37話 楽しい深夜徘徊
「緋乃選手! 勝利おめでとうございます!」
「おめでとうございます! 素晴らしい試合でしたね!」
「なんでもいいから一言お願いします!」
「最後の大技、すごかったですね! 何か技名とかはあるのでしょうか!?」
「うわっ……! え、ええと、その……」
試合を終え、スタジアムから出た緋乃を待ち構えていた記者たちが取り囲む。
パシャパシャと大量のフラッシュが焚かれ、眩しそうに目を細める緋乃。そんな遠慮というものが感じ取れない記者たちに対し、不機嫌そうに眉を顰める明乃と理奈。
「あの、緋乃ちゃんは試合を終えて疲れて――」
「緋乃さんのお友達ですね! いやー、随分と可愛らしいお友達だ! 三人で並んでいるととても絵になる!」
「お友達の方もポーズお願いします!」
「緋乃選手、何か一言!」
「――えへへ、可愛いだって明乃ちゃん! 褒められちゃったよ!」
「何一瞬で懐柔されてんのよ! ええい、強行突破よ緋乃!」
「がってん」
緋乃は行く手を塞ぐよう伸ばされる記者たちの手をするりと掻い潜ると、そのまま自身の名を叫ぶ記者たちを背に駆け抜ける。
そうして記者たちが緋乃に気を取られたその隙に、明乃が理奈をその腕に抱えて大ジャンプ。記者たちを飛び越えると、緋乃の背を追いかけた。
「へへーん! 悪いわねおじさんたち!」
「いい試合でした! またやりたいです! 技名はまだ考えてません!」
「律儀だね緋乃ちゃん……」
呆然とこちらを見やる記者たちを煽る明乃と、先ほどされた質問についてとりあえず答える緋乃。
我を取り戻した記者たちが追いかけてくるその前に、三人は自分たちの泊まるホテルへと向かい駆け出すのであった。
◇
(眠れない……)
その日の深夜。夕食後に一眠りしてしまったことが災いし、0時を超えても眠りにつくことが出来なかった緋乃がむくりとベッドから起き上がる。
いつもなら抱き着いた上で足まで絡めてくる明乃だが、今夜に限っては珍しくキチンと寝ていたのでスムーズに起きれた緋乃。
そんな緋乃は、寝ている二人を起こさないよう細心の注意を払ってパジャマからショート丈のキャミソールとホットパンツに着替えるとルームキーを持って部屋から出た。
「ふー、いい風……」
ホテルの外にて、夜風を浴びながら散歩をする緋乃。
夜遅くに出歩くという、まるで不良みたいな行為に弾む心を抑えながらホテルの周囲を散策していた緋乃は、まるで人目を避けるかのように移動するローブ姿の怪しげな人影を発見した。
(む……。怪しい……)
植え込みの陰を隠れるかのように駆け抜けるその人影を見て、目を細める緋乃。
この大会の背後に蠢く者たちが存在するということを知っている緋乃は、即座にその人影を暗躍する魔法使い一派の手の者と判断。
もしかしたらただの泥棒やたまたま通りがかっただけの一般人なのかもしれないが、的中率4割を誇る緋乃の感がその可能性はないと告げていた。
(……ふっ。不知火緋乃、これより不審者の追跡と捕縛に移ります……!)
もし魔法関係者なら、捕まえて理奈の両親の元へ突き出せばきっと喜んで褒めてくれるに違いない。
魔法関係者でなければ……まあ、疑わしきは罰せよということで、泥棒みたいな行動をする方が悪いとでもゴリ押そう。
理奈の両親からよくやったと褒められ、そんな自分を尊敬の眼差しで見る明乃と理奈。
――そのような明るい未来を幻視した緋乃は、音もなく不審者の追跡を開始した。
「ふぅ。ったく犬飼のヤローめ、人使いの荒い……。ていうかなんで『蛇』に所属する俺があんな犬臭いヤローのお使いなんぞをせにゃならんのだ。手前の所の人間使えってん――」
「こんばんはー。いい夜だね、おじさん」
ホテル横の雑木林に紛れながら愚痴のようなものを零す不審な男。
その男の背後より、ニコニコと笑顔を浮かべた緋乃が姿を現して話しかける。
「なっ!?」
突然背後から話しかけられたことで、大慌てで男が振り向いた。警戒した様子を崩さぬまま、突然話しかけてきた少女――緋乃の姿を確認した男の目が驚愕に見開かれる。
「お前は……まさか!」
「ねぇねぇおじさん。今おじさんさ、『犬飼』とか『蛇』とか言わなかった?」
ニコニコとした笑顔を崩さぬまま――その目は全く笑ってはいないのだが――男の反応を無視して語り掛ける緋乃。
そんな緋乃に対し、男は焦った様子で言い訳を口にするのだが――。
「チッ……。聞き間違いじゃねえのか? ほらほら、ガキはもう寝る時間だぞ。とっとと帰って――」
「せいっ……!」
「――うおぉ!? こ、このガキ……!」
「あれ? 避けるんだ今の。へー、意外とやるね」
間一髪。偶然にも顔面を狙って放たれた緋乃の蹴りを回避することに成功した男が声を荒げる。
しかし、男の怒りを受けてもなお緋乃の表情は涼しげだ。
「テメェ……! 丁度いい、テメェを手土産に戻れば俺は出世確定だ……! 悪く思うな――あっ?」
そんな圧倒的な余裕を見せつけてくる緋乃に対し、男がさらに声を荒げながら緋乃に向かい手を伸ばそうとした瞬間。異変が起こった。
「――これはっ!?」
