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片翼の悪魔  作者: 紀國真哉
第二章 エンジェル
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第23話 アンとカリタ

 細く開いた窓から入る柔らかな風が、水色のカーテンを揺らしている。その色と同じように澄んだ空には、ぼんやりと靄がかかったような太陽が曖昧な顔で浮かんでいた。


 医療部入院治療棟七〇六号室では、前日の戦闘で負傷したツヨシとカリタがパーテーションで仕切られた室内で休んでいたが、これから会議に出席するツヨシは早朝からストレッチに余念がない。

 妻と三人の子どもを持つツヨシは、昨夜帰宅できなかったことを悔やんで、さっきまで一番下の子どもとモニター越しにオンラインで話していた。

 父親が怪我のために帰れなかったと聞いて心配する子どもたちは、しきりにその部分をカメラに向けて見せろと言うが、ツヨシは「もう治ったよ」と笑っていた。


 もうひとりのカリタは、出動中に怪我をしたり、たとえ殉職したとしても、知りたくないというような家族しか持たないので、訓練着に着替えるとわずかに痛む脚を前後左右に動かして感覚を取り戻そうとしていた。

 たった数時間でもテーピングで固定されていた部分は、硬くなった筋肉や腱に思わぬ故障が起こることもあるのだ。


 B.A.T.ジャパンには、多種多様な武器や兵器だけではなく、つねに最先端の医療テクノロジーを取り入れた治療法や医療機器が装備されている。

 エンジェルとの戦闘で負ったかすり傷程度なら、皮膚再生・培養効果の高い特殊に開発された膏薬を塗れば、すぐに治ってしまう。だが、大量に失血した場合や、ブリクサが左腕を失った時のように、血管や組織が壊死してしまうほど潰された場合。それはさすがに軍の医療チームでも完璧に治せるという保証はない。


 カリタは上腕部と太腿を深く切られており、デビルスーツを着用していなければ、どちらも再起不能なほどの重傷にされていただろうと推測される怪我だった。

 その傷は外科部長が自ら血管と皮膚をそれぞれ縫合した。全世界のB.A.T.でも最高と言われるこの外科医の手にかかれば、縦に裂かれたために止血が難しかった太腿の血管も、輸血パックを使うことなく手術を終え、裂かれた皮膚は痕を残すことなく治るそうだ。

 今はまだ痛みがのこっているが、処方された膏薬を毎日必ず塗り込むことで、数日で痛みも治まるはずだ。


「カリタ、調子はどうだ」


 ベッドを囲む白いカーテンの向こうに、背の高い男の影が現れた。その影はノックをするようにそれを二回揺らし、金属のフレームを指先で弾く。

 低いが良く通る声の主は、B.A.T.ジャパン軍属医療チームの最高責任者であり、マッドサイエンティストのイメージそのものといった風貌のゲオルクだ。カリタが返事をする前からくっくと含み笑いをするゲオルクは、すぐ向こうにいるカリタの気まずそうな顔を想像しているのだろうか。


「ああ、もう大丈夫だよ。ありがとう、ございました」


 ベッドから立ち上がり、カリタはカーテンを左右に素早く開けた。言葉の途中から、わざとらしく頭を下げることも忘れない。

 わかっている。自分が随分とひねくれている自覚はカリタにもある。だが、ずっとこの調子で接してきたため、今さらどう態度を改めればいいのかわからないのだ。


「ふん、私が処置に当たったのだ。経過良好で当然だがね。だが、もしもまた貴様の身勝手な行動によってここに運び込まれた時には容赦しない。腕と脚を逆につけてやる。肝に銘じておけ」


 冷血動物のような目で舐めるようにカリタを睨みつけると、ゲオルクは満足そうに舌なめずりをする。


「わざわざどうも。今日も任務に励みます」 


 面倒なサイコ野郎に絡まれた、とうんざりしていたカリタの視界に、部屋の入口に立ったアンの姿が映る。アンは、ゲオルクをみとめるときびきびと礼をし、窓際で機嫌が良さそうに外の景色を眺めているツヨシに歩み寄った。


「ツヨシ副隊長、おはようございます」

「おお、アン! わざわざ来てくれたのか!」


 ツヨシはたった一晩、子どもたちに会えなかったことが余程さみしかったとみえて、若いアンを自分の子どもを見るような目で見た。


「はい。ご存知かとは思いますが、今日は隊長と副隊長のみが出席される会議がございます。ゼアスのアーロン代表を交えるとのことで、ギデオン隊長は何かエンジェル絶滅についての重要な情報を得られるのでは、とみていらっしゃいます」

