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片翼の悪魔  作者: 紀國真哉
第二章 エンジェル
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第30話 光の中へ

 四月六日午後三時。

 巨大な水槽に入れられたミハイルの脳から衝撃的な事実が語られたと同じころ、B.A.T.ジャパン本部の科学研究部職員は、前日の出動時に隊員が捕獲したエンジェルの生体をリリースするため、臨海地域に向かっていた。


 各個体にはチップが埋め込まれ、それぞれがどのようなルート、速度で目的地にたどり着くのか、そのすべてを把握できるように設定されている。

 エンジェルが辿り着いた場所が奴らの繁殖地なのか、あるいはミハイルが証言した「ある人物」がそこに潜伏しているのか。何らかの事実が判明するであろうこのリリースは、かつてないほど重要な意味を持つはずだ。


 通常サイズの実験では過去に何度もデータを取っていたが、今回初めて飛来した小型エンジェルの正体を突き止めようと、まずは小型の調査が行われることになった。


 百五十四体の捕獲に成功した「小型エンジェル」は、オスとメスを別々にして約四十体ずつ強化ガラスの水槽に収容していたが、この朝担当研究員が収容部屋に入った際、あることに気づく。

 性別ごとに分けて収容した水槽のうち、オスだけが入った水槽の中には、明らかにぐったりと衰弱した様子の個体が相当数確認されたのだ。


 今までに捕獲・実験した通常サイズのエンジェルには起こらなかった事態に、研究部職員たちは首をかしげながらも、それを小型の特徴として捉え、弱ったオスへの投薬等、回復させることを試みた。だが一旦弱り始めた個体が回復することはなかった。


 ではなぜ、メスよりもオスの方が早く衰弱するのか──。その謎を解くためにも、リリースした個体から何らかの新たな情報が得られることに職員全員が期待した。


 オスとメスには大きさのほか、鱗粉からなる翅の色彩に違いが認められる以外、その組成は生殖器官を除いて同一であった。

 鱗粉からは微細な毒が検出されたが、それは人間を重篤な状態に陥らせる、または死に至らしめるほどの強いものではなく、大量に吸い込んだ際に呼吸器系統にダメージを負わせる、あるいは大量に皮膚に付着した場合にびらん等の異常を生じるという程度のもので、B.A.T.の戦闘員ならばサイドスーツを着用しているので、脅威と呼べるほどではない。


 薄青く半透明で粘度のある体液には、強い酸が含まれているという報告も過去にはあったが、小型エンジェルの体液は今までに捕獲した通常型の個体から採取したものと、その外見は同様だが、無害であることがわかった。


 昨日の段階ではそこまでの調査結果しか得られてはいないが、通常型よりも脆弱で、攻撃力も毒性も、戦闘能力において何もかもが劣る小型が一体何のために大量に飛来したのか、その謎を解くことができれば、あるいはエンジェル絶滅のヒントになるのではないかとの期待が高まった。



 実験初日、つまり捕獲翌日は比較的元気な小型エンジェル三十体の撮影と解剖に加え、アーロンの寄付による新たな電子顕微鏡によるデータ収集が行われた。


 それはこの十年の間にも幾度となく繰り返したことだが、「新種」「未発達」等の憶測が飛び交った小型だからこそ、通常型とは違う情報がもたらされることを、少なくともエンジェルとの戦闘の現場に出動するB.A.T.隊員なら誰もが願ったことだろう。

 しかし蓋を開けてみれば、「小型エンジェル」は便宜上そう呼んだ「通称」の意味以上のものは何も示してはくれなかった。

 奴らの身体はただ小さい、脆弱だという既知の事実のみを科学研究部職員たちに重ねて突きつけた。



 四月七日。実験二日目の時点では、今日までに報告されているデータから、エンジェルが最も快適に生息できる温度・湿度に調整された水槽内に収めていたにもかかわらず、死亡している小型個体が五十体以上確認された。


