第43話 憎しみと犠牲
医療棟の救命室では、負傷したデビルの治療が行われていた。
手術が必要な重傷者を救命医が素早く処置しながら手術室へと送り、軽傷者の手当は新人医師と看護師が担当している。みな緊迫した表情で忙しく働き、ベッドの間を素早く移動しながら、点滴や注射などの処置をこなしている。そんな状態になるほど、このたびの負傷者は多かった。
瀕死の状態で帰還したイマヒコ班のユウキは、失血が多くすでに手の施しようがなかった。ストレッチャーの上で青い唇を震わせるユウキの薄いまぶたは、苦痛の色を表したままだった。その痛みと恐怖と、最期までB.A.T.としてボードの上に立っていた雄姿を想い、多くの医師やデビルが涙を流した。
「チッ、また貴様か」
重傷者を他の医師たちに任せ、軽傷者の治療室に足を踏み入れたゲオルクは、そうつぶやいて顔をしかめた。
先月よりも軽い怪我によって、この医療棟を訪れたカリタは、「次に来たら腕と脚を逆につけてやる」というゲオルクの言葉を思い出し、首をすくめる。
「今回は身勝手な行動じゃないよ。『楽しんでなぶり殺せ』とは、ブリクサ隊長の命令で」
「いい訳は聞かん。そしてそれはブリクサ隊長ほど腕の立つ者だけに許されることじゃないのか? 貴様はまた、油断して奴らに攻撃の機会を与えた。その事実は変わらんだろう」
「……すいません、でした……」
「あの男は、いささか奴らを憎みすぎている。その感情だけでは、また誰かが犠牲になる」
その言葉を聞き、今日の殉職者と負傷者は、みんなブリクサ隊長が出したようなものだと言っているのだろうかと、カリタはゲオルクの額を見つめながら、この人とブリクサ隊長の間には、過去になにかがあったのかとつい勘繰ってしまう。
ゲオルクが身振りで「痛い場所はどこか」と問うてくる。カリタも無言で患部を指し、しばらく無言での処置が続いた。
前回の出動時、奴らに切開された上腕部と太腿は、すでに縫合の痕も目立たなくなっている。
デビルスーツを着用していれば、鋼のようなエンジェルの翅による斬撃からも肉体は守られるはずだ。
つまりユウキは、それをもってしてもカバーできないほどの力と鋭利さで襲われたというわけだ。それとも、そんな翅を持ったヤツも中にはいるってことか……?
ぼんやりと頭に浮かんだが、疲れのせいかうまく考えがまとまらなかった。
「なぁあんた、ブリクサ隊長のことは前から知ってんのか?」
「……ああ。十年前、B.A.T.が出来た頃からな」
呆れた目で見下ろすが、カリタはそんなゲオルクの溜め息には気づかない。
何度注意しても直らないため、ゲオルクはもう「敬語を使え」とカリタに注意することは諦めている。
そこへ、大きな足音と焦ったような声が駆け込んできた。
「カリター!」
「ツヨシ副隊長、医療棟では走らないでください!」
「アン、お前もな!」
逞しい身体を豪快に走らせてくるツヨシにアンが言うと、それと同じスピードで走ってくるアンに、今度はカリタが叫んだ。
ゲオルクがこめかみに人差し指と中指の先を当て、心底迷惑そうに顔を歪めている。
「先生、どうした? 片頭痛か?」
遅れて出動したはいいが、カリタが負傷したという事実だけをディーノから聞かされ、その後会議の前後にも顔を合わせる機会のなかったツヨシは、意地っ張りなカリタが苦しんではいないかと、居ても立っても居られずに駆けつけたのだ。
「もういい。個人差はあるが、肋骨のヒビは安静にしていれば自然にくっつく。貴様は心配いらんだろう。シャワーの時以外、コルセットは外すな」
「ありがとうございましたー」
ほとんど棒読みで礼を言い、去ってゆくゲオルクの背中に向けて、カリタは頭を下げる。
ブリクサが、以前のブリクサ班の隊長として戦っていた頃の話を聞きたいと思ったのだが、ツヨシのせいで何を訊こうとしていたのか忘れてしまった。
「おいカリタ、俺にあんまり心配させないでくれよ。また寿命が縮まったぜ」
「いつも大げさなんだよ。べつに、心配してくれって頼んだことないじゃん。それに、あたしは副隊長の子どもじゃないし」
ツヨシに肩を組まれ、頭をがしがしとかき混ぜられる。カリタは迷惑そうにそれを振り払いながらも、照れたように微笑みながらふいっと横を向いた。すると、同じく心配そうな顔のアンと目が合った。
「カリタ、今日も過剰殺傷でしたよ。減点対象ですが、報告はしないでおきますからね。私と一緒の時は、特にやめてください。カリタが怪我をしないかハラハラしながら戦うなんて、私の身が持ちません」
「へいへい、アンが二度とあたしと組みたくないって言ってたと、ギデオン隊長に伝えとくよ。あたしが守ってやろうと思ってたのになぁ」
