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ふもとの砦へ(その4)

「その見習い騎士殿が、我らがカイエス砦をどのような用件で訪れたと申されるかな?」

「このふもとのカイエス砦と我ら〈裂け目〉砦の間に遺恨のあることは貴殿も重々承知であろう。しかし十余年の年月は決して短くはない。その間に世も様々に移ろっている事と思う。今をもってまだ〈裂け目〉の我々は王国にとっての逆賊であるのか否か、それを見定めるために参った」


 リディアの言葉に、ジャベール大尉もその他の騎士たちも、誰一人応えるものは無かった。

 相対したジャベール大尉も、じっとリディアたち一行を見ているばかりで、まともに会話を交わそうという意図もないかのように途方に暮れた表情で彼女らを見返すばかりだった。


 そんな折だった。その部屋に誰かまた別の人物が足を踏み入れてきて、伯家の騎士団の面々は慌てて居住まいを正した。


 何事か、とリディアたちがその御仁の方を振り向いてみると、そこには明らかに兵士でも騎士でもない男が立っていたのだった。


「僧侶殿」


 そう、一行の前に現れたのは、僧服姿の男だった。それもディランダンのような簡素な修道士のいで立ちではない。手の込んだ金糸の刺繍がきらびやかに施された、高位の僧が身にまとうような豪奢な装束に身を包んでいた。

 砦の指揮官たるジャベール大尉と年の頃は同じか、少しばかり若いようにも思われたが、その大尉がうやうやしくこうべを垂れたので、この場での序列で言えばこの僧侶殿が一番の上位という事になるらしかった。


「このような明け方から、実に騒々しい事ですな」

「お休みのところ、お騒がせいたしまして大変に申し訳ございません」


 そう言ってジャベール大尉はもう一度深々と頭を下げる。そんな大尉をうろんな眼差しで見やったかと思うと、その僧侶はまるで罠にかかった鳥獣のたぐいでも見るかのような眼差しで、捕らえられ縄についたリディアたちをしげしげと眺め回す。その視線があまりに不躾で、リディアは正直不快を覚えた。


「拙僧はジャンニ・ヴァリクと申す。王国国教会の僧侶にござる」

「国教会の、僧侶殿……?」


 それが何故ここに、とリディアの口から疑問の言葉が思わず漏れてしまった。それを受けて、僧侶ヴァリク自らが述べる。


「当地にて魔物を相手に奮闘しておられる騎士団の皆々様に、拙僧が僧職の立場からいくつか助言をさせていただいている、という次第である」


 僧侶はそう言って、目の前のリディアをいかにも居丈高にうろんなものを見るような目でじろじろと眺めまわす。

 正直相対していて愉快な相手とは言えなさそうだった。リディアの脳裏をよぎるのは、かつて王国軍による北征を国教会の大司教が強く奏上したという話だった。この場にいるのはあくまでも王国軍ではなく辺境伯家の騎士団ではあったが、このような辺境においてジャベール大尉のような武人たちが聖職者のいいように使われている現状を目の当たりにすれば、リディアならずとも暗澹たる思いに囚われた事だろう。


「今更に〈裂け目〉から降りてくる者がいると聞いて、拙僧も大変に驚いた。マイエル大尉はいまだご健勝かね?」

「……!」


 不躾にその名前が出た事に、リディアは苛立ちを隠せなかった。奥歯をぎりりと噛み締め、眼の前の僧侶を睨みつける。そうやって真っ向から睨みつけられても僧侶ヴァリクは怯むどころか、鼻で笑うのだった。


「よもや〈裂け目〉の奥で魔物の餌食になどなったりしておらぬであろうな。……諸君らが〈裂け目〉に取り残されたのは確かに不幸な事ではある。だが今更山から下りて来た諸君らが、意気揚々と魔物の討伐に向かっていったあの日のままの王国の同胞であると、果たして素直にみなしてもよいものかどうか」

「……どういうことだ?」


「思い出していただきたい。いったい何のために、我ら王国が〈裂け目〉に討伐部隊を派遣するに至ったのかを。北のこの大荒野が、〈裂け目〉よりいでし魔物どもの跋扈する不毛の土地であるのは内外に広く知られるところ。討伐の目的は言うまでもなく、そのような呪わしきものどもを駆逐することであったはず」

「忘れる事があるものか。我らとて裂け目にあって魔物どもに脅かされながら、王国にとっての拠点たる砦を今まで守ってきたのだ」

「本当に、そうだと言えるかね?」

「僧侶殿は何が言いたいのだ……?」


「諸君らも魔物に脅かされているというが、このカイエス砦もまた日々魔物どもに脅かされ、安穏ならざる日々を送っておる。この強固な城壁があってなおその脅威に圧倒されるというに、十数年の長きにわたって、裂け目の中に踏みとどまるなどおおよそ正気の沙汰とは思えぬ。最早王国軍が裂け目の中に築いた砦はすでに邪悪の手に落ち、諸兄らはそんな友軍をたばかって我らを陥れんとする、邪なるものどもの同胞なのであろう」

「なんだって……!」


「このカイエス砦まで落ちてしまってはハルムダールの大荒野はもはや王国の、いわんや人の版図とは言えなくなってしまう。この砦を守るため、魔物に紛れて近づいてくるそなたら人間の姿をしたものどもも、人か魔物かで言えば魔なるものの眷属と断じるより他にないのだ。運が悪かったと思ってあきらめていただきたい」


「そんなもの、言いがかりだ! ……ジャベール大尉! いや、この場におわす伯家騎士団の皆々さま! この僧侶どのの言を鵜呑みにして、我らを見殺しにするのに何の疑問も痛痒も感じぬというのか? あの〈裂け目〉の向こうにいるのは何も私のような武人ばかりではない。我ら軍属の日々の暮らしを支えてくれる職人どもら、下々の者も大勢いるのだ。そんな皆々が、いつか外からの救援が差し伸べられる日がくるはずと、じっと耐え忍んでいるのだぞ!」

「騙されてはならぬ! この者たちはそのようにして我らの同情を誘い、騙そうとしているのだ!」

「ジャベール大尉!」


 僧侶ヴァリクと王国軍騎士リディアの両方からそのように問い詰められて、逡巡に打ち震えるジャベール大尉は苦渋の呻きとともに絞り出すような声を上げた。


「……私の立場から、ヴァリク殿には逆らえぬ」

「なんですって?」

「かつて国教会の意向に逆らった、マイエル大尉の父君であるヴァン・マイエル子爵がどういった末路をたどったのかは我らとて知らぬ話ではない。よしんば、〈裂け目〉砦からやってきた貴殿らであればそれは重々承知のはず」

「……」

「逆らえば、あやかしの仲間と見なされてこの荒野に放逐されるは次は砦の我々だ。……従うしかないのだ。許してくれ」


 取り押さえよ、とジャベール大尉が部下たちに命じる。


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