第11話 【忍び寄る影】
『私の名前はクミッツ・サリエル。しがないただの、農家のはずだった』
『あの腕を誰かに相談するべきだろうが、私には妻も友人もいない。それにあの腕を外から見える場所に晒している事に、とてつもない不安と嫌な予感を感じる』
日記の中には腕に関する記述と、それに対する日記の持ち主の反応や考えが綴られていた。
ペラペラと真兎がページを捲ると、隠し扉を作った事が綴られていた。
「.........嫌な予感、確かに分かる気がするな」
「なぁに〜?」
エルが肩越しにひょっこりと日記を覗き込む。
何か背中を冷たい物が走る様な、物凄く嫌な感じという物は真兎がこの世界に来てから何度か感じていた。
『今日は腕を切ってみた。すぐに傷は治り、血液は一滴たりとも零れなかった。肉片もすぐに蒸気となって消滅した。私には、これが神々しい物に感じて仕方がない。』
『今日は例の腕を少しばかり齧ってみた』
「齧った!?」
急に大声を出した真兎に驚き、イブが飛び起きる。
そして口を塞いで様子を見る真兎を見て、一際大きな舌打ちをしてもう一度横になった。
「次に起こしやがったらぶっ殺してやる」
「ごめん.........!」
「さっきからマトは何を読んでいるんだい?」
「あの廃墟から持ってきた手記なんだけど.........あの腕に関して色々書いてあるんだ」
その言葉を聞くと、イブは飛び起き日記に這い寄ってくる。
ページを捲り超人的なスピードで内容を精査し、今まで真兎が読んでいたページまでを一瞬で読破する。
「さっさと読めよ、次のページ行けねぇだろうが」
「あ、うん」
『今日は例の腕を少しばかり齧ってみた。味は無味だが、ほのかに女性特有のいい香りがする。噛み切りにくいが筋肉質ではなく、どちらかと言えば私が筋ばかりの部分を食べてしまった様だ』
「嫌な食レポだなぁ.........」
次のページに行くと、そこには動揺した様な文字で色々な文字が書き殴られていた。
『なぜあんな得体の知れないものを口にした? 至って健康、気分も悪くない。あれはなんだ? 一体誰の? 私は誰かに狙われている? 私ではない、この腕が狙われている』
おおよそこの様な内容の文章が、繰り返し数ページに渡って書かれている。
そして急に白紙のページが挟まり、その次のページには落ち着いた文字が書かれていた。
『あの腕の正体を理解したかもしれない。御先祖様はきっと、あの腕を守ろうとしたのだ。私はもう長くない、跡継ぎもいない。これを見つけた誰かが、あの腕を正しく使ってくれる事を願う。あの魔力の塊を』
「.........これで終わりか?」
「う〜ん、これ以降は何も書かれてないな」
イブは日記をペラペラともう一度読み直し、大きなため息をつきながら自分の寝床に戻る。
「その日記から分かるのは三つ。一つは日記の持ち主、クミッツ・サリエルとやらはもう死んでいる事。二つ目はあの腕は魔力の塊で、何やら神々しい物であること。そして三つ」
イブは杖を構え、一気に立ち上がる。
「僕達以外にそれを付け狙う奴がいるって事だ!」
イブは杖を振り、小さな窓に向かって火の玉を放つ。
何かが頭を引っ込め、走り去る音が聞こえる。
「チッ、聞かれたぞ」
「ほとんどキミが話してなかったか?!」
「んな事はいい。今僕達は最短でこの街を出る事を目標に動くべきだ」
イブは杖を鍵のかかった扉に向け、火球を出して狙いを定める。
その瞬間、鍵が開いて扉が開いた。
「あけたよ〜!」
「エル!」
エルは大きく息を吐き実体化を解きながら、フラフラと部屋の中に入ってきた。
「そうか、エルが部屋の外に出て実体化して鍵を開けたのか。上出来だ」
「でも、どうする.........?」
アイルの一言で全員が動きを止める。
その言葉の真意は理解していた。
今自分達は拘束された身である。それにもかかわらず、脱走を図ろうとしている。
それが何を意味しているのか、分からない程全員馬鹿ではなかった。
「おい.........どうして、鍵が空いている.........?」
部屋の入口から声が聞こえてくる。
全員の視線がその一点に集まる。
「お前達、どうやって鍵を開けた.........?」
そこには、困惑した顔の無口な衛兵が立っていた。
アイルは一瞬躊躇い、剣から手を離して衛兵に飛びかかろうとした。
その直前イブは杖を無口な衛兵に向け直し、土の塊を打ち出す準備を済ませていた。
そして誰よりも早く、衛兵は後ろ手で扉を閉めた。
部屋の中に入ったまま、扉を背に三人を見つめる。
「.........っ」
「なんだぁ.........?」
イブとアイルは構えたまま動きを止め、無口な衛兵は立ったまま扉を後ろ手で押さえ続けていた。
「.........逃げなさい」
「なんだ?」
「もう迎えが来る」
その言葉を皮切りに、部屋の扉の前に誰かが立つ。
窓から流れ込む夜は部屋の中に魔術による仄かな明かりを残し、視界が遮られ過敏になった聴覚にドアノブを捻る音が聞こえてくる。
「.........」
扉の向こうの何者かは扉を開こうとするが、無口な衛兵が扉を押さえそれを阻止する。
数十秒の沈黙を経て、扉の向こうの何者かの気配が消えた。
無口な衛兵は黙ったまま、こちらに向き直った。