アンから目を逸らしながらカリタが言う。診察台の上で腕を思いきり伸ばすと、肋骨のひびがぎしぎしと痛んだ。
「痛てっ」
「ほらっ、もう」
少し怒ったようにカリタを見るアンだが、そのまなざしはやさしい。カリタも、アンと目を合わせて穏やかな表情を浮かべた。
聴覚検査室では、シアラやギデオンたちの聴覚テストが行われていた。目を合わせて人の脳を操るエンジェルは、その個体を処理すれば、操られていたデビルも洗脳が解けたように元通りになった。
そのことから鑑み、おそらくどちらも、特殊な電気信号によるものではないかという意見が交わされているが、聴覚障害を起こしたデビルたちも、今回襲来したほとんどのエンジェルを処理した頃には、正常な聴覚に戻っていたらしい。
ただ、人間の思い込みというものは厄介で、聴覚をやられたという自覚に囚われるあまり、本部に戻ってここでテストを受けるまで、ほとんど聴こえないと訴える者もいた。
微かな音域の違いも聴き分けられ、シアラたちは「異常なし」と診断されてその部屋を出る。
ラウラの見ているところで、今日もばさばさとエンジェルを倒そうと奮起していたシアラは、ひどく落ち込んだ様子で肩を落としている。
同じく悔しい思いをしたギデオンがシアラに声を掛けようとした時、廊下の向こうから誰かが近づいてくるのが見えた。
「……レイちゃん?」
「シアラ、調子はどう?」
「レイちゃん!」
応える前に、シアラはここで会えたことが嬉しくて、レイに抱きついた。
レイは、まずシアラに味方だと思いこませるため、近づいたつもりだった。
自分は人類を滅亡させるために生まれた存在であり、ミハイルの「オリジナル」こそが自分の母なるものだと信じていた。
だが、レイには今の自分の振る舞いが、本当に演技なのか、それともシアラが心配でここまで来たのか、わからなくなっていた。
彼らの言うように、人類を滅亡させるしか道はないのか。そう考え、迷うほどには、レイはブリクサ班のデビルとして長く仲間と関わってきた。
「シアラ」
「うん。だいじようぶ。大丈夫……なんだけど、耳をやられちゃったから、ほとんど何の役にも立てなくて、殉職した人がいることがすごく悲しくて悔しい。きっと、私がいつも通りなら、助けられた仲間もいたはずなの……。だからちょっと落ち込んでる。でも寝たらすぐ良くなるよ」
「そう。ギデオン隊長も、ありがとうございました」
シアラに抱きしめられたまま、無表情のままレイが言う。ギデオンはやや気まずくて頬を掻き、それからゆっくりと首を振った。
「いや、俺は今回、ブリクサ班の一員として臨場したんだが、それにしては何も結果を出せなかった。目の良さは人一倍でな、奴らの接近を素早く確認出来るほどなんだが、やはり聴覚を奪われると動けないものだな。予想だにしなかった犠牲が出てしまったが、俺たちのすべきことは明日からも変わらない。死んだ仲間の無念を、ともに晴らすんだ。明日からはまた自分の班に戻るが、何かあったら、いつでも声をかけてくれ」
「はい。ありがとうございます」
シアラはやっとレイから離れ、ギデオンに敬礼をする。
レイは深く頭を下げ、ふたりに見送られたギデオンは、本部棟へと戻っていった。
「レイちゃん、ラウラ副隊長はどうしてる?」
「副隊長なら、明日の会議の準備をしていると思う」
「会議? 明日もあるの? また隊長と副隊長だけが出る会議?」
「ううん。私たち隊員だけが参加する会議ですって」
各班ごとの反省会的な集まりは、これまでに何度も行われてきたものの、アフター会議や隊長副隊長のみの会議とも違う会合は、シアラが入隊してから一度もなかった。そんな会議なんて聞いたこともない。レイの勘違いではないかと思い、訊ねた。
「レイちゃん、それって現場で戦う私たちだけってこと? 司令官たちは出席しないの?」
「そうみたい。具体的にはなにを話すのか、まだ聞かされていない」
虚ろな瞳をシアラに向けたレイは、ゆっくりと瞬きをする。
アフター会議の直後、ラウラとイマヒコが、隊員だけの会議を開催したらどうかとブリクサに提案すると、その場でブリクサもそれに応じた。
やるなら早い方がいい。まだ休暇中の者もいるし、今日の出動後で訓練参加も強制ではない明日だ。負傷したものはまだ復帰しないし、明日ならデビルたちがどこで何をしていようと、ゲンシュウにも怪しまれないだろう。
その提案にラウラも大きく頷き、急遽、トレーニングルームでの会議を開くことに決定した。
決定事項は、それぞれの通信ツールに速やかに送信され、聴覚検査室前で、シアラもそれを確認する。
今日、いいところを見てもらえなかった分、シアラは、ラウラの前で速やかに発言できるよう、現場で気づいたことをまとめておこうと思った。




