21話 ちょっとだけ本気出す
「…………むう」
「…………」
仰向けに倒れたまま、目を閉じて動かない緋乃。それを見て剛二の勝利を確信したのであろう。実況が声を張り上げ、観客席のどよめきが大きくなってくる。
しかし肝心の剛二は勝利に喜ぶわけでもなく、倒れた緋乃を心配するわけでもなく、眉をひそめて難しそうな顔をしながら倒れた緋乃をじっと観察していた。
「カウント1! 2! 3!」
力任せにリングへとただ叩きつけた先ほどの雑な投げとは違い、今決まったのは全身の力を使っての背負い投げ。これといった抵抗もなく、綺麗に決まった剛二の得意技。
誰もが剛二の勝利を確信する中――しかしその本人だけは緋乃への警戒を緩めない。
「4! 5! 6! 7!」
「気のせいか……? いや、しかし……」
「……ふう。よっこいしょ」
カウントが進み、剛二がふと呟きを漏らした直後。
それまで倒れたまま微動だにしなかった緋乃が、突然その目をぱちりと開いたかと思うと、何事もなかったかのように軽快に起き上がる。
『おおっと立った! 緋乃選手立ったー! 何事もないかのように起き上がったぞ! 信じられません! なんという耐久力だァー!』
「うおおおおお!? すっげー!」
「マジかよ立つのかよ! しかも全然へっちゃらじゃん! やべー!」
「キャー! 緋乃ちゃんサイコー! 信じてたー!」
「大丈夫かい? やれるね?」
「ん。よゆーよゆー。ほら」
平然と起き上がる緋乃の姿を見て、実況と観客が一気に湧き上がる。大歓声だ。
ワーワー騒がしい観客たちを背に、淀みのない動きでファイティングポースを取り試合続行の意を示す緋乃。それを見て剛二は己の嫌な予感が正しかったことを思い知る。
「嫌な予感は当たるものだな。しかも大してダメージを受けてる様子もなし、か……。今のは結構自信あったんだがな……」
「ふふん。いや、今のはすごかったよ。まあ普通の相手なら、あれで決まってたんじゃないかな? でも残念。わたしはちょっと普通じゃないんだよね」
渾身の技を叩き込んだというのに全くダメージを受けた様子がない緋乃を見て、思わずため息を吐く剛二。それに対し緋乃は得意げな表情を浮かべつつ、何の慰めにもならない言葉を吐く。
「Fight!」
「ふふっ」
「うおおおっ! ……ぬ?」
レフェリーによる試合再開の合図と同時に、緋乃目掛けて剛二が突進する。両腕を広げ、雄叫びを上げながら緋乃へと掴みかかった剛二だが、掴んだと思った瞬間には緋乃の姿はそこになかった。
「こっちだよ」
「なにっ!?」
背後から聞こえてきた声に剛二が大慌てて振り向くと、数mほど離れた位置に緋乃の姿があった。
腰に片手を当て、目を閉じて。余裕たっぷりのポーズを取りながら、緋乃は剛二へと語りかけてきていた。
「馬鹿な……」
「ごめんね、お兄さん。正直わたし、お兄さんのこと舐めてた。まさか、ここまでやるとは思ってなかった」
今までとは段違いのスピードに戦慄する剛二と、そんな剛二の内心を知ってか知らずか、ゆっくりと謝罪の声を上げる緋乃。
『な、なんというスピード! なんというスピードだ緋乃選手! まったく目で追えませんでした! まるでテレポートだ!』
「むぅ……」
これまでの闘いで手を抜いていたともとれる緋乃の謝罪。それに対し、剛二も言いたいことが一つか二つはあったのだろう。
しかし、今は圧倒的な速度の差を見せつけられた直後だ。もし緋乃があのまま話しかけてくるのではなく、黙って攻撃する道を選んでいたら。
無防備な背中にあの圧倒的破壊力の蹴り技を貰い、間違いなく剛二は撃沈していたことであろう。
そこまで理解してしまったが故に、何も言えずただ唸ることしか出来ない剛二。
「だからさ、そのお詫びと言ってはなんだけど――」
――ちょっとだけ、見せてあげるよ。わたしの本気。
緋乃はそこまで言うと目を開き、剛二と正面から向き合うように体勢を整える。
その口元からはつい先ほどまで浮かべていた笑みが消え、真剣そのものといった表情だ。
それを見て、剛二はごくりと唾を飲み込んだ。
観客たちも緋乃の変化を本能的に感じ取ったのだろう。静かに、緊張した面持ちで緋乃を見守っている。
そうして周囲の人間たちが固唾を呑んで緋乃を見守る中。ゆらり、と緋乃の周囲の空気が揺らめいた――。次の瞬間。
緋乃の纏う気の量が、爆発的に増加した。
「な!?」
『なんということだ……。緋乃選手、切り札か!? 緋乃選手の小さな体を、膨大なエネルギーが包んでおります! 信じられない……。プロと比べても……、いやプロ以上か!? とにかくすごい! すごい気です!』
「す、すげぇ……」
「こんな必殺技を隠し持ってたのか……」
「一也が負けるわけだ……」
これまでの時点で既にプロの格闘家と比べても遜色のないレベルの気を纏っていた緋乃ではあるが、今回緋乃が解放した気の量はそれを遥かに凌駕していた。
