間話その一
生命の痕跡は一切無く、無残に荒れ果て、廃墟と化した都市。
黄昏に空が染まり、どこか寂寥感を感じさせる風に、黄金色に輝く世界の中。
「はああぁぁぁぁ……!」
気迫のこもった叫びと共に、全身から禍々しい真紅の魔力を吹き出す緋乃と――。
『フム、出力はそこそこだが……練りが甘いな』
「むぅ……つまり……どゆこと?」
『魔力の構成が甘い。そもそもの密度が薄く、込められている“意思の力”が足りていない……とでも言えば理解出来るか?』
そんな緋乃に対してアドバイスを投げかける、ゲルセミウムの姿があった。
「ふんふん、なるほどね。けっこう念を込めたと思ったのに、これでもスカスカなのかぁ……」
緋乃とゲルセミウムが立つこの荒廃しきった世界は、現実に存在する場所ではなく、緋乃の心象風景が投影された精神世界であり――緋乃はこの場所にて、ゲルセミウムより魔力について学んでいる真っ最中であった。
何故、己こそが至上であると心の底から信じ込んでいる緋乃が、このようにゲルセミウムに師事を仰いでいるかというと、ほんの僅かに時は遡り――。
◇
時刻は夜、水城邸における理奈の部屋。
明乃と理奈、二人がかりの“お仕置き”による、悪夢のような気絶と覚醒の嵐から解放された緋乃が――理奈の用意した下着とベビードールを着用した姿で――ベッドの上で微睡みながら、入浴後の体を休めていると。
「そういえばさー、緋乃ちゃんが戦ったっていう、その金髪の女戦闘員ってさぁ……緋乃ちゃんをお持ち帰りする事が目的だったんでしょ?」
ふと、部屋の主である理奈が、そのような事を語り掛けてきた。
「……ふにゅう?」
完全に自業自得であったとはいえ、既に心身共に限界を超えていた緋乃は、理奈の言葉にも大した反応を示す事なく。
適当な返事を返すと、そのままウトウトと微睡みを再開し続け――。
「なーにおねむしようとしてんのよ。夜はまだまだ……これからでしょーがっ!」
――られなかった。
こっそりと忍び寄っていた明乃が、緋乃の両脇にその手を突っ込んで、そのまま指先で緋乃の敏感な部分を上下にと優しく撫で回してきたからだ。
「ひうぅぅぅぅぅー!?」
完全に油断しきっていたところへの、突然の奇襲攻撃。
緋乃は両目を見開くと同時に、全身の筋肉をピンと張り、声にならない悲鳴を上げ続ける。
「あっ……!? ひぃ……ああぁっ……!?」
「あはは、そんなことしちゃダメだよ明乃ちゃん。まーた緋乃ちゃんが意識飛ばしちゃったじゃん? こりゃもうしばらくは帰ってこれないかなー? うへへ……」
「ニヤケ面で動画を撮りながら言われても、説得力がゼロな件について。ま、あたしはこの子に普段は死ぬほど迷惑かけられてんだし、ちょっとした復讐よ復讐。うりうり〜」
「ひぁ……やっ!? あぅうっ……!」
理奈によって鋭敏化させられたままの触覚に加え、つい先程まで延々と行われていた“お仕置き”がフラッシュバックしたのも合わさってか。虚な目で身体を張り詰め痙攣させ、口元からはだらしなく涎を垂らす緋乃の姿を、理奈は素早くカメラに収めていく。折角だからと明乃にも手伝わせ、自分好みのポーズを取らせることも忘れずにだ。
「こ、こんにょおぉ……! いきなりなにすりゅのよ、あけのぉぉ……!」
「緋乃ちゃんおかえりー。いやさー、緋乃ちゃんが戦っていう女の人ってさ、緋乃ちゃんの事を捕まえるのが目的だったんでしょ?」
それからしばらくして。何とか現世への帰還を果たした緋乃が、涙目になりながらぷんすかと拳を振り上げ、明乃へと抗議を開始し――そんな緋乃に対し、理奈は再び同じような事を話しかけた。
