第7話 【テトロからイルテンへ】
一夜開けても、真兎の顔色は優れなかった。
何をしててもあの時の、初めてゴブリンを殺した瞬間の光景がフラッシュバックする。
丸一日経っても、まだ手に返り血の感触だけが残っていた。
「よし、今日はここで野宿だ。明日にはイルテンへ到着出来るぞ」
「よし、早速食事と寝床の準備だね。マト、動けるかい?」
「.........あ、あぁ。うん。薪を集めてくる」
真兎はじっと手の平を見つめながら、近くの森にフラフラと入っていこうとした。そんな真兎の襟首をイブが掴み、自分達の方に引き戻した。
「おい、昨日の薪を取った森とは違う。ここは危険だからアイルを連れて行け。エルはこっちだ、味見を頼む」
「は〜い!」
「よし。それじゃあマト、行こうか」
「うん.........」
真兎を連れて、アイルは森の中に踏み入る。
その背中をイブは食材の下処理をしながら見送った。
「手が生暖かい?」
「.........え?」
「飛び散った血の味が忘れられなくて、返り血がずっと取れないように見えるよね。私も最初はそうだったから」
「.........アイルにもそんな時があったのか?」
アイルは周囲を警戒しながら、地面に落ちた薪になりそうな枝を拾い集める。
「.........まぁ私は家の方針で幼い頃から訓練されててね、剣も子供の頃から振っていた」
「厳しい家だったのか?」
「いや、そうでもない。私には騎士団長を務める兄がいてね、その憧れから自分で進んで剣を訓練していたんだ」
アイルは剣を抜き、丁度いいサイズの枝を切り落として二つに分ける。
片方を真兎に投げ渡し、自分もその枝を剣の様に構える。
「構えてくれ、少しやり合おう」
「.........え?」
真兎が構えると、アイルは軽やかな足取りで踏み込んだ。
そして、盛大に転んだ。
「いて!」
「大丈夫か.........?」
「あはは.........やっぱり少し恥ずかしいね」
アイルは鎧に着いた泥を落としながら、ゆっくりと立ち上がった。
その手は微かに震えていた事を、真兎は見逃さなかった。
「実は昔少し嫌な思い出があってね.........私の剣のせいでその兄が大怪我を負ったんだ。その時の返り血や、歯を食いしばって私を睨み付ける兄の顔が離れないんだ」
「.........そうか、トラウマってやつか」
「それから剣を振る時にはその光景が浮かび上がり、私は剣を振れなくなってしまったんだ」
「いや待て、アイルは剣を使えていたじゃないか」
真兎はテトロの森の中でイブを襲おうとするマタンゴを切った時も、雨の中襲ってきたゴブリンもそんな素振りは見せなかった事を思い出す。
その時のアイルにはトラウマを踏んだ人間の様な雰囲気は纏っていなかった。
するとアイルは抜ける様な小さな笑い声を上げ、もう一度木の枝を構えた。
真兎は応える様に枝を構え、今度は自分からアイルに斬りかかった。
「やぁっ!」
「それから私は必死に恐怖を克服しようとした! 血のにじむ様な訓練と、強い心を育もうとした!」
「そらっ!」
「私は必死の取り組みの末、ある事実に気が付いた!」
「とうっ!」
アイルは素人剣術の真兎に押され、木の根に躓いて尻餅を着く。
目の前に木の枝を突きつけられ、アイルは困った様に笑った。
「誰かを守る為になら、剣を振れるってね」
「どうして?」
「う〜ん、それは私にも分からない。でも誰かを守る為に剣を振ると、兄ではなくその守るべき人の顔が思い浮かぶんだ」
「優しい剣なんだな」
真兎がそう言うと、アイルは驚いた様に目を丸くした。そしてフカフカと笑い、地面を強く叩いた。
「キミは面白い事を言うね!」
「何が変なんだ? 誰でも過去に足を取られる可能性はある」
「ふふふ.........そんな風に言ってくれたのは、キミが初めてだよ」
アイルは地面に落ちた枝を拾い上げ、薪を真兎に手渡す。
「さて」
アイルは視線すら向けず、飛んで来た岩を枝で真っ二つに切り裂く。
森の奥から、数体のゴブリンが棍棒や岩を持って現れる。
