メルティ・ショコラ〜蕩ける甘美な愛情〜
今日はやけに冥府総督府が騒がしい。
「おはよう、諸君。朝っぱらからうるさいぞ」
「あ、課長。おはようございます」
呵責開発課の事務所に足を踏み入れたオルトレイ・エイクトベルは、事務所内が浮き足立っている雰囲気を感じ取った。
女性職員は弾んだ声で何か箱のようなものを見せたり、早速とばかりに包装紙を破いて中身を確認したりと忙しない。どうやら箱の中身は大半がお菓子のようで飴からクッキー、マカロン、それから高級そうなチョコレートと多岐に渡る。
彼女たちの箱を一瞥すると、現世で有名な店のお菓子ばかりだった。少々お値段の張るものが多く、中には行列が絶えないと噂される人気店のお菓子も存在していた。女性職員はこれらのお菓子をいつ食べようか悩んでいるようである。
特にお菓子類に関して興味を持たないオルトレイは、眠気を払うように欠伸をしながら自分の仕事机に移動する。ぐちゃぐちゃと書類やら設計図が散乱した机の上に、開発途中である魔法兵器の金属物体が転がっていた。
「あ、このボンボンショコラ美味しい!!」
「ねえ、ここのお店のボンボンショコラってすぐに売り切れちゃう人気商品じゃなかったっけ?」
「私、食べたことない」
工具を手に取ると、女性職員が数名ほど集まって箱の中身を食らっていた。金色の個包装が目を引き、包装紙を破ると出てきたのは茶色い輝きを有したチョコ菓子だ。
それを口の中に含んだ女性職員たちの表情が緩む。よほど美味しいボンボンショコラなのだろう。正直な話、あまり食指が動かない。
オルトレイはグッと眉根を寄せ、
「お前たち、もう始業は過ぎているぞ。とっとと持ち場につけ」
「でも課長、このボンボンショコラが美味しいんですよ」
「ボンボンショコラなぞ何を食っても同じだろうに」
女性職員が勧めてきたボンボンショコラを、オルトレイはバッサリと一蹴する。厳しい意見である。
「いや違いますから、今まで食べてきた中で1番美味しいですから」
「ほーう、そこまで言うなら寄越してみろ。冥府総督府主催料理コンテストで優勝経験35回のオレ自ら試食してやろうではないか」
「課長、何でそこまで料理上手なんですか? どんな料理でも上手に作れる魔法でもあるんですか?」
「戯けが。オレの努力と研鑽の結果を魔法の一言で片付けるな。ンな訳なかろう」
女性職員が差し出してきた箱から、オルトレイは金色の包装紙に覆われたボンボンショコラを摘み上げる。
酒瓶の形を模したそれは店名がまず記載されており、包装紙を外すとチョコレートの甘やかな香りが鼻孔をくすぐる。苦さを感じさせるチョコレートを口に含むと、中に詰め込まれた酒がトロリと舌の上に広がっていく。柔らかな舌触りの酒は芳醇な味わいがあり、チョコレートの苦味も相まって非常に美味しい逸品だ。
だが、
「うむ、量産」
「そりゃお店で売られているものだから量産ですよ、課長」
「想像から逸脱しない味わいだと言っておこう。これでオレの舌を唸らせようとは片腹痛いわ」
オルトレイは鼻で笑い飛ばすと、
「食事に貴賎は関係ない、安かろうが高かろうが美味いものはどのようなものでも美味いからな。ただオレは『店主こだわりの一品』とか『素材からすべてこだわっています』などと言ったこだわりを強調してくる類のものは好かん。お前のこだわりはその程度かと思う」
「課長は料理上手だから言えるんですよ」
「私たちはこれで十分です」
「お前たちも甘いな、甘々の甘だな」
開発途中の魔法兵器に目を落としたオルトレイは、作業に取り掛かりながら言う。
「そうだ、オレの舌を唸らせる菓子の1つでも持ってくれば『雪化粧の露』をくれてやろうではないか。我が家の秘蔵だぞ」
「え、あれって超希少なお酒ですか!?」
「課長がやたら自慢していたあれを!?」
「課外にも吹聴しておくがいい。このオレを納得させるものを用意することが出来れば惜しむことはないわ!!」
