34話 プロとの戦い
「てりゃあぁぁ!」
「なっ!?」
試合開始と同時にその身に眠る膨大な気を解き放った緋乃は、翼との間にあったおよそ10mほどの距離を一瞬で詰めるとその勢いを利用し、翼の腹部目掛けて蹴りを繰り出した。
緋乃の身を覆う膨大な気を見てか、それともその圧倒的な速度を見てか。翼は驚愕した様子で目を見開くと、大慌てで防御態勢を取り――その直後。掲げた両腕に緋乃の蹴りが直撃する。
「ぐうぅぅぅ!?」
流石はプロと言うべきか、常人ならば胴体が千切れ飛び、アマチュアレベルでも即死は免れないであろうその一撃を受け止める翼。
しかしその衝撃で勢いよく後方へと吹き飛ばされ、もんどりを打って倒れてしまう。
素早く立ち上がったことからも命に別状はなさそうだが、緋乃の一撃を躱すのではなく受け止めてしまった代償は大きかった。
『きょ、強烈ー! 試合開始と同時に緋乃選手が仕掛けたァー! 強烈な蹴り、強烈な蹴りです! 翼選手がボールのように吹き飛びました!』
「ぐっ……! 痛ッ!?」
「ふふっ、その反応。逝っちゃったね? 右腕……」
「……さて、どうだろうね?」
翼が右腕を動かそうとした瞬間、その顔を歪めたのを目ざとく見つけた緋乃はニヤリと笑いながら声を上げる。
緋乃のその言葉に対し強がりを返す翼であったが、右腕を動かすたびに脂汗を流すその姿を見れば答えは一目瞭然だ。
「まさかここまでとはね。まったく、予選の時はどんだけ手を抜いていたんだい?」
「別に手は抜いていないよ。ただ、相手のレベルに合わせていただけ」
「まあ、確かに。予選でこんなんやられちゃあ、確実に死人が出るか……」
「そうそう。……ところで、時間稼ぎはもう十分?」
「あ、バレた? できればもうちょっと待ってくれない? まだ腕が痺れててねぇ」
「いやだよっ!」
時間稼ぎの会話を強制的に打ち切った緋乃は、再び翼目掛けて超高速で接近。
試合開始直後と同様。再び助走の付いた蹴りを叩き込まんとする――と見せかけ、翼の背後へと回り込むとその側頭部目掛けて拳を放つ。――だが、しかし。
「甘いッ!」
「……ッ!」
その動きを読んでいた翼は軽く身を屈めて緋乃の拳を回避すると、そのまま向き直る動きを利用して拳を振るう。
慌てて腕を掲げ、その反撃を防ぐ緋乃。しかし、これで攻守が逆転した。
翼は緋乃の顔面へと素早く拳を叩き込むと、緋乃が怯んだ隙にその機動力を少しでも奪わんとローキックを繰り出す。
「くっ……!」
「ッ!? 硬いなっ!」
翼のローキック自体は緋乃の左脚に直撃。その衝撃で緋乃の体勢を崩すことには成功した。
だが、しかし。緋乃が鎧のように全身へと纏う膨大な気によりそのダメージの大半は減衰し、緋乃本体へは僅かなダメージを与えるにとどまった。
「はあああぁぁ!」
「むぅ!」
そのまま体制を崩した緋乃に対し連続で拳と蹴りを繰り出し続ける翼。
その大半は緋乃に回避、あるいは防御されるのだが、少ない数ながらも一応は緋乃へと命中する。だが――。
『翼選手、ラッシュだぁー! だが右腕が動いていない! 動いていないぞ! 緋乃選手の初撃を受け止めた際に負傷したのか!?』
利き腕ではない拳では緋乃の纏う気を貫くことができず、貫ける可能性のある蹴りは当然のごとく緋乃にマークされており、徹底的に弾かれるか回避される。
「クソッ……!」
攻めているのは翼だ。しかし、翼自身も緋乃への有効打が無いことを理解しているのだろう。悪態をつきながらその顔を歪め――。
焦りからか、その攻めがほんの一瞬だけ緩んだその瞬間。その一瞬の隙を緋乃は見逃さなかった。
「そこっ!」
「ぐ!? なにをっ……!」
『おっと! 連撃の合間を縫って緋乃選手が翼選手の顔面を掴んだ―! 一体何をする気だー!?』
緋乃の小さな手の平が翼の顔面を鷲掴みにし、その視界を奪う。
パンチやキックのような打撃技でも、掴んで投げ飛ばすわけでも無いその行動へ疑問の声を上げる翼であったが、流石というべきか。すぐに気を取り戻したようで、がら空きとなった緋乃の脇腹目掛け拳を振るう。
「このっ!」
「無駄だよ」
しかし、その拳が緋乃へと届くその前に。
