表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
片翼の悪魔  作者: 紀國真哉
第二章 エンジェル
25/51

第20話 密会

 鈍く輝くシルバーのドアは、音もなく左右に開いた。そこから奥へと進むと、最先端のテクノロジーが駆使されているB.A.T.ジャパン本部の中心にありながら、錆びた音を軋ませてひらく重い扉がある。耳障りともいえるその音が、クラウスにとっては心地よいらしい。そろそろブリクサが来るころだと予感していたクラウスは、横顔を見せたまま片手を挙げて口許を緩めた。


「よぅ、おつかれさん」

「ああ」


 クラウスの作業台に腰をもたせかけ、ブリクサも横顔のまま右手で応える。


「相変わらず素っ気ない態度だな。俺の新作はお気に召さなかったか?」

「いや、問題ない。お前の悪ふざけが役に立った。エイジも初戦にしちゃ健闘した」


 言いながらギミックの左腕を外してクラウスに渡し、ブリクサはラボの奥にある古びたソファに深く沈んだ。

 苦戦を強いられることはなかったが、小型という新種の大群や、恐らく高い知能を持つと思われる個体と対峙し、それなりに疲れてはいた。


 そして、ユキムラの報告にあった、ルーキー・タカノリの殉職。特に仲の良い間柄ではなかったようだが、タカノリとエイジは共に一年間の訓練を受け、B.A.T.に入隊した同期だ。

 イザークの指示を無視した挙句、自分の武器さえうまく扱えずに危険に陥ったことを思い出し、自分も命を落としていたかもしれないと、怖くもなっただろう。


 そもそもこの十年間、重傷者は出動のたびに何人も出ていたが、殉職した隊員はほとんどいなかったという事実のほうが奇跡的なのだ。

 初めての出現以来、ほとんど半数にまで減少するほど、人類は奴らに殺されまくっている。敵は知能を高めつつあり、そしてそれは、戦闘能力にも直結してくるだろう。ラウラの言うとおり、発生場所を予測して駆除を行う必要性があると、ブリクサも感じていた。


「おぉ、これは……、普通の人間だったらかなりの痛手、ていうか死んでたな」


 ギミックの腕に付けられた傷を発見し、クラウスが唸った。ほんの一瞬エンジェルの翅とかち合った個所には、数センチほどの深さの傷が入っており、これを生身の人体が受けていたとしたら、おそらく腕は切断されていただろう。


「傷がついているだと……?」


 クラウスの言葉に、ブリクサは顔を上げて眉根を寄せる。クラウスがいままでに製作したギミックの腕は何本にも及ぶが、二本目以降はその強度から、かすり傷ひとつ負ったこともないのだ。

 五百馬力のチェーンソーとやり合ったとしても、互角どころかブリクサのギミックが圧勝する。それが傷つけられ、深い亀裂が入っていたなど、にわかには信じがたい。


「ああ、これはエンジェルの翅によるものじゃないな。おそらく奴らの唾液か、あるいは体液で溶かされたとみるべきだ」


 クラウスはブリクサの前まで来ると、傷ついた箇所を指でなぞってみせた。改めて近くで見ると、確かにそれは奴らの翅で切り付けられた傷とは違っていた。まるで薬品による腐食か、溶融したかのようだ。


「これの溶融点はニオブと同等だったよな」

「ああ、そして硬度はダイヤモンド並みだ。ま、ダイヤモンドもピンキリだけどな」


 ブリクサの肩から外した腕を見上げる高さまで上げ、クラウスは切なそうな顔をする。


「奴らの唾液か体液かよ……。汚ねぇな。その対策もお前がとっくにしてただろ」

「新種が現れたんだろ? 今までのより小型で脆弱な大量のエンジェル。俺は上がってきた報告から推測することしか出来ねえが、去年のあの事件からどうも妙だよな。結局、直接的な原因はわからねぇ、もしくは隊員にはまだ伝えられねぇ事実がある……とかな」


 高く掲げていた腕を元通り台の上に置き、クラウスは溜め息を吐いた。


「俺たちは組織の一員だ。混乱が生じないよう、上官が何か隠していたとしても仕方ないとは思う。ただ、それが原因で隊員の命が脅かされるとしたら……」


 ブリクサはそこで一旦ことばを切り、それきり黙った。眼窩は昏い陰に沈み、以前のブリクサ班が凄惨な死を遂げたことを思い出してでもいるように、その表情には深い悲しみが現れている。

