33話 緋乃の試合
『さあ皆様、お待たせいたしました! 全日本新世代格闘家選手権、第二試合。5分3ラウンド。間もなく開始です!』
「待ってました待ってました! さぁて、緋乃ちゃんの格好いいシーンいっぱい撮るぞぉ~♪」
「あーもう、はしゃいじゃって。ここに来たときの真面目さは何処に……ってちょっと待ちなさい。そのビデオカメラって魔法で取り出したんじゃなくてカバンから取り出したわよね? ってことは真面目なフリして最初から……?」
「それはそれ、これはこれだよ明乃ちゃん。緋乃ちゃんの晴れの舞台、これを撮らずして何を撮る……!」
実況の声が観客で一杯のスタジアム内部へと響き渡り、それを受けてもう待ちきれないという様子の観客たちが次々に騒ぎ出す。
そのように周囲が喧騒に包まれる中。観客席に座る理奈がごそごそとカバンの中を漁ったかと思えば、その中から出てきたのはつい最近発売されたばかりの最新式ビデオカメラ。
4K映像の撮影は当然のこととして、高いズーム倍率や高性能の手ブレ補正やオートフォーカスを始めとした様々な機能の他に大容量メモリまで備えた逸品だ。
本来なら女子中学生のお小遣い程度では絶対に手の届くような値段の品ではないのだが……。
「理奈、そのビデオカメラってかなり値の張るやつじゃ?」
「うん? ああこれ? そうだよ~。へへ、いいでしょ。お父さんにおねだりして買ってもらったんだ~♪」
「ぐぬぬ、このブルジョアめ……」
「撮れた映像は明乃ちゃんにもプレゼント!」
「さっすが理奈ね! いい友達をもってあたしは幸せだわ!」
明乃の疑問の声に対し、笑顔を浮かべながら答える理奈。
それを受けて明乃は、ほんのちょっぴりだけ自分の懐事情と理奈の懐事情を比べてしまい、緋乃の追っかけという趣味に全力をつぎ込める理奈へと嫉妬してしまうのであった……のだが、続く理奈の言葉を聞いた途端にその態度を一転。
ニコニコと笑顔を浮かべながら理奈を褒めそやすのであった。
『赤コーナーからは現役の総合格闘家! CROWNを始めとする数々の大会で優勝、準優勝を手にしてきた若き天才、本郷翼21歳! 本大会においても優勝候補と目されており、活躍を期待されております!』
赤コーナーから現れた、黒い拳法着を着用した橙色の髪の男性が実況の声に合わせて腕を上げる。
それと同時に観客席から上がる歓声も大きくなり、明乃と理奈はその声量に眉を顰めた。
「うわー、凄いわね。結構な有名人じゃない。予選の連中とはもう全然格が違うわよ」
「へーそうなんだ。そんなに凄い人が相手なら、うまい具合に緋乃ちゃんの服が破れてポロリとかないかなーぐへへへへ」
「おっさんみたいな笑い声出すのやめんかい! 無駄にエミュ上手いわね!」
「いやーそれほどでも」
「褒めてない褒めてない、微塵も褒めてないから。ったく。ていうかそんなの撮りたいなら、サクっと洗脳でもして撮っちゃえば? 理奈ならできるんでしょ?」
「いやー、前に一回やったんだけど、罪悪感とかがけっこう来てね……。もうやめておこって決めたんだ~」
ニヤリと笑みを浮かべながら理奈をからかう明乃であったが、えへへと笑いながら放たれた理奈の返事を聞いた途端に真顔になり距離を取る。
そうしてそのまま上着のポケットからスマホを取り出したかと思うと、緋乃の連絡先をタップ――しようとしたところで、飛びついてきた理奈によってそれは阻止された。
「ジョークだってばジョーク! やるわけないじゃん! そんなこと知られたら後が怖いし、何よりそんな映像に価値はないっ! こういうのはね、偶然撮れてしまったた映像だからこそ尊いんだよ。価値があるんだよ!」
「いや、だって理奈だし……。まあコイツならやりかねないかなって……」
「泣いた! 明乃ちゃんからの信頼度の低さに全私が泣いた!」
「いや、信頼してるわよ? 主にマイナス方面にだけどね」
