6話 実地訓練
待ちに待った土曜日、その夕暮れ時。
勝陽市から車で3時間ほどの田舎町に存在する、両隣を雑木林に挟まれた人気のない寂れた道路。そこに緋乃と総一郎の姿があった。
「えっと……ここに妖魔が?」
「ああ。逢魔が時という言葉は聞いたことがあるだろう? 昼と夜の境目。人々の心に巣食う不安が最も大きくなり、また同時に陰の気が高まりだすこの時間に奴ら――妖魔は発生する。いや、進化すると言うべきかな?」
二人の目的は妖魔退治の実地訓練。
妖魔という存在を見たことのない緋乃のために、その倒し方や注意すべき点などをレクチャーするというのが今日の目的だ。
「えっと……。総一郎さんって――」
「『さん』はいらん。総一郎でいい、気軽に呼んでくれ。なんならあだ名をつけても構わんぞ?」
「いや、さすがにそれは難易度高いかなーって。じゃあ、総一郎。総一郎って結構なお偉いさんなんだよね? わたしの訓練なんかに付き合ってて大丈夫なの?」
いくら期待されてるとはいえ、退魔師たちを取り纏める名家の次期当主とも呼ばれる男がペーペーの新米である自分なんかに構っていていいのかという当然の疑問を抱いた緋乃。
そんな緋乃に対し、総一郎は薄く微笑みながら口を開く。
「構わんさ。俺が対処すべき案件は、既に全て終わらせてきた。それに、俺にとって今一番重要なのは――お前の好感度稼ぎだからな」
「ふふっ、そっか。でも、わたしの攻略難易度はすごく高いよ?」
「構わんさ。困難な壁ほど乗り越えがいがあるというものだ」
妖魔出現までの暇つぶしとばかりに、にこやかに会話を続ける緋乃と総一郎。
そんな二人を物陰からこっそりと盗み見る二つの影があった。
「ぐぬぬ、あの小娘ぇ……。ちょっとお兄様との距離近すぎでしょう……? 少しは恥じらいとかそういうのはないんですの……!?」
「うわー、凄い顔。鬼の形相ってこういうことかー……」
つい先日、緋乃に戦闘者としての格の違いを嫌というほど叩き込まれた大神六花と、緋乃の大親友にして、最大の理解者を自任する明乃である。
「それにしても、まさか六花さんからあたしに連絡が来るとはね……。言っとくけど、緋乃に悪い事をしようってのなら容赦しませんよ? どんな手を使ってでも邪魔しますから」
「ふん、その点については安心していいわよ? ぶっちゃけもうあの娘の相手は懲りたし――お兄様とお父様からも大目玉を食らっちゃいましたからね……。うう、尻尾怖い尻尾怖い……。ああ、骨がミシミシ……」
緋乃に一方的に痛めつけられたのがトラウマと化しているのか、両腕でその身体を抱いてカタカタと震える六花。
そんな六花を見た明乃はため息を吐くと、再び緋乃と総一郎の観察を再開するのであった。
「理奈ならともかく、あんなぽっと出の奴に緋乃を渡してなるもんか……!」
◇
「……しゅん!」
「ふ、可愛らしいくしゃみだ」
「うう、これはあれだよ。きっとどこかで、誰かがわたしを褒め称えてるに違いない……」
「それは困るな。俺の仕事が減ってしまうでは――む、来たか」
総一郎の注意を受けた緋乃が気を引き締めて前方を注視すると、まるで巨大なレンズでも設置したかのように雑木林の一部が歪む。
それを見た緋乃が息をのみ、アクセサリーのように太ももへ巻き付けていた尻尾を開放して戦闘態勢を取る。
「では実地訓練の開始と行こうか。わからないことがあったらその時点で質問してくれ」
「うん」
「よし、ではまず一つ目。妖魔の発生前にその現場にたどり着けた場合は人払いの術式、あるいは呪符や呪具を用いて一般人の侵入を阻止。今回はもう俺がこのあたりに結界を張っておいたから使う必要はないが、もし一人で討伐を行う場合は忘れないでくれ」
「わかった」
総一郎の教えに対し、素直に頷く緋乃。
「もし発生前に現場へとたどり着けなかった場合も、基本は人払いからだが――妖魔が逃げようとしていたら、先に討伐してしまっても構わん。そして、もし人払いが間に合わなかった場合や、一般人の前で妖魔が発生してしまった場合。この場合は臨機応変としか言いようがないな。一般人に被害が出ないことを最優先とし、隠蔽は二の次だ」
「人優先ね、わかった」
再び緋乃が頷くと、ちょうどそのタイミングで歪みが小さくなり――その歪みの中から緑色の肌をした、全長2.5mほどはあろうかという一つ目の巨人が姿を現した。
「えっと……。サイクロプス……?」
妖魔というので和風の怪物をイメージしていた緋乃であるが、実際に目にした妖魔の姿はゲームなどでよく見る、ある意味で緋乃にとっても馴染み深いものであった。
思わず困惑の声を上げてしまう緋乃であったが、総一郎がその現象についての解説を入れる。
「妖魔の外見は人々のイメージで変化する。昔はもっと妖怪然とした奴らが見られたらしいが、最近はテレビゲームの影響やらでこういう外見の奴らが増えてきてな。直近だと次元の悪魔事件の影響でメカっぽい妖魔も見られるようになってきたぞ?」
「そっか……。人々の思念が素材だから、みんなの意識する魔物のイメージに引っ張られるんだね……」
「そういう事だ」
緋乃と総一郎が語り合っている間に、歪みから完全に出てきたサイクロプス。
それは周囲をきょろきょろと見回すと、自身の獲物であり怨敵でもある退魔師――強い陽の気を漂わせる人間を発見して雄叫びを上げた。
「こちらに気付いたな。では二つ目だ。普通に退治――と言いたいが、ここで注意が一つ。妖魔とは実体を持ってこそいるものの、基本的には陰の気の集合体だ。故に通常兵器や気の込められていない打撃は利きが悪い。陽の力である霊力――即ち、気を用いた攻撃を心掛けろ。まあ、膨大な気を持つお前に言うべきことではないか」
サイクロプスは手近にあった街路樹を手ごろな大きさにへし折り、即席の棍棒を作るとそれに黒い瘴気のようなもやを纏わせる。
恐らくは妖魔流の武装強化なのだろう。それを見た緋乃の目が細められ、その武装強化に対抗するかのように気を纏う。
「ほう、尻尾は使わないのか?」
緋乃とサイクロプス、互いの距離は30m程度。
尻尾を伸ばせば安全に、かつ一方的に攻撃できる距離ではあるが、それをせず構えを取る緋乃を見て総一郎が疑問の声を漏らす。
「尻尾は強いけど、加減が効きにくいから……。まずは妖魔の動きとか耐久力とか、そういう基礎スペック的なのを見たい」
緋乃の回答を聞いた総一郎はなるほどと頷く。それと同時に、サイクロプスが先ほどより大きな雄叫びを上げ――緋乃目掛けて一気に走り出す。
「では戦闘開始だ。怪我をしないよう気をつけるんだぞ」
「うん!」
総一郎は緋乃の戦闘の邪魔にならないよう、サイクロプスから距離を取るように跳んで後退。その場には構えを取る緋乃のみが残された。
それを見て各個撃破のチャンスとでも思ったのか、緋乃へと駆け寄ったサイクロプスがその右手に握る即席棍棒を大きく振りかぶり、緋乃の頭部目掛けて勢いよく振り下ろし――。
「遅い」
誰もいない地面へと、その棍棒が突き刺さる。