第22話 幼女ロビナ
新人の入隊に全体集会。まるでこの日を狙ったような、四千体ものエンジェルの襲来。初めて対峙した小型エンジェル。アフター会議。エイジと同期の新人の、初出動での殉職。
今日は色々なことがありすぎた。明日はゼアスのアーロンを交えての会議があるが、それには隊長と副隊長が出席するだけなので、自分たちは通常通りの訓練を行う予定だ。だが、疲れ切った心と身体は自宅に戻らずに宿舎で休むことを望んだ。
一部屋に一台設置されたパソコンを起動させ、無料通話アプリを開く。自分のIDでログインし、コールのアイコンをクリックして待つこと数秒。モニターにロビナの笑顔が現れた。
『おねえちゃん!』
第一声を発しながら、ロビナはカメラにめいっぱい近づく。ほんのりピンク色に上気した頬は、画面越しでもツルツルだということがわかる。
「やっほー! ロビナ、今日もかわいいよ。その可愛いロビナが待ってるおうちに帰りたいんだけど、おねえちゃんね、今日は帰れなくなっちゃったんだ。ごめんね」
デスクに着いたシアラは、webカメラに視線を向け、顔の前で両手を合わせる。画面の向こうのロビナは、にっこりと微笑んだまま首を横に振った。
『ロビナはだいじょうぶだよ! おねえちゃんはいつもみんなのために戦ってるんだもん。ロビナはあしたまで待っていられるよ!』
「えらいぞ、ロビナ。晩ごはんはなに食べたの? いっぱい食べた?」
モニターに映るロビナは、ちょっと得意そうな顔で笑ったあと、両手の指で大きな丸を作ってカメラに向ける。
『あのね、こーんなにおっきなハンバーグ食べたよ。パパはお手手がしびれちゃうから、ロビナがお手伝いしてこねたんだ! それよりおねえちゃん、お顔がちょっとつかれてなぁい?』
「えっ? ほんと? 疲れが顔に出てる? わぁ、たいへんだ! ロビナのほっぺとくっつけたらピカピカになれるのにな。パパは? いまはお風呂かなぁ?」
『うん、パパはおふろはいってる』
シアラは両手を頬に当て、おどけた顔で笑っている。
シャワールームから出てきたレイは、髪を覆ったタオルを外しながらシアラの後ろを通り、ふと画面に映るロビナの姿を見て、驚いたように目を丸くした。
さっきからのやりとりを聞き、その声や話し方から想像したシアラの妹・ロビナは、せいぜい六、七歳の子どもだという印象だったのだ。それが、画面の中の彼女は自分やシアラとそう変わらない年齢の女性に見える。
「うーん、実はね、けっこう疲れちゃったんだぁ。今日は海の方にたくさんのエンジェルが出たんだけどね、お姉ちゃん、いっぱいやっつけたよ!」
『わぁ、おねえちゃんえらい! ね、ラウラさんも?』
ラウラの名前を口にしながら、ロビナは瞳をきらきら輝かせた。
「もちろん! ラウラ副隊長は強いよ! お姉ちゃんはB.A.T.でいちばん強い班でラウラ副隊長と一緒に大活躍。この世界の平和を守ってるんだから!」
『おねえちゃんもラウラさんも、すっごくかっこいい! ロビナ、ラウラさんにまたあいたいな』
「うん、きっとまた会えるよ。ロビナのこと、話しておくね」
すぐそばにベッドがあり、じきに眠れる安心感からか、シアラがあくびの口許を片手で隠す。ロビナとレイもつられてふわふわと口をあけ、部屋にはとろりと眠気を誘う空気が満ちた。
『おねえちゃん、もうねなさい』
やさしいロビナは、シアラを早く休ませてあげたいのだろう。あくびのあとの口を結ぶと、少し偉そうに言う。
「はい、そうします。ロビナもおやすみ。また明日ね」
『おやすみ、おねえちゃん。ちゃんとおふとんかけてね。むこうのおねえちゃんも、おやすみなさーい!』
シアラの後ろに見えているレイにも手を振り、ロビナは名残惜しそうに通話を切った。
急にしん、と静まった室内でシアラはしばらく黙っていたが、元気で明るい、いつものシアラらしい声でぽつぽつとレイに話しはじめる。
「レイちゃんは、知らなかったよね。私の妹……ロビナ。ああ見えても十九歳。先天性の脳障害で、七歳程度の知能しかないんだ。お医者さまからは、ここまで中身が成長したのはすごいことだって言われてる。だってあの子、二歳になっても喋れなかったんだもん。今だって自分の身の回りのことも一人じゃ出来ないから、こうして私が帰れない日は心配で」
「……ご両親は?」
シアラはレイが訊ねてくれたことが嬉しくて、レイの腕に自分のそれを絡めると、二台並べれられたベッドの足元にレイを引っ張ってゆき、その端に並んで腰かける。
絡めた腕をそのままに、肩に頬を載せてくるシアラが急に頼りなげな様子を見せるので、レイは普段のシアラはきっと無理をしているのだろうと思った。