 エンジェルの寿命は最長でも十日間とされている。だが小型はそれよりも短命なのかもしれないと、研究部はその推測が事実であると受け入れざるを得なかった。

 そうこうしているうちに通常型の寿命も尽きてしまっては元も子もない。七日朝の時点で生存する小型の実験は今期の新人に任せ、科学研究部の他四つの班は、通常型の実験に移行することになった。


 いつまた、戦闘部隊に緊急出動命令が下るかもわからないのだ。昨日現れたエンジェルよりも、明日のエンジェルの方が進化していないとは言い切れない。科学部の責任もまた重大なのだ。




 この日は各々、支給された武器の点検と清掃を命じられていたが、エイジは研究棟の廊下で人目をはばかるように柱の陰に隠れていた。

 今まさに通常型エンジェルの解剖実験が行われているドアは、数メートル先のコーナーを左へ曲がった場所にある。その部屋へは慌ただしく研究員が出入りし、足りなくなった器具や薬品を取りに出ていく者と、それらを補充するために入室する者がぶつかりそうになりながらすれ違う。


 エイジはじっと息を潜めていたが、ついに疑問を口にした。


「本当に、ここに父がいるんですか……?」


 疑っているわけではないが、父・ミハイルというB.A.T.にとって非常に重要なカギとなる「証人」を、一般の隊員たちが出入りできるドア近くの部屋には置かないのではないか、というのがエイジの考えだった。

 だがフローラは、自信満々な表情で自身の胸を叩くと、その手でエイジの肩にそっと触れながら言う。


「ええ、本当よ。私は一昨日の夜、臨海地区へ出動したあの夜、ここでミハイルと出会ったの。今思うと、あれはミハイルの方が先に私を見つけてくれたのだと思う。そして私を自分の近くへと導いてくれたのだと確信できるわ。エイジ、あなたは昨日、とても言葉では表せないほどのショックを受けたと思うけど、私はあなたとミハイルの再会に感動したの。ミハイルに選ばれた私とあなたとで、共に人類滅亡を食い止めましょう」


 ほんの少しの狂気を瞳に宿らせながら、フローラは夢見心地だ。


 「ミハイルに逢わせてあげる」と言うフローラの言葉に乗せられたような形でついてきてしまったが、ブリクサに報告するべきだったとエイジはすでに後悔していた。

 ここまででいくつ規律違反をしているのだろう。チームの新人がこれでは、もしも師団長あたりに見つかりでもしたら、責任を追及されるのはブリクサなのだ。



 ミハイルは、自分はエンジェルを造った人間のクローンだと言った。

 エンジェルは人類を滅亡させるために人工的に生まれた生命体であり、おそらく学習し、知能を高めているという。

 ユキムラも、状況的にそれしか考えられないと発言し、現時点で最も有力な説とされた。

 そして昨日の会議は、脳だけで生かされているミハイルを目の当たりにした衝撃も相まって、議論すらもまともに交わされないまま終了してしまった。


 誰も発言の機会さえ得られず、一体何の会議だったのか曖昧なままだ。

 ゲンシュウとしては、大口のスポンサーであるゼアスのアーロンに珍しいものを見せて飽きさせないつもりだったのだろう。

 武器や装備など、今後も巨額の資金が必要になることは言うまでもないのだから。



 会議の場でミハイルに質問したかったフローラは、もうこれ以降ミハイルを隊員たちの前に引っ張り出すことは、ゲンシュウはしないだろうと踏んだ。


 だったら、何度でも会いにゆけばいい。エンジェルを絶滅させなければならないという、その使命をあらためて突きつけられて焦ったフローラは、直接ミハイルの持つ情報を得たいと考えた。