「へぁ……あぁ、うん……。たぶんそうだと、おもう……よ?」
自身が知らぬ間に、痴態をたっぷりと撮影されていた事など露知らず。
不意打ちを仕掛けてきた明乃はともかく、理奈にはこれといった罪は無いとばかりに。毒気の無い表情で語り掛けてきた理奈に対し、緋乃はつい振り上げた拳を下ろしながら、困惑の声を返す。
「つまりさ、緋乃ちゃんってば……手加減モードの相手に追い詰められたって事じゃない? 最強だとか無敵だとかふんぞり返ってないで、少しは危機感とか警戒心ってものを持った方がいいんじゃないの?」
「ぐふぅ!?」
理奈のその容赦のない言葉が、困惑していた緋乃の心の臓を撃ち抜いた。
普段は緋乃に対して激甘だった理奈からの不意打ち説教なだけあって、その言葉が緋乃に与えた衝撃は大きかった。
「で、でも……こっちにはまだ悪魔化っていう切り札が残ってたし……」
「あのさ緋乃。それは何が起こるかわからないから、本当に最後の手段だって、あたしも理奈も、刹那さんも言ったわよね? なんで勘定に入れてるの?」
「うっ! いや実際はわたしだって使うつもりはなかったけど……」
その場しのぎしか考えていないが故に、あっという間に矛盾する緋乃の言葉を聞いた明乃は、ああ言えばこう言うんだからと、深いため息を吐き。
「使っちゃいけない切り札を使わされた時点で、あんたの負けよ。まーけ」
「ふぎゅう!?」
自分でも苦しい言い訳をしているという自覚のあった緋乃の胸を、言葉の槍が容赦なく抉り取る。
「実力を誤認させる、基本的な戦略に引っかかって負けちゃった、お間抜け緋乃ちゃん可愛いね」
「わ……わたしは間抜けじゃ……」
「そのくせプライドは無駄に高いから、一時撤退という選択肢も選べないおバカさんだものねー」
「ううぅ……!」
ベッドの上で縮こまる緋乃に対し、理奈と明乃による口撃が次々と襲いかかる。
明乃と理奈が言葉を発する度に、緋乃の瞳にじんわりと涙が滲んでいき。
「あ、あにょクソ女ぁ……! そうだ……ぜんぶ、ぜんぶアイツのせいでえぇぇぇ……!」
緋乃はプッツンした。それまで力なく萎びていた尻尾がピンと逆立ち、涙で潤む瞳に怒りの炎が燃え上がる。
「あっちゃー、緋乃ちゃんってば逆ギレしちゃった」
「いつも通りの責任転嫁ね。でもまあ、これだけ煽れば――しばらくは鍛錬にも力を入れるでしょ」
「立ち向かうしか道は無い、もんねぇ……」
そんな緋乃を見た理奈と明乃は、二人揃って肩を竦めるのだが、正義の怒り(自称)に燃える緋乃の目には、親友たちのそんな姿など映りはしない。
大好きな親友たちに詰られるというストレスに耐えきれなくなった緋乃の脳は、ベアトリスという敵に全責任を擦り付け、自身の正当化を始めてしまったからである。
当たり前といえば当たり前の話なのだが――緋乃はその特性が故に、周囲から全肯定されて育ってきたため、極めてストレスというものに弱かった。
ただ、己以外の存在に、あまり興味というものを持っていなかったため。そして、切り捨てるという事を得意とする性格であったために、普段はストレスを感じていなかっただけなのだ。
「ゆるさない……ぜったいにゆるさない……! どんな手を使ってでも、絶対に叩きのめしてやるんだからぁ……!」
こうして手段を選ばないこと決意した緋乃は、己のプライドには反するため、普段ならば絶対にやらない手段。
元々は敵であったゲルセミウムに対して頭を下げての、就寝時間を利用した戦闘技術の伝授を願い出たのであった――。
◇