オルトレイの哄笑が響く呵責開発課の事務所が騒然となる。
雪化粧の露という名前の酒は、非常に希少価値の高い清酒なのだ。現世を訪れた際に娘から贈られたものだというものを何度も何度も職員に自慢するものだから、職員も「もういいです」と言うまで続いた訳である。
そんな自慢の酒を、彼の舌を唸らせるお菓子を用意すれば簡単に手放すと言うのだ。希少価値の高い酒には誰しも興味がある。酒が飲めなくても売り払うことだって可能だ。『雪化粧の露』を売却した場合、その価値は200万ルイゼは下らないと言われている。
喧嘩を売られた女性職員はおろか、話を聞いていた男性職員まで集まって作戦会議が始まってしまう。もはや仕事などそっちのけで、どこのお菓子が美味しいかと相談していた。
「賑やかな訳だが、何事かね?」
「テメェんとこはいつも騒がしいよな」
「おお、キクガとアッシュではないか。何だ一体、実験されに来たのか?」
「滅多なことを言うんじゃねえ」
賑やかを通り越してもはや騒がしさしかない呵責開発課の事務所内に、冥王第一補佐官のアズマ・キクガと獄卒課の課長であるアッシュ・ヴォルスラムが顔を覗かせる。彼らが2人揃ってわざわざ呵責開発課の事務所を訪れるなど仕事が理由であること以外に考えられないのだが、どうやら違うと見ていいようだ。
キクガやアッシュの手には、それぞれ何か桐の箱や風呂敷包みが握られていた。明らかに仕事とは関係なさそうな品々である。
オルトレイは瞳を瞬かせ、
「それらは一体何だ?」
「ああ、君にはバレンタインの際に世話になった訳だが。そのお礼に」
「なるほど、ホワイトデーか。いい心がけだな」
キクガはオルトレイに風呂敷包を差し出し、
「最初はお菓子でもと思ったのだが、君はありきたりなものを好まないだろう。だから真珠鮭のレモン味噌漬けにした訳だが」
「何だとッ!? まさかサユリ嬢の手製か!?」
「もしかしなくてもそうだが。君が以前、我が家を訪れた際に気に入ってくれた料理だからサユリも張り切っていた」
真珠鮭のレモン味噌漬けと聞き、オルトレイは「ひゃっふー♪」と上機嫌になる。
キクガの妻であるサユリは、極東料理に特化した料理上手な女性だ。オルトレイは洋食やその他各国の郷土料理に精通しているのだが、繊細な味と華やかな見た目の極東料理はサユリの方に軍配が上がる。故に自分の料理技術を伝授する代わりに、極東料理の真髄を教えてもらう戦友のような間柄だ。
そんな彼女の料理の中で魚を使った料理は至高の逸品と言っていい。特に真珠酒のレモン味噌漬けは鮭の旨みと酸っぱさが特徴的なレモン味噌の相性は抜群なのだが、合間に香る清酒の風味や用意された薬味などが最高である。今日の晩酌のメニューは決まったようなものだ。
一方でアッシュの方は、
「酒を寄越すのも味気ねえかと思ってよ。こっちもチビどもが世話ンなったから、ハイイロケナガゾウの鼻の燻製肉を作った」
「何と、珍味と有名なアレではないか。一度食べてみたかったのだ」
「銀狼族だと冬から春にかけて食ったりするぞ。美味えから麦酒と食ってみろ、トブぞ」
「いいことを聞いてしまった。今日は麦酒を買って帰らなければならぬではないか」
桐の箱に入れてくるから酒か何かだと思ったら、まさか希少珍味と有名な『ハイイロケナガゾウ』と呼ばれる毛の長い象の鼻の肉とは想定外である。あれは市場に出回らず、狩猟民族だけが消費するような代物なので生きている間はありつけることなどなかった。
アッシュは狩猟民族としても有名な銀狼族の元族長だ。さらにハイイロケナガゾウが生息する寒冷地域を拠点に移動していた民族である。狩猟は元より、長期保存をする為に燻製肉へ加工する方法も熟知しているのは素直に尊敬できる。
ホクホク顔で2人からホワイトデーのお返しをもらったオルトレイに、キクガが「それで」と口を開く。
