29話 仮病
「――こうしたギフト能力を悪用した犯罪者に対抗するため、1956年。アメリカのニューヨークにて、異能力者管理機構が設立されたわけですね」
(ふわぁ~あ……。退屈ねぇ……)
緋乃が邪教徒殲滅作戦への協力を約束してから数日後の朝。
教科書を読み上げる教師の声を聞き流しながら、明乃は斜め前方にある、緋乃の席へと目を向ける。
しかし、本来ならば小さな親友が座っているはずのその席には誰もおらず。
生徒たちで埋まる教室の中、一つだけぽっかりと空いた空間を見て、一抹の寂しさを覚える明乃。
(あの緋乃が風邪、ねぇ……)
朝、いつものように緋乃を迎えに行こうとした明乃。
しかし、そんな明乃に対し告げられたのは、緋乃が高熱を出したから今日はお休みだという悲報であった。
(朝はついうっかり流されちゃったけど、怪しい……。めっちゃ怪しい……。絶対嘘だわ……)
申し訳なさそうに頭を下げる優奈に押され、その場はついあっさりと引き下がってしまった明乃であったが、今になって考えてみると、怪しいにも程がある。
(あそこまでハイレベルに気を操れる緋乃が、普通の風邪なんて引くわけないし? とうかそもそも、今の緋乃ってば自己再生能力まで身につけてるし、仮に風邪を引いたとしてもすぐ治るでしょ……)
気とはこれ即ち生命力のことであり、この運用法を身に着けた格闘家という存在は、病気や怪我に対する極めて高い抵抗力を持つ。
特に、緋乃ほど高度な気の運用法を身に着けた存在が、ただの風邪に負けるなんてことは普通に考えてあり得ない。
さらにそれに加え、緋乃は魂の何割かが悪魔のそれに近しい状態になっており、その影響を受けて肉体も変質しているのだ。無論、強い方面に。
考えれば考えるほど、緋乃の風邪が仮病であるという答えに行き当たり――明乃はため息を吐く。
(ズル休み……なワケないわよね。緋乃ってば以外と真面目だし、いくら優奈さんが緋乃にダダ甘いとはいえ、さすがにそれくらいは止めるでしょ……。つまり、どうしても外せない、なおかつ、誰にも言えないような用事が入ったって事でしょうね……)
「ではプリントを配るので、一人一枚とって後ろの席に回してください」
表面上では何でもないように授業を受けつつも、内心では急に休んだ緋乃についての疑念を募らせていく明乃。
ただのズル休みならば別にいい。いや、別によくは無いんだけど、まあ別に危ないことをしているわけでもないし、許容範囲内ではある。
しかし、もしこれが、危険な用事だった場合。具体的には、ちょうど今、自分たちが手を出している――。
(たぶん……妖魔関連……よね。急に緋乃が、このあたしに何も告げずに休んで、優奈さんもそれに協力するなんて……)
「ふむ……少し早いですが、キリもいいですから本日の授業はここまでとしましょう。残り五分は休憩タイムです。チャイムが鳴るまで、教室から出たり、騒がしくするのはNG。静かに休憩するように」
(お、ラッキー。ナイスタイミングね)
緋乃が急に休んだ原因。それに当たりをつけた明乃は、周囲から見えないよう、机の影にてこっそりとスマホを構えるとメッセージアプリを起動。
そのまま理奈に今日の件を伝えるメッセージを送る。
(理奈なら、何か情報を知ってるかも……。危ないことに首突っ込んでなきゃいいけど……)
◇
時間は少し進み、同日の午後15:00。とある海沿いの街の高台に、一台の黒いワンボックスカーが止まっていた。
そして、その車の中には、総一郎と六花、そして学校を休んだ緋乃の姿があり――三人は車の中より、邪教徒たちのアジトである別荘を見下ろしながら、作戦開始の時を静かに待っていた。
「準備に手間取っているようだな……。本来なら、14:00には襲撃を開始したかったのだが……」
「人払いの結界と、工事や事故を装った通行止めに交通封鎖。相手に気付かれないようにしなくてはなりませんものね……。前者はともかく、後者はそれなりの手間ですし」
予定よりも遅れた時刻に眉を顰める総一郎と、それをやんわりと宥める六花。
いつ準備完了の連絡が届くのかと、徐々に緊張感の高まる車内の空気。緋乃はそんな居心地の悪い空気を変えるべく、コホンと軽く咳払いをすると、明るい調子を作り出して総一郎と六花の二人へ話題を振る。
「あの別荘ってさ、地下が秘密基地みたいになってて、そこで妖魔を匿ったり強化したりしてたんでしょ?」
「ええ、報告ではそうなっていましたわね。巧妙に偽装されていますが、あの別荘には霊脈からのラインが繋がっていますし……まあ、そうなのでしょう」
六花は不愉快そうに鼻を鳴らしながらも、緋乃の言葉に頷いてみせる。
「うんうん。じゃあさ、もし相手がすごく強い妖魔やら妖怪を繰り出して来たらどうするの? 人払いしてるってことだし、こっちも派手にやっちゃっていいの?」
「まあ、そこら辺は時と場合によるな。あまり目立つような真似は避けて欲しいというのが本音だが――それで負傷したり、敵を見逃してしまっては意味がないからな。危ないと思ったら、いくらでも派手にやって構わんぞ」
「お兄様はこう仰っていますが、限度というものがありますからね? まあいざとなったら、異能犯罪者か魔法使い連中の仕業にしてしまう、という手もありますが、それは本当に最終手段です。ですので、く・れ・ぐ・れ・も、気をつけなさいよ尻尾娘」
緋乃の上げた疑問の声に対し、肯定的な意見を返す総一郎と、逆に釘を刺す六花。
一瞬、どちらの言うことを聞くべきか迷う緋乃であったが――実際にそうなってから考えればいいか、とすぐにその思考を切り上げた。
「貴女の必殺技には、派手なものが多いですからね。特に、あのブレイジングバスターとかいう、超高度落下攻撃なんて――っと」
「む……」
そのまま続けて緋乃に釘を刺そうとしていた六花であったが、その小言は総一郎の胸元から着信音が鳴ったことで打ち切られた。
緋乃と六花の見守る前で、総一郎はスーツの胸ポケットからスマホを取り出すと耳に当てた。
「……私だ。ふむ、なるほど。ご苦労だったな。では引き続き、隠蔽任務に就いてくれ。……ああ、わかっている。そちらも気を付けるのだぞ」
手早く通話を終えた総一郎が、その耳からスマホを離したのを確認すると、緋乃は緊張した面持ちで話しかける。
「作戦、開始?」
「ああ。ようやく全工程が完了したようだ。待たせたな、緋乃。仕事の時間だ」
「やっとですか……。ふふふ、腕が鳴りますわね……」
コートを羽織り、車から降りる準備を整えながら緋乃の言葉に返答をする総一郎。
そして、そんな総一郎を見て、不敵な笑みを浮かべつつ、組んだ手に力を込める六花。
「作戦は覚えているな? 俺たちの仕事は、いるかもしれない相手側の強者に対する抑えだ」
「ん、わかってる。一歩引いたところで待機だよね?」
「そうだ。異変があれば即座に駆け付け、出番が無ければそれでよし。では、行くぞ」
車から降り、別の相手へと連絡を取る総一郎を横目に、緋乃と六花も車から降りた。
緋乃が車から降りると同時に、冷たい海風が吹き荒れ、緋乃の羽織るコートが激しくはためく。
「……風も冷たくなってきてるし、そろそろ、タンクトップも着替えた方がいいかな?」