 クラウスはそれを察し、言葉の続きを訊こうとはしなかった。二人の間に沈黙が横たわるが、居心地の悪さは感じない。クラウスはブリクサにとって、唯一の心を許せる友人なのだ。


「俺の腕はもう使えるのか」

 台の上に置かれたままの傷ついた腕を取り、それをクラウスの方に差し出しながらブリクサが言う。それを受け取り、クラウスは傍らの機械を覗き込んだ。そこにはブリクサが使い慣れた腕が横たわっている。


「あと二十分ほどでメンテが終わる。それまでそこで休んでろ」


 本当はもうそろそろ終わるのだが、めずらしく疲れを滲ませたブリクサを気遣い、クラウスは少しでも友人を休ませたかった。


「不細工で無駄な機能を追加してねえだろうな」

「ばっ……! 俺が試しにつけたそれが、お前の命を守ったんだろうがよ! くっそー、まだそんなこと言いやがって。俺の親心がお前には全っ然つたわってねぇんだな。ま、安心しろ。よりハイスペックで、お前の肩にすぐに馴染むように作ってある」

「ふっ、そうか。お前が俺を息子のように思ってたとは知らなかったな。いつからだ? まさか訓練校時代からなんて言わねぇよな、気持ち悪りぃ」


 言葉とは裏腹に、口許を上げてわらうブリクサはやわらかな表情を浮かべている。嬉しいのだ。ただ何も言わずに「休め」と勧めてくれる友人を持ったことが。


「じゃ、少し寝るか」


 もう一度ソファにゆっくりと沈み、温かな血のかよった右腕を膝の上に置いてから、ブリクサはそっとまぶたをおろした。他者がいる場所でブリクサが眠ろうとするなど、あとにも先にもクラウスのこのラボの中でだけだろう。


 ブリクサにとって安らげる場所、そしてそんな世界はやってくるのか。エンジェルに対する己の感情を、もっと追究するべきなのか。奴らが出現するたび、出動命令に従って処理していた自分と違い、エンジェルに対する強い怒りと憎悪を剥き出しにしていたエイジの顔を思い出し、エイジが命を落とすことのない戦い方に導く義務があるのではないかと、ブリクサはいつになく隊長らしいことを考えていた。




 定時で職員が去ったあとの棟内は、しんと静まりかえっていた。腰をかがめ、ほのかな照明だけが灯った廊下を進みながら、フローラは一つ一つの部屋の窓から顔を出して中を窺う。


「小型ちゃーん、色違いちゃーん、どこにいるのかなー?」


 コソコソと小声で歌うような独り言を発しながら、捕獲されたばかりのエンジェルたちを探して、フローラは研究棟を歩き回っていた。


「コンコンコン、なんの音? フローラちゃんが探しに来た音~」


 銀盤のようなドアをそっとノックする。すでにオート機能がロックされているのか、両側に音もなく開くはずの扉はびくともしない。


「うぁー、くっそー。あそこに小型ちゃんがいっぱいいるじゃないかよぅ。あたしに会いたいって泣いてるのが化学班の人でなしたちにはわからないんだねぇ」


 服の襟をギリッと噛み、さも悔しいというような演技をしてみるが、肝心のエンジェルたちは、扉の向こうから自分たちに必死のラブコールを寄越すフローラには気づかないようだ。

 みな巨大な水槽に似た容器に数十匹ずつ入れられ、お行儀よく壁面にとまっていた。


「この子たちの寿命は、もって三日から十日。早く会えなきゃどんどん死んでいっちゃうじゃないか。どうしよう、こんな大量の子たちに会える機会なんて滅多にないのに」


 水槽越しでもいい。至近距離でエンジェルと見つめ合いたい。そしてできれば、その触覚や黒曜石のような目玉や、ふわふわもふもふの体毛や、赤くてかわいい手脚や、ぷっくりと膨らんだ身体に触れ、撫でたり匂いを嗅いだり顔をうずめたりしたい。

 さらに、もしも許されるなら、白くてぷくぷくの身体にメスを入れてつぅーっと切開してみたり、なんだかわかんないけど毒や酸や、有害物質を含んだ体液をシャーレで培養したり、コニカルビーカーに入れて薬剤と混ぜてぐるぐるしたりしたい! この子たちのすべてを知りたい!


