29話 おべんとうタイム
「ふんふっふふん~♪」
選手控え室にて、上機嫌で鼻歌を歌う緋乃。
あれから胸部へと緋乃の前蹴りを叩き込まれた巧は血を吐いてダウン。カウントギリギリの状況から根性で立ち上がったのだが、当然ながら大ダメージを負って動きの鈍くなった巧など緋乃の敵ではない。
「完全勝利は気分がいいね」
緋乃は気を開放するとともに、巧の繰り出すその拳へと的確に脚を合わせることで両腕を粉砕。巧の戦闘能力を奪い去りTKO勝利を手にしたのだ。
(さて、これでわたしは決勝進出。次に上がってくる人を潰せば、本戦出場の権利が貰えるんだよね……)
鼻歌をやめ、顎に手を当てて考えを巡らせる緋乃。
控室の中をうろうろと歩き回りながら、自身の対戦相手が岳と奈々のどちらになるかを考える。
(個人的には顔見知りの岳を押してあげたいけど、あの人単純だからなあ。真正面から攻めてあっさりカウンター貰って沈むとか普通にありそう。対戦相手の奈々さんはカウンターが大得意みたいだし)
緋乃はよく言えば爆発力のある、悪く言えば考え無しの勢い任せの戦法を得意とする岳に対して厳しめの評価をしつつも、それでも勝つのは岳の方だと思っていた。
別に自分が岳と顔見知りだからという理由でも、岳と同じような本能に任せた戦法を好むからではない。
(岳は頑丈だし根性もあるからね。奈々って人じゃ火力不足で最後の最後に押し切られる気がする)
もっとも、あくまで希望的観測でしかないことは緋乃も理解してはいる。
何故なら、岳の対戦相手を務める鈴木奈々という選手にはまだまだ余裕が感じられたからだ。
(でもまあ、奈々って人の切り札次第かな。なーんかまだ大技隠し持ってると思うんだよね)
口元に人差し指を当て、首を傾げながら奈々の試合を思い出す緋乃。
前試合において、奈々は技を二つしか使っていないのだ。
相手の腕の間接を決めながらの背負い投げと、相手の打撃を捌いてからの心臓への掌打の二つである。
背負い投げ二回で腕を粉砕し、攻撃が一気に甘くなった隙をついての心臓打ちでKO。クリーンヒットの一発も貰わない、実に鮮やかな闘いぶりには思わず緋乃も称賛の声を上げてしまった程だ。
「おっと、いけないいけない。明乃たちが待ってるんだった」
奈々の試合に思いを馳せていた緋乃は、ふと我に返ると慌てた様子で頭を振って気分を切り替える。
午前中に行う試合が全て終わったため、予定表に記された時刻よりも少々早いが――岳の方は3ラウンドほどかかったようだが、緋乃も奈々も1ラウンドでKOを決めたためである――昼休憩の時間になったのだ。恐らく、観客席では明乃と理奈が緋乃の事を待っている事だろう。
緋乃は慌てた様子で荷物を纏めると、スマホを取り出して明乃へとコールしながら控え室を出た。
「ごめん、ちょっと遅れちゃった。今どこ? ……うん、わかった。ありがとう、すぐ行くね」
慌ただし気に控え室を出て、通路を小走りで駆けていく緋乃を、まだ業務の残っていたスタッフたちが微笑ましげな顔をしながら見送るのであった――。
◇
「いやー、緋乃ちゃん凄かったねー! こう、相手のパンチに合わせてシュバッって蹴りを繰り出しちゃってさー!」
「理奈、少し抑えなさい。ご飯粒飛ぶわよ?」
「ごめーん☆」
昨日と同じように、理奈の用意してくれた弁当に舌鼓を打つ明乃、理奈、緋乃の三人。
興奮した様子で緋乃の試合を語る理奈を明乃がたしなめるその姿を、嬉しそうに微笑みながら緋乃が眺めていた。
「ふふん。格好良かった?」
「うんうん、カッコよったよ~。ねえ明乃ちゃん」
「まあねー。試合中の緋乃はキリっとしててイケメンだしね。ま、あたしは見慣れてるんだけど」
「……そっか。よかった」
照れくさそうに頬を染める緋乃の頭を、箸を置いた明乃がよしよしと褒めながら撫で回す。それを受けて、気持ちよさげに目を閉じる緋乃。
そんな緋乃に対し、先ほどから緋乃が弁当に手を付けていないことに気付いた理奈が声をかける。
「あれ、緋乃ちゃんもうおしまい? もっと食べなきゃダメだよ~? ただでさえ細いんだからさ」
「ん……。ごめん、もうおなかいっぱい。限界」
「こんなちっこいおにぎり二個で限界とか、相変わらず小食ねー。燃費悪いんだからもっと詰め込めばいいのに」
「うん……、でも……。ううん、なんでもない」
言い訳を口にしようとしたものの、それは今話すべきではないことだと思い直した緋乃は申し訳なさそうな顔をしながら俯いた。
「あー、ごめん。地雷踏んじゃったわね。ごめんね緋乃」
「いや、私が余計なこと言っちゃったから……。ゴメンね二人とも」
落ち込む緋乃の姿を見た明乃と理奈が、慌ててフォローに入る。
そんな二人を見て、自分のせいで楽しい食事の空気が落ち込んでしまったことを理解した緋乃は慌てて自分も謝罪の言葉を口にした。
「いや、二人とも悪くないよ。わたしこそ余計なこと言っちゃってごめんね。わたしは気にしないから、二人とも気にしないでくれると嬉しいなって……。ね?」
不安そうな顔を浮かべ、オロオロとしながらも自分たちを気遣う言葉を口にする緋乃。それを見た明乃は、軽くため息を吐くとその顔に笑顔を作り勢いよく口を開く。
「わかったわ! よし、じゃあ今のナシ! 今の空気ナシ! 何もなかった! ってことでいいわね二人とも」
新規臭い空気を吹き飛ばすかのように手をぶんぶんと振りながら、元気よく声を上げる明乃を見て緋乃と理奈もその顔に笑みを浮かべてその明乃の発言に同調する。
「ん、そうだね。何もなかった」
「そうそう、何もない何もない。何もなかった。あ、そうだ緋乃ちゃん、お茶飲む?」
「じゃあ折角だし貰おうかな」
先ほどまでの空気をなかったことにした三人は、意図的に明るい声を出しつつも食事を再開。
弁当へと箸を伸ばす明乃。温かいお茶の入った水筒を手に、緋乃へそれを勧める理奈。理奈の気遣いを受け、水筒のコップを受け取ってお茶を注いでもらう緋乃。
ほんの数分前までのお通夜じみた空気はそこにはなく、笑顔で談笑する三人の少女たちの暖かい空気があった。
「じゃあ緋乃。ラスト一試合、頑張るのよ!」
「緋乃ちゃん頑張ってね! 応援してるから!」
「ん! まかせて! ……じゃあ、行ってくるね!」
昼食のほかにも選手の休憩と治療を兼ねた、少し長めの昼休憩を終えた緋乃たちは観客席の前で別れた。
明乃と理奈は既に人で埋まり始めている観客席の方へ。緋乃は一人、選手控え室の方へ。
二人の親友から貰ったエールを胸に、緋乃はきりりとその顔を引き締めながら控え室の扉を開けた。
(ラスト一試合。誰が相手でも関係ない、全力で叩き潰す! ……いや、全力は不味いよね、うん。えっと、割と本気で叩き潰す!)