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片翼の悪魔  作者: 紀國真哉
第三章 同時進行の異変
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第47話 幸福な居場所

 地上階のエレベーターホールに立ったゲンシュウは、指を伸ばしてスイッチを押した。音もなく開いたドアの向こうはベージュの箱で、それに乗り込んだ彼は「下降」のボタンを押す。たった一人だけを載せた大きな箱は下へ下へと辿りはじめ、やがてB.A.T.の施設がある階に着くと停止した。ふっ、と小さく息をついたゲンシュウは、本部棟との渡り廊下へ足を踏み出す。靴の裏に感じるのは床材の滑らかな感触だが、この更に下の層にも、市民が暮らす広大な地下シェルターがあることを想い、多くの命の息遣いを感じて言いようのない虚しさを覚えた。

 渡り廊下の窓から外を眺めると、今日も人工太陽は美しく力強く輝いている。それを見上げて眩しさに目を細めたゲンシュウは低く呟いた。


「地下シェルターが出来てもう六年か。ここは安全でいい」


 自らの独り言が可笑しかったのか、声を出さずに息だけでははっ、と笑い、ゲンシュウは歩き出す。本部棟に入って建物の中を進んでゆくと、トレーニングマネージャーであるタツヒコが正面から歩いてきた。


「ゲンシュウ総指揮官、おはようございます」 


 タツヒコはゲンシュウと向き合うと、きびきびと敬礼をした。まだ朝だというのに、彼のトレーニングウェアにはすでに汗染みが大きく広がっている。


「ああ、タツヒコ。もうそんなに汗をかいてるのか。毎日ご苦労だな。ところで、隊員の様子はどうだね。トレーニングは平常通り出来ているか?」


 ゲンシュウに問われると、タツヒコは眉間に皺を寄せて低く唸った。そして顎に当てていた手に気づいてふたたび直立すると、悲愴な表情で報告する。


「まだまだ、と言わざるを得ません。先日の臨海地区に出動しなかった隊員も、精神的にはほとんど同様のダメージを受けています。自分が休暇を取っていた日に、仲の良かった隊員が殉職したという者も少なからずいますので、元通りの精神を取り戻すにはそれなりの時間が必要だと考えます」

「……そうか、そんな時にまたエンジェルが来襲しては大ごとだ。一刻も早い回復を頼むよ。それから、欠員補充の新たな班編成が整った。補欠要員の訓練も看てやってくれ」

「はい、承知いたしました」


 ゲンシュウの言い方は、まるで隊員をロボットのように無感情なものとして捉えているようで、タツヒコは違和感をおぼえた。いくら日々訓練を積んでいるB.A.T.隊員だとしても、目の前で同僚が無残に死んでゆく姿を見ていたら、ショックを受けるのは当然だ。今は、そんな状態に陥っていることを責めるべきではない。


「同じ班の隊員を失くした者には、カウンセラーを付けており、これは徐々に効果が出はじめております」

「そうか。まあ、壊れる前になんとかしろ」


 ゲンシュウは、何も言えずに立ち尽くしているタツヒコとすれ違う時、彼の肩を軽く叩いた。その感触は、タツヒコをますます疑心暗鬼にさせた。三十三名という殉職者を出したばかりなのだ。人間の心を失くせとでも言うのだろうか、と隊員たちの気持ちを思って涙が出そうになる。

 訓練場の責任者であり、様々なトレーニングの指導者でもあるタツヒコは、殉職した彼らを想い、ゲンシュウを見送ったあとはその場で涙をこぼした。



 総指揮官室に入ったゲンシュウは、デスク回りや書架の周囲を一通り確認したのち、大きな椅子に掛けて背中を預けた。目を閉じて何やら考えるその顔は、苦悩しているようでもあるが、次第に口元がほころび、頬が緩んでくる。それはやがて、身体を揺らすほどの大笑いとなり、ゲンシュウは目尻から涙を溢れさせながらも笑い続けた。そして笑いが治まると、今度は壁を見つめてまた考えを巡らせる。


「ミハイルに逢ってくるか」


 独り言を洩らしたあと、椅子から立ち上がって上着を羽織りかけ、ぴたりと動きを止めた彼は、各施設のモニターで隊員たちの様子を眺める。小さく息を吐き、思い出したように含み笑いをすると、電話を取り出して自宅に掛けた。