「何やら賑やかな訳だが、何事かね?」
「ああ、オレの秘蔵っ子である『雪化粧の露』を巡って戦争が勃発していてな。勝利条件はオレの舌を唸らせるような菓子を持ってこれるか否かだ」
オルトレイは妙に自信ありげといったような表情で、
「まあ、どうせ無理だと思うがな。所詮は量産型しか持って来れん連中だ」
「そんなの分かんないでしょーが」
「吠え面掻かないでくださいよ」
「約束も反故にしないでくださいね」
「遂行できてから言え。オレは約束を反故にはしないぞ」
とはいえ、オルトレイは食材に関してこだわりはない。高級品を使おうが安物で調理しようが美味いものは美味いのだ。その辺りは料理人の腕次第だと常日頃から思っている。苦手なマーマレードは死んでも食いたくないが。
ただ、今回は『舌を唸らせる一品』である。美味さだけが勝負ではない。オルトレイが納得できる味わい深い品物を用意できるかが勝利の鍵だ。
キクガとアッシュは互いの顔を見合わせると、
「それは我々も参加可能かね?」
「『雪化粧の露』っての、興味あるんだよな」
「ほう、お前たちも参加するか。いいだろう、オレの舌を納得させてみるがいい」
「もちろんだとも」
オルトレイが突きつけた挑戦状を素直に受け止めたのは、キクガただ1人である。所詮は突発的な催しだが、クソ真面目にオルトレイの舌を納得させる品物を考えるに違いない。
さて、この堅物がどのような菓子類を持ってくるのか楽しみだ。キクガはよく現世を訪れるので、目新しいお菓子を探してくるだろうか。
アッシュもちょっと自信ありげなキクガの顔を覗き込み、
「やけに自信があるじゃねえの、キクガ。どうした、急に」
「ああ、必勝法がある訳だが」
「おい何をする気だ」
必勝法があると宣うキクガに、オルトレイは早速の不正を感じ取るのだった。そんなものなどこの世にありはしない。
☆
さて、オルトレイ所有の秘蔵酒『雪化粧の露』を巡ってお菓子博覧会が開催された。
他の部署にも話は広まり、賞品の希少性に釣られた職員が各々こだわり抜いたお菓子を持って呵責開発課に集合する。興味はなくても行く末を知りたいという職員もちらほら存在し、呵責開発課の事務所を覗き込んでいた。
規則は特に設けておらず、既製品や手製品など制限もない。優勝条件が『オルトレイの舌を納得させるもの』というのだから、範囲が広大すぎて職員も随分と頭を悩ませたことだろう。頑張って有名店の菓子やら手作りのお菓子やらを持ち込んできていた。
そんな訳で、オルトレイも本気で挑むことにした。
「なるほど、獣王国ビーストウッズの代表おやつ『カニサクレープ』か。中身は甘辛く煮込んだ羊肉と野菜か、この組み合わせは飽きんな。美味い、以上。次」
故郷である獣王国ビーストウッズに帰って、代表的なおやつである『カニサクレープ』を購入してきた職員には素直に感想を告げておいた。確かに美味しいことには美味しいのだが、ビーストウッズの言葉で『残り物』を意味するクレープにこだわりがあるのかと問われれば微妙なところだ。
「ほう、手製のマドレーヌか。このクリームまで自分で? なるほど、ヨーグルト風味のクリームとマドレーヌの甘さの相性が素晴らしいな。美味い、以上だ」
手作りのマドレーヌとクリームを持ち込んできた女性職員の腕前は称賛に値するが、趣味の域を越えないものだと断じざるを得ない。可哀想だが「人並みに美味い」というのがオルトレイの感想である。ただクリームの爽やかな酸味と甘味は美味しかったので、あとで手土産片手に調理方法を聞きに行こうと決める。
「まっず!? 何だこれは、腐っているではないか!!」
「いっそ不味いものを作ったらどうかと開き直りました!!」
「その意気やよし!! 帰れ!!」
