竜との遭遇(その4)
「竜……これが竜だってのか? そんなものが、まさか実在するなんて……」
赤毛の若者が呆然とした様子で呟いたのに、同じように呆気に取られながらもリディアが答える。
「キース、よそから来たお前は聞いた事がないかも知れぬが、わが王国ではかつて黒き竜が現れ、英傑の皆々様がそれを討伐したという話もあるのだ。今から七、八十年ほど前の事と伝えられているから、決して遠い昔のおとぎ話のたぐいではない」
「黒き竜だって? ……でもこいつは金色だ」
「また別の竜、という事になるな」
「いやいや、そんなものが……」
キースは混乱したようにしばらくはぶつぶつとつぶやいていたが、最後にはううむと観念したように一人唸り声をあげるのだった。
「まあ、〈裂け目〉なんていう嘘みたいな大渓谷がここに実在するってんなら、竜だって一匹や二匹、いない事もないのか……」
「それはそれとして、こやつは生きているのか?」
一番最後にこの岩棚にやってきたレイモンドがそのように問いかけたのは、よくよく見やればその竜の身体のそこかしこに傷を負っているのが見て取れたからだった。立派な鱗はところどころ痛々しく剥がれており、矢傷のようなものもいくつも見受けられた。青黒く汚れているのは、金竜が流した血のあとだったろうか。
だがそれでも、長い胴のあたりがかすかに呼吸で上下しているのが分かる。この生き物はまだ死んでしまったわけではなさそうだった。
ルカはただただ、その異様な姿に目を奪われた。奇妙でもあり、恐ろしげでもあり、でもただ身を横たえているだけで、どこか凛とした高貴さを感じる。
竜とは、このような生き物であったのか。
そしてルカの脳裏に一瞬浮かんだのは、あの歩哨に立っていた夜に彼方の空から〈裂け目〉に落ちてこようとしていた、あの流れ星だった。
隣に立つジュディが、呆然と見上げるルカの耳元でささやきかけるように言った。
「あなたがあの夜目撃したのが、この子だった」
「怪我をしている。大丈夫なの?」
「致命傷、というような大きな傷は無いと思うけど……」
ジュディはそう言いながら、ゆっくりとした足取りで横たわる金竜の周りをうろうろと歩き始めた。
その足取りに、竜を恐れているような素振りは何も見て取れなかったので、ルカもまたそろそろと竜の傍に近づいて、何気なしに手を伸ばそうとした。
「おいルカ、やめろ!」
アランが慌てて引き留めようとする。制止の声が思いの外鋭く響いたのか、金竜が目を閉じたまま、ぴくりと鼻を動かした。
さすがのルカも、それを見てはっとして立ち止まった。
次の瞬間、誰かに不意に肩を掴まれて、ルカは思わず悲鳴を上げそうになった。
「触っていかんとは言わぬが、傷に障るかも知れんぞ?」
振り返ってみれば、背後に立っていたのは老騎士ベルナールだった。悪戯っ気のあるにやにやとした表情を見やればわざとルカをおどかそうとしたのは明白だったが、竜の眠りを妨げてまで声高に抗議するわけにも行かなかった。
そのルカも含め、一同が見守る目の前で、ジュディはまるで竜のことなど何もかも知り尽くしているとでも言いたげな訳知り顔で、眠っている金竜の周りをもう一度ぐるりと一周してみせた。
「傷を負って、疲れて眠っているだけだと思う。……当面、このまま眠らせておいた方がいいと思う。余計な事をして刺激したくはない。取り敢えず引き返しましょう」
そのように一方的に告げると、一同が呆気に取られてているのを横目にすたすたと元の坑道に向かって歩き出したのだった。
そんなジュディのあとに何食わぬ顔で続くのはベルナール一人で、あとの面々は初めて目の当たりにした竜を前に、どうしたらよいものかとただただ困惑するばかりであった。
リディアもまたそのように呆気に取られていた一人だ。傍らに控えるレイモンドに低い声で問いかけた。
「……なかなかに立派な竜だ。この竜こそが、この〈裂け目〉の怪異の主なのだろうか?」