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片翼の悪魔  作者: 紀國真哉
第二章 エンジェル
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第41話 不信感

 イマヒコはこんなにも間近で、自分に向けて翅を震わせる個体と対峙したのは初めてだった。

 人間を殺す巨大昆虫・エンジェルの白く美しい翅。その縁は研ぎ澄まされた白刃のように、容易に人体を切り裂いてしまう。

 そして、その翅がまとう鱗粉は、過去の調査では毒性があるなどと発表されたことがあったものの、結局は自然界の昆虫と変わらない成分しか持たないと結論付けられた。

 だが、今回の出動では新たに「人間の脳を操る個体」、そして「おそらく特殊な音波を発し、聴覚を奪う個体」が発生しているのだ。

 ことエンジェルとの戦闘においては、「今まではこうだった」という理屈など通用しないということは、よくわかっている。

 だからこそイマヒコは、咄嗟に鱗粉攻撃を避けたのだが、僅かに目に入ったと思われるそれにより、視界に靄がかかったようになった。すぐにゴーグルを装着し、隣にいるラウラに向けて声を張る。


「ラウラ、奴らの鱗粉に気をつけて!」

「了解!」


 言いながら、素早くゴーグルをかけたラウラはパニッシュを構えた。だが、ふたたび鱗粉攻撃をされる危険を考えると、より相手との距離を取れる火炎放射器で焼くのが妥当だ。敵はどこに飛んでくるのか動きが読めず、イマヒコとラウラはそのエンジェルから目が離せない。

 そこに、デビルスウォードを構えたブリクサが飛んできて、あっという間にその一体を切り刻んだ。


「ブリクサ!」

「チッ、まだ潜んでやがるのか」


 油断していたわけではないと、言い切れるだろうか。

 他のデビルたちが大量のエンジェルに立ち向かっている時、部下が重傷を負ったイマヒコに寄り添うことは、ブリクサ班の副隊長としての自分がやるべきことだったか。

 ラウラは、距離が近すぎて攻撃しづらいということもあったが、たった一体のエンジェル相手に、隊長であるイマヒコと、ブリクサ班副隊長の自分がなす術もなかったという事実に打ちのめされた。

 だがそれを、ブリクサに気取られるわけにはいかない。


「ありがとう、ブリクサ。助かったわ」


 イマヒコが言う。もう涙は乾いていた。


 ブリクサのギミックの左腕から放出される弾は最速最強だが、それを使ったあとは一定時間システムがダウンしてしまうという欠点がある。

 明らかな脅威とはみなされない一匹を殺すのに、まさかそれを使いはしないだろうが、たくさんの仲間の命を奪ったエンジェルたちに、ブリクサはカリタと似た憎悪を持っていた。出来るだけ苦しめ、無残な姿にして殺してやりたい、と。


「仲間が瀕死の重傷を負ったんだ。無理もないだろうが、お前らしくねえな」


 仲間を、特に女性隊員にやさしい言葉をかけるのが苦手なブリクサは、いつもこんな物言いしか出来ない。それでも、みなは最強のブリクサを慕っていた。

 照れているのか、背中を向けるブリクサに、イマヒコが思い出したように大きな声をかける。


「そうだ、指令室と繋がったのよ!」

「……なに?」


 ブリクサとラウラが驚いてイマヒコを見た。

 イマヒコはぼんやりと霞む視界をすっきりさせるように目をしばたたき、ジャックを調節して再び通信を試みようとした。


「総指揮官! 総指揮官! 聞こえますか! イマヒコです」

「ザザッ……、ゲンシュ……、ザーー、イ……コ……」


 聴こえてくるのはノイズばかりで、まだ復旧したとは言えない状態だが、指令室にゲンシュウが戻り、イマヒコが応えようとしていることは、向こうに伝わっているようだ。


 ブリクサは、やっと鎮まりかけていた激しい怒りが、ふつふつと再燃してくるのを胸のうちに感じていた。

 何もかもが、あまりにもタイミングが悪い。半数のデビルの休暇中、先月と同じエリアにエンジェルが大量発生したこと。ゲンシュウのゆくえもわからず、指令室との通信も途切れた。アウターウェブに発見された異常、新たな攻撃力を持つエンジェルの出現。