どうやら魚の臓器を発酵させた代物を持ち込んだ馬鹿野郎には、普通に「不味い」という感想を叩きつけておいた。不味い以外の言葉が見当たらない代物だった。そもそも発酵ではなく単純に腐っていたので、不味いどころの騒ぎではない。
数々の菓子類を口にしてきたが、美味いものは美味いだけである。それ以上の感想はない。優勝賞品に釣られてやってきた挑戦者たちは次々と打ち破れていった。
これはやはり、オルトレイの目論見通り全員完敗となるだろうか。各部署からこぞってオルトレイの舌を唸らせるようなお菓子を用意してきたようだが、残念ながらオルトレイのお眼鏡に適うものはない。
悔しそうにする職員を前に、オルトレイは余裕の笑みを見せた。
「ほらどうした、オレの舌を唸らせるお菓子を用意できるのではなかったのか?」
「課長の匙加減じゃないですか!!」
「無理ですよ、こんなの!!」
「はっはっはーッ!! 所詮はお前たちの舌もその程度よな!!」
高らかに笑い声を響かせるオルトレイは「次!!」と次の挑戦者を呼ぶ。
カツン、という音を聞いた。
ふと顔を上げると、目の前に立っていたのはキクガである。オルトレイが突発的に考えた催しに「必勝法がある」などと宣った堅物な第一補佐官様だ。
打ち破れた挑戦者も、これからオルトレイに臨まんとする挑戦者も、今回の優勝候補に注目が集まる。オルトレイ本人もまた緊張していた。どんなものが飛び出すのか分かったものではない。
「次はお前か、キクガよ」
「いや、私で最後だ」
「あれ? もう?」
「君がバッサバッサと切り捨てるものだから、途中棄権をする職員もいた訳だが。『勝てる訳がない』と敵前逃亡した訳だが」
「何だ、つまらんな」
オルトレイは鼻を鳴らすと、
「それで、キクガは何を持ってきたのだ。どこぞの国の郷土料理か?」
「いや、ボンボンショコラな訳だが」
キクガがオルトレイに差し出したのは、少しばかり高級な店で売っているような見た目をした箱である。黒地に金色の線が描き込まれており、お洒落な化粧箱だ。飾り付けられたリボンも金色をしており、なかなか豪華仕様である。
箱を受け取ったオルトレイは、雑な手つきでリボンを取り払う。するりとリボンは解け、蓋を持ち上げてみると、天鵞絨張りの台座に酒瓶の形をした個包装のチョコレートが並んでいた。銀の包みで覆い隠されたチョコレートに刻印の類はなく、既製品ではないことが窺えた。
ボンボンショコラの1つを指先で摘んだオルトレイは、ぴりぴりと包装紙を破る。包装紙の下から現れたチョコレートには艶があり、苦味のある香りが食欲を唆る。
「手製か? もしかしてサユリ嬢が?」
「いや」
キクガはただ短く、否定の言葉を口にしただけである。
手製品であることは間違いないが、どうやらキクガの嫁であるサユリが作った訳ではないらしい。料理下手なキクガがボンボンショコラなどという高度なお菓子を作れる訳がないので、必然的に誰か他の人物が作り上げたと言っていい。
オルトレイはボンボンショコラを口の中に放り込む。舌の上で広がっていく芳醇なチョコレートの味わいと、中身に詰め込まれた火酒の相性は何とも言い難いほど美味だ。突き抜けるような柑橘類の香りもまた、
「――――!!」
そのボンボンショコラを口にしたオルトレイは、クワッと目を見開く。
「キクガよ、これはどこで!!」
「ホワイトデーの為に用意していたらしい。中身の火酒の出来栄えを最高のものにしていたら、当日より1日だけ遅れてしまったと言っていた」
キクガは何でもない調子で微笑んでいるだけだ。
呵責開発課の事務所に集められた職員たちがざわめく中、オルトレイはボンボンショコラの並ぶ箱に視線を落とした。
丁寧に包まれた銀紙、箱の材質、送る相手を思って上等なものが選ばれている。食材は元より、包装1つ取っても妥協を許さない完璧な出来栄えだ。これらを用意するのに、果たしてどれほどの時間を要したか。
