第5話 怒りと殺意
今回エンジェルが発生している地域は、東京湾の臨海地区から陸に向けて放射状に広がっており、その面積はおよそ十平方キロメートル強と、中央区とほぼ同程度の広さだ。
「それほど広範囲なら二千じゃきかねえな」
ブリクサが呟くと、モニターに映ったギデオンとチェンルイが頷く。するとイマヒコが口を開いた。
「街頭カメラとドローンから計算した数は正確ではないわ。あくまで目安としてとらえなければ。私は、少なくともその倍はいると思う」
「だよね、今ごろはもっと詳細な情報が来てると思うけど、やっぱり現場を見ないとなんとも言えないね。ただ殺せばいいっていうんじゃなくて、今回は生体の捕獲と、あとは棲息地を突き止めるっていう目標にしないか?」
チェンルイが人の好さそうな笑顔で提案した。
「よし、そうだな。現場にいる奴らだけを処理してもなんの解決にもならない。奴らの相手は二軍以下に任せて、われわれ一軍は無傷の生体捕獲と、逃がした敵を追尾し、アジトを突き止める。それで行こう。ブリクサもいいか?」
「あぁ、それがいいだろう。とにかく隊員たちに危険が及ばないよう、敵が半数近くに減ったら、イマヒコとチェンルイ班は捕獲へ。俺とギデオンの班は逃がした奴らを追跡する」
隊長会議を聴いていたエイジは、戦いは二軍以下の隊員に任せると知って、全身の血が逆流するような感覚を覚えた。
──こんなにやる気がみなぎってるのに、それはねえだろ!
「隊長! 自分たちは追跡以外に出番はないんですか?」
装甲車の中で立ち上がり、湯気が出そうなほどに上気した顔を向けてくるエイジに、ブリクサはやれやれと苦笑する。
「ばかね、なにを聴いてるのよ! エンジェルが半分くらいに減るまでは私たちも戦うって言ってたでしょ。もうちょっと冷静にならないと、あんた死ぬわよ」
年の近いシアラは、すでに後輩の指導は自分の役目だとばかりにエイジを叱る。
「エイジ、あなたはルーキーの中で最も優秀だと認められて、この班に配属されたのよ。その意味をよく考えなさい」
シアラに続いて副隊長のラウラからも諭され、エイジは気まずそうに俯いたあと、キッと顔をあげた。
「申し訳ありません。奴らを早くぶっ殺したいという気持ちが抑えられませんでした」
謝罪し、正直な気持ちを述べたエイジだったが、ブリクサはそんなエイジを冷たい目で見る。
「そうかい、それじゃてめえも奴らと変わらねえな。ただぶっ殺したい……か」
背中に冷たい水を浴びせられたような想いに、エイジは戦慄した。
──なんでだよ、エンジェルを残らずぶっ殺すっていうのは、B.A.T.の共通認識じゃねえのかよ。
走る装甲車の中で立ったままだと気づいたエイジは、すとん、とシートに腰を下ろした。蒼白な顔で黒い床を見つめ、何が間違っているのだろうと自問する。
「そろそろ着くぞー! みんな、準備はいいか?」
陰鬱な空気を吹き飛ばし、士気を高めようとイザークが大声を出す。
「オーケー!」
「もちろん」
「ばっちり」
シアラ、エル、カルマが声を出す。ラウラとレイは無言で頷き、ブリクサは各軍との最終確認を行っている。エイジだけは頬を強張らせ、ピリピリと緊張感を漂わせていた。
「到着後の配置だが、四軍が該当地域を四分割して地上から突入する。三軍、二軍は上空からの攻撃。俺たちは地域の周囲から攻め込む。それから、ここまで来てやっと数がわかってきたらしい。だいたい四千だ。イマヒコの読みが当たったな。今日の奴らはほとんどの個体が通常よりもかなり小型らしい。体長は九十センチほどで、通常の大きさの奴は全体の五パーセント程度の数だそうだ」
ブリクサの話を聴いていた隊員は、エンジェルのサイズに疑問を持った。突然あらわれた大量のエンジェルは、みな身体が小さいという。それは何を意味するのか、それとも、意味などないのか。
「とにかく、小型の奴らが通常の奴とどう違うのか、別の種なのか成育不良なのか、今日はそのデータ採取もかねて慎重に戦う。皆殺しは禁止だ。必ず生体を捕獲すること。それぞれ捕獲機の準備はいいな。敵の攻撃力も未知数だ。慎重にいけ」
「皆殺しは禁止」と言った時、ブリクサはエイジにチラと視線を向けた。エイジはブリクサの顔を見ることは出来なかったが、鋭利なカミソリのように感じるその視線が、何を語っているのかよくわかった。
──隊長は俺に期待してる。やってやる。必ず期待に応えてみせる!
