第34話 マニピュレーター
やつらの動きは単調だ。
それは突然人類の前に現れ、殺戮の限りを尽くした頃と、何ら変わっていないと思われていた。光を反射しない、あの黒く大きなモスアイの視界に入った人間を無差別に襲い、鋭利な刃物のように研ぎ澄まされた翅を立てて向かってくる。
今まではそうだった。だが一ヶ月前に小型と呼ばれる小さなエンジェルが発生してから、何かが変わったのかもしれない。
もしも変わったとしたなら、それは一体なぜなのだろう。それとも、その変化もあの脳が語った「ある人物」によってあらかじめ計算されていたというのだろうか。
「おい! お前ら、なにやってんだ! あいつらが来てるのが見えないのかよ! 正気か、おい! ベン、オリバー! クソッ、はなせ、放せえぇぇぇ!」
大きく身をよじって抵抗しても、まったく緩む気配はなかった。
ベンとオリバーに両側から拘束されたラファエルは、掴まれた左右の腕に激しい痛みを感じて呻く。
デビルスーツ着用時、隊員たちの身体能力は飛躍的に上がる。ベンとオリバーの握力も通常の二倍、三倍以上となり、ラファエルの抵抗によって、さらに力を込めた二人に掴まれた個所は、あえなく粉砕骨折してだらりと垂れ下がった。
空中で並んだ、三人の乗るそれぞれのボードが時折り触れ合い、ガツン、ガツンと嫌な音が周囲の空気を震わせる。
それでもラファエルは必死にもがき、前を睨みつけていた。
たとえ相討ちになろうとも目の前のエンジェルを始末するため、すでに使い物にならない両腕ではなく、足でボードを操作し、攻撃準備を整えて果敢に立ち向かおうとした。
だが、みるみる接近する敵が至近距離に迫った時には、冷静さを失い、涙と鼻水を垂らしながら言葉にならない声で喚き散らしていた。
絶望と激痛の中、ラファエルは左右から自分を拘束している仲間の顔を見た。
何も映していないようなその瞳を見て、ラファエルはさらに戦慄する。
「お前ら、まさか……!」
エンジェルはすでに三人の目の前に来ている。もう、できることは何もない。
「やめ、────っ!」
一瞬の出来事だった。エンジェルがラファエルの首を一太刀で跳ねた。と同時に催眠状態から解けたベンとオリバーは、首を失くしたラファエルの身体だけがボードの上に立ち、噴水のように鮮血を噴き出しているのを見て、自身の頬を掴みながら絶叫する。
「ラファ……」
ふたりの身体が縦に真っ二つにされたのは、ほぼ同時だった。
少し離れた場所から三人を見つけて一直線に向かってきたエンジェルたちは、血まみれになった翅をばさっと振るい、また人間を殺すために飛び立ってゆく。
現場に到着したとき、ブリクサが視認したエンジェルは通常型のみだった。レーダーにもそのように表示され、ドローンの映像も同様だった。
「今回は小型はいないようだな」
装甲車から降り立ったギデオンが言う。
「あぁ、だがまだ油断はできねえ。何が出てくるかお楽しみってとこだろうな」
隊員の顔を順番に見てから、ブリクサは呟いた。
「いつもの出動とはずいぶん勝手が違うが、数は少なそうだ。今日は捕獲は必要ないらしいが、気になった奴がいたらいくつか持ち帰りたいと思ってる」
「そうだな、またニュータイプがいるかも知れねえ」
「とにかくシェルターの方にやつらが近づくことと、殉職者を出すことだけは避けたい」
ギデオンは頬を緊張させながら、タカノリの件を思い出しているようだ。
タカノリのパイオネーターの調査結果は、一ヶ月経ったいまでも発表されていない。それとも、まだ調査は終わっていないというのだろうか。
「ブリクサ、ギデオン、エンジェルの数はドローンから予測したとおり、大体千匹ってところね。今回は小型はいないし、特に問題なく片付くといいんだけれど」
イマヒコがやってきて、第一軍から第四軍までの動きについてギデオンに確認している。
いつもと違う者たちと隊を編成し、そこから作戦を立てて現場に臨むことは、日々鍛錬を重ねているB.A.T.なら難しくはないだろうというイマヒコに、ギデオンは眉間にシワを寄せて答える。
「それは、イマヒコの作戦か?」
「ちょっと待て。指揮系統は指令室が一本化するんじゃねえのか」
ブリクサが疑問を口にすると、イマヒコは少し苛々した様子で答える。
「ええ、そのはずよね。さっきは確かにそう言ってたのに、指令室とも連絡が取れないのよ」
それを聞いたギデオンの顔色が変わった。一体、今日はどうなってるんだ……。
「いや、出動前の様子を思うと、みんなまだ混乱してるだろう。同じランクの軍同士といっても、隊が違えば言葉を交わしたことすらない者もいるだろうしな……」
「そこで、まず第三軍と第四軍に出てもらい、我々と第二軍はエリア周囲からの援護と、シェルターの監視をしたいと思う。いいかしら」
