裂け目の砦(その3)
そのような話を聞きながら、アランが指し示す建物の並びを、ジュディはしげしげと眺めていた。
カイエス山の山頂部から穿たれた大地の〈裂け目〉は、大自然が作り出した渓谷としては複雑で広大な空間には違いなかったが、そこに人の住処を建てる、という話になるとさすがに空間的な余剰には限りがある。まとまった広さの岩棚がたまたまそこにあったところに、断崖の際から奥の崖側に向かって、いくつかの建物が所狭しと立ち並んでいるかと思うと、そこから軒を重ねて崖の一つ上の岩棚へと岩を掘って階段が続いているのだった。その上側の岩棚沿いを這うようにして狭小な建物が居並んでおり、その並びはもう一つ上まで、高いところでは全部で三層にわたっていた。
その三層目から見上げれば相当な高さの切り立った崖がずっと上まで続いており、さすがにその上へと住居を拡張するのは難しかったようだ。落石防止か魔物の侵入よけか、三層目の上部に大きなひと連なりの屋根がかけられており、それが見上げる視界を大きく圧迫しているのだった。
見た目はいかにも慌てて築いたようなあばら家ではあったが、そうであっても渓谷を深く下った崖場の途中にこれだけのものを建てるのは並大抵の事ではなかっただろう。
「元々、この裂け目をさらに奥の方まで探索するために、もっと大勢の軍隊でここに駐留出来るように、今よりもっとしっかりとした砦を作る計画だったっていう話さ。……本当に崩れそうに見えるあの上の部分は、商人ギルドの連中が自分らの宿舎に使うのにあとから増築したんだ」
「あすこ辺りの建屋の背後の崖場から、魔物が下ってくる事はないのか?」
「まあ、あれだけの高さがあるから、たまに滑落して落ちてくるようなのはいないわけじゃないよ。けどここの岩棚より上層はそれほど凶暴で厄介なやつはそんなにいないし、あの屋根に墜ちてしまえばそこで死んでしまうか、息があっても相応にけがをして弱ってるからね。一応、上の崖場を見渡せるこの広場にも、そういう魔物が落ちてきたり降りてきたりしないか夜には見張りが立っているよ」
「なるほど。……ともあれ、このような断崖の途中に、よくぞまあここまで人間の住処を整えたものだ」
「崩れてきそう。見ていると何だか落ち着かない」
「あんまり縁起でもないことを言わないでおくれよ」
アランとそのように軽口を叩いていると、そんな奥の建屋の方からこちらへ降りて来る一人の若い男の姿があった。岩棚に掘られた階段とは別に梯子が建物のそこかしこにかけられていて、男はその梯子からこちら側の広場へととぼとぼと歩いてくるのだった。
ぼさぼさの赤髪をぼりぼりと掻きながら、気だるげな足取りで近づいてくるのは長身の痩せた若者だった。年の頃で言えば二十代の半ばくらいか。
「キースさん」
「おお、アランか。……おい、ちょっと待て。お隣のその美しいご婦人はいったいどなたなんだい?」
俺に紹介しろよ、と急に目を輝かせて身を乗り出してくるのだった。
「……キースさん、勘弁してくれよ。おれはマイエル大尉の言いつけでこの人たちを案内してるんだから」
アランにそのような親しげな声をかけてきたその青年を、ベルナールがまじまじと見やった。
「ジュディを口説くのは勝手だが、あまりお勧めはせんぞ……ときに、そういうお前さんは騎士団の騎士ではないな? 自警団の者かね?」
「うーん……まあ一応はそうなるのかな?」
そもそも先のベルナールの指摘に従えば、この砦にいるのは十五年前にやってきて孤立した大人たちと、彼らを親に持つ子供たちだ。だが目の前のキースという男は二十代半ばくらいの外見だった。年齢層としてはそのいずれにも当てはまらない。何も砦で生まれた若い世代ばかりではなく、子供時代に連れてこられたような者も中にはいたかも知れないが、歩哨に立っていた自警団の大人たちのような、土地に馴染んだような雰囲気がこの若者には欠けて見えた。
「キースさんは、外からやってきたギルドの人なんだ」
「外から? ……じゃあ、あなたは商い人か、それとも何かの職人さん? ちょっとそういう風には見えないけど」
「そういえばマイエル大尉たちは、おれたちを見て武芸者がどうとかいう話もしていたな。……だったらお前さんも、そういう武芸者の類なのかな?」
「別に武者修行に来てるわけじゃないから、武芸者って言い方はくすぐったいがね」
キースはそう言って、ぼさぼさの髪をぼりぼりと掻いた。