翼の顔面を掴む緋乃の手の平から眩いまでの白光があふれ出し――。
その直後、リング上を白い閃光が駆け抜ける。
それに一瞬遅れて会場内へ轟音が響き渡り、爆風が吹き荒れた。
『うおおおおぉぉぉぉー!? なんだこれ!? なんだこれはァー!? 凄まじいぞッ! 凄まじいまでの大爆発だぁー!』
「すっご……。これが緋乃ちゃんの本気……?」
『信じられません、信じられません! こんな技見たことない! これが、これが緋乃選手の真の切り札なのか!? いやそれより翼選手は無事なのかー!?』
混乱した様子で叫ぶ実況と、悲鳴や怒号が飛び交う観客席。
そんな周囲の騒がしい様子には目もくれず、ビデオカメラを構えたまま目を丸くして、思わずといった様子で呟く観客席の理奈。
「まだ上はあるけどかなり真剣ね。緋乃が制御できるギリギリの威力ってとこね。これ以上は威力の調整が出来なくてガチで殺しちゃうってことで封印してるのよ」
「まだ上あるんだ……。すっごい……」
その理奈の呟きに対し、真剣な表情をした明乃からの補足説明が加えられた。
それを受けた理奈は感心のため息を漏らすと、そのまま緋乃の立つリングへと熱い視線を送る作業へと戻った。
頬を上気させ、潤んだ瞳で緋乃を見つめ続ける親友へと苦笑しながら、明乃もリング上の緋乃へと視線を集中させる。
『ああっ! 翼選手倒れてる! 倒れています! 無事なのでしょうか!?』
緋乃の起こした爆発により巻き起こされた煙が晴れると、その中から倒れ伏した翼と無言で立ち続ける緋乃の姿が現れる。
レフェリーが大慌てで翼に駆け寄り、その安否を確認する。
翼の胸が上下に動いていることを確認したレフェリーは大きく頷くジェスチャーをしたかと思うと、腕を振り上げてカウントを開始した。
「カウント1!」
レフェリーがカウントを開始したのを見て、落ち着きを取り戻した観客たちから再び歓声が上がる。
翼を応援する声、心配する声。そのまま寝てろと緋乃の応援をする声に、リングを無視して先ほどの緋乃の技について語り合う声まで様々な声が上がり、会場内が喧騒に包まれる。
「今夜のネットは面白いことになりそうね。実況板とかどんな感じかしら……」
思わずといった様子でカバンからスマホを取り出す明乃だったが、そのまま数秒ほどスマホの黒い画面を見つめると再びカバンへと仕舞い込む。
ネットの確認は後からでもできるということで、緋乃の試合を見届けることを優先したのだろう。
そうして明乃の見守る前でレフェリーによるカウントは進んでいき――。
『ゴングです! 試合終了ゥー! 勝者、不知火緋乃選手! 第二回戦へ進出です!』
そのまま翼が立ち上がることはなく、試合終了のゴングが鳴った。
観客たちから歓声や悲鳴が上がると共に、実況が勝者である緋乃の名を高らかに叫び上げる。
意識のないままタンカに載せられて退出する翼と、蓋を開けてみれば大したダメージを受けていなかった緋乃が悠々とリングを後にする。
『それにしても凄まじい試合でした。素晴らしい試合でした! 両選手に惜しみない拍手が送られています!』
激闘を演じた二人の選手に対し、拍手の雨が降り注ぐ。
二人が姿を消した後も、その拍手はしばらくの間鳴り続けていた。
◇
スタジアムの地下に、まるで隠されるかのように作られたモニタールーム。
薄暗いその部屋にて、これまでの全試合をモニターしていた黒いスーツを着た強面の男――犬飼仁が頭をガシガシと掻きながら、困ったような声で独りごちる。
「つえーとは思っていたがまさかここまでとはな。……やべえな、失敗したかもしんねぇ。推薦しない方が良かったかもなぁ。……あんたはどう思う?」
ギィ、と座ったままの椅子を回転させて部屋のの入り口へと向き直る仁。
すると部屋のドアがガチャリと開き、その顔に優しげな笑みを貼り付けた一人の男が入ってきた。
その男の顔を見た仁は軽く鼻を鳴らすと、再びモニターへと向き直る。
仁はそのまま両手を頭の裏で組むと、やる気のなさそうな声で背後にいる男へと語りかけた。
「あんたのオススメ通りねじ込んだはいいものの、ここまで強いとヤバくねえか? 本当に大丈夫なのかよ? 水城樹先生よぉ」