32話 本戦開幕
緋乃が落ちぶれた不良である玄次郎を一蹴してから約2週間の時が流れた。
特にこれといった事件やイベントもなく、学校が夏休みに入ったことから大会に備えて多めに鍛錬を行ってきた緋乃。
そんな緋乃の姿は今、全日本新世代格闘家選手権の本戦会場となるスタジアムにあった。
新造されたばかりで汚れ一つないその通路を、行きかう人たちを避けながら歩く明乃と緋乃と理奈の三人。
「うっわー、やっぱり人多いわね……」
「ん、そだね。TVでも放映されるらしいし、カッコ悪いところは見せられないね。……理奈のお父さんとお母さんは、もう観客席にいるのかな?」
「多分そうじゃないかな?」
敵の企みごとの重要な位置を占めるであろうこの会場には、理奈の両親である水城 樹と水城 美緒も保護者兼非常事態発生の際の護衛及びサポート役として同行しており、彼らはスタジアムに到着するとすぐ、怪しい仕掛けなどがないかを調べる為に別行動をとっていたのだ。
それには保護者として預かった子供たちを出来るだけ危険から遠ざけようとする義務感のほかにも、自分たち大人がそばにいては遠慮して騒げないだろうという娘とその友達たちへの気遣いも含まれていた。
「……気を付けてね、緋乃ちゃん。お父さんたちも言ってたけど、この大会に合わせて建造されたスタジアム、絶対に何かあるんだから。指輪は絶対に外しちゃだめなんだからね?」
緋乃の左人差し指に輝く指輪へと目をやりながら、少し緊張した様子の理奈が口を開いた。
理奈はこのスタジアムに入ってからというもの、油断なく周囲へと気を配り続けており、その姿からはいつものふざけた様子が微塵も見当たらない。
そんな理奈から不安の込められた眼差しと声を受けた緋乃は微笑みながら理奈の手を取ると、その手を自身の両手で優しく包み込む。
「だいじょうぶだよ、理奈。わたしは強いから物理的な襲撃は返り討ち。で、洗脳とかの搦手からは理奈が守ってくれるんでしょ?」
――むしろ、理奈たちこそ邪魔者として襲われたりしないか気を付けて欲しい。
真顔に戻り、そう口にした緋乃を見て。理奈は必要以上に緊張してしまい、視野の狭くなりかけていた自身を省みる。
「……そうだね。緋乃ちゃんの精神防御を担っている私が先に倒れたら意味がないもんね。うん、頑張らないと!」
「お、燃えてるわね理奈。まー、理奈にはあたしがついてるから大丈夫よ。緋乃の練習に付き合わされた結果、無駄に強くなっちゃった明乃ちゃんを信じなさい!」
シュッシュっと効果音を口にしながらシャドーボクシングをする明乃。そんな風におどける明乃の姿を見て緋乃の頬が緩み、いつもののんびりとした雰囲気へと戻る。
そのまま緋乃たちは通路を進み、控え室の前まで無事に辿り着く。
「じゃあ、行ってくる。応援よろしくね?」
「任せなさい! 緋乃も頑張るのよ、ファイト!」
「頑張ってね、緋乃ちゃん!」
控え室の前で別れ、そのまま緋乃は控え室に。明乃と理奈は来た道を戻り、観客席へとそれぞれ移動する。
本来なら選手控え室のあるエリアは一般客立ち入り禁止なのだが、理奈は認識疎外の術式を使うことでそれを誤魔化して緋乃に付き添っていたのだ。
まったくもって褒められた魔法の使い方ではないのだが、三人とも所詮は中学一年生のお子様。
別に迷惑をかけているわけじゃないんだし、このくらいなら別にいいよねと。誰に聞かせるわけでもない言い訳と共に不法侵入を正当化していた。
「ふう……」
控え室に入った緋乃は備え付けられていた机に着替えやタオルに水筒などの荷物が入ったスポーツバッグを置いて一息つく。
壁に掛けられている時計を見れば、選手入場からの開会式までは少々時間があることが確認できた。