 これは偶然なのか? そんなことあるわけねえだろうが。総指揮官が噛んでると見て間違いないはずだ。


「おい、ラウラ、残りはどれくらいだ?」

「あと百匹くらいだと思う。この瞬間にもどんどん減っているでしょうし、もうこちらに被害が出ることはないと見ていいと思うわ」

「油断は禁物だがな」


 およそブリクサらしくない言葉に、ラウラははっと顔を上げてから、ゆっくり頷いた。

 ブリクサに少し遅れて、エルとエイジ、別の方角で戦っていたイザークも、隊の仲間と合流した。



 ブリクサ隊長が言ってた。「楽しんで弄り殺せ」と。

 カリタはこれまで、エンジェルへの憎悪から奴らを惨殺していたのだ。ブリクサの言葉を受けて、初めてその行為を「愉しい」と思えたのかもしれない。

 翅に穴を開け、頭部の毛を焼き、六本の脚を切り落としてワイヤーで首を括った個体を振り回していると、周囲にいた別の奴らが怒るように頭の毛を逆立てている。それは、以前にも見た光景だった。


「おまえら、いっちょ前に怒ってんだ? へぇ、じゃあかかってきなよ。もっとひどい目に遭わせてやるからさ」

「カリタ、また! 命を弄ぶのはやめてください!」

「アンも聞いてただろ。これはブリクサ隊長の命令なんだよ。余裕のあるやつは楽しんで弄り殺せってね。それに、あたしはこいつらを命あるものだなんて思ってないよ。人間や他の動物、昆虫だってこいつらはさんざん殺しまくってきたんだからさ」

「いくらブリクサ隊長の言うことでも、私はこのような行為には賛成できません。カリタがまた危険な目に遭ったらどうするのです。すばやく処理すべきですよ!」


 さっきまでアンと協力して戦っていたカリタだが、エンジェルの数が減ってきたことで調子に乗ったのか、以前と同様に残忍な方法で奴らを苦しめている。

 すると、ヘスティア班のデビルたちに向けて翅を立てて威嚇していた十体ほどのエンジェルが、急にカリタを取り囲んだ。


「カリタ!」


 カリタがエンジェルの輪の中にいるため、アンは火炎放射器を使えない。アンの火炎弾の腕はそこそこだが、実は緊張しやすいアンは、特に仲間が危険に晒されている現場では、身体の動きも判断も鈍くなる。


「だーいじょうぶだって。それよりアン、近づきすぎないでね。あんたにワイヤーが絡んだらシャレにならないからさ」


 カリタは自分を囲んだエンジェルたちの、あらゆる方向からの攻撃をかわしながら、心底楽しそうに見えた。

 奴らにどれほどの感覚があるのかは知らない。痛みも感情も、おそらく備わっていないのだろうが、出来るだけ残虐で惨めな死にざまを晒しやがれ、と考えうる限りの攻撃を展開する。

 まず正面にいる二体にワイヤーを繰り出し、一体は胴部を、もう一体は二枚の翅をまとめて括った。それをギリギリと絞り上げ、極限まで狭めた輪の中で切断する。胴を切られた個体は破裂するように体液をぶちまけ、翅をもがれた方は触角と脚を懸命に動かしながら炎を浴びせられた。

