49話 最後の一撃
『グアアァァァ!?』
「この……! よくも明乃を……! よくも理奈を……! 死ね、死ねぇっ!」
目の前で親友を殺されかけた怒りで脳のリミッターが外れたのだろう。先ほどまでよりさらに大きな気を纏った緋乃がゲルセミウムをひたすらに殴りつける。
その拳が突き刺さるごとにゲルセミウムのボディに罅が入り、その蹴りが炸裂するごとに砕けたボディから小さな欠片が零れ落ちる。
怒り狂う緋乃の勢いは凄まじく、魔力砲で消耗した直後ということもあってゲルセミウムは防戦一方だ。
『グ、グゥ……。何という力、貴様本当に人間――!?』
「は、じ、け、ろォ!!」
『ガアアアァァ!?』
殺意を剥き出しにして襲い掛かる緋乃を前に、ゲルセミウムがついに怯えの籠った声を上げ始めたその瞬間。
緋乃はゲルセミウムの顔面を鷲掴みにするとそのまま体を大きく捻り、反対側の地面へと勢いよく叩きつけ――それと同時に気を流し込んでゲルセミウムの顔面を爆破。
その一撃はゲルセミウムの顔面を大きく抉り――黒一色で染まったその中身を曝け出させた。
『ク、クソッ。見かけに反し何という狂暴性……! ここは一旦引くべきか……!? いや、しかし……』
失った肉体を即座に再生しつつ、躊躇いつつも緋乃から距離を取ろうとするゲルセミウム。
しかし、大地を蹴ろうとしたその足が不意にふわりと浮き上がり地面から離れ――。
「逃がさない……! 逃がすものか……!」
『重力操作!? しまっ――ウゴアァァ!?』
その原因に気付いたゲルセミウムが大慌てで声を上げ、地面へとワイヤーを撃ち込むことで体勢を立て直そうとするが――それよりも前に、追い縋ってきた緋乃の前蹴りがゲルセミウムの胴体へと炸裂。
ゲルセミウムは猛スピードで吹き飛び――スタジアムの外壁へと叩きつけられた。
『ウ……グ……。クソッ、せめてマトモに復活さえできていればこのような……』
「はーっ! はーっ! お前は、ここでわたしが……!」
『クッ……。まさか、ここまで強い人間がいるとはな……』
(不味いね、ちょっとキツくなってきた……。時間はもうあまりない、か……)
一見すると緋乃が一方的にゲルセミウムを痛めつけているかのように見えるこの状況。
しかし、緋乃のパワーアップは怒りにより脳内のリミッターが外れたことに起因するものであり、生存に必要なエネルギーをも燃やして発揮している一時的なものでしかない。
故に、緋乃に残された時間は残り少なく――逆に、素の能力で緋乃を上回るゲルセミウムの方が圧倒的に有利なのだ。
それを知る緋乃はゲルセミウムを早く仕留めようと渾身の一撃を繰り返していたのだが……相手の耐久度が予想以上に高かった為、中々致命傷を与えられずにいた。
(殴っても蹴っても駄目。仕留めるにはもう、あのケルベロスを倒した新必殺技しかない。でもあんな大技を当てる隙なんてコイツには無いし、隙を作ろうにもそこまでのダメージを与える技がない。せめて何か武器でも――ん、武器?)
目の前の敵をどう倒すか施策を巡らせていた緋乃の脳裏に、一つの考えが浮かぶ。
武器が無い? いや、丁度いい武器があるじゃないか。両腕の先端に、それぞれ一つづつ。とっておきの武器が付いているじゃないか。
(ふふ、ふ……! いける、これならいける! 後はわたしの生命力が持ってくれさえすれば……!)
『聞け。強く、美しい娘よ。我から提案がある』
「提案? 一体どんな……?」
緋乃がゲルセミウムを仕留める算段をつけると同時に、ゲルセミウム側から緋乃へと話しかけてきた。
別に無視してもよかったのだが――いや、むしろ気の消耗を抑えるために無視するべきだったのだろうが――目の前の悪魔が一体どのような提案をしてくるのかが気になった緋乃は、とりあえずそれを聞いてみることにした。
『我が妻となれ』
「……は?」
てっきり財や力を与えるから見逃せなどといった、ありふれた命乞いのような提案が飛び出してくるかと思っていた緋乃であったが……いざゲルセミウムから飛び出してきた言葉を聞いて完全に固まった。
(求婚……? え、わたしプロポーズされてる? なんで!?)