「んん~っ、ふぅ……。ついに本番……。わたしの夢への第一歩、か」
緋乃は長椅子へと座ると足を投げ出し、そのまま背筋を伸ばすと同時に腕を大きく広げて伸びをする。
そのまま数秒ほど体を伸ばしていた緋乃だが、やがて満足したのか、力を抜いたかと思うと椅子にお行儀よく座り直して物思いにふけり始めた。
(この大会はなんか裏で悪い人たちが動いてるらしいけど、そっちは理奈のお父さんやお母さんがなんとかしてくれるだろうから大丈夫。仮にわたしが狙われたとしても、理奈がすぐ気づいてなんとかしてくれるし。とりあえず、わたしは目の前の試合だけ考えていればいい……)
左手に嵌められた銀色の指輪を見て、満足気にその目を閉じる緋乃。
そのまま深呼吸を繰り返し――大きなスタジアムであるがゆえにこれまで以上に注目される事や、更にTVで自分の闘いぶりが放映されることから――今更高まってきた緊張感を解すべく悪戦苦闘する緋乃であった。
(わたし強い、大丈夫。わたしめっちゃつよい、大丈夫……)
「緋乃選手、緋乃選手! 入ってもよろしいでしょうか?」
「ひゃい!? にゃああ、ど、どうぞ!」
「失礼します!」
目を固く閉じて自己暗示を繰り返している緋乃の耳に、ドンドンと扉を強く叩く音が飛び込んでくる。
完全に意識の外からやってきたそれを受けて、心臓が飛び出そうになるほど驚く緋乃。
驚きのあまりに椅子から軽く飛びあがり、悲鳴染みた返答をしてしまう緋乃であったが、スタッフの人間もこの手の反応には慣れているのだろうか。部屋に入ってきたその男性は苦笑したり呆れたりといったような反応は特に見せず、緋乃の顔を見て申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「いやあ、驚かせてしまってすいません。一応、ノックの方はさせて頂いたのですが気付いていらっしゃらない様子だったので……。てっきり眠っておられるのかな、と」
「い、いえいえ! こちらこそ気付かないでスイマセン……」
スタッフから謝罪を受けるものの、その言葉から自身の方に10割の非があることを悟った緋乃はその恥ずかしさから顔を真っ赤にして、俯きながら謝罪を返す。
「ありがとうございます。それでは緋乃選手、そろそろ開会式の時間なので、所定の場所へと移動の方をお願いします!」
ニカっと爽やかな笑顔を浮かべて緋乃の謝罪を受け取ったスタッフは、そのまま緋乃に対し移動の時間が来たことを告げると控え室から出て扉を閉めた。
緋乃が顔を上げて壁の時計へと目をやれば、時間は既に開会式の直前だ。
「もうこんな時間……。あぶなかった……!」
あやうく遅刻して大迷惑をかけた上に大恥をかくところだったと、冷や汗をかく緋乃。
そのまま大慌てで部屋から飛び出た緋乃の目に、先ほどのスタッフが通路で待機している姿が映る。
「ご案内します、こちらです!」
「あ、ありがとうございます……」
心なしか早歩きのスタッフに案内された緋乃はなんとか時間ギリギリに間に合い、無事に選手入場から開会式までをこなすことが出来た。
試合会場となるスタジアムの中にて。日本各地から集められた他の15人の猛者と共に、キャーキャーと騒ぐ観客たちやTVカメラへと手を振りながら、緋乃は自分を導いてくれたスタッフの男性へと感謝の思いを念じるのであった。
いわゆるラスダン突入。
実に今更ですが、夏に入ったので緋乃ちゃんはジャケットを脱いでホットパンツ+ショートタンクトップの軽装になってます。
どう見ても闘うカッコじゃないけど気がある世界なので特に気にしている人間はいません。
選手の皆さんも格ゲーみたいに割と自由な格好で大会へと出場しています。