「会議があるのは聞いていたが、そうか、アーロン代表が来日してるのか……。彼は確かにB.A.T.に莫大な資金援助をしてくれている団体の代表だが、会議にまで出席する必要があるのかな。しかも彼はまだ若すぎると思わないか? 俺と同年代だろう。何か裏があるんじゃないかと勘繰ってしまうよ」


 アゴに手を当て、天井に視線を向けたツヨシが呟く。その様子がなんだか子どもっぼくて、アンは思わずたしなめるような言い方をする。


「副隊長、犯罪ものの海外ドラマの見過ぎではありませんか? とにかく、もう会議の時間がせまっていますので速やかにお支度を。お怪我はもうよろしいのですよね」


 てきぱきとシーツを直しながら言うアンに、ツヨシは腕をまくって見せた。そこにはたくさんの古傷の痕があり、まだB.A.T.の医療技術が今のように整っていない頃からのものだと語っている。ツヨシはそれほど長い経験を積んでいる。ツヨシの傷痕を見るのは初めてではないが、アンは目を丸くして驚き、そしてすぐに少し哀しそうな眼をした。


「昨日も言っただろう。俺の戦い方では、どうしてもかすり傷がついてしまうんだよ」


 はっはっはと大声で笑っていたツヨシは、病室にゲオルクがいたことに気づくと、硬い表情をつくり、そのまま会場のある本部へと走って行った。やがてゲオルクもそこを出ると、その場に居心地の悪い空気が充満する。


「……ツラかしなよ」


 気まずい沈黙を破ったのはカリタだった。

 会議に出席しない隊員たちは平常通りの訓練に励むことになっていたが、アンはそれには触れずにカリタの後を追い、棟の廊下に出る。


「……昨日は迷惑かけたよ。他の班に殉職者が出てたけど、もしもあたしがもっとヤバい状況に陥ってたら、副隊長たちを危険な目に遭わせたんだと後悔した。反省も、してる、と思う」


 俯いてぼそぼそと聞き取りにくい声で話しはじめたが、カリタは徐々に顔を上げてアンの目を見つめ、はっきりと喋った。


「カリタ……」


 アンは両手で口もとを覆って息を呑み、たった一晩で成長したカリタを眩しい目で見つめながら言った。


「自身の行いを見直し、改めるのは勇気のいることです。B.A.T.に入隊して戦闘の場に出たら、誰もが等しく危険に晒されるのです。一人の勝手な行動やミスが、全隊員の命を脅かすことにもなりかねません。わたくしたちは、エンジェルとの戦闘に慣れ切っていたとしても、常に慎重でいなければなりません。同じ戦いなど、無いのですから。わたくしはカリタのプライドを傷つけるようなことを言っているかも知れません。嫌いなわたくしに言われるのは我慢ならないかもしれませんが、わたくしたちはチームです。チームは家族です。だから、カリタ、わかってくれてありがとう」


「べつに……」


 照れたようにぷいっと横を向くカリタを、アンはやさしい眼差しで見ている。


「わたくしだって、入隊したばかりの頃は苦労しました。訓練校での成績がよかったので、いきなりギデオン班に配属されたのです。皆さんに迷惑をかけないように、死なないようにと必死でした。これ以上エンジェルによる死者を増やしたくない……。だからいつ死んでもおかしくないような戦い方をするカリタに、必要以上にきつく当たっていたのかもしれません」


 アンはカリタの目をじっと見つめ、真剣な顔をして小さく頷く。その「優等生ぶり」が今までは気に入らなかったカリタだが、あのアンも本人なりに苦しんで、努力していまの自分を確立したのだとわかり、カリタは言う。


「理解し合える日は来ないと思ってただけ。べつにあんたのこと、嫌いじゃないよ。あたしは家族と仲が良くないもんでね、その鬱憤をエンジェルを殺すことで晴らしていた。次の出動から、気をつける」

「わたくしは皆さんを、カリタを大切な仲間だと思っています。共にエンジェル滅亡に向け、戦いましょう」


 アンが右手を差しだす。その白い手があまりにも美しく、カリタはそれを握るのをためらう。やっとアンの指先だけをつまむようにすると、アンはカリタの腕を引いて正面から肩を掴んだ。そして自信に満ちた笑顔を見せて言う。


「さあ、皆さんが待っています」

「了解……、アン」


 カリタはいったん俯いてすぐに顔を上げた。その表情は仲間たちとの信頼を揺るぎないものとして信じる輝きと自信に満ちていた。


「医療棟内では走るなよー」


 ふたりの背後からゲオルクの声が追いかけてくる。開け放した廊下の窓枠に肘をつくと、ゲオルクは白衣のポケットから煙草を取り出してゆっくりと火をつける。紫煙を深く吸い込み、それを吐きながら目にしみたように片目を閉じた。

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