だった。あの男が金竜の事をマイエル大尉に告げ口した時点で、もう一回やり直した方がいいぞとおれはジュディに言ったんだがな……」
その言を受けて、リディアが口を差し挟む。
「その後、ジュディ殿の提案で、我らでカイエス砦の様子を見に行こうという話になった。……それは元々予定にあった事ではなかったのか?」
「やり直しをせずに済まないかと、余計な好奇心を出した私も悪かったのだけれど。あのあとカイエス砦に向かって以降の成り行きは本当にどうなるか分からなかった。私が行かないとせっかくお膳立てしたパルミナス大尉とも味方として合流出来ないわけだし」
「その大尉との合流についても、本来は私たちが金竜を助けて連れ出す前提の話だったんですよね?」
「金竜を連れ出せていれば、そもそも下層に向かって討伐隊を出すという話にもなっていなかったわけだし……それで結局、竜になってあなた達と一緒にレーテゲートを助けに戻るという禁じ手を使ったわけだけど」
「結果的に丸く収まったからよし、というわけか……」
リディアが釈然としなさそうな表情のままそのように独りごちたが、隣のルカもまだ納得がいかないようだった。
「もしかしたら、私がレイモンド大尉と口論になって崖に突き飛ばされそうになったのをチェスターが助けてくれたのも、ジュディさんたちが仕組んだことなんですか?」
自分でそのように質問しながら、同時に脳裏に蘇ってくるのは崖を滑落していく、生々しい記憶。
内心でそれを反駁するルカの様子を見やって、ジュディはまたひとつ、ため息をついた。
「本当にごめんなさい。レーテゲートに任せると、今度はレイモンド少尉の存在が消えてしまってたでしょうから」
「……あの男、いっそいなくなってもよかったのではないか」
リディアが横からにべもない冷徹な指摘を差し挟む。
「ジュディ殿の意見を無視して、金竜の所在をマイエル大尉に告げ口したのはあの男だ。今の話なら、そのままジュディ殿らだけで金竜を救助出来ていたのなら、それが一番良かったという話ではないのか。マイエル大尉の耳には何も入れぬまま、金竜の静養を待ってそのままいつの間にか静かに退散出来ていれば、ジュディ殿たちにしてみればそれが一番都合が良かったのであろう?」
「ひとときそうも考えたけど、不確定要素が多過ぎるのよ。レイモンド少尉が最初からいなかった場合、どこまでの影響があるか。結局マイエル大尉は金竜とは関係なくあの修道士の手を借りて自分達だけで〈裂け目〉の封印を解こうとしていて、実際まがりなりにもひとたびは成功したわけだし。……その大尉の事も、結果的に残念ではあったけど」
そういって申し訳無さそうに目を伏せるジュディと、未だに釈然としない表情のルカを見比べて、脇に控えるアランが言を挟んだ。
「で、でもさ。結局ジュディさん達で封印に成功はしたわけだし、みんなで裂け目を出る事も出来たし、レイモンドさんも無事だったし、結果的にそれでよかったってことなんじゃないのか?」
アランはそういうが、ここでもう一人釈然としないもやもやとした気持ちを抱えているのが、リディアであった。