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王都からの使者(その6)

 その場に重い沈黙が訪れた。今しがたの生贄がどうのという話は、ここまで砦から一緒に来たリディアやルカといった裂け目の一行にしても初耳で、あくまでジュディが一人で、この場で当て推量したに過ぎなかったかも知れない。だがそのような企みの末に一体どのような結果がもたらされようとしているのか、どうにも胸中の不安がかき立てられるのだった。具体的に何が起ころうとしているのか……その場の誰しもが、疑問に思いはするものの深く考えたくはなかっただろう。


 そのような中、静寂を破ったのはパルミナスの一言だった。


「ジャベール大尉。今から〈裂け目〉に部隊を派遣するとして、そちらの手勢からも人員をお借りする事は出来ますか?」


 えっ、と蛙をつぶしたような頓狂な声を思わずあげて、ジャベールは問い返す。


「人員を、ですか? ……いや、王国軍の巡察官どのの要請であれば、当官の立場で断れたものではないかも知れぬが……今からで間に合いますかな?」


 何で自分が、と言いたそうなジャベール大尉のうろたえた態度は見る者の苛立ちを誘ったかも知れないが、長年怪異の巣窟と伝え聞かされていた〈裂け目〉へといざ向かえと言われれば、そのように尻込みするのもやむを得なかったかも知れない。

 そんな両者のやり取りを横目に、それまで沈黙を守っていた老騎士ベルナールがうっそりと言葉を吐く。


「ジュディ……いや、ユディス。ここが力の使いどころではないか?」

「あなたは黙ってて」


 何事か考えこむような態度のジュディが、苛立たしげにさっと手を振る。次の瞬間、今しがたまでその場にいたはずの老騎士の姿が、不意に跡形もなく掻き消えてしまったのだった。


 一体何の手品だというのか。元からそこに誰もいなかったかのように、頑丈な体躯の大男が一人、すっかりと姿を消してしまったのを目の当たりにして、人々は思わず目を剥いた。

 その場の衆目を一身に集めてしまっている事に気づいているのかいないのか、ジュディは目を閉じ、おのれに言い聞かせるかのようにぶつぶつと低い声で呟く。


「……そうね、人の命がかかっているものね」


 彼女の口からそのような言葉が漏れ聞こえた次の瞬間、外が不意に暗くなるのが分かった。

 天候が急変するにしても、あまりに突然ではなかっただろうか。春先の季節風が嵐でも呼び込もうとしているのか、と人々がバルコニーの方を見やると、そこに翼を広げて姿を見せたのはまさに、つい今しがたリディアやパルミナスの口にその名が上ったような、一匹の黒き竜であった。


 パルミナス以下、その場にいる善良な人々はただただ呆気に取られるばかりだった。下々の若い騎士の中には情けなくも声をあげて後ずさる者も一人二人ならずいた。

 ただ一人、ジュディだけが何ら驚いた風でもなく、悠然とその場の一同を振り仰ぐ。


「皆さんに害をなすつもりはありません、他言無用でお願いします。……ルカ、リディア。一緒に来て」


 そう促しつつ、つかつかと足早にバルコニーへと向かうジュディに、リディアはあからさまに動揺した口調で問う。


「一緒にというが……一体、何をどうしろというのだ?」


 騎士たるリディアらしからぬ狼狽ぶりだったが、ジュディはそんな彼女の慌てた様子など気にした風でもなく、一人すたすたとバルコニーに出て、そのまま慣れた様子で黒々とした巨大な生き物の背に、ひょいと足を載せるのだった。

 さすがのリディアもこれには躊躇した。だが一緒に名を呼ばれたルカが、意を決したように後に続く。ジュディが差し伸べた手を取って、少女は逞しい黒竜の肩に掴まったのだった。


 伯家騎士団の兵士が、ひとたび取り上げた彼女らの武器を取り急ぎその場に持ってくる。黒竜に警戒しながらもおそるおそる手渡されたのは、リディアが長年愛用してきた長剣と、ルカが懐中に忍ばせていた小刀だ。ベルナールの剣は渡された中には無かったが、ついさっきまで部屋の隅に立っていたあの大男の腰には、あの見慣れた大剣が何事もなかったかのように下げられてはいなかっただろうか。

 バルコニーではジュディとルカが、竜の背に乗ったままの体勢でリディアを待っていた。


「……ええい!」


 年若いルカに出来て、リディアが怯む所以も無い。どうにでもなれ、とリディアも思い切ってその竜の背に飛び乗った。

 曇天の中、一行を背に載せた巨大な翼がゆっくりと羽ばたいて、その巨躯が空中に滑り出していく。


「二人とも、しっかり掴まって」

「掴まるって、いったいどこに……?」


 リディアが戸惑いながらそのように問い返したが、ふと見ればそこにはルカの姿しかなかった。肝心のジュディは一体どこへ行った? まさか振り落とされてしまったのか? 二人が不思議そうにお互い顔を見合わせたその瞬間、竜の翼が風を捉え、あっという間に空の高みへと昇っていく。


「きゃあ!」


 ルカが思わず悲鳴を洩らした。リディアはもう少し淑女らしからぬ野太い悲鳴を上げて……二人それぞれに人目も気にかけず喚き散らす中、黒竜はぐんぐんと高度を上げていったかと思うと、今度は〈裂け目〉をめがけて一直線に急降下を始めるのだった。


(ルカ、金竜の姿を思い浮かべて)

「ジュディさん!? どこにいるの?」

(あなたが心にレーテゲートの事を思い起こせば、レーテゲートの方であなたを見つけるでしょう。そうすれば正確な居場所を把握出来る)


 彼女が言っている事の意味がルカにはまるで分からなかったが、分からないままにルカはあの日あの晩に夜空を駆けた流れ星の光景を心に思い浮かべた。

 そのように脳裏に描いた金竜が、遠くにあってこちら側を見たような気がした。


(見つけた。……まっすぐにレーテゲートの元に向かう。マイエル大尉を止められればそれに越したことはない)


 黒き竜は一直線に裂け目をくぐっていったかと思うと、翼を大きく広げ一気に減速する。そのまま砦のある層を通過して、まっすぐに下層の岩棚をめがけて降りていくのだった。





(次話へつづく)

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