第13話 His left arm is a Gimmick
「隊長──っ!」
エイジの悲痛な叫びは空気を震わせるほどだった。だがそれは虚空に響きわたり、すぐにかき消えた。
空中に取り残されたエイジは、ブリクサから受け取った専用ボードの上に立ち、エンジェルとともに上昇していったブリクサを追おうと、体勢を整えながらかろうじて火炎放射器を構える。
──ヤバい、ヤバい。どうしたらいい? 俺のせいで隊長の腕が……多分もう使えなくなった。あんなに重そうな一太刀を浴びたんだ。無事なはずがねえ。もしかしたら切断されたかもしれない。いくらサイドスーツが特殊な繊維で鎧みたいに出来てたって、無傷なわけねえよ。助けに行かなきゃ。俺が助けに行かなきゃマジでヤバいことになる。まず……そうだ、イザークに連絡だ!
「こちらエイジです! イザーク、応答願います!」
数秒のあと、エイジの耳にイザークの声が届いた。
『おうエイジ、お前無事か? こっちはやっと済んだよ。まだこの辺にいるよな? 合流するぞ』
イザークと離れてから、おそらく三分と経っていないだろう。だがエイジは、その温かみのある声の懐かしさに、思わず涙ぐんだ。
「イザーク、隊長が……デカめのエンジェルに……やられました。たぶん、片腕は切断されたと思われます」
『ああっ? お前なに言ってんだ! 隊長がどうしたって? 落ち着いてちゃんと説明しろ』
一人で数十体のエンジェルを処理したイザークの話し方は、少し苦しそうだった。きっと肩で大きく息をしているのだろう。いくらブリッツゼーレの威力が強大だとしても、エイジに注意を払いながら多くの敵を相手にしていては、いつか無理が生じる。そしてイザークも、ブリクサと同様に危険な状況から一気に負けに転じてしまうのだとしたら?
──そんなことになったら、全部俺のせいだ。俺のせいで隊長もイザークも命を落とすことになっちまう……。
エイジは青い顔をしながらボードの上で考えた。自分のせいで仲間が危険にさらされる。そんな隊員はB.A.T.には要らないだろう。俺はこの一年なにやってきたんだ。
『エイジ、聴いてるか! 隊長はそんなヤワじゃない。お前に心配されるほどヤキも回ってねえよ。心配してる暇があったら戦え! ちゃんと周囲を見ろ! グズグズ考えてるうちに奴らに囲まれたんじゃシャレにならねえぞ』
イザークの言うことは正しい。今ここでエイジがとるべき行動は、ボードの上で泣き言を吐くことではない。ここは戦いの場なのだ。そのために一年間訓練を積んできた。今はブリクサを追い、エンジェルたちを倒し、全員で本部に帰還することが最優先だ。そんな当たり前のことが、なぜ受容できないのだろう。
『おい! エイジ! 聞こえてるか? まずは深呼吸だ。だがちゃんと周りも見てろよ。奴らが近づいて来るかもしれないからな。レーダーを確認しろ。すぐ近くに敵はいないか? じゃ次に仲間の位置を確認しろ。隊長はどこにいる? お前の真上だな。ちょっと距離はあるが、すぐに追いつける。いいか、よく聞けよ。エルがこっちに向かってきてる。それまでお前が繋いどけ。隊長のそばにいろ。わかったな? すぐに飛べ。さあ、行け!』
「はい! イザーク、了解しました」
滲み出た涙を指先でぬぐい、エイジはボードを発進させる。猛スピードで上昇し、ブリクサの元へと急いだ。
ブリクサのデビルスーツから、化学製品が焼け焦げる臭いが立ちのぼった。
研ぎ澄まされた鋼のように、切れ味の鋭い翅を左腕に浴びせたあと、そのエンジェルは薙ぎ払うようにブリクサの腹部を狙ってきた。
腕へのダメージは想定の範囲内だったが、腹部を横に払うような翅での攻撃を受けたのは初めてだった。
一般人の服なら奴らにとっては無いも同然だ。そうして夥しい数の人間が、胴体を真っ二つにされてきたのだ。その犠牲者たちのように、道路や芝生の上に内臓をぶちまけることはないが、デビルスーツの翅がかすった部分からは、摩擦熱で焼けるような臭いが発生している。
あの翅が、ほんの一瞬の間に高温になったというのか、今日発生した奴らは、これまでとは別の構造を持っているのかもしれない。だとしたら今回の捕獲は有意義だと、ブリクサは唇の端を上げて笑う。
エンジェルがふたたび翅を立て、触角を小刻みに震わせながら攻撃の構えをとった。
同時にブリクサの左腕は瞬時に形を変え、その指は三倍ほどの長さに伸びる。さきほどの斬撃で、ブリクサの左腕に深刻なダメージを与えたはずだと思っていたエンジェルは、ブリクサの腕を見ると首を傾げるような仕草をする。
実際、エイジもそう思っているのだ。ブリクサの腕が切断されたかもしれない、と。だが、左腕はギミックだ。たとえ五百馬力で唸りを上げるチェーンソーを押し付けられたしても、傷一つ付けることは出来ないだろう。
