第40話 His Gimmick
最凶の悪魔だと、エイジは思った。
ブリクサの強さはまさに悪魔的だった。さっきまでデビルたちを襲い、目を合わせることで人間を操り、おそらく特殊な音波で聴覚まで奪っていたエンジェルたちが、まるでただのボロ切れのように惨めな姿をさらしながら落下してゆくのだ。
目の前のブリクサの強さは圧倒的だった。五百匹程度の群れなど、ブリクサひとりで瞬時に片づけてしまえるのではないかと思えるほどに。
その太刀筋は高速すぎてエイジにはほとんど見えず、ブリクサによって切断されたエンジェルの、首や胴体がいきなり目前に飛んでくる。
ブリクサの援護についたエイジは、奴らの残骸を火炎放射器で焼きながら、早くブリクサやエルのように戦いたいと、憧憬を込めた熱いまなざしを向けた。
「エイジ!」
決してぼんやりしていたわけではない。だが、ブリクサの戦いに見惚れていると、横からエルの声が飛んできた。
突然目の前にあらわれた一匹をエルが火炎弾で打ち抜くが、射撃においてはカルマほどの腕はないのか、いまだ絶命していないそれがエイジの腹を狙って翅を立てながら向かってくる。
「うおおおぉぉぉ!」
エイジはボードを後ろに発信させて距離を取りながら敵に火炎放射器を向け、黒焦げを通り越して灰すら残らないほどにそいつを焼き切った。
あたりを見回すと、イザークは耳をやられたギデオンとシアラを誘導して救護班に彼らを任せたあと、ブリッツゼーレを構えて、エイジやエルとは反対の方角に向かったようだ。
「ありがとうございます、エルさん。助かりました。人の脳を操る個体は、あの群れにはいないんでしょうか」
「あの中にいくつかいるかも知れないが、目を合わせる前にブリクサに切り裂かれるだろうな」
そういえば、ラウラ副隊長と同様に、エルも隊長をブリクサと呼んでいる、とエイジは気になっていた。
ラウラはブリクサと同期だそうだから理解できるが、エルはブリクサよりも四歳下だ。自分が入隊する前にどんな戦場をともにし、そして信頼関係を築いてきたのか。二人の戦い方を見ていると、エルにはブリクサほどの殺気はないが、なるほど無駄のない動きの美しさなどがよく似ていると思った。
「エル! エイジ!」
デビルスウォードを収め、そのまま上空を目指して一直線に飛んでゆくブリクサを、二十匹程度のエンジェルが追っている。
「俺が一撃でしとめる。あと数十匹まとめてこっちへ誘導しろ」
「了解!」
ブリクサ隊長が、俺の名前を呼んで指示をくれた。エイジは体中の血管が膨張するほどの高揚感に、体温が上昇するのを感じた。
エルと共に数十匹のエンジェルを挟みうちにしたあと、そいつらを引きつけながらブリクサを追って上を目指す。囮の役割を果たそうとするエイジは、およそ五十匹もの大群といえる数のエンジェルが追って来るさまを見下ろして、背筋が凍る思いをするが、次の瞬間、ブリクサがギミックの左腕を前に出したことで、一年前のあの光景を思い出す。
ミハイルの遺体が搬送されたあと、スミレという小さな女の子を救助してコロニーに戻ってきたブリクサが、ギミックの左腕で二体のエンジェルをボロボロにした、あの悪夢のような光景だ。
しかし、ブリクサのその容赦のない獰猛さに憧れ、さらに何か得体のしれない強い感情に揺り動かされて、自分はB.A.T.を目指したのだ。
「エイジ! 俺から離れろ!」
「はい!」
向かいにいるはずのエルを見ると、すでにかろうじて目視できるほどの距離にまで避難している。エイジもエルに倣い、ブリクサを中心にしてエルとは反対側に飛び退った。
「来いよ、クソどもが」
ブリクサが呟いた声が、耳に差したイヤホンから聞こえてくる。
低く静かに響き渡るようなその声に、エイジは自分が感じているものが畏怖なのか高揚なのか、判別がつかないことに戸惑った。
そしてブリクサは、エンジェルの大群を充分に自分に引きつけてから、それを放つ。
怒り。とてつもなく激しい怒りのパワーが具現化したようなブリクサの攻撃。
エイジは一瞬、恐怖の対象が何なのかわからなくなった。恐ろしいのはエンジェルなのか、それともエンジェルを皆殺しにしようとする我がリーダー、ブリクサなのか。
形を変えたブリクサの左腕は、それ自体が強力な武器となってエンジェルを襲う。いや、襲うなどという生易しいものではない。
六つの銃口から一気に放たれる赤黒い弾は、わずか五秒程度で五十体すべてのエンジェルの胴体を貫通した。空中でのターンを何度も繰り返しては奴らの身体を抉り、高温と爆薬を発し続けるその狂気を孕んだような弾は、ラボのクラウスが試行を重ねて盟友のために開発した、まさに『悪魔』と呼ばれるブリクサにぴったりの武器だった。
「すげぇ……」