「ああ、私だ。今日はもう帰る」


 言い終わると同時に通話を切り、ゲンシュウは室内をぐるりと見回してからドアを閉めた。これからB.A.T.施設よりもさらに深い層へと降り、人々が暮らす街へと向かうのだ。安全な地下シェルターに暮らせるのは、政府関係者とその家族、B.A.T.隊員とその家族、そして要人だけだ。アウターウェブで守られているとはいえ、そこが完全に安全な区域だという保証はない。地上の市民からすれば、エンジェルが絶対に現れない安全地帯に暮らせる者たちは、それだけで生命に危機が及ばない日々を送れるという、特権階級の人間に他ならないのだ。長い長いエレベーターで住居層に降りたゲンシュウは、自宅で彼のための夕食を準備する妻を思い浮かべ、顔を歪ませて笑った。




 デビルたちが暮らすのは、地下住居層のデビル専用街区だ。そこでは家族を持つ隊員たちが地上で暮らす市民と同じような生活を送っている。美しい街並みは街路樹も整えられ、公園や病院、学校や商業施設など、深い地下だということさえ忘れてしまえば、地上の暮らしと何ら変わりない日々を過ごすことが出来る。人工太陽は地上と同様に輝き、日中の明るさと夜の暗さも完璧に制御されている。四季は再現できないが、一年中生活しやすい温度と湿度が保たれており、子どもを産み育てるにも適した環境といえる。だが、この設備が機能するのは計算上、百年が上限で、それまでにエンジェルを絶滅させて地上を取り戻せなければ、地熱が上昇してヒトが生きられる環境ではなくなり、資源も底をつく。それを知っているのはB.A.T.の上層部と研究班、そして政府関係者の一部だけだ。エンジェルに破壊され尽くされるであろう地上の環境を整える年月を考えれば、人間に残された時間はそう長くはない。



 そのデビル専用街区のある中層住宅に、ギデオン班の隊員がぞくぞくと集結した。副隊長のツヨシが五人家族で暮らすその家は、大人数向けで部屋数も多く、全体的にゆったりとした広さがある。


「こんにちは、ヒロコさん。今日は大勢でお邪魔してしまいますが、よろしくお願いします」

「あらあら、アンちゃん久しぶりね。元気そうで嬉しいわ。こんにちは、あなたがカリタちゃんね。どうぞどうぞ入って」


 にこやかにアンとカリタを出迎えたのは、ツヨシの妻のヒロコだ。「ちゃん」づけで呼ばれたことなど初めてのカリタは、どう反応して良いかわからずに挨拶を返せない。ふたりが玄関で靴を脱いでいると、奥からツヨシが顔を出した。


「おお、早く入れ。もうギデオン隊長は来てるぞ」

「もしかして、私たちで最後ですか? ディーノやキヨハルはもう来ているんですね」

「キヨハルはあれだ、うちのを手伝うって二時間前から張り切ってるよ」


 「ギデオン班だけの内密で重要な会議がある」と聞かされていたカリタは、そんな雰囲気ではないことに首を傾げた。


「ツヨシ副隊長、会議……だよね?」


 カリタが訝し気に問うと、ツヨシとアンは顔を見合わせて微笑む。その様子からして、会議ではなく別の目的があるのだと気づいたカリタは、きっと真実を知らされていないのは自分だけなのだと憤慨した。


「ちょっとアン、どういうことだよ? あたしは他の班の奴らに聞かれちゃマズい話だとばっかり……」


 そんなカリタの背中にそっと手を添えて、アンはリビングルームへと押してゆく。カリタは抵抗するが、アンの手のひらの温かさは心地よく、家の中のやさしい雰囲気にも呑まれてしまう。やがて少し表情を和らげたカリタだが、まだ悔しいという思いは拭いきれないようだ。


「おぉ、カリタ、そっちへ座れ」

「あー、ギデオン隊長、おつかれさまっす」


 何がなんだかわからない状態で、おそらく自分だけが蚊帳の外だと感じているカリタは、ギデオンの顔を見ても憮然とした表情のままだ。キッチンからはツヨシの妻が作る料理の匂いが漂ってくる。彼女と楽しそうに会話をしている声は、キヨハルのものだ。何を話しているのかまでは聴こえてこないが、ふたりの息はぴったりらしい。


「一体、なんの集まりなんすか」


 カリタは一番奥の正面に通され、ギデオンとは向かい合う形になった。全部で十人ほどが着けるテーブルの中央には、可憐な花が飾られている。自宅では花など見たこともないカリタは、やさしそうな妻と、可愛らしい子どもたちに囲まれたツヨシの日々が、自分とはなんという違いなのだろうと打ちのめされる想いだ。


