閑話その二 世界樹の根
洋上に存在する、名もなき小島。地図や海図にすら記されていない、その島の中心部。
地形や密林などを利用し――航空機や衛星の目に留まらないよう――巧妙に擬装された軍事施設内部の一室。
まるで修羅場を迎えた研究室かの如く、乱雑に散らかったその部屋のデスクにて。ピンク色の髪をした、見目麗しい一人の若い女性が〈sound only〉と表示されたモニターに語りかけていた。
「そうそう。そうして変身したあの子はベアトリスを一蹴。そのままあの紳士気取りも抹殺したんだけど……またその時の姿が実にキュートでね? いやー、君にも見せてあげたかったよ!」
『随分とご機嫌だな』
歓喜に目を輝かせ、ハイテンションな様子でモニターへと語り掛ける女性。
そんな彼女に返ってきたのは、若さと覇気を感じさせる男の声だった。
「そりゃあね! 人外の気配を漂わせる、神秘的な白い肌。肩甲骨のあたりから生えた四本のワイヤーに、メカニカルな黒い角! 僕たちが作り上げたデフォの姿こそ至高だけど……それを発展させたあの姿も悪くない!」
女性が軽く横に指を振ると、その軌跡の後に半透明なキーボードと、トリフィードと名乗った悪魔少女の精巧な3Dモデルが投影される。
「それに悪堕ちっていうのかな? あの姿を見ていると……なんかこう、愛しい娘が悪い奴らに唆されて、奪われた感じがして……ちょっと興奮するんだよね! 僕の主砲も最大仰角さ!」
自身の目の前の空間に投影させた、その3Dモデルを回転させ、舐め回すようじっくりと観察していくうちに――女性の履くスカートの股間部分がこんもりと盛り上がっていく。
そう、タイツ等の関節部を隠す服を着ていたり、ムダ毛の処理などの身だしなみに気を使っているため、一見すると区別はつかないが……彼女、いや彼の性別はれっきとした男性。
この基地を所有する組織、ユグドラシルにて最上級の幹部として知られる――今現在は緋乃と名乗っている少女の創造主――アンゼルム博士その人であった。
『そこまでにしておけよ、アンゼルム。既に変態だと周知されているお前と違って――オレには、失う名誉というものが存在する』
陶然とした声を漏らすアンゼルムに対し、通信相手である若い男が呆れた声を投げかける。
「アッハハハハ! 仮にも創設期からの仲間に対して、ひどい言い草じゃないか総帥殿! 似合っているんだからいいだろう? スタッフからは意外と好評なんだぞー、この格好」
『容姿は別にかまわん。人前で堂々と猥談を行い、己の性癖をぶちまける行動に問題があると知れ』
「えー、なんでだい? その方が面白いんだからいいだろう?」
幹部なのだから、その地位に見合う言動を取れという若い男――総帥に対し、気安く笑いながらそう返事をするアンゼルム。
一応苦言を呈しこそしたものの、アンゼルムの性格をよく知るが故に、元から大して期待していなかったのだろう。総帥はアンゼルムに対し本題に戻る事を促し、アンゼルムもまた話題が滑ったことに軽く謝罪しつつそれを了承した。
『さて。日本の本部を巡る、先の戦いにおいて我々は大敗北。あの国における重要拠点を失なっただけではなく――』
「大事に大事に温めていた技術や情報が、大量に流出しちゃったねえ。研究員もいっぱい生け捕りにされちゃったみたいだし……情報抜かれ放題だねえ。いやー、困った困った!」
『ああ、困ったものだな……ククク、本当に困ったものだ……』
ユグドラシル最大の武器である、表社会とは隔絶したレベルにある科学技術。
それらに関する情報が大量に漏れてしまうという、組織設立以来の大問題。下手をすれば、組織の屋台骨をも揺るがしかねない大事件について語っているというのに――しかしそれを語る二人の声からは、愉快気な雰囲気が滲み出ていた。