イマヒコが言いたいことはわかる。
万一、エンジェルがシェルターへの侵入を試みた場合、三軍と四軍では心許ないと思っているのだろう。だが、敵の数が千匹程度なら、全員を投入した方が早く安全を確保できるのではないだろうか。
「ランク別に出るよりも、全員で素早く対処したらどうだ」
ギデオンには苦い記憶があった。一昨年のある出動の際、全軍で向かった現場でギデオンが指揮を執った。その場で三軍と四軍を先に投入しようと指示したところ、不満が出たのだ。
『四軍は常に一番に出動していて、その回数も段違いに多い。一軍のあなたたちは私たちを捨て駒と思ってるのかもしれないが、たまには一軍から行ってみたらどうですか』
一人の四軍の隊員からそう言われ、ギデオンは言葉に詰まった。組織にいる以上、本当はそんな不満を漏らすような人間はB.A.T.から去るべきだが、ギデオンにも彼の気持ちは理解できた。
実際、エンジェルの数が少ないと報告された現場では、四軍だけが出動することも多い。
だが、常に一番に出動する四軍の隊員たちを「捨て駒」などと思っている者はいない。B.A.T.のシステムでそう決められている以上、それを不満に思うのは間違いだ。
実際に第四軍、第三軍の隊員がエンジェルとの戦闘で命を落としたことは過去にもほとんどない。確率から言えば、より困難な現場に立ち向かう第一軍の隊員の方が、命の危険とは常に隣りあわせなのだ。
「先月、全員で出たのは失敗だったと思う。今日はエンジェルの数も多くないから」
イマヒコが目を伏せながら言う。やはりタカノリの死は、B.A.T.に暗い影を落としていたのだ。
「お前ら、ブツブツ言ってるヒマはねえだろう。さっさと皆殺しにして帰るぞ」
ブリクサがそういうのを、傍らのエイジは胸を高鳴らせながら聴いていた。そうだ、こんなところで時間を取られていないで、早く奴らをぶっ殺したい。ボードで颯爽と乗り込んで、何千匹だろうが火炎放射器で殺しまくってやる。
エイジの脳裏には、エンジェルがシェルターに襲来する前の、ミハイルの本来の姿が浮かんでいた。
「……わかった。じゃあ全員投入でさっさと処理しましょう」
数秒間考えたのち、イマヒコはきっぱりと言った。ブリクサとギデオンも頷き、出動した全員がすぐにボードを起動させた。
今回のためだけに突然編成された隊で、誰もが戸惑っていた。
特に隊長が不在の者たちは、不安の色を隠せない。
だが、隊長がいなくともベンとオリバーは違った。ラファエルとは元から同じ班という理由もあるが、先頭を飛ぶ彼を援護し、数十匹単位の小さな群れで迫り来るエンジェルを的確に処理できていたのだ。
それが一瞬、空気を裂くような音が聞こえ、ラファエルは空間にわずかな歪みが生じるのを感じた。すると、ベンとオリバーの動きがぴたりと止まり、その瞳が夜の湖面のように真っ黒になったのだ。
ふたりが正気を失ったことは、誰の目にも明らかだった。そして彼らは両側からラファエルの動きを封じ、あろうことかエンジェルへの供物のように彼を差し出した。
「一体どうなってるんだ!」
エンジェルと戦いながら、その一部始終を横目で見ていたゲイザーが憤りを露わに絶叫する。
今までの出動では、処理する以外にもその日飛来したエンジェルを何体か捕獲し、持ち帰った生体を化学班が調査してきた。
だが今回の敵は、どうやら人間を操作する力を備えているようだ。新たに、大いなる脅威と言える変化を身に付けてきたエンジェルを、本来なら捕獲して化学班に引き渡したい。
だが、「人間を操作する」ことなど、果たしてやつらに可能なのだろうか。
現場で逡巡している余裕はない。一刻も早くこの情報を共有し、これ以上の犠牲者を出さないようにしなくては──。
『こちらゲイザー。ブリクサ、イマヒコ、各班の隊員も聴こえるか? たった今、第三軍ドナルド班のラファエル、ベン、オリバーがやられた。飛来したエンジェルの中に、人を操作する奴がいると思われる。ベンとオリバーの二人は、一匹のエンジェルと目が合ったあとにおかしくなった。極力敵と目を合わせず、速やかにすべてのエンジェルを処理してくれ』
『こちらイマヒコ。ちょっと理解が追い付きません。つまりこういうこと? あるエンジェルと目を合わせた隊員が奴らに操られて殉職したと?』
『そうだ。自分は一部始終を見ていたが、ベンとオリバーが操られ、エンジェルが攻撃しやすいようにラファエルを拘束していた。その直後、洗脳が解けたように正気に戻った様子の二人も、その場でやられた』
ゲイザーの説明では、エンジェルが人間を操るなどということが本当に起きたのか、にわかには信じがたい。「目を合わせただけで」相手の脳を操作する能力。そんなものが奴らに備わったとしたら、どう戦えばいいというのだ。
