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片翼の悪魔  作者: 紀國真哉
第二章 エンジェル
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第26話 不意打ち

 エンジェルが知能を高めているのではないかと、昨日出動した隊員はほぼ全員が感じていたことだろう。

 そこへユキムラの報告を受け、各班の隊長・副隊長たちは、動揺するよりもむしろ安堵している自分に気づく。

 それは自分だけが感じていたのではないという安心感だった。知能を高めているエンジェルと対峙し、戦って処理してゆくということは、ますますB.A.T.の負担が大きくなり、今後の戦闘方法や作戦にも大いに影響するだろう。

 だが、人類は長きにわたり、この地球上でもっとも知能の高い生物として君臨し続けてきたのだ。道具を作ってそれを使い、さまざまな文明を発展させることによって、厚い毛皮も鋭い牙も爪も、俊敏で強靱な筋力も持たない人類が、あらゆるものを創ってきた。

 それは動かしがたい事実ではあるが、人類こそがもっとも優れた生命体と言えないことは、過去の歴史からも明らかだった。

 そして議題は、ついに今回のメインとなるものに移った。画面に表示された『エンジェル人工説』の文字に、ラウラは眉をぴくりと反応させる。


「君たちも一度や二度は考えたことがあるだろう。あまりにも唐突に現れ、人類を攻撃するエンジェルについて、やつらは何者なのか、と。チョウ目ヒトリガ科のシロヒトリとよく似た外見ではあるが、昆虫が何らかの原因で突然変異したものなのか。それとも何者かによって創られたものなのか、と。各国の調査部および我々B.A.T.ジャパンの化学研究部が、合同でさまざまな仮説を元に調査を行ってきた。そこでは『突然変異説』や『地球外来説』そして『特異発達説』などが議論・研究された。過去の調査では、エンジェルの身体を形成している細胞は、昆虫のそれとまったく同じだというデータを得ているが、このたびエンジェルが人工的に作られたものだということが明らかになったのだ。我々B.A.T.は、エンジェルという謎の解明に挑みながらも、発生したその都度その場の個体を全滅させるという、いわば対症療法のような戦い方しかできずにいた。だがそれでは解決に至らないということも、君たちならよくわかっているはずだ。エンジェルの発生源を特定し根絶させないことには、未来に渡っても我々人類の安全を確保することは難しい。エンジェルが人工物であるということ、これは仮説ではなく、ある重要な人物から得た情報による、おそらく事実である。現時点では、まだ『説』という文字を取り払うことは難しいが、今後は『エンジェル』そのものを処理することはもちろん、それを創り、この世界に放った張本人を突き止め、処罰することもB.A.T.の目的として加えてゆく。ここまでで質問はあるかね?」


 ゲンシュウの話を後ろで聴いていたアーロンは、厳しい表情をして何度か頷いている。


 『エンジェル人工説』。事実であるにも関わらず、いまだ「説」という文字を外せないのは、エンジェルを実際に創った人物、あるいは団体等を特定できていないからだろうか。

 文明や化学が発展したこの世界で、殺人兵器を作ろうと思えば、誰もが可能なのだ。快楽殺人者なのか、それとも人類によほどの恨みを持つ者なのか。突然「人工説」を掲げるB.A.T.幹部に、集まった隊員たちは何も言えなかった。何をどう質問したらよいのかわからないのだ。


 だが同時に、エンジェルが自然発生だったならば、エンジェルの元となる昆虫以外のあらゆる種も、今後巨大化、凶暴化し、いつ人間を襲う敵へと変化するか予見できないという不安から、多くの隊員たちは解放されほっとした表情を見せる。



 数十秒ほどの沈黙ののち、それを打ち破る者があった。彼女は右手を真っ直ぐ上に挙げ、発言の意思を表す。


「ヘスティア」


 ゲンシュウが挙手した者の名を呼んだ。第三軍ヘスティア班隊長・ヘスティアは、横でなにやらモジモジしているフローラを一瞥してから立ち上がった。


「30B-01(サーティービーゼロワン)ヘスティアです。単刀直入にうかがいます。総指揮官、重大な発表の場で、『ある人物』と濁した表現をなさるのには何か正当な理由があるのでしょうか?」


