表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
片翼の悪魔  作者: 紀國真哉
第二章 エンジェル
50/51

第45話 不毛

 今日はエイジだけでなく、四人も客を連れてきたのだ。フローラはその事実に興奮しながら、ミハイルが閉じ込められている扉に向かって右手をかざす。

 青白い光がドアノブを中心に辺りを照らしたあと、フローラはブリクサにそこを開けてくれるよう促した。変人と言われているフローラですら、ブリクサには畏怖の念があるらしく、いつになく神妙な面持ちで後ろに控えている。


 ブリクサがドアを開くと、太く丸い柱の向こうに、ミハイルの入った水槽が見えた。

 ミハイルは今日も紫やピンクのライトに照らされ、無数のチューブに繋がれながら、生命を維持している。


『来たか』


 誰にでもなくミハイルはそう呟いたが、エイジはまず自分が対応すべきだと思い、ブリクサに礼をして一歩前へ出る。特殊ガラス製の水槽に両手をつくエイジの後ろから、ブリクサ、ラウラ、イマヒコ、ギデオン、そしてフローラが静かに室内へと進んだ。


「父さん、今日は昔のことを思い出してもらいに来たよ」

『そこにお前と、フローラ以外の誰かがいるな。大人が四人……、合っているか?』


 こぽっ、と大きな気泡が生まれ、ミハイルは水槽の中で向きを変えるように少し動いた。だが、いくつものチューブに繋がれた彼は、ほんの少し角度を変える程度しか動けない。


「うん、父さん、いま『大人』って言ったよね。大人か子どもかの区別もできるの? 弟たちが来たと思った?」

『まさか。あの子らにこんな姿を晒したくはない。死んだと思われているままでいいのだ。それで、他の四人は私になんの用だ。やはり私から情報を得たいと、そういうことか。エイジにだけ教えたいことがあっても、そういった融通は聞いてもらえないわけだ』


 今日のミハイルからは、少し感情が溢れているとフローラは思った。隊長・副隊長たちが突然訪れたことで警戒しているのか、あるいは機嫌を損ねているのだろうか。


「四の五の言ってねえでさっさとてめえの知ってることをすべて吐け。でないと俺がこの場でこいつの首を掻っ切る」

「ちょっとブリクサ」


 皆をからかうような物言いのミハイルに、ブリクサが苛立ちと嫌悪をつのらせると、その腕をラウラが肘で小突く。ブリクサはすでに、トレーニング用スーツの太腿に収納されたナイフに手を掛けていた。



 ブリクサの言葉に、エイジは驚いて振り向いた。ブリクサ隊長は最強の兵士で、口は悪いが仲間をとても大切にしている。だから「エンジェルを作った人物」のクローンであるミハイルを憎む気持ちがあり、その息子の自分のことも、快く思っていないのかもしれない。

 昨日の出動時には、エイジがブリクサのサポートに回る場面もあり、ブリクサの戦闘を支える役割を果たせたと嬉しく思った。

 だが、厳しい訓練に耐えぬいてきた、第一線で戦う兵士たちの命が多く奪われてしまったのは事実で、その悔しさは自分などに到底計り知れるものではないだろうと、エイジはブリクサの心情を想う。

 しかし、だからといってミハイルの前でエイジを殺すと脅すことが、本当に正しいのだろうか。いや、正しい正しくないの問題ではない。

 自分は一体、ブリクサ隊長にとってどんな存在なのだろう。ブリクサの下でエンジェルを絶滅させたいと心に誓ってきたエイジにとって、ブリクサのひと言はとてもショッキングだった。


「父さん、父さんがいつ生まれて、どうして俺と出会ったのかは憶えてる?」

『……おそらくエンジェルが出来る何年も前だ。私は彼のクローンとして生まれ、人類滅亡という大きな目的のために動いてきた。彼の技術では、オリジナルとは別の性別、そして任意の年齢で誕生させることができるのだ。私はおそらく、三十歳くらいの人間として生まれ、そして社会に出るまでは彼の施設で過ごしたはずだ。そして2049年、エンジェルがはじめて人間の領域を襲った。それを安全な場所で見守っていたことを思い出した。エイジに会う一年前だ』


