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片翼の悪魔  作者: 紀國真哉
第二章 エンジェル
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第31話 Eriu Script

 エイジとフローラがミハイルとの密会を果たしていた同時刻、ブリクサとラウラはB.A.T.に同期で入隊し、現在では化学班へと異動した友人・アネモネの研究室にいた。


 実験二日目。すでに三割以上の小型が死んでいるという事実を踏まえ、アネモネ班は通常型まで全滅されてからでは遅いと、小型から通常型の実験へと切り替えている。


 もちろん、ブリクサたちは何の前触れもなく訪れたわけではない。

 多数の生態を捕獲した二日前のアフター会議後、気になることがある、とアネモネのラボへの入室を申し出ていたのだ。


 アネモネとは気心の知れた仲で、幾度となく情報交換をしてきた。今回の出動で初めて確認された「小型」と仮称しているエンジェルは、通常型とは別の種なのか、棲息地の特定、繁殖の時季や頻度など、何かひとつでも新たな事実が解明できないかと、特にラウラは期待というよりも祈るような気持ちでいた。どうか一刻も早く、奴らのことを突き止めてやりたいと。


「うん、まだ生きてる個体もそれなりの数がいるから、現段階で絶対とは言えないけど、今までに採ったデータと変わらないと思うよ」


 採取したばかりの通常型エンジェルの体液をプレパラートに載せ、巨大な電子顕微鏡にセットすると、アネモネは粘度のある透明の緑色をしたそれを、個体ごとに観察できるよう壁のモニターに一覧表示した。

 三十体ほどの個体の体液が、一千倍から百万倍の間で任意に倍率を変更して観察できるが、それらをざっと眺めたアネモネは、小さく舌打ちをしたあと溜め息をついた。


「こいつらが人工物だっていう証言を踏まえて言うけど、もちろん微小な個体差はある。そして、オスとメスでは自然界の蛾と同様の性差があるんだけど、残念ながら成分は完全に一致するんだな。それはもう、十年前から変わらずに。本当に腹が立つわ。何度同じ実験をすればいいのかって、こう見えて私も憤ってるのよ」


 オーマイガと言わんばかりに天を仰ぎ、額に手のひらを当ててアネモネは目を閉じる。

 苦悩していると二人にアピールしたつもりだったが、ブリクサはこういった冗談を理解できないし、ラウラもエンジェルのこととなると途端に頭の柔軟性を失くしてしまう。

 白けた様子の二人を前に、アネモネは虚しく手を下ろしてふたたび溜め息をついた。

 そしてこの十年間の実験結果のファイルをモニターに表示させる。辿っても辿っても同じワードや数値が連続し、食い入るように見つめていたラウラは眉間にシワを寄せ、次第に険しい表情を浮かべる。


「じゃあ、またなんの成果も得られなかったってこと? 殉職者まで出してしまったのに……」


 そうだ、殉職したのは、エイジと共に訓練校で高い成績を修めて入隊したルーキーだったのだ。

 ラウラは入隊式で壇上にいた新人の顔をいくつも思い浮かべたが、生前の彼のことを思い出すことはできなかった。

 確かエイジと同い年ではなかったか。あの入隊式の最中に奴らが飛来したと出動要請があったのは、わずか二日前のことではないか。それに加えて昨日の会議では、いきなりあんな姿になった養父と対面させられたのだ。エイジは大丈夫だろうか。

 今ごろは武器の点検をしているはずだが、精神的なダメージは相当なものだろう。誰か、イザークがついていてくれればいいが。


「ちょっと待って。棲息地を突き止めるためのリリース作業は昨日したばかりよ。エンジェルがそこに辿り着くまで数日かかるかも知れないと視野に入れると、何も出ないって結論を出すのはまだ早いわ」

「それまで奴らの命がもつのか? 帰るのに数日かかったら、突き止める前に全滅するんじゃねえのか」


 この部屋に入ってから、初めてブリクサが口を開いた。


「期待はできねえと、俺は思うがな」


 エイジのことは心配だが、ここに来た以上は何かしら得なければ気が済まないと、ラウラはアネモネが出したファイルにくまなく目を通している。


「フォントが変わってる……?」

「えっ、何?」

「ブリクサ、アネモネ、ここを見て。2052年秋以降の記録から、入力されたフォントが変わってるわ」


 ラウラが問題の個所を指すと、アネモネがそこをリモコンで拡大した。モニターの前に立つ三人は、2052年十月までのデータと、それ以降のデータを並べて見つめた。


「ほんとだ。新たなエンジェルが捕獲されるたびに開いてきたファイルだけど、何度も見てたのに気づかなかったわ。ラウラ、こんなに微妙な違いによく気づいたわね。戦闘員にしておくのは勿体ないわ。化学班に欲しいくらいよ。でも、それがどうかしたの?」