 現場で命懸けで戦い、検体を持ち帰っているのは私たちなのに、なぜ速やかに発表しないのだ、と言わんばかりのヘスティアの静かな迫力に圧され、ゲンシュウはううむ、と唸る。


「さすがはヘスティア隊長だな、鋭い指摘だ。もちろん、『ある人物』という表現のままでこの会議を終える気はない。君たちにとっては衝撃的な内容ばかりだと思うが、これから順に説明していく。少し待ってほしい」

「承知しました。先走ったような質問をしてしまい、大変失礼いたしました。ではもう一つよろしいですか。エンジェルを創った個人または団体等を捕えることに成功したのち、彼らの処遇はどのようにお考えでしょうか」


 上層部と現場の戦闘員。両者の間には到底埋めることのできない溝があるのかもしれない。聡明なヘスティアが、またも先走っていると思える質問をゲンシュウにぶつけているのだ。

 エンジェルを創った人間の処遇など、本来ならば戦闘員には埒外の問題だ。だが、ゲンシュウら幹部たちが既知の事実を、戦闘員がすぐに知らされることはないという現状。それは取りも直さず、エンジェルとの戦いに出動する隊員たちの命を軽視しているこということに他ならないのではないか。

 ヘスティアは怒っているのだ。


「エンジェルが発生した十年前から、人類は奴らを滅ぼし、元通りの生活を手に入れるために戦い続けてきた。失われた命は二十億人にのぼり、人類絶滅かと絶望視された時期もあった。だが、我々B.A.T.は組織をあげてエンジェルの謎を解き明かし、人類の現在と未来を守るために戦っている。国単位ではなく、この地球に住む者の使命として。エンジェルを創った者を特定し、その身柄を確保した際に我々がすべきこと。それはまず、動機の解明だ。何のためにエンジェルを創ったのか。同時に目的は何かを問い質し、それが人類にとって不利益なことであるならば、全力で阻止する。処遇・処罰はその後に改めて考えることになるだろう。現状ではこのように答えるほかないのだが、ヘスティア、これで納得できるかね」

「はい、ありがとうございました」


 ヘスティアは深く礼をし、自分の椅子に腰をおろした。隣で瞳をキラキラさせているフローラが何か言いたげなので、その口許に耳を近づける。すると、フローラは恋する少女のように可憐な声で言った。


「ミハイルは、私の友人なんです」

「ミハイル……?」


 それがゲンシュウの言う「ある人物」なのだと、ヘスティアは直感する。会議の途中なので私語は慎まなければならないが、ヘスティアは知っていた。他の班員が思っているほど、フローラは「変人」などではない。フローラは、エンジェルを愛するあまり、挙動不審にみえたり、突然語り出したりと落ち着きがないが、頭は相当切れる隊員なのだ。


「昨年、2058年の春、等々力シェルターの庭にエンジェルの群れが襲来した時のことを憶えている者は多いと思う」


 ゲンシュウが切り出すと、その時に出動したブリクサ、ラウラ、ギデオン、ツヨシ、他数名が表情を変えた。ゲンシュウはその隊員たちの反応を見、考えながら言葉を続ける。


「ブリクサ班、ギデオン班ほか、計四班で任務に当たってもらった。その際エンジェルの被害に遭ったのは、大人の男性一名と幼女一名。男性の方は重度の熱傷を負うも、その場で回復が確認された。庭に出ていて逃げ遅れた幼女は、一度はエンジェルにさらわれかけたが、ブリクサ隊長が無傷で奪還した。その後、彼女はB.A.T.の勧めるカウンセラーの元で心理的な治療を受け、現在も同シェルターで暮らしている。だが残念なことに、犠牲者が一人出てしまった」


 「犠牲者」という言葉に、ラウラははっとする。この一年間何度も思い出し、後悔し、夢に見ることさえあった、エイジの養父の死。自分がその場を少し離れただけで、まるで狙っていたかのようにエンジェルに襲われ、失われた命。あの時の光景がよみがえり、ラウラは胸を痛めた。