緋乃の眼が一瞬輝いたかと思うと、男の体がほんの一瞬ではあるがふわりと浮き、その足が大地から離れ――。
「ちぇりゃ!」
「ぎゃふ!?」
その隙を見逃さず、男との距離を詰めた緋乃が今度こそその顔面を蹴り飛ばす。
無様な悲鳴を上げながら吹き飛び、ゴロゴロと転がる男へと歩み寄りながら緋乃が声を上げた。
「抵抗は無駄だよ。大人しくわたしと一緒に来てもらおっか? こっちには、『正義の魔法使い』がついてるんだからね」
「あが、おぉ……。ぎぃ……。ち、ちくしょ……! このっ……!」
「へぇ? まだやるんだ。――それっ!」
「あびぃ!?」
緋乃からの降伏勧告を無視し、性懲りもなくその手をこちら側へと向けてくる男に対しもう一度蹴りをプレゼントすることでその心を折りにかかる緋乃。
まるでサッカーボールのように蹴り飛ばされた男が地面を転がり、生えていた一本の木にぶつかりその動きを止め――。
「はいトドメっと」
「ひっ! や、やめ――!」
その意識を奪わんと、三回目の蹴りを叩き込まんと緋乃がその足を振りかぶった瞬間――。
避けられぬ破滅を前にして、潜在能力が目覚めでもしたのだろうか。
男の瞳に一瞬だが緑色の魔法陣が浮かび上がったかと思うと、そこへ怪し気な濃いピンク色の光が宿り――。
「ほよ? はぇ…… ? ほぉ……」
「てく……れ……?」
その怪しく光る瞳と緋乃の瞳が合った瞬間。急に目をとろんとさせてふらつき出す緋乃。
それを見て最初は困惑した様子の男だったが、力なく首を傾けながらぼんやりとした顔で男を見つめる緋乃の姿を確認した瞬間。男は笑い声を上げだした。
「ひ、ひひひひっ、ひひっ! うひひひひひひ! このクソ餓鬼が! 驚かせやがって! この馬鹿が! このっ! はぁ……。はぁ……。……にしてもさすがは俺だぜ。この土壇場で無詠唱呪文を成功させちまうなんてな……」
男は独り言を呟きながら、自身の言うがままの人形と化した緋乃の頬を撫で回す。
「こいつを献上すりゃあ、うちの女王様も大満足にちげぇねえ。計画もスムーズに進められるだろうし、俺の出世はもはや確定……! 幹部だってワンチャンあるかもしれん! ぐふ、ぐふふふふふ!」
その顔を下品に歪めながら、汚い笑い声をあげる男。
ひとしきり笑い満足したのか、やがて落ち着きを取り戻した男は自身の成果たる緋乃へと目をやる。
「……にしてもこのガキ、本当に見てくれはいいな。ふむ……」
人形のように端正な顔立ち。余分な肉のついてない、すらりとした肢体。きめ細かい肌にはシミ一つなく、街灯の光を反射して陶器のように輝いている。
これまで生きてきてそれなりに多くの女を見てきたつもりの男だが、そんな男でも見たことのない極上の美少女。
――そんな美少女が今、自分の手の内にある。
今ならこの美少女に対し、どんなことでもやらせることができる。
「…………」
無言で緋乃を見つめていた男が唾を飲み込む。そしてその手が控えめに膨らむ緋乃の胸へと伸び――。
「このド変態がー! 私の緋乃ちゃんに何するつもりだーっ!」
「おごおおーっ!?」
緋乃の異変を察知し、大慌てで駆け付けたパジャマ姿の理奈の飛び蹴りが男の顔面に炸裂した。
勢いよく吹き飛び、地面を転がる男を尻目に理奈は緋乃に掛けられた精神操作を解除。意識を失い、くずおれる緋乃を優しく抱きとめると安堵の息を漏らす。
「あがが、クソっ! 次から次へと……!」
「うるさいよ。このクズがっ!」
その顔を赤く染め、怒り心頭といった様子で立ち上がる男に対し殺意の籠った冷たい目線を向ける理奈。
理奈は素早く懐から名刺サイズにカットされた羊皮紙を取り出すと、そこに魔力を込める。すると、羊皮紙に書かれた文字が赤く発光して燃え上がる。
これは羊皮紙にあらかじめ魔方式を書き込んでおき、魔力を通すことで呪文詠唱の代わりとするものであり――呪文発動簡略化媒体などと呼ばれる、現代の魔法使いが魔法を発動させる際に使用する、使い捨ての魔導書だ。
「あぎいいいぃぃぃぃ!?」
カードを使用して魔法を発動した理奈のすぐ側に鈍く輝く杭のような物体が数本現れたかと思うと、それは超スピードで発射されて男を串刺しにする。
飛来した杭に胴体と脚を貫かれ、情けない悲鳴を上げながらのたうち回る男だが、その体からは血の一滴すら流れていない。
――幻痛の杭。対象の肉体は一切傷つけることなく、ただ痛みのみを与える魔法。暴徒の鎮圧や捕縛に……そして、拷問を目的として生み出された魔法だ。
「許さない……! 絶対に許さない……! よくも、よくも緋乃ちゃんを……!」
「おっごおおおお!? あがあああ!?」
怒り狂う理奈は再び懐からカードを取り出すと魔力を込め、男を幻痛の杭で串刺しにし、またカードを取り出し――。
「あ、あぎ……。ごおぉぉ……」
「はーっ……! はーっ……!」
何度それを繰り返しただろうか。
息を荒くする理奈の前にて、涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにし、その股間を自ら垂れ流した汚物で汚した男が痙攣しながら転がっていた。