 そしてカリタは次に、自分を取り囲む残りの奴らの頭の高さを目で読むと、奴らの側頭部にワイヤーをつきたて、それを数珠つなぎにした。


「カリタ! その中に目を見てはいけない個体がいたらどうするんですか!」

「アン! 心配しなくても平気だって! そんなのがいたなら、あたしはもうとっくに脳をやられてる」


 そう言うと、エンジェルを繋げたワイヤーを引き絞り、奴らの頭部をひとつにまとめる。


「でっかいてるてる坊主みたいだねぇ。さあお前たち、明日の天気はどうなってる?」


 いちばん端の一匹にオイルを吹き付け、脚の先端に火をつける。足先から胴部に広がった炎に包まれ、もがき苦しむエンジェル。翅にまで炎が及ぶと、隣の個体にも火が燃え移る。その個体も身体をよじり、翅を大きく開いたり閉じたりしながら苦しんでいるようだ。

 そうして一匹ずつ、文字通りなぶり殺しているカリタの顔を見て、アンは戦慄しながらも言い知れない悲しみを覚えていた。


「なにがあなたをそんな風に駆り立てるの?」


 もちろん独り言で、カリタの耳に届くはずはない。だが、まるで地獄絵図を見るような殺し方をするカリタには、きっとカウンセリングが必要だと感じていた。


 ワイヤーに括られた残りの二体に、カリタは銃弾を浴びせている。


「カリタ、もうやめて!」


 アンが思わず叫ぶと、カリタは済まなそうな顔でアンを振り向いた。その顔に貼りついた哀しみの色は、アンの心を衝いた。


 その瞬間、突然カリタの正面から一体のエンジェルが飛来し、翅を大きく広げてカリタの身体を包み込んだ。


「カリタ―!」

「くっ、はなせ……っ!」


 あまりに強い力に、カリタの手からワイヤーが落ちる。腕ごと拘束されたカリタは、肋骨がミシミシと音を立てるのを聞き、口吻を伸ばしてくる気味の悪い巨大昆虫をよけながら、胃液を吐いた。

 アンがエンジェルの背後に回るが、片方の翅をカリタから剥がせただけで、そいつはそれ以上動かない。


 まるでゴム布のようにぴったりと密着する翅は、その縁に鋭利な刃を付けているのだ。それでカリタが傷つけられたら? どうしよう、どうしたらカリタを助けられるの? 

 混乱するアンの横から、何かが飛び出した。驚いたアンが見ると、カリタを拘束していたエンジェルは、その直後に跡形もなく消えていた。


「無事ですか!」


 ヘスティア班のアナトとイリス、そしてその後ろからも、続々とボードで接近してきたのは、休暇を取っていた多くのデビルたちだった。

 何らかの異変を察知した彼らはB.A.T.本部に駆けつけた。するとゲンシュウの不在と、指令室との連絡が途絶えていること、加えて出動した現場の隊員たちとも通信できないことを知り、急遽、コタロウに出動の準備を整えさせたのだ。


「ありがとうございます、みなさん。ほら、カリタも」


 アンがカリタを促すと、めずらしく素直に応じた。


「ありがとうございます。ピンチでした。でも、楽しかったー!」




 レーダーとドローンから、すべての敵を処理し終えたことを確認し、すでに完全復旧した指令室への通信をイマヒコが担う。


「こちらイマヒコ、臨海地区に襲来した千匹ほどを処理しました。今回は新たな能力を持つと思われる個体も現れたので、隊員の安全を優先し、調査捕獲した個体はゼロです。殉職者三十二名、重軽傷者十五名です。また、アウターウェブに何らかの異常があると思われます。帰還したら改めて報告しますが、昨年の等々力シェルターのアウターウェブの件も含め、早急に調査を進めていただきたいです。以上です」


 イマヒコの報告に、指令室のゲンシュウは「了解した」としか応えなかった。

 殉職者が出たというのに、それはないだろうという声があちこちから上がり、それぞれの装甲車に乗り込むデビルたちの顔には、疲労と不信感が滲み出ていた。


 ブリクサは、今度こそ今までうやむやにされていた疑問をゲンシュウにぶつけてやろうと考えていた。

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