第1話 【新しい世界】
「おはようございます、土門 真兎さん」
突然声を掛けられ、目を開ける。
確かに子供を助ける為に、トラックに轢かれたはずだった。
トラックのバンパーの冷たさを、咄嗟に出した手の平で感じたはずだ。
そう思いながら自分の体を確かめていると、ふと目の前に一人の女性が座っている事に気が付いた。
何もない空間に座っており、まるで空気椅子の様に見える。しかし服が垂れたり長い金髪が引っ掛かり、見えない椅子の存在を主張している。
「意識はハッキリしましたか?」
「は、はい.........」
人間離れした美貌を携えた女性は、真兎に優しく微笑んだ。
真兎は慌てた様子で周りを見渡すが、周囲には何も無くただ白い地平と白い空がどこまでも広がっていた。
「あの、ここは?」
「ここはあの世とこの世の狭間.........分かりやすく言うのなら、神の住む領域ですかね」
「って事は俺、死んだんですか?」
「いいえ、貴方が死ぬ前に、女神の私がここに召喚したのでまだ生きていますよ」
「.........ど、どうして俺を?」
真兎は少し怯える様に尋ねる。
女神は笑顔を保ったまま、一枚の紙を何もない空間から取り出した。
それは、事故直前まで真兎が持っていた進路希望調査書だった。
「あ! それ.........!」
「えぇ、貴方が書いた進路希望調査書です。【勇者】、とは大きく出ましたね?」
「い、いや。昔テレビゲームでやった勇者に憧れて.........つい」
「ふふふ。可愛らしいですね」
女神は軽く笑いながら、大きな杖を出現させて地面を軽く叩く。
すると女神の隣の空間が歪み、ワープホールの様な物が出現した。
「貴方の普段積み重ねてきた善行とこの進路希望の二つを加味し、貴方にチャンスを与えましょう」
「チャンス.........?」
「私が作ったある世界で悪行を働き、その世界を破滅させようとしている魔王が居ます。その魔王を打ち倒して欲しいのです」
女神は両手を胸の前で組み、目の端に涙を浮かべる。
「私が干渉すれば世界の均衡が崩れ、そこに住む人達の人生を大きく狂わせてしまう。だから人間である貴方にしか出来ない事なんです! どうか、どうか約束してくださいますか.........?」
「はい! 俺に出来る事なら何でも手を貸します!」
「良かった.........」
女神は安心した様に大きく息を吐き、真兎の両手をしっかりと包み込んだ。
思ったよりも冷たかった手に真兎は驚きつつ、女神に引っ張られ立ち上がる。
「貴方の助けになれる様に、私の力の一つを授けましょう。どうかお役に立ててくださいね」
女神は一度真兎から手を離し、片手を差し出し握手を求める。
真兎は大きく頷き、その女神の手を強く握った。
女神は満面の笑みでワープホールを指差す。
「これを通れば貴方の冒険は始まります。どうか貴方の旅が無事に達成されるように見守っています.........!」
「はい! 行ってきます!」
真兎は大きく踏み出し、手を振る女神を背にワープホールを通り抜けた。
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急な眩しさに真兎は目を細める。
目が光に慣れ、ゆっくりと視界が戻ってくる。
周囲の景色はまるで御伽噺に出てくる様な中世の街並みで、目に映る建物は土壁やレンガを積み重ねた古めかしい物ばかりだった。
街を往く人々は安っぽい布を繋ぎ合わせただけの服や、今では見ない鉄製の部分鎧みたいな物を着用している者も見える。
真兎はゆっくりと歩き、大通りに一歩踏み出す。
「すげぇ.........」
大通りでは屋台が開かれ、至る所で様々な物が取引されている。
食べ物、装飾品、生地、小物、武器。どれも見た事のない物で、本当に別の世界に来たんだと真兎の鼓動は早くなった。
期待と不安入り混じる中、真兎は大通りを目的もなく歩き続ける。
その時、真兎は周囲の視線が物珍しそうに自分の事を見ている事に気が付いた。
「そうか、学生服は目立つか」
今の服装は、学校帰りの学生服のままだった。
持ち物は無いかとポケットを探るが、家の鍵しか出てこなかった。鞄はトラックの前に出た時に投げ捨てた事を思い出し、真兎は深く後悔した。
美味しそうな露店の食べ物を横目に大通りを歩いていると、露店同士の間に挟まる様に人がぐったりと座り込んでいた。
思わず真兎は近づき、肩を叩いて声を掛ける。
「あの、大丈夫ですか?」
