北征(その3)
「無論、このような山中にあってそういった話がひとりでに聞こえてくる事などありはしない。ふもとと裂け目を往復していた伝令が、たまたまカイエス砦がどこかの部隊の襲撃を受けている所を目撃し、いくさ場になった所までは把握していたのだ。そのうちふもとからの補給も途絶え、状況を伝える伝令や使者すらやってこない。砦でいったい何が起こったのか、誰かが山を下りて様子を見に行った方がよいという話になって、こちらから二名、騎士が斥候に赴くこととなった」
「……その二人、無事に帰ってこれたのかしら」
「一人は砦に接近する段階で、遠矢を射かけられ運悪くこれが命中したという。やむなく残る一人が亡骸を回収し撤収を試みたが、カイエス砦から出撃してきた部隊にすぐさまに包囲され、捕虜となった。……そこでようやく、カイエス砦を指揮していたヴァン・マイエル子爵以下の駐留部隊は、ユーシス殿下を匿った罪状により、殿下ともども逆賊として討たれたあとだという事が分かったのだ」
「……」
「結局、捕虜になったその騎士はそのまま使者として裂け目へと送り返されることとなった。不運だったのは帰路に魔物に襲われてしまい、半身を無残にも食いちぎられ、その騎士は這々の体で我らが裂け目砦へと帰参を果たしたのだ。……今しがた私が諸君らに語って聞かせた王都の状況などの話は全て、その帰還した騎士が砦にもたらした情報だ。それらの事実を我らに伝えたのちに、結局は落命してしまったわけだが」
レイモンド少尉は当時の状況を振り返るかのように、静かに目を閉じる。
「その騎士が伝えた所では、ふもと砦を制圧した部隊は我ら裂け目の部隊に対しても、王権に仇をなす逆賊として降伏を勧告しているという話だった」
「二人の王子で跡目争いをしているだけなのに、王権に仇なすとは大きく出たわね。そう決めつけていたのも結局は王太子の側の意向だったのでしょう?」
「……すでに王太子として立子しているのに異を唱えるということは、王権の決定に逆らう行為である、という論旨だそうだ」
レイモンドが、そのような話いかにも承服しかねる、という口調で説明した。
「それで、あなたたちはどうしたの?」
「無論、裂け目を預かるマイエル大尉がこれに応じる事はなかった。……当たり前だ、おのが父親が逆賊として一方的に討たれたというに、はいそうですかと納得して投降など出来るものか。ふもとからの総攻撃を覚悟し我らは砦に立てこもったが、一日待って、二日待って、一週間たっても何もない。結局のところ、今日にいたるまで一切の追撃は無いままだ。連中も、魔物の襲撃にあう危険を冒してまで裂け目に進軍し、我らと剣を交えるつもりもなかったという事なのだろう」
「大軍勢で殺到したところで、結局あの断崖沿いの細い道を、隊列を細く伸ばして下ってくるしかないわけだからな……」
老騎士ベルナールがしげしげと呟く。
「ともすれば、我らの部隊が魔物の巣窟のさなかにあって持ちこたえることなく早々に飢えるなりするか、こちらからしびれを切らして討って出てくるか、情けなくも投降してくるなりするであろうとたかを括っていたのかも知れぬ。こちらとしても、ふもとへ向かって敢えて攻勢をかけるほどのまとまった兵力を持ち合わせていなかったのも事実。そのままあちらとこちらでにらみ合いという形で、今に至っているという次第だ」
「そんな事情があったのね……」