第24話 会議へ
三十メートルほど先にある金属製の黒い的は、直径十センチに作られている。そこへ三発の火炎弾を撃ち込んたが、最後の一発がかろうじてその端をかすっただけだった。
隣で同様に火炎弾を放つカルマに視線を移すと、カルマはいうまでもなく中央の直径五ミリほどの真っ赤な円を打ち抜いていた。
「どれくらい練習したら、カルマさんみたいになれますか……」
エイジは半ば絶望的な表情で、茫然と独り言のように言う。
自分に問うたのか、それともエイジの独り言なのか、どうでもいいと思っているカルマは、じっと的を凝視したまま、エイジの方をチラとも見ずに、また少しのズレもない弾を撃ち込んでから答える。
「僕は天才だからね。練習量の問題じゃなくて、射撃もセンスだから。僕の場合は初めから自然にできてたよ」
語尾を少し上げて不敵な笑顔を見せながら、カルマは神経質そうに銃口を柔らかな布で拭った。
「嘘つけ―、カルマ。エンジェルがこわくて泣きべそかいて、少しでも早く奴らを始末できるように猛練習したんじゃなかったか」
大型武器の練習場から顔を出したイザークが、にやにやと笑いながら声をかけてきた。そこではシアラや、他の班の隊員も訓練に励んでいる。
「う、うるさい! とにかくだね、銃を恐れずにしっかり持つこと。対象を見つめ、タイミングを計ってトリガーを引くこと。あとはセンスだから、火炎弾が合わないようなら別の武器を練習するといい」
顔を真っ赤にしてイザークを睨みつけたあと、カルマは銃身のバランスのとり方をエイジに指南した。
昨日の出動では目標を外したり、数百発もの弾丸を無駄に撃ったりと反省すべき点ばかりが目立つエイジは、せめて火炎弾だけでも早くマスターしなければ、と焦っていた。
「いや、しかし訓練校でも射撃実習はあるだろう。そこで優秀だったから我がブリクサ班への編入が認められたんじゃないのか?」
イザークが素朴な疑問を口にすると、カルマも手を叩いて「そうだよね!」と合わせる。
「はい、自分でも情けないですが、実践と訓練とでは天と地ほどの差がありました」
エイジは唇を噛み、悔しさを顔に表した。だが、焦るだけでは昨日の繰り返しだとも理解している。
うまく武器を扱えるか、的確に敵を仕留められるかは、精神状態に大きく左右される。自分は、恐怖と怒りに支配され、イザークの忠告すらも耳に届かなかった。
早く挽回したい、チームの一員として認められたいと思うなら、結果で示すしかないのだ。
「訓練校を出るってことは、即戦力になると認められたはずだよな。入隊式当日に出動するっていう緊急事態だったにせよ、昨日は殉職者まで出ている。これは一度上に進言して、訓練校の卒業資格を見直した方が良さそうだな」
イザークが真顔で言う。昨日のエイジの様子を思い出し、若い新人にはもっとメンタルを鍛えるプログラムも必要だと考えていた。
「殉職者」という言葉が出て、エイジはまたタカノリの無念を想った。自分はタカノリの分まで戦えるだろうか、エンジェルを絶滅させることができるだろうか。
「そうだね。入隊したらすぐに戦闘員っていう考えも、改めた方がいいかもしれないな。もう少し隊員として訓練してからじゃないと、今エイジが言ったように実戦と訓練とじゃ違いすぎるよね」
カルマもイザークに同意する。訓練校から入隊へ、という今までのシステムを見直す時期が来たのかもしれない。
「そういえば、カルマさんは専用の武器を持たないんですか?」
ふと思い立ってエイジが訊ねる。カルマは少し首を傾げ、意味深に微笑みながら答えた。
「カルマでいいよ。いや、もちろん僕だってあるよ。でも火炎弾で事足りるから、あまり使わないかな」
「みなさんの武器と戦い方を間近で見て、圧倒されました。あれは、個人の得意分野とか体格とか、そういうデータをもとに作られてるんですよね?」
カルマとエイジのやり取りを楽しそうに眺めているイザークをチラと見て、エイジは言う。
イザークの使うブリッツゼーレは、重量もあるうえ、攻撃を放った時の反動が大きく、誰もが使いこなせるものではないだろう。エイジは、イザークがブリッツゼーレを手にしたきっかけや、カルマやエル、仲間の専用武器に興味津々だ。
「そうだね。多くの隊員は、大きな成果をもたらした出動の数日後にクラウスに呼び出されて訊問を受け、専用武器を作成してもらえることになってるよ。上の指示じゃなくて、ほとんどクラウスの趣味だからね。でも、クラウスの腕や洞察力は見事なもので、僕にもぴったりの銃をくれた。だからエイジが専用を作ってもらえるとしたら、次の出動以降ということになるね」
カルマの言葉を聞いて、エイジは瞳を輝かせながら言った。
「カルマ専用の銃、それで処理されるエンジェルを早く見てみたいです」
「じゃあ、次回の戦闘の時にね。まったく、僕たちはいつヒマになるんだろう」
眼を閉じて肩をすくめてみせるカルマは、穏やかな雰囲気を醸し出していた。イザークは、カルマがエイジという新人を気にいったのだと感じ、チームの未来は明るいとめずらしく楽観的な気持ちになっていた。
エンジェルという脅威が発生して十年。十年ものあいだ人々は蹂躙され続けてきた。各国のB.A.T.が活動できるよう設備や装備を整えたり、シェルターを開設したりと、世界は目の前の人命を救うのに精いっぱいだった。その結果、エンジェルという謎そのものの究明に取り組む余裕がなく、B.A.T.を対エンジェルの世界的部隊として配置したが、今日でもエンジェルによる死者は各地で出ている。