「.........にぁ」
その人物は黒いスーツの様な服に、猫耳の付いたツバ付きの黒い帽子を被っていた。
鈴の様な透き通る声のその女性は、残った力を振り絞り顔を上げた。
「少年。灰色の容器落ちてなかったにぁ.........」
「灰色の容器? ちょっと待っててください!」
真兎は周囲を見回すが、灰色の容器の様なものは落ちていない。
地面に這いつくばり露店の下も見てみると、筒の様な灰色の容器が隣の露店の下に落ちていた。
真兎は迷う事無く露店の下に潜り込み、泥とゴミだらけになりながら灰色の容器を掴み取った。
「取れました!」
「な、中身を一本.........」
弱々しく伸ばされた手を見て、真兎は容器の蓋を回して開ける。
「.........タバコ?」
白くて細いタバコの様な物が何本も入っており、その中の一本を手渡す。
黒いスーツの女性はそれを受け取ると、口に咥えて大きく深呼吸をした。
「す〜〜〜は〜〜〜.........い、生き返るにぁ.........」
「大丈夫ですか? 火付いてませんけど.........」
「これはタバコじゃねぇにぁ。一種のフィルターみたいなもんにぁ」
女性はそう言いながら何度か大きく深呼吸をすると、少し変色した咥えた棒を飲み帽子を脱いだ。
帽子に付いていた猫耳が頭から生えている事に真兎が驚いていると、猫耳の女性は灰色の髪を振り深々と頭を下げた。
「助かったにぁ、これがないと生きていけないにぁ」
「いえ、お役に立てたのなら何よりです!」
「私の名前は【ジルア】にぁ、お前は?」
「俺は真兎って言います」
「マト.........珍しいけどいい名前だにぁ!」
猫耳をぴこぴこと動かしながら、ジルアは真兎に手を差し伸べる。
真兎はその手を取ろうとしたが、泥まみれな事に気づいて自分のズボンで拭いてから手を取った。
「躊躇ねぇんだにぁ」
「何がですか?」
「.........ぷっ、おもしれぇ奴だにぁ」
ジルアは何がおかしいのか、笑顔で真兎の腕をぶんぶんと上下に振る。
真兎はジルアの猫耳を物珍しそうに眺めながら、ジルアの握手にただ振り回されていた。
「それでマト、お前はどうしてこの街に来たんにぁ?」
「あぁ、実は魔王を打ち倒しに」
「魔王を? 打ち倒しに? このご時世にかにぁ? アッハッハッハッハッ!」
ジルアは腹を抱えて大笑いする。
膝を何度かバシバシと叩き、一通り笑うと真兎の肩にジルアが手を置いた。
「いやぁ悪い悪いにぁ。あんまりにも面白いからつい.........」
「俺、何かおかしな事言いましたか?」
「魔王【エステル】って言えば、1000年以上前の大昔話に出てくる魔王にぁ。勇者一行と6人の協力者、そして巫女の協力によって打ち倒されたって言い伝えにぁ」
「魔王は1000年以上前に打ち倒されている.........?」
「ま、大昔の話だからほんとかどうかは知らねぇにぁ」
真兎は顎に手を当て考える。
もし本当に魔王が打ち倒されているのなら、どうして自分がこの世界にやって来たのか。
なぜ1000年以上前のその時ではなく、今この時代なのか。
そして真兎は一つの結論に至った。
「.........魔王が復活するなんて噂、あったりします?」
「いや、聞いた事もねぇにぁ」
「そうですか.........」
「でも最近魔物の活動が活発にはなってるにぁ.........もしかしたらほんとに復活するかも、なんてにぁ」
ジルアは無い可能性を口に出してケラケラと自分で笑い、またフィルターを取り出して口に咥えた。
「だけどそういう話なら冒険者ギルドに行くといいにぁ」
「冒険者.........ギルド?」
「なんにぁ、どこで何して生きてたらそれも知らねぇにぁ? 冒険者って言うのは人の依頼をこなして世界を冒険する、この世で最も自由な職業にぁ」
「フリーターですか?」
「ふりー.........知らねぇけど、多分違うにぁ」
ジルアは真兎の顔を摘み、街の向こう側を向ける。
遠くの街の風景の中に、屋根に旗が掲げられた一際古い大きな建物が見えた。
「あそこに見える建物にぁ。ちょうど私もあそこに行く予定だったから、着いてくるにぁ」
「ありがとうございます」
ジルアは冒険者ギルドに向かって歩き始める。
真兎は慣れぬ街でも置いていかれないように、ジルアの後ろをピッタリと着いて行った。
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