「昨日の敵討ちかな、受けて立つとも」
「ギギギ.........!」
アイルは長い金髪を舞わせながら、ゴブリン達に向かって木の枝を向けた。
それを挑発ととったゴブリン達は標的を真兎からアイルに変え、一斉に飛びかかる。
「ちゃんと私の後ろにいてくれよ!」
まるで剣を振るう様に、アイルは木の枝でゴブリン達の猛攻を軽く凌ぐ。
ゴブリン達は粗雑なコンビネーションでアイルを攻め立てるが、アイルは隙を見て一体のゴブリンの首を跳ね飛ばした。
「ギ.........!」
ゴブリン達は動きを止め、遠巻きにアイルの様子を見る。そしてゆっくりとお互いの距離を離し、アイルを取り囲みながら真兎へ直ぐに飛びかかれる位置を取る。
「なるほど、私じゃなくてマトを狙う気か」
「俺も何か」
「いや、きちんと守られていてくれよ」
アイルは姿勢を低くして、一気に踏み込み閃光が走る。
一瞬でゴブリン達は切り捨てられ、アイルは空気摩擦で火のついた木の棒を投げ捨てた。
「さて、薪を持って帰ろうか」
「あ、あぁ.........なぁアイル、俺にも剣を教えてくれよ」
「ん? 良いとも、ただあまり期待しないでくれよ?」
アイルはニコニコと笑みを浮かべながら、真兎の持っている薪を半分請け負った。
________________________
そして丸二日間と半日の旅を経て、四人はイルテンの街にたどり着いた。のどかな牧草地に囲まれた巨大な門は、周囲の景色からは浮いて見えた。
ぐるりと街を囲むように作られた巨大な壁は苔が生え、長らく使われていない事が見て取れる。真兎はそんな様子を見ながら歩いていると、いつの間にか立ち止まっていたアイルの背中にぶつかった。
「いて」
「あぁごめんよ。マト、どうやら街に入るためには身分証の提示が必要らしいから出してくれるかい?」
「あぁ、分かった」
真兎が身分証をアイルに受け渡し、門兵がそれをチェックする。そして手元のメモに何かを書き記し、合図を送って門を開いた。
「最近この街では人攫いが頻発している。気を付けてくれ」
「あ.........はい」
真兎は急に話しかけてきた無骨な門兵に少し驚きながら、門をくぐってイルテンの街に踏み出した。
「わあ〜!」
街に入った瞬間に大声を上げたのは、今の今まで少し眠そうにしていたエルだった。
真兎もイブもアイルも、その声をあげた理由を鼻で感じとった。
「どこかしこから美味しそうな匂いが.........!」
「名物料理がいくつもあるとは聞いていたが、想定以上だな.........」
「ふくよかな女の子がたくさんいる.........!」
三人はアイルをジトッとした目で見る。
アイルは二人の視線に気づき、わざとらしく咳払いをした。
「.........さて、街に着いたがエルちゃんはどんな感じだい?」
「う〜ん.........おいしいにおいがたくさんでわからない.........」
「んだよ使えねぇなぁ.........」
「まぁまぁ。エル、俺と少し街を歩こうか。何か手がかりがあるかもしれない」
「うん! あれたべたい!」
エルは先行して大通りを行き、真兎はその後を慌てて追いかける。
するとイブは二人に背中を向け、別方向に向かおうとしていた。
「どこ行くんだい?」
「あ? 手がかりが見つかるまで、僕は宿屋でゆっくりさせてもらうぜ」
「そうか、部屋が取れたら後で私達に知らせてくれよ」
「なんで知らせる必要がある? 僕が取る僕の部屋だぞ?」
アイルはさも当然の様にそう言い放つが、アイルはやれやれと言った様子で肩を叩いた。
「キミお金もってないだろう? 私の貯金を少し分けるからそれで三人の部屋を取っておいてくれ」
「おい、ふざけるなよ? 僕は施しなんて受けないぞ」
「私も泊まる場所が欲しいだけさ、それじゃあよろしくね」
アイルはイブに数枚の銀貨を握らせ、真兎を追いかけて人混みの中に割って入っていった。
イブはしばらくその背中を眺めた後、舌打ちしながら自分の財布に銀貨をねじ込んだ。
・感想
・いいね
・ブックマーク
・評価等
よろしくお願いします。