4話 魅せ技
その後、健吾の拙い言い訳をとりあえず全部聞いた緋乃は、やれやれと軽くため息を吐くと健吾に対して呆れ顔を向ける。
「ま、別にナンパするなとはさすがに言わないけどさー。でも、断られたらさっさと身を引くべきだとは思うよ? 粘ったところで、相手が乗ってくれるわけでも無いんだしさ。お互いに気まずいし、時間の無駄でしょ?」
「はい、その通りっす! ちいと意地になってました!」
「謝るのならわたしじゃなくてあっちの女の人ね」
「うっす!」
緋乃からの指摘を受けた健吾は、最初にナンパをかけていた茶髪の少女――顔立ちから中国系だと思われる――へと向き直ると、力強く頭を下げた。
「足止めしてすいませんでした!」
「あ、うん。わかってくれたらいいネ。それじゃ、ワタシは急いでるからもう行くよ。アリガトね、緋乃!」
「どういたしましてー」
茶髪の少女はあっさりとその謝罪を受け入れると、緋乃に礼を言い、手を振りながらこの場を離れていく。
(なんで自分で追い払わなかったんだろ。見た感じ、結構なやり手っぽいのにね……)
緋乃はそんな少女に対し、男たちへの対応について少々疑問を覚えながらもヒラヒラと手を振り返し――少女の姿が完全に見えなくなったところで、これまで黙っていた和久が口を開いた。
「なあ、本当にアンタみてえなちっこいのが、ここいらの連中のまとめ役をやってんのか……?」
「おいカズ、やめろ。まあ確かにこの人は小柄で細いから、とてもじゃないが戦う人種に見えねえが……マジでつええんだ。なにせ、あのプロも参加してた新世代大会の実質的な優勝者だぜ? 俺らみてえな、アマチュア以下のカスじゃ足元にも及ばねえよ」
「悪いが、俺はTVは見ない派でな。それと、自分の目で見たもんしか信じねえと決めてるんだ」
開口一番、緋乃に喧嘩を売るような発言をする和久。
それを聞いた健吾が慌てて止めに入るも、それを押し退けて、和久は緋乃に向かって歩き出す。
「俺は和久。井上和久だ。つい一週間前にここに引っ越してきたばかりでな。悪いが、アンタに一戦、申し込まさせて貰おうか……」
「へぇ……わたしとやろうってんだ? 生意気だね」
「ハッ、そりゃこっちの台詞だぜ。見た感じ、中学生ってとこだろ? どんだけ強いんだか知らねえが……一応、こっちは先輩だぜ? 少しは年上を敬えや」
向かってくる和久を見てニヤリと、犬歯を剥き出しにした攻撃的な笑みを浮かべる緋乃。
もはや止められる雰囲気ではないということを悟ったのであろう。それを見た明乃と理奈は頭に手を当ててため息を吐くと、緋乃と和久からゆっくりと離れていく。
「敬う? わたしの足元にも及ばない、惰弱で貧弱な虫ケラを? 面白い冗談だね」
「フン、ちいとばかし顔が良いからって調子に乗りやがって……」
そうして歩み寄ってきた和久は、緋乃の眼前にて立ち止まる。
1m程の距離を空け、至近距離にて向かい合う緋乃と和久。
和久の身長は170cmを超えるため、和久が見下ろして緋乃が見上げる形だ。
高まる緊張感に――緋乃たち三人は余裕に満ちているのだが――健吾が唾を呑み、周囲を歩く通行人も立ち止まって緋乃と和久へと目を向ける。
「ふふ……」
「チッ……」
得意気に口元を吊り上げる緋乃に対し、和久は緊張した様子でその額に汗を滲ませる。
場数を踏んでいるが故の直感か、それとも知らないと言ったのは嘘で、本当は緋乃のことを知っていたのか。
なんにせよ、和久は緋乃の事を難敵と認識しているようで――先に仕掛けたのは和久であった。
「っらぁ!」
気合の入った声と共に放たれるのは右の正拳突き。
何かの武術でもやっていたのか、体の捻りを乗せた、基本に忠実な一撃だ。
緋乃と和久の間には、およそ20cm超の身長差が存在する。故に、真正面に繰り出された和久の拳は、前方に立つ緋乃の顔面へ向かって突き進み――。
「甘いね」
パシン、という軽快な音を立て。
あっさりと、緋乃の左手によって掴み取られた。
「ぐっ……! てめ、放し――ごっ!?」
掴まれた手を振り払おうとする和久であったが、気で強化された緋乃の腕はびくともしない。
そうして和久が腕に気を向けたその瞬間。緋乃はその隙を見逃さず、和久の土手っ腹へと拳を叩き込んだ。
「お……お……」
緋乃のボディーブローは和久の腹筋による守りを一瞬で突破。
和久の体がくの字に折れ曲がり、胃の内容物が歩道へとぶち撒けられる。
所詮は自分より弱い相手にしか粋がれない半端者。格上の相手にボコボコにされながらも、必死に喰らいついて逆転するという悦びを知らぬ不良学生ならこの程度だろうと――これまで散々叩きのめしてきた不良たちの耐久度から判断を下す緋乃。
しかしどうやら、今回の相手はこれまでの不良たちより根性があるようだ。
「こ……の……」
「へぇ、耐えるんだ」
緋乃の拳に悶絶し、腹を抑え、よろめきながらもこちらを睨んでくる和久。
その様子から、和久がまだ折れていないことを感じ取った緋乃は関心の声を上げる。
もっとも、だからといって攻撃の手を緩めるほど緋乃は甘くない。
相手がまだやる気だというのならば、完膚なきまでに叩きのめすまでのこと。
「意外とやる、ね」
「な……!」
緋乃は素早く和久との距離を詰めると、真正面からその肩にトンと跳び乗り、そのまま自身の太ももで和久の頭を挟み込み――。
「うにゃあ――!」
「ガッ――!?」
叫び声を上げるとともに、身体を勢いよく後方へと逸らし、そのままバク宙をするかのように一回転。
太ももに挟んだ和久の脳天を、アスファルトへと叩きつけた。