 こんな重要な情報を、B.A.T.の戦闘員に渡してよいものかと、フローラはミハイルの告白を聴きながらドキドキしていた。


「そして翌年の大量発生の時に俺と出会った。その時にはもう、記憶を失っていたんだね」

『ああ。本来の私は、子どもが好きだったのだ。いや、クローンに「本来」も何もありはしないと思うだろうが、私は、子どもが好きだと思い出した。コロニーにいる子どもたちは、親を失くして悲しい目をしていた。エイジもその一人だった。それからエイジたちと過ごした日々は、幸せに満ちていたよ。もう共に暮らすことなど到底かなうはずもないが、みなを愛している。エイジ、ジュリアンやルーシーは元気か?』

「もちろん。最近引越も済んで、きょうだい仲良く遊んでるよ。コロニーにいる他の友だちと離れるのをさみしがってたけど、通話ならいつでもできるしね」

『そうか。一番下は、まだ十歳にもならないな。そんなあの子たちに、私はもう二度と会うこともできないと思うと、なんともやりきれない。あのまま、私の記憶が戻らず穏やかに暮らせていたらよかった』


 ミハイルの言っていることは本心なのか、それともエイジを含めたB.A.T.の隊員をからかっての発言なのか。誰にもその真意が読み取れず、室内には嫌な空気が漂った。



「父さん、父さんの『オリジナル』の居場所は、本当にわからないの?」


 エイジが本題に入ったのを、ブリクサたちはじっと見守っている。

 エイジは、背中に痛いほどの視線を感じ、水槽の中に浮かぶミハイルにすがるような気持ちで、指先に力を込めた。


『エイジの命をB.A.T.側に握られているのだ。嘘も隠しごともできないよ。本当に思い出せないし、オリジナルの彼が拠点を変えて移動している可能性も充分にあり得る。ただ、私たちクローンを見つけるための、その共通点なら思い出した』

「えっ、それって、外見からわかることなの?」

『ああそうだ。それは、眼球にある。われわれクローンの眼球は、虹彩に特殊な模様が刻まれているのだ』


「なんだと……」

 

それを聞いたブリクサが一歩乗り出した。


『まぁ待て。物事には順序というものがある。残念ながら、これは普通の人間に目視できるようなものではない。特殊な光を当てて、はじめてわかるのだ。その特殊な光については、私はまだ思い出せないが、通常の虹彩認証に使われるような機器では見つけることは不可能だろう。クローンの数も、性別も年齢も不明だ。だが、「オリジナル」が人類の浄化を実行しはじめて十年。それ以前からの長年の研究の末、行動に移したということは、相応の準備が整いつつあるということだ。世界各国に散りばめられたクローンが、一斉に攻撃を始めないとも言い切れない』


「つまり、私たちの中にも敵が潜んでいると断言できる……ということ?」


 イマヒコが悲痛な声を上げた横で、フローラの胸は痛いほどの鼓動で乱れていた。自分がエンジェルの生態に興味があること、美しいと思っていることは、ここで戦うすべての者が知っている。 

 B.A.T.の敵は、なにもクローンだけではない。自分のような本物の人間だっているのだ。

 先程の会議で、ラウラが「仲間同士で疑うことは避けたい」と発言したが、敵側に寝返るなら、最も近い人物だと疑われやしないだろうか。

 いや、すでにラウラやブリクサは自分を怪しんでいるかもしれない。今は元々のオリジナルがどこにいるのかという話が出ているから、みながそっちに気を取られてくれれば、疑われるまでの時間は稼げるだろうが。


『エイジ、お前とまたこうして話が出来ることが、私はとても嬉しいよ。組織に利用されるしか生きる道のなかった私だが、エイジなら私を止めてくれると信じていた。どうか彼の思惑通りにさせないでくれ。早くそれぞれのクローンと、そして彼に辿り着き、この不毛な争いをやめさせるのだ』


 剥き出しの脳だけが水槽の中で生かされている。そんなグロテスクな状態でも、ミハイルは「生きて」いたいと思っているのだろうか。いまミハイルが言ったことを頭の中で反芻しながら、エイジは奇妙な感覚にとらわれていた。


「おい、『不毛な争い』とは、てめえは何のことを言ってる? この戦いは、そもそも十年前にてめえらのボスが始めたんだろうが。まったくもって一方的な頭のおかしい理由でな。人間を殺しまくってなんになる? てめえらの真の目的はなんだ? 俺たちだってな、ただ黙って殺されてるワケにはいかねえんだ」


 ブリクサが握った拳に力を込めて言った。怒りを抑え、何かに耐えているようなその顔からは、人類がエンジェルによって奪われてきたものの多さがうかがえた。しかしそれは、人類が人類以外の生物から奪い取ったものよりも、はるかに少ないのだ。