「五年前にね、ロビナと両親と私、家族四人で乗った車が事故に遭って、その時にお母さんは死んだの。ロビナとお父さんは重傷だった。日中はお父さんがロビナの面倒をみてくれるけど、ロビナも実年齢は十九歳だからね、出来るだけ私がやってあげたい。もちろん本人は、お父さんに世話されることをなんとも思ってない。『パパ、ありがとう。だいすき』って、いつも感謝してる。その事故の後遺症で手足の痺れがあるお父さんは、自分は早く施設に入るべきだと思ってるみたい。いくら中身が子どもでも、ロビナだってもうじき成人になるんだからね。ロビナの負担にはなりたくないって、何度か言ってた。家族の運命を変えた事故だったけど、私だけが無傷で生き残って、罪悪感に押しつぶされそうになる夜もあるんだ。でも、私は負けない。私がやるべきことは、決まってるから」
頼りない女の子から、最後は力強く拳を握って、凛々しく頷く戦士の顔に変わるシアラ。
同じ班の隊員とも、任務中くらいしかまともに会話をしてこなかったレイは、シアラの背負う現実に直面し、自分なりにショックを受ける。
「……妹さんは、副隊長に会ったことがあるの?」
「うん、その事故はね、エンジェルが発生した場所から避難する時に遭ったの。みんなパニックになってたから、対向車線からはみ出してきた大きなワゴン車と正面衝突して、お母さんは車外に放り出されたところを別の車に轢かれて……。お父さんは運転席とシートに挟まれて、右脚はほとんど潰れかけてた。ロビナは割れたガラスがお腹に刺さって、血がたくさんでて。みんなシートベルトしてたのに、私だけたすかったの……」
言葉を切るとシアラは目を閉じ、そのまままぶたにぎゅっと力を入れた。
凄惨な事故現場を思い出しているのだろうか。その時に感じた痛みがよみがえっているのだろうか。苦しそうに唇を結び、レイの腕に絡めた手の指先にも力がこもる。レイはそんなシアラの様子を、表情を変えることなくじっと観察するように見ている。
シアラはまぶたを上げると、まるで「よし」、と声が聞こえるようなわかり易さで明るい顔に切り替えて続きを話す。
「あの時、ラウラ副隊長が助けてくれなかったら、私も、ロビナもお父さんも、みんな死んでた。潰れた車の前で、お母さんを介抱しれくれた時のラウラ副隊長は、鳥肌が立つほどかっこよかったんだよ。女神さまが来てくれたのかと思ったもん。ふふっ、エイジがブリクサ隊長を追ってきたのと一緒だね! 私は訓練校で二年過ごしたけど、ラウラ副隊長の元で学ぶために、そして恩返しをするためにB.A.T.に入ったの。……それから、B.A.T.で高額な収入を得て、お父さんをいい施設に入れて、ロビナと二人で暮らすための小さな家を作りたいんだ。お金をためたらB.A.T.を引退して、ロビナがずっと安心して生きてゆけるような、そんな生活のためにエンジェルと戦ってる……うん、それがわたしの戦う理由。あぁ、いま気がついたけど、レイちゃんとゆっくり話すのなんて初めてだね。ていうか、私が一方的にしゃべってるだけだね。ごめんね、急に自分のことばっかり聞いてもらって。でも嬉しい。あ、ねえ、レイちゃんがB.A.T.に入ったのはどうして?」
シアラの純粋な瞳を見つめ返しはしたが、レイはいつものように無表情で口を結んでいる。だいぶ打ち解けたような気がしたが、レイはまだ自分を友だちとは思ってくれないのかと、シアラはさみしそうに目尻を下げた。
「そろそろ寝なきゃね。聞いてくれてありがとう。おやすみ、レイちゃん」
すっくと立ちあがり、並んで腰かけていたアッパーシーツのシワを直して、そこに潜り込もうとするシアラの腕をレイが掴む。灯りを落とした薄暗い空間で見つめ合うふたりは、相手の息遣いを近くに感じて緊張気味にまばたきを繰り返した。
「シアラ、私は……、滅ぼすために」
唇をかすかにひらき、小さな声でレイは言った。閉じた空間の薄闇に溶けてしまいそうな声だった。
「うん。期待の新人も入ったし、今のB.A.T.なら絶対できる」
シアラが力強く言葉にしても、レイの反応はぎこちなかった。レイは人との会話に慣れていないだけなのだ。エンジェルとの戦闘の場では、状況判断力に長け、今日も進んで死骸を焼いたりと仲間との連携にも気づきが早い。そんなレイの実力を知り、認めているからこそ、シアラはいつかレイと互いにカバーし合う形で戦うことを願っている。
「レイちゃん、初めてシアラって呼んでくれたね! 色々聞いてくれてありがとう。レイちゃん、あしたも頑張ろうね」
「うん、おやすみ」
この日発生したエンジェルは小型がほとんどだったものの、ブリクサ班が配置されたあたりに集中して飛来した。B.A.T.最強の隊とはいえ、疲れを感じるのは誰もが同じだ。自分のベッドに身体を横たえると、シアラはすぐに寝息を立てはじめた。隣のレイは、眠りについたシアラの身体を覆うブランケットが、かすかに上下するのをぼんやりと見ていたが、ひとつ溜め息をついて寝返りを打つ。だが黒い瞳は、薄闇を見つめたままだった。