オルトレイは小さく笑う。この製作者のこだわりが随所に散りばめられたそれに勝てる菓子類など、冥府にも現世にも存在しない。
「文句なしの出来栄えだ。チョコレートと火酒の相性、酒精の度数、どれを取っても至高の逸品と言えよう」
オルトレイは右手を振る。
すると、キクガの手の中に桐の箱が出現した。桐の箱の表面には雪が降り積もる山岳の絵が描かれており、銀色の筆文字で『雪化粧の露』とあった。
希少な酒の出現に、職員たちが揃ってどよめく。まさか本当に優勝者を選ぶとは思わなかったらしい。オルトレイの舌を唸らせるお菓子を持ってくることが出来れば惜しむことなく渡す約束だったので、それを果たしただけだ。
ずっしりと重たい桐の箱を抱えるキクガに、オルトレイはボンボンショコラを口に運びながら言う。
「見事だ、キクガよ。オレの舌を唸らせる菓子類を寄越してきたお前に、希少な酒はくれてやる」
ざわめきと拍手がキクガを包むそのすぐ側で、オルトレイはボンボンショコラを堪能するのだった。
☆
必勝法があると宣言したキクガだが、ほんの少しだけ反則であることも理解していた。
別に、どうしても希少な酒を獲得したい訳ではないのだ。ただこの方法が本当に『必勝法』なのかという部分を確かめたかった。
なので、
「すまないな、ユフィーリア君。ちょっとばかり相談に乗ってもらいたい訳だが」
『いやぁ、親父さんの相談相手になるかどうか不安だけど』
通信魔法専用端末『魔フォーン』の向こうから聞こえてくるのは、元凶であるオルトレイの娘――ユフィーリアだ。
料理上手である彼女は、大半の技術が父親譲りである。なおかつ親子として長いこと過ごした経験も持ち合わせているので、きっとオルトレイの好みを知っていると踏んだのだ。
その件を説明すると、ユフィーリアは『ふーん』と興味深そうに頷く。
『親父も面白いことを企むな。今度アタシもやろうかな』
「それで、君はオルトの好みを知っているのかね?」
『まあ、それなりには。料理技術の大半は親父仕込みなんで』
ユフィーリアは少し悩む素振りを見せると、
『親父って何でも「美味い」って言う割には、こだわりって言葉を嫌うんだよな。「そのこだわりってのは誰に向けた? え?」とか言ってたような気がする』
「彼らしいな」
『こだわるなら、とことんこだわったものがいいらしいな。妥協を許さず、常に最高品質でこだわり抜いたものであれば尚のことよしって感じ』
そんなものなど既製品では用意できないので、手作りのものが必要になってくるだろう。妻のサユリに打ち明ければ困らせてしまうかもしれない。
『まあでも、親父の好きなものを知らないって訳じゃないんすけどね』
「何か心当たりが?」
『今まさに準備中なんすよ。アタシが何から何までこだわったホワイトデーの贈り物が』
ユフィーリアは『まあ、こだわり抜いてたら1日遅れそうなんすけど』と笑う。
『親父、ボンボンショコラだけはアタシが作ったものしか食えなくなったって言うんだよな。どこのボンボンショコラを食べても量産型にしか見えなくなったって言って、何度も強請るんすよ。準備が大変だから嫌だって断るんすけど』
「それは、ユフィーリア君なりに何かこだわっているものなのかね?」
『当然。チョコレートの材質から温度、火酒まで全部お手製なんで。酒造の免許も持ってるから色々とこだわれる。――こだわるならとことんまでってのがウチの家訓なんでな』
ユフィーリアは『任せてくださいよ』と言い、
『親父さんのことを勝たせるぐらいに最高のものを用意しますんで』
☆
「親父さん、勝てたかなぁ」
ユフィーリアはポツリと呟く。
魔導書を読みながら摘んでいるのは、手製のボンボンショコラである。ユフィーリアがこだわりを詰め込んだ傑作だ。
バレンタインの際に父親であるオルトレイからお菓子をもらったが、そのお返しを用意していたら1日遅くなってしまったのだ。思った以上にこだわりを詰め込みすぎた。