『このまま闘いを続けては、我もお前もただでは済むまい。美しさと強さを兼ね備えるお前は、ここで失うには惜しい存在だ。我と同格の存在としてお前を認めよう。眷属などという上下関係ではなく、対等の存在としてお前を扱おう。――我の元へ来い、娘よ。我と共に、永遠の時を過ごそうではないか。我と共に、思うがままに力を振るおうではないか』
「ああ……、そっちね……。そういう事ね……」
『……? 返事を聞こう。我が提案、受け入れるか否か』
あまりに予想外の言葉を聞いて混乱した緋乃であったが、続く言葉を聞いてゲルセミウムの真意を理解した緋乃が気の抜けた声を出した。
妻って言うから私に惚れたのかと思ったじゃん。ただの同盟のお誘いじゃないか紛らわしい。
まあ永遠の命というのは確かに魅力的だが、明乃と理奈も一緒じゃなければ意味はないしーーなにより、ほんの数十秒前まで命がけで殺し合っていた相手を信用するほど自分は愚かではない。
そこまで考えた緋乃は、ゲルセミウムを睨みながら己の意志を告げた。
「やだ。いくらなんでも信用できない。それに、お前は明野と理奈を――わたしの大切な、本当に大切な友達を殺そうとした。絶対に許せない」
『そうか……残念だ……。ならば仕方ないな――死ぬがよい!』
「それはこっちの台詞――ッ!」
交渉決裂と同時に繰り出される、ゲルセミウムのワイヤー刺突攻撃。同時に繰り出すのではなく、隙を埋めるよう連続で繰り出されたその攻撃を緋乃は拳で迎撃、あるいは受け流しつつゲルセミウムへと近づいていく。
そうしてワイヤーの槍衾をやり過ごした緋乃に対し、今度はゲルセミウム本体から拳打が繰り出される。緋乃はこれも身を大きく屈めることでかわし――。
「とっておきだよ。食らえ――!」
『何!? ――ギッ!?』
自身の指へと帰ってくるダメージを一切考えない、渾身の貫手をゲルセミウムの腹部へと叩き込んだ。
ボキボキと指の骨が折れ、激しい痛みが襲ってくる。指がぐにゃぐにゃに曲がる気持ち悪い感触が伝わってくる。
「ぐ、うぅぅ……!」
緋乃は涙目になりながらもそれらの感覚に必死に耐え、ゲルセミウムの体内に己の手首から先を全て侵入させ――自身の制御限界を遥かに超える量の気をその手へと流し込み、起爆した。
「あ゛あ゛あ゛あ゛ぁぁぁぁぁぁ!?」
『グガアアアアアア!?』
緋乃は手首から先が弾け飛んで無くなる痛みから。ゲルセミウムは体内にて大爆発が起こり、腹部がごっそりと吹き飛ぶ痛みから。お互いに悲鳴を上げ――それでも緋乃は止まらない。
(痛い、痛い、痛い! だけど――どんな痛みが来るのかがわかってれば、耐えられる!)
気で痛みを軽減する技術――それを突き抜けてとんでもない痛みが襲ってくる。
でも、それがどうしたというのだ。このくらいの怪我なら多少時間はかかるものの別に治るんだし――それに何より、ここでこの敵を倒さないと自分は死ぬんだ。
命と手。どちらが大事かと言われたら、命の方に決まってる!
「うおおおおぉぉぉぉ! ――吹っ飛べええぇぇぇ!」
「――――!?!?」
緋乃は必死に後ずさるゲルセミウムを追いかけ――その腹に空いた大穴の中に、残った左手も突き刺した。
そうしてそのまま、より多くの肉が残る胸側へとその手を潜り込ませ――右手と同様に起爆。自身の手もろとも、再びゲルセミウムの肉体を大きく消し飛ばす。
もはや悲鳴を上げる余力も無いのか、爆発の勢いで後方へと吹き飛んで仰向けに倒れるゲルセミウム。
(あ、これヤバ――ううん、もうちょっと。あともうちょっとなんだ……! だから、まだ倒れるわけには……!)
そして、それと同時に猛烈な脱力感が緋乃を襲う。これまでの戦闘において、あまりにも多くの気を消費しすぎたのだ。
しかし、それでも緋乃は止まらない。今更止まるわけにはいかない。
今ここで倒れてしまえば、これまでの全てが無駄になってしまうのだから。
「これでっ――!」
『ここ……まで……か……』
緋乃は飛びそうになる意識を必死に繋ぎ止め、重力を反転させると同時に大ジャンプ。一気に天高く飛びあがると、そのまま右脚を掲げてそれに腕を絡ませ――脚を掲げた状態で固定する。
自身を一本の杭と見立てた緋乃は、そのまま全身を覆うように気を纏うとすかさず限界まで重力を引き上げる。そうして猛烈な勢いで落下していき――。
「終わりだあぁぁぁぁ――!!」
『み、見事……だ……。あぁ……美し――』
着弾。スタジアムの残骸もろとも、ゲルセミウムを――次元の悪魔とも呼ばれ、恐れられたそれを消し飛ばすのであった。