「これで、少しはパワーバランスも戻ったかな?」
『一応、な。組織に対して疑問を持つ、あるいは反抗的なメンバーも多々配属しておいたし……きっと、彼らの為に身を粉にして働いてくれるだろう。己の中にある正義の心に準じて、な』
総帥と語りながらもアンゼルムはキーボードに指を走らせ、投影したトリフィードの3Dモデルを消去すると、今度は新たに人間状態のトリフィード――即ち緋乃のモデルを出現させる。
「ちょっと調子に乗りすぎて、技術レベルを進めすぎたせいで……最近は弛んでる子が増えてきちゃったからねぇ」
『全くだ。挙げ句の果てには、裏工作での敵対組織の封殺に走り出す始末。嘆かわしいな』
「困っちゃうよねー。僕たちは、別に世界征服とかがやりたいわけじゃないのにさぁ」
『蹂躙して支配するという欲望に、破壊からの復興。それも確かに大事ではあるが――やはり同程度のレベルの敵と競い合ってこそ、時計の針は大きく進む』
アンゼルムは総帥である男と語り合いながらも、キーボードを素早く操作していき、3Dモデルの緋乃を様々な衣服や武装で着せ替えていく。
その中にはユグドラシルの戦闘員が使っていた武装やバトルスーツから、彼らですら知りえない最新兵器の姿があり――。
「うーん、やっぱりあの子の小さな体には、大きな武器が映えるよねえ……」
『何だ、まだタスクが残っていたのか? 珍しいな』
「いいや、個人的な用事さ。頑張った子へのちょっとしたご褒美……かな?」
『そうか……』
秘匿性を最優先した音声のみの通信であるが故に、総帥である男の目には、アンゼルムの作業風景は映っていないはず。
しかしアンゼルムの漏らした呟きとその後の反応より、彼の目的を察したのだろう。総帥である男は軽く嘆息し。
『計画のメンバーも、もはやオレとお前の二人だけ』
アンゼルムを咎めることなく、そのような事を口にした。
「そうだねぇ。飽きが来て肉体の更新を止めちゃったり、どこかにふらりと行っちゃったり……みんないなくなっちゃったねぇ……」
キーボードを弄る手を止め、両の目を閉じ、過去を懐かしむかのような声を漏らすアンゼルム。
高い生命操作技術による老化の抑制と、新たなる肉体の創造。霊魂干渉技術を利用した、擦り減った魂の補修及び、新たなる器への入れ替え。
彼らが気の遠くなるほどの年月を生きてきたのは、とある計画の為。とある目的の為であったが。
『死ぬなよ。お前にはまだまだ、働いてもらわねばならん』
「その言葉、そっくりそのまま君に返そうか。君こそ死ぬなよ? 僕が楽しく遊び続けるために」
試すかのような総帥の言葉に対し、アンゼルムは挑発的な口調で言葉を返す。
絶対的な強者であるこの男に、不屈の闘志でもって絶望を退けたこの英雄が、こちらの機嫌を窺うような言葉を吐くわけがない。ただ純粋に、こちらに消えられると困ったことになるから、それを伝えてきたのだろう。
『言ってくれるじゃないか』
どうやらその判断は正解だったらしく、総帥である男はアンゼルムの返事を聞くと、満足気な声を上げた後に通信を切った。
「さぁて続き続きっと。やっぱり実弾は華が無いし、あの子のスペックじゃスーツの類は効果が薄いし……コイツがいいかな?」
そうして通信を終えたアンゼルムは、再び作業に戻り。やがてお目当ての武装を見つけたのか、ニンマリとした笑みを浮かべ。
「与えるだけのつもりが、予想外のお返しを貰っちゃったからねぇ。いやぁ嬉しい。本当に……嬉しい誤算だ……」
ニマニマと不気味な笑みを浮かべながらキーボードを叩き、空いた手でときおり自身の首筋を撫で回すアンゼルム。
アンゼルムが嬉しそうに撫で回すその首には、まるで細いワイヤーで絞められたかのような痣が、くっきりと残っていた。