だが、B.A.T.は確実に進化を続けており、昨日の出動の際に捕獲した生体を調査することで、エンジェル絶滅への希望につながる発見があるだろう。人類のさらなる安全と、エンジェルが発生する以前の、あの平和でありふれた暮らしに、また戻れるかもしれないと。
「ブリクサ隊長とラウラ副隊長が出席されている会議では、どんなことが話されるんでしょう」
専用武器の話のあと、機嫌よく火炎弾を構えていたカルマの方を向き、呟くようにエイジは訊ねた。
「さあね。上が隠し続けてきたこととか、まあ色々あるんだろうね。だけど、僕たちがそれを知る立場にあるかどうかはわからないよ」
射撃訓練用のゴーグルを目の位置におろし、銃身を構えながらカルマは答えた。その横顔はさっきまでのカルマとは違い、緊張感に満ちている。
「そんな! 現場で戦う隊員はすべてを知っているべきではありませんか? これ以上の殉職者を出さないためにも」
ふたたびタカノリの姿が頭をかすめるが、カルマはそんなエイジを黙って見つめる。
まだ若いエイジには、組織というものの成り立ちがよく理解できないのだろう。
納得できないという顔で悔しそうに唇を噛み、俯いている。あたりには、様々な武器で戦闘訓練を行う隊員たちが立てる轟音が渦を巻き、エイジはその中でたったひとり取り残されたような錯覚にとらわれた。また誰かが命を落とすこと、昨日以上の数のエンジェルが襲来する脅威を想像し、拳を震わせた。
『俺たちが
何したっていうんだ。なんでこんな世界になっちまったんだよ』
ラウラにそう言って詰め寄ったあの日の残像が、まだ瞼の裏にこびりついているような気がして、エイジは手袋をはめたままの手で顔をこすった。
イザークがカルマとエイジに近づこうとしたその時、天井に付けられたスピーカーから、緊急放送が始まるチャイムが大音量で鳴り響いた。
「まさか、またエンジェルが?」
イザークの顔に緊張が走る。カルマも構えていた火炎弾を下ろして耳を澄ませる。エイジは心臓が壊れるのではないかと思うほどに驚き、あやうく悲鳴をあげてしまうところだった。
『隊員の呼び出しです。10A-08(ワンゼロエーゼロエイト)・エイジ。大至急会議室まで来てください。繰り返します。10A-08・エイジ。大至急会議室まできてください』
AIの無機質な話し方とは裏腹に、温かみのある声での呼び出し放送が続いている。いきなりスピーカーから自分の名前が連呼されたことで、エイジの顔は血の気を失い、蒼白く変わっていた。
「え……、俺、何かしたんでしょうか? 一般の隊員は招集されない会議に一人だけ呼ばれるって、どういうことでしょうか?」
エイジはオロオロしながらイザークとカルマを交互に見て、縋り付くような表情をしている。
「心当たりがないから慌ててるんだよな? いや、そもそもこんな風に、隊員が会議の最中に呼び出されたことなんか今までになかったぞ。いったい何を話してるっていうんだ」
イザークは首を傾げながら考えた。昨日の戦闘で実際にエイジが自分たちの足を引っ張ったってことは、上には報告してないはずだ。ブリクサ隊長やラウラがそんな卑怯なことをするはずはないし、何か思いもよらないことが起きたのかもしれんな。
「あっ! もしかしたらエイジのお養父さんのことで何かわかったんじゃないかな?」
カルマが人差し指を立てながら言った。「案外当たってるんじゃない?」ふふん、と鼻を鳴らして得意そうな顔をするが、それを聞いたエイジはいっそう身体を固くした。
「だからって、俺が会議中に呼ばれるようなことでしょうか? 俺、どうしたら……」
わなわなと唇を震わせて深刻な表情をするエイジの肩を叩き、イザークは言う。
「いいから早く行ってこい。ここで無駄口をきいてたって何もわからんぞ。走って行け!」
「はい! 行って参ります」
イザークに背中を押された格好で、エイジは弾かれたように走り出した。会議室までは普通に歩いて五分ほどかかる。走っていけば二分で着くだろう。エイジは何も考えないようにして白い廊下に飛び出した。
「なんなんだろうね、ほんとに」
エイジが消えた廊下の先を見つめ、カルマがめずらしく厳しい表情で呟く。
「そうだな、昨日の今日であいつ、大丈夫かな」
昨日の出動後、ずいぶん落ち込んだエイジを見ていたイザークは、心配そうにカルマと同じ方向を見ていた。
緊急放送が終わった訓練場では、五ブロックに仕切られた各エリアで多くの隊員がそれぞれの戦闘訓練を再開した。エンジェルに似たDNAの配列から作られた物質を飛ばせるエリアでは、それをアナトとイリスが無表情で焼いていた。
極度に緊張した状態のまま全速力で走ったため、会議室のドアの前に着いたエイジは膝に手のひらをついて、呼吸を整えなければならなかった。早くこの重いドアをノックして、中に入らなければいけないのに、うまく声を出すことさえ出来ないような気がしている。だが、幹部たちを待たせるわけにはいかない。エイジは二度大きく息を吸って呼吸を整え、姿勢を正して会議室のドアをノックした。
「入りたまえ」
部屋の外にいてもよく聞こえるほど、大きくのびやかで、そして荘厳な声だった。おそらく総指揮官だろう。エイジは「失礼します」と大きく声を出し、ドアを開けると一歩中へ入って敬礼をした。
「10A-08・エイジです。お呼びでしょうか」
エイジは息を呑んだ。会議室にいる全員が、エイジを凝視しているのだ。それはまるで憎悪のこもった視線のようで、エイジは歯の根がガチガチと震えるような怖れを感じて凍り付いた。