「犠牲者の名前はミハイル。彼は過去にエンジェルに襲われた際に脚を傷め、さらに記憶を失っていた。彼がどうやって等々力シェルターに辿り着いたのかは定かでないが、家族を持たなかった彼は、シェルターに収容されていた身寄りのない五人の子どもたちの養父になり、疑似家族として生活していた。当時十六歳だった彼の養子は、ミハイルの最期に立ち会った際、謎の言葉を聞いている。それは『私が元凶なんだ。どうか私を止めてくれ』という不可解なものだった」


 ミハイルという名を聞き、ヘスティアはフローラの反応を窺った。


 「この世界についてを知っている」と落ち着いた声で話したミハイルの脳。B.A.T.の上官は、ミハイルや「この世界」についてどの程度の情報を得ているのかと、フローラは不安げだが、それ以上に興味が尽きないといった顔で頬を紅潮させ、手をきつく組んでいる。


「ミハイルの養子……、彼がその事件の直後、B.A.T.候補生になったことで、不本意ではあるが、情報は故意に隠さねばならなかった。なぜならば、養父が遺した謎の言葉とは、彼だけが聞いたことであり、現場に出動していた隊員は誰もそれを聞いてはいないこと、また、自らを『元凶』と言い、『止めてくれ』と懇願する男を養父に持つ彼が、敵側のスパイであるという危険性があることも否めないからだ」


 ここまでゲンシュウの言葉を聴いていたブリクサは、自身の部下として配属された「犠牲者の息子」・エイジについて、なぜ事前に一言もなかったのかと、不快さを隠さなかった。ゲンシュウの話がまだ終わらないうちに、挙手をするでもなく立ち上がり、ブリクサは発言した。


「総指揮官、それはうちに配属されたばかりのエイジのことでしょうか? 総指揮官にしては随分と回りくどい言い方ですが、つまりヤツにスパイの疑惑がかけられてるということですか」


 議場にいる各班の隊長、副隊長が一斉にブリクサを見た。壇上にいる教官と、ゼアスのアーロンまでもが驚愕したような顔でブリクサを見つめる。


「ふむ、君が憤るのも無理はない。ブリクサ、だが座りたまえ。我々はそれを明らかにしたいと、この会議を設けたのだ。彼は配属先にブリクサ班を強く希望した。今年一番優秀なルーキーだからな、君の班に入ればさぞかし有能な戦闘員になるだろうと思った。だがそれ以前に、エンジェルとの戦闘の場で、果たしてそのエイジが本当にB.A.T.のために戦うのか、我々はそれを見極めねばならなかった。万が一にもエイジが敵側のスパイらしい行動を取った際、君ならそれを止められると思ったからだ。君も組織の一員だろう。それは理解するべきだと思うがね」


 ゲンシュウは静かに言ったが、ブリクサの視線をまともに受けることは避けていた。上層部にも迷いはあったのだ。だが組織である以上、そしてB.A.T.が人類の現在と未来への鍵を握っている以上、不安因子は取り除いていかなければならないのだ。ブリクサは冷たい視線を壇上に投げると、そっと椅子に戻った。


 ラウラは、この場で話されていることをエイジにはいつ伝えるのだろうと考える。養父が遺した言葉、その時の表情、消えてゆくぬくもり……。本当の家族をエンジェルに殺されエイジが、またも父親を失い、遺体の調査結果すら教えてもらえない。犠牲者の家族である前に、エイジはB.A.T.にとって疑惑の対象だったというのか。

 今さらながら、人類の置かれている現状の厳しさに、ラウラは身震いする想いだった。


「これから話す事実を、残酷だと思う者もいるだろう。だが我々は、世界を、人類を救うために存在する組織だ。君たち戦闘員にもそれを充分に理解してほしい。謎と疑惑の解明のため、これ以降は、ブリクサ班所属のエイジに審問する」


 扉の内側に立つ係員にゲンシュウが目くばせをすると、彼は無言で頷いた。

 エイジはすでに扉の外側に待機しているようだ。さきほどの館内放送は、この会議室のスピーカーには届かなかった。


 扉が開けられる。緊張した面持ちで廊下に立つエイジに、各隊長・副隊長の視線が一斉に注がれた。

 そして壇上後ろのモニターには、ミハイルとエイジの顔が大きく映し出されている。

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