「もっとひどいー!?」
『続きまして青コーナー! 聞いて驚け、見て驚け! 本大会最年少! 小柄で細身のその身体からは信じられないパワーを発揮し、予選を蹂躙しつくした小さな暴君! 誰が呼んだか地獄の子猫! 不知火緋乃、12歳ー!』
青コーナーから緊張した面持ちの緋乃が姿を現すと、観客たちの歓声がこれまで以上に大きくなる。
予選会場で見られたような困惑の声は少なく、純粋に緋乃の暴れっぷりに期待している様子だ。
それも当然。既に予選における試合の動画はネットに出回っており、TV中継ではなく会場で生の試合を観たいと駆け付ける程に熱心な観客たちはそれを予習済みだからだ。
登場した緋乃も先に姿を現した翼を見習い、実況の紹介に合わせて腕を上げる……が、実況がいつの間にかついていた異名について声を上げた瞬間にその体制を大きく崩した。
「あ、コケそうになった」
「ギリ耐えたわね。あ、こっち睨んでる。流石緋乃、よくこの観客の山の中からあたしたちを見つけたわね」
「えへへ、頑張ってネットで広めた甲斐があったね明乃ちゃん」
「おうともさ。ふふふ、いいあだ名をつけてくれたあの不良組には感謝しないとね」
「うんうん。すごく可愛くてすごく強い、もう緋乃ちゃんにぴったしって感じのあだ名だもんね」
不機嫌そうな表情を作りこちらを見てくる緋乃に対し、見せつけるようにピースサインを揺らす明乃と理奈。
地獄の子猫という異名については嫌がる素振りを見せているものの、ただ気恥ずかしいからそのような態度をとっているだけであり、実際には本人も割と気に入っているということは長い付き合いの二人にはお見通しだ。
そもそも、本気で嫌がる時の緋乃はもっと真剣な表情と声で、相手が折れるまでしつこく「お願い」をしてくるのだ。
それが無く、頬を染めながらやめてやめてと繰り返すのはむしろ遠回しな許可の合図であり、ここで逆に異名を広めていなかった場合は少し寂しそうな表情をしていたことは間違いないだろう。
「あ、諦めた。でもちょっと嬉しそうだよ」
「あの反応、やっぱ気に入ってたわね。素直なのか素直じゃないのか、相変わらずね」
「そのちょっぴり面倒なところがまた可愛いんじゃない」
「まあねー」
緋乃の反応について観客席で語り合う二人をよそに、試合の準備は着々と進んでいく。
リング中央に立ち、試合前の挨拶を交わす緋乃と翼。それを見て実況が声を上げる。
『両選手が中央で向かい合います。身長186cmと身長150cm。まさに……。いや、実際に大人と子供と言ってもいいほどの年齢差と体格差です。一体この試合、どのような結果となるのでしょうか!』
挨拶を終え、ニュートラルコーナーまで移動して構えを取る緋乃と翼。
一見すると緊張しているかのような硬い表情をしている緋乃であったが、その胸の中にあるのは圧倒的な歓喜だった。
(まさか、TVの中でしか見たことのない相手と闘えるなんて……!)
対戦相手である本郷翼という男は、現役で活躍しているプロの格闘家だ。
その試合は何度かTVでも放映されたことがあり、当然ながら緋乃はそれを視聴していた。
翼の闘う姿を見ながら「自分ならこう行ってこう倒す」「あの攻撃、自分ならこうやって対処した」と妄想して遊んでいた緋乃だが、まさかそれを実現できる日が来るなんて――とその心を躍らせる。
(相手は本物のプロ。わたしが今まで相手してきたアマチュアとは比べ物にならないはず。手加減なんて論外、最初から飛ばしていかなきゃ)
内心で気合を入れ、その目を鋭くする緋乃。そんな緋乃の姿を見て、対戦相手の翼もより一層の気合を入れる。
観客たちの歓声が鳴り響き、騒がしい会場内。しかしリングの上に立つ二人その喧騒に飲まれることなく精神を研ぎ澄まし――。
『ゴングが鳴りました! 試合開始です!』
試合開始のゴングが鳴り響くと同時に、緋乃が動いた。