「.........逃げろ」
「何が来たんだ? 一体どうなってやがる」
「時間がない」
「イブ。不安なのは分かるけど、今は脱出を優先しよう。そう言ったのはイブだろ?」
「.........けっ、マトの癖にナマ言いやがって」
イブは落ち着きを取り戻し、荷物を背負い上げる。
その様子を見て、無口な衛兵は扉を開けた。
「ぐっ.........」
「.........どうした? 何突っ立ってやがる?」
無口な衛兵は後ずさり、部屋の中央に倒れ込む。
その胸には、大きな刺傷が空いていた。
扉が開きぽっかりと空いた暗闇から、灰色のボロ布を頭からすっぽり被った人物が現れた。
「なんだぁ、お前」
イブとアイルは武器を構え、戦闘態勢を取る。
灰色の人物は頭から被った布のせいで肩と頭の区別が付かない、まるで人間ではないような不気味な姿だった。
「.........」
「マトッ!」
アイルが剣を振り、真兎の目の前に振り下ろされたナイフを受け止める。少し距離があったが予備動作も無しに、一瞬で灰色の人物は真兎にナイフを振り下ろしていた。
「なっ.........」
「離れてろ! フレイムシャワー!」
イブの声掛けで真兎は倒れた衛兵を引きずり、部屋の隅に避難する。
イブの杖から炎が放たれ、灰色のいた部屋の入口側を火の海にする。
「奴は.........この国の病原菌。人攫い集団、ネズミ.........!」
「ネズミ.........?」
無口な衛兵は言葉を絞り出し、ずっと握りしめていた槍を炎の中に向ける。
しかし、そこにはもう灰色のネズミの姿はなかった。
「チッ、貸せ! 治療する!」
真兎を押しのけ、イブが無口な衛兵の前に座り込み杖を翳す。
緑色の優しい光が放たれると共に、無口な衛兵はうめき声を上げる。段々とその顔色は正常に戻っていき、呼吸も落ち着き始める。
「ほらよ、応急処置完了だ」
「.........すまない」
無口な衛兵は少し苦しそうに口を開き、ゆっくり立ち上がろうとする。その時、数人の足音が部屋の入口に集まってきた。
「貴様達ィ! 何をしている!」
昨日出会った乱暴な衛兵が部屋に踏み込み、血を流す無口な衛兵を発見する。
「貴ッ!」
困惑と、驚愕。
そして跳ね上がった口角を誤魔化すように、乱暴な衛兵は言葉を途切れさせる。
「貴様らァ! 脱走だけではなく我々の仲間を傷付けたなァッ! 衛兵を手にかけた貴様らは、全員処刑だァッ!」
「チッ、逃げるぞ!」
イブは杖を振りかざし、強烈な光を放ち衛兵達の目を潰す。
一緒に目を潰された真兎の腕を誰かが掴む。
「.........連れて行ってくれ、頼む」
「こっちだマト!」
真兎は腕を掴んだ誰かを引っ張り、イブの声のする方に走りだす。
薄らと見え始めた視界で、イブとアイルが先導してくれるのが見える。そして自分が手を引いているのが、怪我人の無口な衛兵だと言うことも。
「うおおおおお!」
「っ!?」
真兎は無口な衛兵を抱き上げ、まだ回復しきっていない視界で衛兵の詰所を飛び出す。
衛兵の詰所の中ではガチャガチャと鎧のぶつかる音と、大勢の足音が真兎達に迫っていた。
「こっちー!」
「エルちゃん!」
エルが路地から飛び出し、大きく手を振る。
アイルを先頭にエルの指差す路地に飛び込み、最後尾のイブが魔術で道を塞いで時間を稼ぐ。
エルはぐねぐねと曲がりくねった路地をするすると進み、枯れた地下水路への入口を指さした。
「ここ!」
「明かりを出す! 進み続けろ!」
イブが杖を振りかざし、それぞれの周囲に光の球が回り出す。
暗い地下水路をすいすいとエルは進み、階段を指差し立ち止まる。
「ここ! まちのそとのちかく!」
「行くぞ!」
アイルが階段をかけ登り、塞がれた扉を蹴り壊す。
扉の向こうは街の門の近くの裏路地で、衛兵の影も形も無かった。
闇に包まれた街の中、静まり返った空間に三人の上がりきった呼吸音だけが響く。
周囲を警戒しながら、アイルは街の中を進む。
昼間の喧騒とは裏腹に、人っ子一人いない街中は不気味に静まり返っていた。壁に貼られた捜索願いだけが、三人をじっと見つめていた。
「ぐ.........」
「あ、ごめん。掴み所悪かった.........?」
「いや.........街の外には出られない」
無口な衛兵は真兎に抱かれたまま、静かに話し出す。
アイルは角から門の方を見るが、舌打ちをして顔を引っこめる。
「門が閉まっている」
「この街は夜の通行が禁止されている.........」
「出る方法は?」
無口な衛兵は首を横に振った。
イブは舌打ちをしながら、周囲を見回す。
「門をぶち破ってもいいが、見たところ衛兵が多い。壁を超えるのも目立つ。朝を待って人ごみに紛れて抜けるのがベストだ」
「いや、もう既に私達はお尋ね者だ。夜のうちに壁を超えるべきだ」
「待って。この衛兵さんに事情を話してもらって、誤解を解くべきだよ。お尋ね者のまま逃げ回るのは嫌だ」
「ねぇ、またきたよ.........」
エルの一言で、三人は顔を空に向ける。
屋根の上から、複数人がこちらを見下ろしている。目だけが爛々と輝き、星の様に見間違いそうになる。
「.........目撃者を消しに来たか、ネズミ共ッ!」
・感想
・いいね
・ブックマーク
・評価等
よろしくお願いします。