「ん、美味えなこれ。我ながらいいもん作ったわ」
読書をしながら摘むボンボンショコラは、柑橘系の香りが漂う火酒と苦味のあるビターチョコレートとの相性が抜群だ。
今の時期に出回る『ブロッサムオレンジ』という柑橘類があるのだが、リリアンティアが質のいいブロッサムオレンジを栽培したというのでお裾分けをもらったのだ。ゼリーなどのお菓子にすることも考えたが、発酵させて火酒の材料に使った訳である。
果物を使用した火酒を『フルーツウイスキー』と呼ばれており、主に南側で有名な酒類だ。果物を酒の中に漬け込んで発酵させるものもあるが、ユフィーリアが使ったのは果肉と果汁である。おかげで爽やかな柑橘系の香り漂う火酒が完成した。
それに合わせてチョコレートの材料を買って、もう少し種類を増やすかと他の果物でも火酒を作り、納得できるものは完成したが少々作りすぎてしまったのが難点だ。
「ただいま」
「ただいま!!」
「ぷ」
「おう、お帰り」
ちょうどそこに、未成年組のハルアとショウが帰ってくる。彼らは用務員室で飼っているウサギのぷいぷいの散歩に出掛けていたのだ。
「ユフィーリア、それは一体何だ?」
「食べられるの!?」
「食べられない訳ねえだろ」
ハルアの言葉を一蹴したユフィーリアは、
「酒が入ってるからお前らは無理だぞ」
「ちぇ!!」
「代わりに居住区画にケーキ焼いてあるから食ってこい」
ショウとハルアは嬉しそうに互いの顔を見合わせると、居住区画に駆け込んでいった。
さすがに未成年へ火酒を詰め込んだボンボンショコラを食べさせる訳にはいかない。本日のおやつであるケーキを置いておいてよかった。
遠くの方でショウとハルアの歓声が耳朶に触れる。どうやらケーキを堪能してくれている様子だ。
火酒がたっぷりと染み込んだボンボンショコラを口に運ぶユフィーリアは、
「こだわりはしっかり詰め込んだぜ、親父」
――店を構えるならまだしも、店を構えんのであれば食わせる相手の為にこだわってやるがいい。
――こだわりとは他人に対する愛情の表れだ。
――そのこだわり抜いた技術で、品物で、目の前の少数の舌を喜ばせてやるのが『真のこだわり』だろうよ。
それが、父親であるオルトレイから教わった心構えだ。
店を構えるのであればまだしも、店を構えない魔法使い一族の嫡子として生まれたユフィーリアに父親のオルトレイは何度も教えてきた。「大多数の人間を喜ばせるよりも、目の前にいる大切な人の為を思って作った方がいい」と。
だから、今もそうしている。大多数を喜ばせるよりも、目の前で喜んでくれる大事な人の為に。
「泣いて喜べよ、親父。久しぶりに作ったんだから」
父親を思ってこだわったボンボンショコラを摘みながら、ユフィーリアは小さく笑うのだった。
ちなみに。
あまりの喜びで感動し、オルトレイが勢い余って通信魔法を飛ばしたので「うるせえ!!」と一喝してしまうことになるのはまだ知らない。
《登場人物》
【オルトレイ】呵責開発課の課長。文武両道を地でいく良家のお坊ちゃんな魔法使い。基本的に美味しいものは美味しい、不味いものは不味いと素直に感想を言うし、料理の腕前は絶対の自信があるので積極的に女性職員と意見交換をする。娘の作るボンボンショコラを食べてから他のボンボンショコラが食べられなくなった。
【キクガ】オルトレイの好みを知る為にユフィーリアという最強のカードを切った。ボンボンショコラに関しては完成したものをユフィーリアから預かってきた。
【アッシュ】オルトレイから手製のボンボンショコラをもらって、美味しさのあまりオルトレイと一緒に作り方を教えてもらいたくてお願いしにいった。
【ユフィーリア】オルトレイの娘。料理の腕前に関して言えばオルトレイの技術を忠実に受け継ぎながら、進化もしている。ウィスキーを作り出すぐらいにはボンボンショコラに関してこだわりを持っている。