『ちょっと待ってくれ。一部始終を見てたんなら、そのエンジェルの特徴とかは憶えてねえのか?』
ブリクサが怒りを含んだ声で訊ねるが、ゲイザーの答えは役に立たなかった。
『……特徴か。見た限りでは何もない、いつものエンジェルと変わらなかったはずだ』
『……』
『……』
数秒の沈黙。誰も言葉を発することができなかった。だが、この戦いでこれ以上の犠牲者を出すわけにはいかない。何もわからないとしても、B.A.T.はエンジェルを殺し続けるのみだ。
『ブリクサ了解』
一旦通信を切ったブリクサは、不在のレイ以外のブリクサ班全員に向けて言う。
「行くぞ。皆殺しだ」
ギデオンも含めたブリクサ班の面々は、厳しい顔で頷いた。
『ブリクサ班ラウラです。了解しました。我々が待機しているシェルター付近には、まだエンジェルは近づいていませんが、これから処理の応援に向かいます』
『イマヒコ了解。前方五百メートル付近に三つの群れを発見。処理にあたるため通信終了します』
『了解』
『了解』
各隊長からそれぞれ返答があり、まだ他の隊では犠牲者が出ていないことに、ゲイザーはほっと胸を撫で下ろす。
ひと月前の新人入隊式、そして約半数の隊員が休暇中の今日。少なくとも隊長クラスの者は何か異変が起こっていると感じ、その違和感の正体を突き止めようと必死になっているだろう。
人類滅亡を目的として「ある人物」が造った殺戮兵器だというエンジェル。
隊長と副隊長のみが参加した会議の場でその事実が明言された時、彼らは衝撃を受けると同時になぜか安堵し、そしてそれを知ってもなお、エンジェルと戦う必要があるのかという疑問を抱く。
我々が戦う相手は、エンジェルではなく「ある人物」だ。それは間違いない。
だが、その人物のクローンは、年齢、外見等の特定ができないらしい。遺伝子構造をどう操作すればそのようなクローンを大量につくり出せるのかは不明だが、「ある人物」はB.A.T.の研究チームをもってしても解明できない事象を、いとも簡単にやってのけているのだ。
そして上層部──少なくともゲンシュウは、一年以上の間、ミハイルという重要人物の脳だけを生存させていたことを隠蔽していた。
その事実は隊員たちを打ちのめし、不信感を抱かせるのに充分だった。
そしてここへきて、当のゲンシュウの不在。人間を一時的にせよコントロールできるエンジェルの出現。これは偶然なのか、それとも。
「スピカ!」
ゲイザーは、自身の斜め後方で様子をうかがっていたスピカに向き直った。スピカは一瞬のうちに、五体の通常型エンジェルに囲まれていた。
「スピカ、奴らの目を見るなよ」
ゲイザーは、専用武器のトキシックフレイムを構え、スピカをエンジェルから守ろうとする。
火炎放射器や火炎弾では、スピカが巻き込まれる危険性があるからだ。
トキシックフレイムは大型の弓矢だ。
先端に毒性の強い薬品が詰め込まれた矢は、それを射る瞬間にごうごうと燃えさかる炎になる。化学物質によって数百度の高温となった毒が、エンジェルを包み込んで瞬時に焼き切るというものだ。
B.A.T.入隊以前、弓道の世界大会での優勝経験を持つゲイザーにうってつけのこの武器は、ゲイザーが隊長に昇格したお祝いにと、クラウスが特別に作った一品だ。
ゲイザーが弓を引き絞って矢を放つ。
命中した一体は、その場で苦悶の絶叫をしながら高音の炎に包まれ絶命したが、まだ四体も残っている。ゲイザーはどいつを狙おうかとふたたび構える。
とその時、一体のエンジェルがゲイザーの前にいきなり飛び出してきた。
「隊長!」
至近距離から弓を引くのは至難の業だ。ゲイザーは咄嗟に矢を直接握り、それをエンジェルに刺して仕留めた。
しかし、ゲイザーの視界が遮られたその一瞬のうちに、スピカは残った三体に囲まれてしまった。奴らは口吻をちろちろと伸ばしながら、まるでスピカをどうスライスするか相談しているように見えた。
するとスピカは、いつも抱いているうさぎのぬいぐるみの背中に付いているジッパーを下ろし、中に設置されたスイッチを押す。
たちまちうさぎの口から毒ガスが噴射され、かろうじてホバリングしながらも、三体は同時に瀕死状態に陥った。
「すっ、スピカさん! 上空に避けてくださーい!」
うわずった叫び声の数秒のち、三又のブーメランが飛んできた。
それはエッジの部分がエンジェルの翅よりも鋭利な刃になっている、ノリカ専用の武器だ。スピカを囲むエンジェルたちのところまで到達したそれは、三体を瞬く間に八つ裂きにした。
さきほどの通信を聞いたヘスティア班が、すでに二人しかいないゲイザー班を助けに来たのだ。
「ぎゃあぁぁぁぁ! 怖かったよぅ……」
目視できる範囲に敵はいないというのに、戻ってきたブーメランをキャッチしたノリカは、ボードの上でへなへなと膝をつき、恐怖のあまり泣き叫んでいた。




