第14話 原動力
スタングレネードには決して殺傷能力があってはならないが、至近距離から被弾したとなると話は別だ。
エイジが発射させたそれは、ブリクサのサイドスーツの右脇腹をかすりながら爆発した。
一瞬のことだったが、ブリクサは目の端でそれをとらえると咄嗟に腰を引いた。その危険回避能力の高さでまともに被弾することは避けられたが、衝撃で腰椎が痺れ、内臓に刺されたような痛みを感じている。聴力は十秒程経てば徐々に回復するだろうが、腰椎が痺れていてはまともに戦うことが出来ない。
「隊長! ブリクサ隊長! 申し訳ありません、ご無事ですか! うしろに、通常型がたくさん来ています!」
エンジェルが来ていることを知らせるのが先か、スタングレネードを誤射したことへの謝罪が先か。エイジは一瞬迷ったが、とにかくブリクサに苦しい思いをさせてしまったことが恐ろしく、聞こえていないかも知れないと思いつつも、謝罪を先に口にした。
「お前はどうだ? 無傷なんだろうな」
脇腹を手で押さえながら眉間にシワを寄せ、苦し気に言うブリクサ。だが、その痛みもそろそろ薄れつつある。ギミックで掴んでいるエンジェルを油断させるための芝居かもしれない。
「はっ、はい! 自分は無事です」
「そうか。じゃあ俺のうしろにいる奴らはお前に任せる。気のすむまで殺しまくれ」
「えっ!」
装甲車の中で「ただぶっ殺したいなら、お前も奴らと同じだ」とブリクサに言われたのは、二時間ほど前のことだ。同じ口から「殺しまくれ」という言葉が出たことに、エイジは戸惑いを隠せない。
「隊長、それはどういう……」
「意味ですか」と訊ねればいいのだろうか。それともブリクサは、本心から「殺しまくれ」と命令したのだろうか。それを計りかねたエイジは、火炎放射器を抱きしめたままブリクサを一瞬見つめ、その背後にいるエンジェルたちに焦点を移した。
通常型のエンジェルは、全部で十一体いた。さきほどイザークとともに戦った時よりも、エイジの自覚としてはいくぶん気持ちも落ち着いている。どう戦おうかと考えるだけのゆとりもある。だが、やつらの顔を見ているうちに、ふたたび怒りと、それよりも大きな恐怖がよみがえってきた。
──火炎放射器で端から焼いても、他の奴らはすぐに散って攻撃してくるだろう。バラバラになった奴らに囲まれたら勝ち目はねえ。だいたい今日入隊したばっかの新人に十体以上のエンジェルと戦わせるリーダーがいるかよ! あとからフォローしてくれるつもりでいるんだろうが、それより先に俺が全部殺してみせる。
唇を噛みしめ、エイジが視線を下げる。すると二体のエンジェルがその一瞬を狙って飛びかかってきた。相手の様子を探って攻撃を仕掛けてきたのだ、こいつらには人間が思うよりもはるかに高い知能が備わっているのだろう。だが敵の戦闘準備が整うまで待っていてくれるはずもない。
全員が同じルールの中で戦うスポーツではなく、これは殺し合いなのだ。
「くっそ、黒焦げにしてやる!」
空中を突進してくるエンジェルに向け、エイジは出力を最大にした炎を浴びせる。その二体は、「運よく」処理することが出来た。だが、あと九体いるのだ。スタングレネードのダメージが残るブリクサが襲われたら、無傷ではいられないかもしれない。
エイジは胸の中でくすぶり続ける恐怖を強引にねじ伏せ、自分がブリクサを護らなければ、と残り九体の位置を確認するために周囲に首を巡らせる。
上空に四体、正面に二体、下方に一体、あとの二体は……。ブリクサと目が合う。見えなかった二体は、ブリクサのボードの真下から翅を立てて攻撃態勢をとっていた。あのままでは、ブリクサの脚が斬りつけられてしまう。
「隊長!」
エイジが叫ぼうと口を開いたのと同時に、ブリクサを狙っていた二体のエンジェルは、胴体に周囲が焦げた大きな穴を開けられて落下していった。バランスを失ったその身体は、いびつにくるくる回りながらなおも赤い脚を動かしている。
「隊長!」
青々と繁るナラの樹上に落ちた二体からエイジが視線を戻すと、ブリクサは掴んでいたエンジェルを捕獲用シールドに収納しているところだった。
「ブリクサ隊長、その個体は処理しないんですか?」
「あぁ、こいつは知能が高そうだからな」
ブリクサの横に白いボードを並べ、火炎弾を放ったばかりの銃身を抱えていたのは、エルだった。
「エルさん、」
「あぁ、エイジ。初日にこんなことになって大変だと思うが、残りはあと少しだ。ここにいる奴らを全滅させる必要もない。大丈夫か」
思いがけないエルのやさしい言葉に、エイジは思わず涙ぐんでしまいそうになる。だが、同時に感じたのは羞恥と自分への腹立たしさだ。
この戦いの場において、何の役にも立たないどころか、仲間の足を引っ張る存在である自分が、なによりも惨めで情けなかった。そしてまだ戦いは、任務は続いているのだ。しっかりしなければ、一体でも多くのエンジェルを殺さなければ、と気持ちばかりが焦る。
「大丈夫です! 隊長は、いま自分が誤射してしまったスタングレネードがかすったので、ダメージがあると思います。自分が奴らを処理します!」
少しは出来るところを見せなければと、エルの登場によってエイジはより追い詰められたような気持ちになる。しかし気にしなければならないのは、そこではない。互いにフォローし、速やかに任務を遂行すること。そのためのチームなのだ。
「いや、エイジはフォローに回ってくれ。ここは俺がやろう」
エルは専用武器の『エトワール』をボードから取り上げた。それは優雅な名前には似つかわしくない大型の武器だが、細いランチャーを肩に載せたエルの姿は、まるで流星群を観察する少年が望遠鏡を覗いているようだ。
その先から発射されるものはどんなに美しいのだろうかと、エイジは不思議な期待を抱いてしまう。
そしてエトワールが流線型のロケットを放つと、それは星のように煌めきながらエンジェルめがけて飛んだ。
まだ上に滞空していた四体は、なぜかエトワールの軌道に吸い寄せられるように一列に並ぶ。その胴部を目指したロケットは、一発で四体のエンジェルを貫いた。
──さっきもこれで二体を一度に殺したのか! なんて武器なんだ!
