16話 予選トーナメント会場にて
全日本新世代格闘家選手権、予選トーナメント会場。
勝陽市の隣の市である菊石市の運動公園に設置されたその会場入り口に、明乃と緋乃と理奈の三人の姿があった。
夏に入り、気温が上がってきたことから三人とも軽装であり――特に緋乃はジャケットを脱いだことで、その肌を大きくさらしている。
「うわぁ~、なんか思ってたのよりずっと人が多いねぇ~」
「ん。うんざり……」
「まあ賞金凄いしねー。でも予選なのにこんな集まるなんてねー」
観戦や応援に押し寄せた人数の多さに感心する理奈と明乃に対し、辟易とした声を上げる緋乃。
身長が少々低め(自己申告)である緋乃にとって、自身よりも背の高い人間たちに周囲を囲まれ、周りを見渡せないこの状況はかなりのストレスなのだろう。
「緋乃が倒れても困るし、速く移動しましょ?」
「そだねー。観戦場所も確保しないといけないし。緋乃ちゃんって何ブロックだっけ?」
「Bブロック~」
選手受付で貰った小さな紙を、顔の横でひらひらさせる緋乃。その紙には緋乃の言葉通り、Bのアルファベットが印刷されていた。
それを見て明乃は緋乃と繋いでいた手を放すと、受付で貰ったパンフレットを開いてBブロックの場所を確認する。
「Bブロックはあっちね。あの池の向こう側にリングがあるはずよ。ほら、緋乃」
「ん」
「あ、待って待ってー」
明乃は池の向こう側を指さすと、パンフレットをカバンに仕舞い込み、緋乃に向かって手を差し伸べる。
緋乃が返事をし、差し出されたその手を握りしめると明乃は歩き始め、二人が動いたのを見て理奈もそれを追いかける。
理奈は素早く明乃の反対側、緋乃の横に立つと空いていた緋乃の手を握り、三人でBブロックのリングを目指して移動を開始した。
◇
『さあさあ! 新世代格闘家選手権、予選Bブロック! まもなく試合開始です! 予選第一試合は……』
「緋乃は三試合目か。にしてもやっぱ男の人多いねー」
「まあ、女の子は普通痛いのとか嫌だし……。緋乃ちゃんみたいにアグレッシブな娘は少ないんじゃないかな……」
「みんな道着とかユニフォーム着てるし、私服の緋乃とかこれ絶対浮くでしょ。マジウケるんだけど」
「緋乃ちゃん細いし、場違い感すっごいだろうねー。実際にはぶっちぎりで強いんだけど。うふふふふ。ちょっとこう、周りの反応とか楽しみだよね。あんな小っちゃい子がすげえ! とか絶対言われるよね」
「ふふ、まあね。きっとみんなビックリするわよ~」
『第一試合、始まりましたァ!』
リングから少し離れた位置にて、実況を務める男の声を聴きながら、明乃と理奈が話し合う。
二人がここにはいない緋乃について話し合っていると、カーンと試合開始のゴングが鳴り、実況の声が響き渡る。第一試合が開始されたのだ。
『進選手、ジャブ、ジャブ、ジャブ! 相変わらずの素早いジャブの嵐に武選手近寄れ……! おおっ! ああーっ! 仕掛けた! 仕掛けました武選手! ジャブの嵐をかいくぐり、自慢の正拳突きィ! これは効いたァー! 進選手苦しそうだァー!』
リングの上で、ボクシングのユニフォームを身に纏った長身痩躯の進選手と、空手の道着を身に纏った筋肉質な武選手がぶつかり合う。
序盤から進選手に滅多打ちにされていた武選手ではあったが、後が無いと覚悟を決めたのか、突如パンチの連打の中に突っ込んだかと思うと強引に正拳突きを当てに行く。
その作戦は成功し、攻守は逆転。盛り上がる観客たち。そんな試合を緋乃は選手の控えエリアである地点から、そこに生えていた木に手を当てながら冷めた目で眺めていた。
(レベルが低い……。まあ、所詮は予選ってことかな。手加減してあげないと死んじゃうかもだね……)
「俺の相手はキミか。オイオイ、随分と可愛らしい女の子じゃないか!」
「んゅ?」
背後から声をかけられて緋乃が振り返る。するとそこには、日焼けした肌に黒いジャージを着た金髪の男が立っていた。
「俺、一也ってんだ。君の対戦相手。ヨロシク!」
「ん、よろしく……」
サムズアップをしながら歯をキランと輝かせ、爽やかな挨拶を飛ばしてくる一也と名乗る男。チャラい見た目に反して礼儀正しい男のようだ。
邪険に扱われるのならばともかく、礼儀には礼儀で返すのが大人の対応ということで、緋乃も挨拶を返す。
「いきなりで悪いんだけどさ、キミって気とか使える系? ああいや、偵察とかそんなんじゃないよ? なんか予想以上に可愛い子だったからさ、マジメに戦っちゃっていいのかなーって」