「お待たせ~、第一弾!」

「おお~っ、すごい美味そう!」


 キヨハルが大皿に盛られた肉料理とサラダを運んでくると、ディーノとマティアスが身を乗り出して歓声をあげた。出来たての料理からは、湯気とともに芳しい香りが漂ってくる。カリタは朝から何も食べていなかったことを思い出して、お腹が鳴るのを抑えられなかった。


「あ、カリタ、いまお腹が鳴りましたね。もうじきいただけますから待ちましょうね」


 姉のような口ぶりのアンに少し苛立ちながらも、目の前に運ばれてくる数々の皿に、カリタは夢を見ているようだと嬉しくなった。

 そうだ、子どもの頃に絵本で見たあの光景。幸せそうなお姫さまたちが囲む食卓には、豪華で美味しそうな料理が並べられていた。一度でいいから母にこんな料理を作ってほしいと、カリタは絵本を抱いて眠るたびに願ったのだ。あの頃は、まだエンジェルが発生する前だった。幸せではなくとも、人間が存在を脅かされる世界でもなかった。この食卓が夢なら、消えないでほしい……。そうぼんやりと思った時、軽い爆発音ではっとしたカリタは、みんなが自分に向けてクラッカーの紐を引いているのを見た。だがそれがクラッカーだと気づくまでに数秒を要した。それほど、理解しがたい光景だったのだ。


「カリタ! お誕生日おめでとう!」

「お誕生日おめでとう! カリタ!」


 みんなが口々に言うが、カリタには何のことだかわからない。自分の誕生日など気にしたことはなかった。自分が生まれたことを祝う人など、そもそもこれまでの人生にはいなかった。それなのに、これは何なのだ。ギデオン隊長、ツヨシ副隊長、オスカー、キヨハル、ディーノ、マティアス、そしてアン。班の全員が自分のために笑顔を見せている。みんなが自分のために祝ってくれている。きっと家族はカリタの誕生日など忘れているだろう。家にはもうしばらく帰っていない。あの家に、カリタの居場所はないのだから。


「え……ちょっ、ちょっと待ってよ。あんたたち、そのために集まったの?」

「カリタ、ギデオン隊長とツヨシ副隊長もいるんですよ。『あんたたち』とは何ごとですか」


 アンはいつも通り、やさしくカリタをたしなめる。マティアスとディーノ、そしてオスカーは、取り皿を手に乗り出している。キッチンからエプロンをしたままのキヨハルがまた皿を運んできた。


「い~っぱい作ったからね。みんなで食べよう!」


 仲間たちにやさしい笑顔で見つめられ、カリタは顔を赤らめて俯いてしまった。右を向けばアンが、左にはオスカーがいるので、ふいっと横を向くわけにはいかないのだ。


「カリタ、みんなに言うことはないのか?」

「……みなさん、ありがとう、ございます」


 精一杯だった。コミュニケーション下手で、自分を表すのが苦手なカリタの、精一杯の感謝だった。ツヨシとアンは、ほんの少し成長したカリタを嬉しく思い、涙ぐんでいる。それを見たギデオンは、いいメンバーだと満足そうに笑っていた。


「冷めないうちにいただこう」


 ギデオンの声で、みんなはヒロコに「いただきます」と声を掛ける。キヨハルも席に着き、ギデオン班の問題児・カリタのバースデーパーティーが始まった。


「いただきます」


 と声を出し、カリタも目の前に置かれたポテトをつまんだ。


「わ、美味しい!」

「うちの奥さんは、料理だけはうまいんだよ。美味しいものは大勢で食べると、もっと美味しいだろ?」


 ツヨシが嬉しそうに言うと、みんなも嬉しそうに頷いた。普段から仲の良い、家族のようなギデオン班だが、こうして誰かの家に全員が集まったのは初めてだ。ふと柱の陰から覗いている子どもたちと目が合い、アンは手招きをした。


「みんなで一緒にいただきましょう」

「わぁっ、お父さん、いい?」

「ちゃんと副隊長に確認するなんて、すげえいい子たちですね」


 マティアスが言うと、ツヨシは顔をほころばせる。三人のうち一番小さいひとりはツヨシの膝に座り、あとの二人はそれぞれ隙間に入った。


「じゃあ、もう一度乾杯しますか。ヒロコさんも来てください!」


 オスカーがヒロコに声を掛け、リビングには十二人が集まった。みながカリタの生まれた日を祝い、これからの健康と幸せを願う。

 あたしの人生にこんな日がくるなんて、とカリタはまだ信じられない想いだが、これは夢ではない。自分は確かにいま、ここにいるのだ。

 この状況を受け入れ、やっと慣れてきたカリタは、積極的に料理に手を伸ばした。エビフライを取ろうとした時に隣のアンと手がぶつかると、アンは笑って「どうぞ」とカリタの皿にそれを取り分けた。