エイジは放心状態になり、喉の奥からやっとかすれた声を出すと、自分がいつかブリクサのように戦うなど、到底無理な話なのではないかと頭を振る。
遠くから戻ってきたエルがブリクサに向けて手を掲げ、ぱちんとそれを合わせるのを、映画のワンシーンを見る思いで見つめた。
「総指揮官、ドローンの映像が届きました! まだ画質は良くありませんが……」
指令室のシゲルが、大発見でもしたかのようにゲンシュウに告げた。
現場からは、いまだゲンシュウの呼びかけ対するに応答はないが、だいぶ復旧したとみて間違いないようだ。
壁一面に設置された各モニターは、まだほとんどがノイズのみしか映しておらず、ところどころで焼け焦げながら落下するエンジェルや、あるいは負傷したデビルの姿などが、かろうじて判別できる程度の鮮明さで現れていた。
「こちら指令室のゲンシュウだ。誰か現状を報告しろ。イマヒコ、イマヒコはいないのか?」
ゲンシュウの声は、まだ現場のデビルたちに届いてはいないのだろうか。
その時、モニターには、五十体ほどのエンジェルを瞬時に処理する、ブリクサの様子が映し出された。
それを見たゲンシュウは、苦虫を噛みつぶすような顔をして、半ば怒鳴るような言い方で応答を求める。
「おい! 俺はゲンシュウだ! 誰も応答できんのか」
デビルが一度に大量のエンジェルを処理した映像は、総指揮官であるゲンシュウにとって喜ぶべきものではないのか。
「総指揮官、まだ完全に復旧したとは言えませんし、戦況もわかりませんので、あまり現場の隊員に負担を掛けるようなことは……」
キョウカは、さきほどからのゲンシュウの言動に不信感を抱き、控えめに意見した。
「……そうだな。これ以上負傷者を出すわけにもいかん。じっくり待つとしよう」
はっとしてキョウカを見たゲンシュウは、我に返ったような顔で静かに言い、ゆっくりと唇を歪めた。
レーダーで確認し、またもエンジェルのいないエリアへと飛んで戦闘から逃げていたジャンヌが、やっと西門付近に集合したデビルたちのもとに戻ってきた。残りのエンジェルを始末し、本部に帰ったらまた叱らなければ、と肩をすくめるヘスティアのもとに、カイト班の四人と、自班の隊員を四人も失ったマチルドとジローが合流する。
「ブリクサ隊長はすさまじいな……。おかげで残りはあと少しだ。気を抜かずに行くぞ!」
カイトがみんなを鼓舞するように大声を出すと、それを受けてヘスティアが言う。
「モイラとノリカが聴覚をやられてしまって、救護班の手当てを受けているわ。こっちに来てくれて助かった。ありがとう、カイト隊長」
「今日の俺は、あんたの班の隊員だ。ヘスティア隊長、後ろは任せたぞ」
ぶっきらぼうにそう言うと、カイトは扱い慣れたティアブレードを片手に、横一列に並んで向かって来るエンジェルに突っ込んでゆく。
「ちょっと、カイト!」
ヘスティアが叫ぶが、その声がカイトに届いたかどうかはわからない。
自分の力を信じるのはいいが、チームワークも重要だ。それに、カイトだって本当は自分の隊を持っている隊長なのだ。何かあってからでは困る、と『過信は罪だ』といつかブリクサが言った言葉を思い出した。
人間の脳を操る個体がいる。奴らの目を見てはならない。
それなら、見なければいいだけのことだ。カイトの思考は至ってシンプルだ。
襲い来るエンジェルの左端から、奴らの翅を切り刻みながら右へと進んでいった。大きさに個体差はあるが、そのほとんどは成人男性ほどなので、目の位置は大体同じはずだ。
カイトはエンジェルの太い胴部とその後ろで常に震えている翅に視線を固定させ、無我夢中でティアブレードを振るった。
カイトの背後に流れてきた個体の処理を、ヘスティアとジンたちが担う。仕方なくといった様子で火炎放射器を構えるジャンヌは、なぜかエンジェルにとっては標的とみなされていないらしく、一匹も彼女を襲おうとするものはなかった。
イマヒコは憔悴していた。だが、それでは自分や仲間の命を危険にさらすことになる。しっかりしなければ。ユウキはきっと助かる。大丈夫だ。そう自身にい言い聞かせ、涙を拭いて前を見ようと顔を上げる。
ブリクサを送りだしたラウラがイマヒコのそばに来て、弱さを見せている彼女の肩を抱きながらやさしく声をかける。
「落ち着いて、今は残り全員で帰還することに集中しましょう。じきに終わるわ」
「ありがとう、ラウラ。この場所を守って、まだこれから、だものね」
とその時、イマヒコの耳にノイズ混じりのゲンシュウの声が届く。
『だれ……か、……せよ。こち、ら……指令し……』
「総指揮官? イマヒコです。聞こえますか? 総指揮官!」
驚きながらも応答を試みるイマヒコの死角から、一体のエンジェルが飛び出し、鱗粉をまき散らした。