そして出動前にクラウスが無理矢理装着した新たな腕は、驚くべき仕掛けを持つ最高の武器としての機能を併せ持っていた。
「ブサイクだけどな」
エンジェルと睨み合いながらも、ブリクサはクラウスの不満そうな顔を思い出して可笑しくなった。クラウスは、いつでもB.A.T.の隊員たちのことを想い、武器やスーツの研究・開発をしている。……それが見当違いの方向に行くこともあるが。
だがクラウスの造る武器は確実に性能を上げ続けている。
「どうした? 俺の腕が無事で不思議か。ならもう一度試してみろ。貴様の身体がバラバラになる前にな」
言い終わらないうちに腕を伸ばし、ブリクサは長い金属の指でエンジェルの頭部を掴んだ。細く硬いその指が被毛で覆われた頭部に食い込むと、エンジェルは「グギュッ、グジュッ」と水分を含んだような呻き声を発し、胴体を捻って身悶える。
ブリクサは、手のひらの中にあるエンジェルの頭部を、このまま握りつぶしてやりたい衝動に駆られた。
だが、首を傾げたようなさっきの反応をみると、こいつは他の個体よりも知能が高いのかもしれないと、捕獲して本部へ連行しようかと思い直した。
「……あぁ、貴様の命はまだ必要らしい。嬉しくもないだろうが」
感情のない眼でそう言うと、ブリクサは捕獲用シールドのスイッチを押そうとする。そこへ下方から急接近してくるエイジの姿があった。
「隊長──っ!」
必死に自分を呼ぶエイジの顔が、一年前シェルターで起こった事件を思い出させた。
犠牲者一名。その一名はエイジの養父で、彼の遺体から多くの事実が判明したのだった。解剖、実験、分析……と、彼は死んでなお人類のために貢献した。データの精度を上げるため、同じ実験が何度も繰り返され、結論が導かれるまでに一年近くの月日が費やされた。そのデータから判ったことを、まだブリクサたちは知らされてはいない。
だが、驚愕すべき事実が明らかになったらしい、とは噂で聞いていた。
「隊長、怪我の状態は?」
真っ赤な顔で瞳を潤ませながらブリクサに追いつくと、エイジは呼吸をするのも忘れたように言った。
「……うるせえな、なにを慌ててるんだ」
「だって、あの、腕の怪我は大丈夫ですか!」
「腕? 俺の腕がどうした? なんだ、お前もこいつと同じか」
ブリクサの金属の指は、エンジェルの頭部に埋め込まれたように沈んでいる。白く長い被毛に埋もれた黒い腕を揺らすと、エンジェルはまたも気味の悪い呻き声を出した。
「俺の左腕は、二度と血を流すことはない」
エイジはやっとブリクサの言葉の意味を理解し、安堵の表情を浮かべる。だが、自分の勝手な行動がイザークにもブリクサにも迷惑をかけたことに気づき、恥ずかしさでいっぱいになった。
「そいつは、俺にやらせてください!」
ブリクサに捕えられたエンジェルを差し、エイジは火炎放射器を構える。
「いいぞ、と言いたいところだが、こいつは本部へ持ち帰ることにした。シールドを出せ」
ブリクサは静かにエイジに指示を出した。焦って飛んできたエイジは、まだ指先の震えが収まらず、ボードに装着されたシールドのスイッチボタンを押すのに手間取っている。焦れば焦るほどスイッチの在り処がわからなくなり、エイジは混乱した。
「どうした? 急がなくていい。確実に出せ」
「は、はいっ、隊長!」
もたもたしているエイジを、ブリクサはこっそりと観察した。「『どうしてもブリクサ班に入りたい』という新人がいるんだが……」とは、一週間ほど前にゲンシュウから言われたことだった。
──誰が来たって同じだ。俺たちの仲間になることに変わりはねえ。
ブリクサは淡々とそれを受け入れ、入隊式当日を待った。そして今、目の前にはエイジと捕獲対象のエンジェルがいる。殺さずに持ち帰るのも、B.A.T.の大切な仕事だ。
「おい、まだか」
それにしても時間がかかりすぎている。シールドを取り出すのに十秒以上かけていたら、その間に敵の群れに囲まれることもあるのだ。
「もういいぞ、俺が自分で出す」
「隊長を怒らせたか?」とヒヤヒヤしたエイジは、誤って別のスイッチを押してしまった。それはボードの側面から閃光弾を発射させるスイッチで、強烈な光と爆発で敵の視覚と聴覚を一時的に奪うものだ。エンジェル相手に使用するシーンがあるのかは不明だが、ほとんどクラウスの趣味で付けられていた。
それを至近距離で受けてしまったブリクサは、右手で耳を塞いで首を左右に振った。
「クソっ、お前なにやってるんだ」
「すっ、すみません! ブリクサ隊長!」
エイジの耳も爆発の影響を受けている。ブリクサの声もまともに聞こえないまま、やっと捕獲用シールドを取り出したが、顔を上げてみると、ブリクサの背後には通常型が十体ほどホバリングしていた。