エイジはわなわなと拳を握り、現場に到着するのを待った。
「よし、シールドを張りながら出て!」
ラウラが叫ぶ。ドアに一番近いシートにいたイザークが飛び出す。続いてシアラ、レイが火炎放射器を構えながら出ていく。
「あんまり気にするなよ、初めはみんなそんなもんだ」
エイジが降りようとステップに片足を踏み出すと、脇をすり抜けながらエイジの肩に手を置いてカルマがそっと耳打ちした。
「はっ、はいっ!」
一人前だと認めてもらえたように感じ、エイジは張り切った声を出す。それを見守る他の隊員も、そっと頷いていた。エル、ラウラ、ブリクサが車外に出る。デビルスーツをまとって戦いの場に立つブリクサの姿に、エイジは身震いした。
──あぁ、やっぱこの人かっけぇ! 見ててください、あなたに認められる男になります!
少し離れた位置に停まったギデオン班の装甲車からも、隊員が続々と降りてきた。
ツヨシ、マティアス、アン、キヨハル、カリタ、ディーノ、オスカー、そして隊長のギデオン。ブリクサ班と同様、小型のエンジェルが大量に飛来したことを警戒しているようだ。ラウラたちが、ギデオン班のメンバーと短い会話を交わしながら出撃の合図を待っていると、四軍のリカルドから通信が入った。
『なんだこいつら、まるで手ごたえがない。どんどん死んでいく。羽化したばかりなのか? いや、しかし蛾は完全変態だ。成虫としてそれなりの大きさになってから羽化するだろう。こいつらはなんなんだ? 不完全変態する新種か? 特殊な武器を使う必要もない。火炎放射器で一発だ。いや、ちょっと待て。あっ、気をつけろ! おいっ、大丈夫か? 通常の奴らは手ごわい。通信を終了する』
プッとリカルドの声が消え、機器からは何も聞こえなくなった。
「新種か成育不全か……。見てみないことにはなんとも言えないわね。それに、そんなにも『弱い』ってどういうことなのかしら」
ラウラが呟くと、カルマが軽い調子で言う。
「奴らのデビュー戦てところかな、デビューの日がハッピー・デス・デイになるなんて、気の毒でもあるね。野外保育かっつうの」
「みんな、レーダーで確認しろ。二百メートル前方から奴らはいる。小型の生体は多めに捕獲したい。今までの奴らと同じ組成なのか、新事実が見つかるのか。捕獲した個体はイマヒコ班とチェンルイ班に引き渡す。ついでに通常のデカさの奴らも捕獲しろ。今日の個体は違うのかもしれん」
ブリクサの指示に、全員が「了解」と叫ぶ。イザークは、エイジをカバーするよう指示され、ふたりはボードを起動させた。
ギデオン班のメンバーも、それぞれボードを準備している。個別に色分けされたそれには、個性を活かした武器が装備されているのだ。無言で空に散っていくギデオン班の背中を見つめ、エイジはふたたびぶるっと武者震いをする。
「じゃあ行くか、操縦は問題ないな?」
「はい、大丈夫です」
エイジはしっかりと頷き、イザークの後について飛び立った。
「では、行って参ります」
ギデオン班のアンがボードで上昇しながら声を出す。マティアスがそれに続き、その指導係であるディーノも飛び立った。ツヨシとキヨハルは別方向へ、カリタは単独で急上昇し、オスカーはギデオンと共にさらに上空を旋回する。
「いいか、フォーメーションを崩さずにいけ。数が多いところには援護に回り、すぐに位置に戻ること。未知の敵がいるかもしれん。慎重にな」
マイクに向けて声をかけるギデオンは、隊員が目の前にいるかのようにやさしいまなざしをする。その声に励まされ、包み込まれるような感覚は、戦場にいる者の精神を安定させ、状況判断力を磨いた。
「発見。降下します。ディーノとマティアス、続いてください」
「了解!」
アンの言葉に、ディーノが声を張る。マティアスも降下の体勢に入り、捕獲用のシールドのスイッチに指を掛けた。
「ディーノ、どうぞ!」
アンがシールドを張るタイミングは今だと叫んだ。
「オーケー、アン。いくよ」
電磁波のシールドは、何の音もたてずに小型のエンジェルを数十体、一度に閉じ込めた。いつもなら、特殊ドリルで開けた穴から爆弾を入れるか、火炎弾を入れて焼き尽くすのだが、今回は捕獲も重要な目的になっている。アンはギデオンに通信する。
「隊長、小型を数十体シールドに入れましたけれど、このままイマヒコ班に渡しますか? それとも今は処理が先ですか?」
「まずは処理だ。もっと敵の数が少なくなってから捕獲でいいだろう。何しろ四千いるらしいからな」
「承知しました。それでは処理いたします」
シールドの中で羽ばたこうとしているエンジェルたちに向け、ディーノの指示でマティアスが爆弾を投下することになった。マティアスは、エンジェルを殺すことを躊躇ってしまうという欠点があったが、それもこの一年で飛躍的に改善され、エンジェルは人間にとって最大の脅威であり敵なのだと、心と行為を一致できるようになった。
ドーム状に張られたシールドの上部に立ち、ドリルで穴を開ける。そうしている間にも、小さなエンジェルたちはマティアスを攻撃しようと、ドーム内をしきりに飛び回っている。
「一瞬で死ねるからね」
中の敵に声をかけ、マティアスが爆弾の先端を穴に差し込もうとした時、素早く飛んできたカリタがボードに乗ってホバリングしたまま、ワイヤーを取り出した。