「ミハイル、君たちクローンとそのオリジナルの、真の目的は本当に『人類滅亡』なのか?」


 ブリクサの横に立つギデオンが、静かに訊ねた。


『きみは?』

「ああ、失礼。10B-01(ワンゼロビー・ゼロワン)ギデオン班隊長のギデオンだ。世界中に散らばったクローンが一斉に攻撃を仕掛けると言っても、君たちクローンにヒト以外の力が備わっているとは考えにくい。それは、エンジェルを何らかの方法で操って攻撃させるということなのか?」

『良い質問だ……と言いたいところだが、ギデオン、私が思い出したことはすでにB.A.T.が把握済みだ。それに私が今後、B.A.T.にとって有益な情報を思い出せるという保証もないのだ。もしも私からこれ以上なにも得られないとなれば、ゲンシュウは私を処分するだろう。私にはその価値しかないし、わたしは最初から人間ではないのだからな』


「そうかもしれねえな。いや、てめえをじっくり調べれば、なにか出てくるのかこねえのか、わかるんじゃねえのか」

『それはブリクサ、私を解剖するということかね? そうしたいなら、総指揮官の許可をとって実行すればいい』


 ミハイルの答えを聞いたブリクサは、いきなり左腕でエイジの首を掴むと、その身体を高く持ち上げた。首を絞められた状態のエイジは苦しくてもがくが、これがブリクサのやり方なのだと理解しているから、耐える必要があった。

 ミハイルはコポコポと泡を吐き出しながら沈黙している。


 もう無理だ、堕ちる──エイジが意識を手放そうとしたその一瞬前にブリクサの手が離れる。


「げほっ、げほっ、ぜえ……かはっ……」


 苦し気に咳き込むエイジの背中に手のひらを当て、ギデオンがブリクサをたしなめる。


「ブリクサ、これはやりすぎだ」


 まだまともに話せそうにないエイジは、その場に屈みこむ。

 それを介抱しながらラウラは考えていた。B.A.T.の中にクローンがいるというのは真実なのか、互いに疑心暗鬼にさせるため、ミハイルがあえて誤った情報をもたらしたのではないか。ミハイルはエイジを大切に想ってはいないのか。そして、もしも組織の中にクローンが紛れ込んでいるなら、それを見つける手段を得ることを優先しなければならないのではないか──。



「ミハイル、私は第一軍の隊長を務めています、イマヒコです。昨日の出動で、私の班の隊員がエンジェルの攻撃を受けて殉職しました。彼は背中に深い傷を負い、医療班が手術にあたりましたが、失血が多かったために亡くなりました。エンジェルの翅の攻撃は、我がB.A.T.のスーツを着用していれば、充分に跳ね返せるものでした……今までは。ここ最近、エンジェルが変化しているのはなぜですか? それもあなたのオリジナルの意向なの?」


『イマヒコ、……すまない。私にはわからないとしか言いようがない。私に備わっている知識と情報は、いわば古いものだ。私が記憶を失くす以前の、二年以上も前のものなのだ。それ以降、あちら側にどんな変化があったのか、私には知る由もない。脳だけになってしまった私の知識と記憶は、自動的にアップデートされないのだ。だが、私にも想像は出来る。今までのことを思えば、彼もエンジェルをより強力な武器として、人間への圧倒的な脅威となるものへ進化させるだろう。それに対処できるよう、人間も今まで以上に強くならなければ、被害は拡大し、やがて取り返しのつかないことになる。大切な人を失くしたくなければ、強くなって奴らと戦い、領土を取り戻すのだ』


 ブリクサが左手で水槽を殴った。ミハイルが浮かぶ水槽の中は、かすかにその水面を波立たせたが、特殊な硬い箱の中で生かされているミハイルは、何の反応も示さなかった。



 戦闘班隊員だけの会議を開き、ミハイルに面会したはいいが、結局この日に得られたものは少なかった。ミハイルがクローンの共通点を思い出したことは収穫といえるかもしれないが、それも真実かどうかはわからない。何もかもを疑い、自分で考え、確かめないことには、どこへ進むのが正しいかさえ見失いそうだ。


 エイジは、今後もフローラとともにミハイルの元を訪れるよう命じられるが、本当は戦士として、もっと仲間の役に立ちたいと願っていた。

 強くならなければ、大切な人を守れない。それは、エイジがミハイルを失ったときに痛感したことだった。急にきょうだいたちの顔が見たくなり、このあとは早く帰って大切なきょうだいと触れあいたいと、エイジは救いを求めるように少し微笑んだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