エイジはエルの専用武器に驚き、それを使いこなすエルの静かな迫力に圧倒された。そしてブリクサに視線を移すと、正面にいた二体と下方にいた一体をギミックの指で切り裂いている。
エルはごく自然にブリクサの背後をカバーする位置につき、ふたりの息の合ったフォーメーションに、エイジはブリクサ班のチームワークの素晴らしさを知った。
「これで終わりでしょうか」
「見えてる奴は全部処理したはずだ。捕獲数も充分だろうし、そろそろ撤収だな」
戦闘力を認めているエルに対して、ブリクサはあんなに自然に話すのだと、エイジは自分には居場所がないような寄る辺なさを感じる。このままでいいはずがない。まだ撤収するには早すぎる。エイジは、何もしていないのだ。晴れの初陣を、こんな無様な結果で終わらせていいはずがないのだ。
「……隊長! ブリクサ隊長! 自分は、まだ何もしていません。奴らはまだ残っています。自分にも戦わせてください!」
懸命に訴えたつもりだった。だが、ブリクサはエイジを一瞥すると、そのまま襟の通信装置に向かって話しはじめる。
「こちらブリクサ。イマヒコいるか? 通常型、小型とも捕獲数が充分なら撤収しようと思う。棲息地を突き止めるための追跡はどうなった?」
『こちらチェンルイ。ブリクサ、おつかれ! 数は充分集まったから、もう捕まえなくていいよ。それから追跡は、いったん本部に帰って、そこからリリースすることにしたよ。ゲンシュウ総指揮官にはそう言った。だから装甲車に戻ってきてOK』
スピーカーから聞こえるチェンルイの声は、とても明るかった。
エルはふっ、と笑みをもらし、ブリクサの表情も心なしかやわらかくなっている。エイジだけが、恥辱と悔しさにまみれ、唇を強く噛みしめていた。自身の力不足や心の弱さを反省するよりも、何もさせてもらえない不遇を呪った。
──クソッ、クソッ! こんなの俺のビジョンと違う! 俺は初日から華々しく奴らをぶっ殺さなきゃならねえんだよ。そうでなけりゃ、この怒りをどうすればいいんだ!
思っていることがそのまま表れているエイジの顔を見て、ブリクサは呟く。
「もっと殺したいか? お前の目的は復讐か? 家族を殺された怒りがお前の原動力か。もしそうなら、それは別のことで解消しろ。さもないと、俺は誰かをお前と組ませるわけにはいかねえ。お前がその調子じゃ、お前の隣にいる奴が命を落とすことになるからな」
ブリクサの言葉に、エイジは改めてはっとした。いくらエンジェルを殲滅する目的で編成されたのがB.A.T.だとしても、エンジェルへの怒りが原動力では隊員としては失格なのだ。訓練校では、そこまでは教えてくれなかった。いや、きっと講師らは何度も言っていたのだろう。怒りに支配されていたエイジには、聞こえなかったのだ。
「わかっていたつもりでした。申し訳ありません」
それだけ絞り出すのが精いっぱいだった。三人はそれぞれのボードの上に立ち、エンジェルのいない空間で数秒間、無言で何かを考えていた。
「みんな無事かー!」
そこへイザークがすごいスピードで到着した。イザークは、エイジがボードから落ちたのをひどく心配し、自分を責めていたのだ。
「イザーク、もうちょっと静かに来られねえのか」
「隊長、そう言うなって。俺は今日も頑張ったよ」
そんなイザークとブリクサのやり取りを見て、エイジはいつか自分もあんな風にチームに受け入れてもらえるだろうかと寂しい気持ちになる。
各隊は、撤収の準備に取り掛かっているらしい。
「イマヒコ班は、もうみんな戻ってるみたいだな」
イザークが言う。ブリクサが頷く。エルは三人の顔を順番に見て、そして微笑んだ。