 嘘をついたり黙秘をしたりしようものなら、抹殺されることをミハイルも理解しているだろう。

 だから記憶を辿って得た情報を、ミハイルは出来るだけ小出しにするつもりに違いない。

 自分とエイジと対面すれば、さらに思い出すきっかけになるかもしれないと、フローラは己惚れていた。



 剥き出しの脳だけになった、今のミハイルの姿を受け入れがたいエイジには酷かもしれないが、どんな姿になったとしても、「家族」として暮らしてきたミハイルに違いはない。スピーカーから流れた電子音声は、確かに以前のミハイルのものだったと、さきほどエイジは打ち明けてくれた。


 だったら自分がひとりでここに来るよりも、エイジと一緒の方がミハイルも話しやすいに違いない。

 今までは自分の気持ちに気づかない振りをしてエンジェルを殺してきたが、ミハイルと出会い、昨日の会議でエンジェルが生まれた明確な理由と目的が語られたいま、フローラははっきりと自覚した。

「私は、エンジェル絶滅を阻止したい」と。


 もちろんエイジには、まだその気持ちを語ってはいない。だが、私たちにならミハイルは気を許してくれるだろうという自信はあった。


 ミハイルが浮かぶ巨大水槽が設置された部屋の前に立ち、フローラはドアノブを回すが、そこは一昨日のようには開かなかった。


「あれ……?」


 間抜けな声を出したフローラが首をかしげる。


 そもそもミハイルという重要な存在が生かされている部屋の鍵がかかっていないはずなどないのだが、前回は確かにするりと回ったのだ。後ろを振り返ると、エイジは不安げな顔でフローラを見つめていた。フローラは慌てて両手をパタパタと動かし、言い訳じみた声をだす。


「ほんとに! ほんとに一昨日はすぐに入れたし、この中にミハイルがいるのは確かなの。おっかしいなぁ、一昨日は鍵なんて掛かってなかったのに」


 ガチャガチャと大きな音を立てたら、きっと誰かに見つかってしまう。フローラは、一度ノブを放して考えた。


「開け、ゴマ」


 ドアに手をかざして言うと、フローラはエイジにノブを握るよう促した。

 上官とはいえ、おかしな人に目を付けられてしまったと困り顔のエイジだったが、試しにノブを回してみると、それは音もなくあっさりと開いた。


「えっ? 開いた……?」


 ノブを握ったままフローラを振り返り、驚いた様子を隠せないエイジだが、フローラはそれ見たことかと得意げだ。


「ふふん、ミハイル光線を受けた私の手は万能ってことね」

「ミハイル光線……?」


 内心では「大丈夫か、この人」と思いながらも、エイジは曖昧に返事をした。その時、廊下の先から漂ってくる人の気配を、動物的勘で察知したフローラが、素早くエイジを室内に押し込んだ。そこは薄暗く、淡いピンクの照明だけがミハイルを不気味に照らしていた。


「ハーイ、ミハイル。気分はどう?」

『ああ、悪くはないな』

「今日はあなたの息子、エイジと一緒に来たのよ。あなたならわかるわよね。私たちがなぜあなたに会いに危険を冒してまでここへ来たのかを」


 昨日はあまりのことに混乱し、隊長・副隊長やアーロンまでもが勢ぞろいした会議室にいきなり呼び出されたこともあって、ミハイルとうまく話せたとは到底言えなかったが、B.A.T.への入隊を希望したときから、とっくに覚悟はできていたのだ。


 やさしかった父の、あの手に触れることはもう二度と叶わないが、それでもエイジは、エンジェルを作った者のクローンだと言われても、ミハイルにもう一度会いたかった。

 ミハイルと再会できた喜びを、もっと深く感じたかった。


『フローラ、エイジ、君たちにある知識を授けよう』


 ミハイルの声は、とても嬉しそうだった。この不条理な状況を愉しんでいるようでもあった。

 フローラとエイジは、まるでミハイルがかざした手のひらから出る光を受けるように頭を垂れ、赤と紫が複雑に混じり合った不思議な色の光の塊に、頭からつま先までを包まれるように浴びた。

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