「じゃあ、アンはこれにしなよ」

「あ、ありがとう」


 カリタの皿にスコップグラタンを取ってあげると、アンはとても嬉しそうに笑った。するとそばで見ていたギデオンが感慨深そうに言う。


「お前たち、いつから仲良くなったんだ? いや~、よかったなぁ。よかったよ」

「べ、べつにそんなんじゃないし!」

「おぉ~、典型的なツンデレだがや」


 キヨハルはディーノの取り皿に大きな肉を載せながら、幸せそうにカリタとアンを眺めた。



 食事が終わり、アンとキヨハルが手伝ってテーブルの上が片づけられた。すっかり大皿がなくなると、部屋の明かりが落とされる。マティアスが「きゃあー、こわーい」とふざけているうちに、キヨハルがまたキッチンから大皿を持って現れた。その皿には大きなホールケーキが載っていて、「20」と数字のキャンドルが灯されている。


「ハッピバースデートゥーュー、ハッピバースデートゥーユー……」


 歌いながら入ってくるキヨハルに合わせ、みんなも静かに歌いだした。カリタはパニックになりそうだ。まさか、まさかケーキまで出てくるなんて、こんなの予想外過ぎるじゃん……。


「さあ、カリタ、一気に消せるか? 肺活量を見せてみろ!」

「や、やめてよもう、みんな、そんなに見るなっつーの!」

「これもキヨッパルが作ったの?」

「うん、ヒロコさんと一緒にね! 楽しかったで。ほら、カリタ行けっ」


 みなに急かされて、カリタはようやく肺いっぱいに空気を吸い込み、2と0の炎を吹き消した。その途端に拍手が沸き起こり、ふたたび「おめでとう」コールが頭から降り注ぐ。


「これぇ~っ! ケーキもあるなら最初に言ってくださいよぅ。俺、目いっぱい食べちゃったじゃないですか」


 オスカーがややのけ反り気味に言うと、ディーノとマティアスも「俺も」と手を挙げる。


「じゃ、ケーキの分ちょっと走ってくれば?」


 アンが言うと、三人はお腹をさすって顔を見合わせた。そして同時に「いや、いけます」と言い、カリタを笑わせた。


 ヒロコとキヨハル手作りのケーキは、やさしい味でとても美味しかった。カリタは自分のためのホールケーキなど見たこともなかったので、感激もひとしおだ。涙ぐんでしまったことは、絶対に誰にも知られる訳にはいかない。


「じゃあ、最初に俺から」


 ギデオンが言うと、みなはそれぞれツヨシの寝室に置いてあったプレゼントを取りにいった。


「カリタ、おめでとう。これからも力を合わせてエンジェルと戦っていこう」

「あ……、ギデオン隊長、ありがとうございます」


 次はマティアスだ。片方がピンクで、もう片方がレモン色という可愛らしいソックスに、「ふざけてる」とヤジが飛ぶ。キヨハル、ディーノと、持ち切れないほどのプレゼントを抱えたカリタは、今度こそこらえ切れずに、涙をこぼしてしまった。だが、誰もそれを指摘しない。しずかにやさしく見守られる中、カリタは初めて人のやさしさに包まれた気がして、胸が熱くなるのを感じていた。


「あたし、ほんとに……ここにいて、いいんだよね」


 こみあげて来るものを思わず吐き出すカリタに、仲間たちは温かい眼差しで返した。ツヨシの子どもたちが「お姉ちゃん、遊んで」とカリタの手を握る。小さく温かい手の感触は、自宅では得られないものだ。アンも加わり、カリタは幼児と一緒に心から楽しんで笑った。


 それを見るツヨシが泣くと、ギデオンはその肩をバンバンと叩き、「ギデオン班は家族だと思ってる」としみじみ洩らす。オスカーがギデオンのグラスにビールを注ぎ、マティアスとディーノとキヨハルは、新しい武器の使い方について議論している。ツヨシは相変わらずぐすぐすと泣き止まず、カリタの笑顔を眺めてはまた涙をこぼしていた。

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