「そう、いままで誰にも気づかれなかった。そして、2052年の秋以降に入力した本人も気にも留めてなかったんだと思う。それ以前の記録に特殊なフォントが使われていたなんて」


 言いながらラウラは、ネットに繋がったパソコンで検索をかけ始めた。いくつかの結果を別窓で準備し、アネモネとブリクサに説明する。


「Eriu Scriptは2045年に発売された、多くはデザインのプロが使う有料フォントよ。高額だし、どのパソコンにも標準装備されているようなものとは違う。2049年から2052年秋まで、敢えてこのフォントを使って実験結果を記録していた人物がいるはず。たぶんデータの書体にも美しさを求めたんだと思う。その人は今でも科学部にいるのかしら? 直接話を聞くことができれば、何か手がかりを掴めるはずよ」


 アネモネは、顔を赤くしながら力説するラウラの横で、データ自体とネット上のフォント情報を見比べ、デスクの隅に畳んで置かれていたノートパソコンを開いた。自身のIDカードをスキャンし、自分がまだ在籍していなかった頃の科学部の職員リストを閲覧する。そこには、ラウラの言った通りの事実が記されてた。


「管理責任者はミノル。B.A.T.の科学部ができた当初から、班長として皆を先導してきた、知識も指導力もある人だわ。仲間に慕われ、強く正しい性格だったと聞いているわ」


 アネモネの落ち着いた声から、ミノルの人物像について予想はついていた。そしてラウラは、微かな望みを胸にアネモネに訊き返す。


「それで、その人はいま……?」

「2052年9月30日、自宅付近で何者かによって殺されてる。遺体の状況から、エンジェルの仕業との見方が有力」

「そんな! 自宅って……。だって彼の家もここにあったんでしょう?」


 ラウラがアネモネの両肩を掴んで揺さぶる。アネモネは、これまでにも科学部の職員が何名か亡くなったことは小耳にはさんでいたが、ミノルとは面識がなかったため、今の今まで知らなかった。


 昨日の会議で、エイジの養父であるミハイルの脳がその場にあらわれ、エンジェルが人工物である、人類を滅亡に追いやるためにある人物がそれを創り、計画は着々と進んでいると語ったようだが、ミハイルはいつからか記憶を失くしていて、その情報は曖昧ではないか。

 それよりもミノルは、2052年秋頃に何かを突き止め、上に報告しようとしていたのではないだろうか。

 もちろんこれは想像の域をでない、あくまで仮説だ。だが、もしもこの仮説通りだとしたら、B.A.T.の上層部に、そのことを公にされると困る人物がいるということになる。ミノルは、あるいはその人物の指示で殺されたのではないだろうか……。


 誰が味方で、誰が敵なのか。

 B.A.T.は、ミハイルの記憶が少しずつよみがえり、言葉にして与えられる情報に振り回される運命なのか。ラウラは徒労感に脱力しそうになったが、少なくとも今はまだ絶望するには早いと、ブリクサと視線を交わした。



 結局、計二百体もの捕獲に成功したが、エンジェルの謎は解明されるどころか深まるばかりで、新たな発見はおろか、小さなデータさえも更新されることはなかった。

 発信機を着けてリリースした小型、および通常型エンジェルは、海の上で寿命が尽きてそのまま落下したか、あるいはB.A.T.本部前まで戻ってきたのちに絶命したと思われる死骸が相当数見つかり、その行動が一体どんな意味を持つのか、また新たな謎が生じることになった。


 その後の日々、やるせない思いで死骸を解剖してデータを取っていたアネモネは、ふとあることに気づいた。

 リリースした小型、通常型エンジェルからは、海に落下する直前まで発信器のデータを受信できていたが、小型と通常型では、目指していたと思われる方角に微妙な差異が認められるのだ。

 これは、それぞれの出生地が異なるということに他ならないのではないか? 何者かによる人工物だというエンジェル。今まで人間を大量に殺してきた通常型と小型は、別の人物によるものなのでは?


 この思いつきが事実だとしたら、そこにエンジェル絶滅のヒントがあるかもしれない。   

 より詳細なデータと確信を得るため、アネモネはいま一度小型と通常型の新しい検体が必要だと考えた。

 科学部のラボを出て研究棟へと向かいながら、エンジェルの脳を特によく観察しようと、意気込んでいた。

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