 フローラがはっと気づくと、心臓はドキドキと高鳴り、呼吸は荒く胸が上下していた。


──やーん、あたしったら、エンジェルちゃんたちに欲情し・て・る?


 誰もいないうす暗い研究棟の廊下で、ヘスティア班の中でも特に「強く美しい」と評判のフローラが、大量の殺人蛾を相手に静かに興奮して悶えているのだ。

 誰かに見つかったら始末書くらいでは済まないはずの違反行為をしているのに、フローラは「化学班への配属を希望する」と再三申し出ているにもかかわらず、一向に考慮してくれない上官たちにしびれを切らし、「だったら実行あるのみ」と的外れの信念を胸に、とうとうここまで来てしまった。


 今日捕獲されたばかりのエンジェルたちだ。具体的な実験が始まるのは明日以降だと考えていい。だとしたら、このまま誰にも知られずにいれば、朝までエンジェルと自分だけの夢のような夜を過ごせるかもしれない。 

 足音をたてないためにと、裸足で廊下を進んでいたフローラが、その原始的な感覚で何者かの気配をとらえた。


「むっ、チィッ! まだだれか残っていやがったか」


 廊下の先からフローラのいる方へと向かって来ているのは、数人の足音だった。残業していた化学班の職員だろう。何しろ捕獲数は大量だったし、その中に知能が高い個体も含まれているとしたら、戦闘隊員にも立ち会ってもらわなければ危険がともなう。すべてのエンジェルをケージに収容するにはかなりの時間を要したことだろう。


 どこか隠れる場所は、とフローラは辺りを見回すが、うす暗い廊下には銀色の扉と大きな窓が整然と並んでいるだけだ。


「どうしよう、どうしよう、どこか空いてる部屋はないの?」


 右往左往しながら近づく足音とは反対側に目を遣ると、真っ暗に照明が落ちた先で、コポコポと空気のような音がかすかに響いている。


「とにかく真っ暗な方に隠れなきゃ」


 口の中で呟き、素早く廊下を進んだ。足音の主たちはこれから繰り出すクラブの話に夢中で、誰かが潜んでいるなどとは想像もしていないようだ。


 空気の音に導かれるように進んだフローラは、銀盤ではないがスチール製の扉のノブを握った。


「うそっ! ええっ!」


 ここに辿り着くまで嫌というほど見てきた「開かない扉」ではなく、そのノブは音もなくするりと回った。

 だが、簡単に開いてしまうドアの中に、重要なものがあるはずはないのだと思い直し、ここには何の期待もできないと、そっとドアを閉じようとた。が、そこはやはりフローラだ。知的好奇心の塊のフローラなのだ。一応のつもりで首を伸ばして中を覗いた。するとそこには、エンジェルよりももっと衝撃的なものが浮かんでいたのだ。


「なっ、これは一体……、どうしてこんな……?」


 部屋の中央には、巨大な水槽が置かれていた。その中をぼんやりと照らしているのは、淡いピンク色の照明だった。

 フローラの身長よりも少し高い上辺からは、いくつものチューブや電気のコードが延びており、中に浮かぶものに繋がれていた。コポコポと音を発しているチューブの先は水底に沈み、細かな泡沫を絶えず吐き出している。ピンク色の光を浴びているそれは、本来の色がピンクなのか、それとも別の淡い色なのか判然としない。

 フローラはそこに吸い寄せられるように近づくと、水滴がついたガラス面に両手のひらをつけた。


「あなたは、だれなの?」


 誰かに見つかったら大変なことになるなど、すっかり頭から消えていた。それほどにこの衝撃は大きかった。円筒形の水槽の周囲をまわって元の位置に戻ると、フローラの腰の高さにあるプレートに気づく。そこにはいつくかの文字が記されていた。


『2058年四月 等々力シェルター Mikhail』


「等々力シェルターって、去年のあの事件の……? ミハイルっていうのは、名前?」


 言いながら、フローラはそれの形をなぞるように人差し指を動かした。すると、それまで沈黙していた水面が波立ち、赤と紫のランプが激しく点滅する。


『ようこそ、フローラ……』


 かすれた電子音のように耳障りな「声」に名前を呼ばれ、フローラは思わず小さく悲鳴をあげた。それは怖れからなのか歓喜のしるしなのか、フローラ自身にも不明だったが、水槽の中の大きな脳は、あきらかにフローラを歓迎していた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