それを偵察というのでは? と緋乃は思ったが、あえて口には出さなかった。
緋乃は自身の外見が全く強そうに見えないということは一応理解しており、一也の疑問も最もだと思ったためだ。
しかし、理性で理解してはいても感情の方はそうはいかない。緋乃の目が不機嫌そうに細められ、その体から不穏な気が発散されていく。
「もちろん使える……。使えないのならここに来ない……」
「あ、やっぱ気ィ使えるんだよかった! それはそうとキミ滅茶苦茶可愛いねー! ねえ何歳?」
「12歳……」
「12歳!? 下限じゃん! 幼く見えるタイプかと思ったらガチ幼い系か……。うっわー残念。もうちょい上なら絶対に告ってたんだけどなー!」
不機嫌そうに対応する緋乃の様子に気付かないのか、あえて無視しているのか。緋乃への態度からして恐らく前者なのだろうが、機嫌良さそうに話す一也に対し、緋乃の機嫌はどんどん下がっていく。
「ああここにいた、探しましたよ一也選手。そろそろ準備をお願いします」
「お、もうそんな時間ー? すーいまっせーん、すぐ戻りまーっす。んじゃ緋乃ちゃんまたね。痛くないようちゃんと手ぇ抜いたげるから安心していーよー」
「…………!」
大会の運営委員らしき男に連れられ、緋乃に手をヒラヒラ振りながら離れていく一也。
緋乃は誰かと付き合った経験がないのであまり理解はできていないが、彼がずっとこちらに気を遣っていたことぐらいはわかる。
きっと、自身より幼い相手に必要以上に怪我をさせないように緋乃の大まかな戦闘力を確認しに来て、更には緋乃が年上の男性相手に怯えないようにと優しく接したつもりなのだろう。
しかし、その気遣いが逆に緋乃の逆鱗に触れた。もっとも、緋乃にもすぐ相手を見下して手を抜く悪癖があるのであまり人のことは言えないのだが。
だがしかし、緋乃はそれを棚に上げて静かに怒りのボルテージを上げていく。
「ひぇっ……」
一也が見えなくなった瞬間。緋乃の拳がすぐ横にあった大木へと突き刺さり、一瞬の抵抗も許さず貫通する。
ちょうど緋乃を案内しに来たのだろう。若い女性スタッフがその光景を目撃して情けない声を上げたが、今の緋乃にスタッフを気遣う余裕などない。
声を上げたスタッフへとジロリと不機嫌丸出しの目線を向ける。
「ひ、緋乃選手……ですよね? もうすぐ出番なので、準備していただけたらなぁ~って……」
「わかった……」
機嫌の悪い緋乃に対しビクビクと怯えた様子を見せながらも、自身の務めをしっかりと果たそうとするスタッフ。
ボランティアだというのに仕事を投げ出さない、とても偉い女性である。
「え! あの娘も選手!?」
「ウッソ~! カワイイ~!」
「キャー! すっごい可愛いー! こっち見てー!」
「ほう。余分な肉の無い、すらりとしたいい脚……。是非とも踏んで欲しい!」
「ゲェーッ! あれは地獄の子猫! やはり出ていたか、大将に報告せねば!」
「いや、確かに可愛いけどよぉ。これ格闘大会だろ!? ホントに戦えるのかよ、大丈夫か!?」
「緋乃ちゃん頑張れ~! フレー! フレー!」
緋乃はそのままスタッフの先導に従って移動し、予選のリングへとたどり着く。緋乃が姿を現した瞬間に黄色い声が飛び交い、大きく盛り上がりを見せる会場。
しかし、緋乃のその可憐な外見を褒め称える声は数多くあれど、実力に関して声を上げる人間はほとんどいない。あっても緋乃を弱者と見なし、心配する声ばかりだ。
「むぅ……」
声援に対し、その唇を尖らせて不満の声を漏らす緋乃。
しかし当然だろう。今まで大会などに参加したことのない緋乃は完全に無名であり、観客は緋乃のことを外見で判断するしかないのだから。
そして緋乃の外見はどこに出しても恥ずかしくの無い、小柄な細身の美少女。格闘というイメージから対極の存在だと言っても過言ではない。
『Bブロック予選第三試合! 対戦するのは数々の高校生大会において活躍し、華々しい実績を持つ高校生格闘家! 格闘スタイル、ジークンドー! 神速の大森一也! 相対するは……おっと、これは驚き! 本当に戦えるのか!? なんと本大会最年少12歳! 格闘スタイル不明! 謎に満ちた可憐なる美少女! 不知火緋乃!』
「フフッ、お手柔らかに頼むよ」
「…………こちらこそ」
リングに上がり、向かい合って挨拶を交わす一也と緋乃。二人が挨拶を終えると同時に、試合開始を示すゴングが鳴り響いた。