昼間だというのに、はっきりと確認できる気の光。もしもこれが夜間なら、LEDランプのように周囲を明るく照らす緋乃が見れたことだろう。
緋乃の気の解放を見て、やれ必殺技だ切り札だと騒ぐ周囲の観客や実況たち。
「凄まじいな……。なるほど、今まで感じた余裕はコレがあったからか……! だが、しかし! おおおぉぉぉ!」
剛二は膨大な気を惜しげもなく撒き散らす緋乃を睨みつけると、雄叫びを上げるとともに気を一気に練り上げ、その身に纏った。
互いの纏う気の量の差は歴然であり、例えるのならキャンプファイヤーとロウソクの火ほどの圧倒的な差が存在する。
しかし、それでも。圧倒的な気の保有量の差を目にしても、剛二は諦めた様子を見せず――それを見た緋乃はニヤリと、犬歯を剥き出しにした狂暴な笑みを浮かべる。
「ふふっ。いいね、その目。死んでない。まだわたしに勝つ気でいる」
「当然だ。負ける気で相手に立ち向かう格闘家がどこにいる」
「くふ、ふふふっ、うふふっ! ああうん、そうだね! そうでなくっちゃ!」
圧倒的なスペックの差を見せつけられても、折れることなく立ち向かってくる剛二を見て嬉しそうに笑う緋乃。しかし、その笑みからはいつもの可憐さは微塵も感じ取れない。獲物を叩きのめし、食い千切ろうとせん肉食獣の笑みだ。
「随分とご機嫌だな。まあ君のような可愛い女の子に喜んで貰えるなら何よりだ」
「ふふ。褒めても何も出ないよ。……いや、一つだけいいことを教えてあげるよ」
緋乃の顔から笑みが消え、再び真剣な表情に戻る。それを見て、何を言い出すのかと訝しげな表情をする剛二。
「次の一撃。わたしは真正面から蹴り飛ばしに行く。大怪我したくないなら、ガードを固めておいた方がいいよ」
「……大きく出たな」
「ガードの上からでもわたしの蹴りはかなり効くよ?」
「だろうな。一般人ならほぼ確実に即死だな」
「うん。まあ、本当は教える気なかったんだけどね。黙って蹴飛ばして病院送りにしてあげるつもりだったけど。いっぱい褒めてくれたからそのお礼にね」
「随分と物騒な礼だ。できれば勝利を譲ってくれる方がありがたいんだが」
「譲って欲しい?」
「冗談。勝利とは、己の手で勝ち取ってこそ!」
「だよね」
剛二の啖呵を聞いた緋乃は満足気に微笑むと、左腕を前に出して半身に構える。
そして緋乃が構えるとほぼ同時に、剛二も構えを取っていた。
『試合もクライマックス! 気を爆発的に増大させた緋乃選手に対し、剛二選手も気を高めましたが、緋乃選手に比べると少々心もとないか! だがしかし、闘いとは気の量で決まるものではありません! ここは何とかしのいで再び自分の流れに持っていきたい剛二せん――』
「――!」
実況の男がすべての台詞を言い終わる前に、機先を制さんと緋乃が動く。
先ほどの宣言通り、小細工も何もなく真正面から突進する単純な動き。だがしかし、その速度が尋常ではなかった。
「!?」
剛二がその一撃を防げたのは、事前に緋乃が攻撃を宣言していたからに他ならないだろう。
事前に攻撃する方向を聞いていたから、事前に攻撃手段を聞いていたから、とっさに両腕を割り込ませることが出来た。それだけだ。
もし緋乃が気まぐれを起こさなかったら。もし緋乃の宣言が無かったら。剛二は何の抵抗も出来ずに蹴り飛ばされて、瀕死の重傷を負っていたことだろう。
まあ、もっとも。ガードが間に合ったところで、本来の実力を開放した緋乃の蹴りを受けて無事で済む筈もないのだが。
「げぼふぁ!?」
体の前面で腕をクロスさせ、緋乃の蹴りをガードした剛二。だがしかし、そんなものなど関係ないとばかりに剛二の両腕を粉砕し、緋乃の脚は振り抜かれる。
悲鳴を上げ、まるで交通事故にでもあったのかのように後方へと物凄い勢いで吹き飛ばされる剛二。
リング上に張られていたロープを突き破り、観客席の間に存在する剥き出しの地面へと叩きつけられ、そのままバウンドした後ゴロゴロと遠ざかっていく。
『…………あ。きょ、強烈ー! 緋乃選手の超強烈な蹴りが炸裂ゥー! というか救急班ー!』
「救急車だ、救急車呼べ!」
「誰か治癒のギフテッド連れてこい! 急げ!」
「お、オイ……。あれ冗談抜きに死んだだろ……」
「なんだよ今の……。交通事故でもあんな吹き飛ばねーぞ……」
「人って飛ぶんだな……。俺、一つ賢くなっちまったぜ……」
「ひ、緋乃ちゃんって随分とアグレッシブなのね……」
「あの細い身体でこのパワーか……」
あまりの衝撃に十秒ほどの間、完全に硬直していた実況と観客たちが我に返る。
実況や観客からすれば、剛二と距離を置いて構えていた筈の緋乃が、何の前触れもなく消えたかと思うと――いつの間にか前方へ大きく移動してその脚を振り上げており、剛二が吹き飛んでいたのだ。その驚愕も仕方のないものだろう。
「うーん」
大会運営に関わる者たちの大声と、観客たちのざわめきでうるさくなるリング上。一人首をかしげる緋乃がいた。
「手加減って難しいね……。ちょっとやりすぎちゃったかな?」