「んと、じゃあ今度はもっと精神力を込めて、あと圧縮するイメージも忘れずに……」
ゲルセミウムのアドバイスを受けた緋乃は、改めて魔力を練り上げる。
闘気のように、増幅・燃焼させた生命エネルギーを、全身からそのまま放出するのではなく。
一度脳を経由させることで、そのエネルギーに精神力を混ぜ込み――外部からの干渉は受けにくく、そして内部からはより深く干渉できるように――エネルギーそのものを加工していく。
「ふぅぅ……! 今度はどう? これは結構イイ感じじゃない?」
膨大なエネルギーが緋乃の周囲を駆け巡り、そのあまりの出力に周囲の空間が軋みを上げる。
緋乃が再度展開した魔力は、より丁寧に練り上げただけあって、先ほどのそれとは段違いの完成度を誇っていたが――しかし、そうして緋乃が再度展開した魔力を見て。
『ウム、まあ初めはこんなところだろう。あとは慣れの問題か。最低でも、これを無意識化で、瞬時に行えるようにならなければな』
なんとか及第点に届いたとでも言わんばかりに、ゲルセミウムは鷹揚に頷いてみせた。
(折角うまくいったんだから、誉めてくれてもいーじゃん。そりゃまあ確かに、時間はかかっちゃったけどさ……)
その反応に内心で不満を抱く緋乃であったが、だが事実としてゲルセミウムの発言通り、魔力を練り上げるのに多少の時間がかかってしまったのはその通りなので、それを表に出すことはしなかった。
『込められた“意思の力”の性質によって、魔力もまたその特性を変化させる。悪意と殺意が飛び抜けているお前の場合は、回復阻害と汚染による継続ダメージと言ったところか』
「むぅ……まるで人を悪人みたいに……」
中々に悪辣な特性だな、と愉しげに発せられたゲルセミウムからの補足を受けて、緋乃は不満そうに唇を尖らせる。
『現在の我は、お前の精神に間借りしている居候のようなものだからな。宿主であるお前の感情や意思が、ダイレクトに流れ込んでくる……。お前が日々常々“この世界”に感じている、殺意と憎悪もな』
「……ふぅん、隠し事は無駄ってコト?」
大親友にして最大の理解者である明乃や理奈、そして優奈にすら黙っている己の本心を言い当てられた緋乃は、軽く目を細めながら静かに殺意を滲ませる。
『ククッ、そう剣呑な態度を取るなトリフィード。お前は我が後継者にして、娘のようなもの。お前にとって不利益になる行動など、取るはずもあるまいて』
しかし積み上げてきた年月の差、場数の差と言うべきか。その殺意は、なんでもないかのようにあっさりと受け流されてしまう。
「なにそれキモい。やめてくんない? ていうか、そのトリフィードってなに?」
『魔王としてのお前の名だ。我が名付けた。我ながら良い名だと思っているが?』
緋乃の問いかけに対し、心なしか得意気な雰囲気を醸し出しながら返答するゲルセミウム。
「……認めるのは癪だけど、なかなかカッコイイじゃない。でも、それとこれとは話は別! いきなり父親面するとかキモいからナシ! わかった!?」
『クククッ、これは手厳しい。ああ、了解したぞ我が娘よ』
「むー、セリフ的には問題気いけど……なんかニュアンスが……!」
勝手に名付けられたのは腹立たしいが、しかしその名前自体は割と自分好みのものであったので、怒るに怒れない。
ならば、と娘扱いしてきた件に対して、緋乃は眦を吊り上げるのであったが――しかし残念ながら、これも大した効果は認められず。打つ手のなくなった緋乃は、不機嫌オーラを放ちながら、ただ頬を膨らませる事しかできなかった。
『しかしまあ……肉体ではなく魂に由来する憎悪など、早々抑えられるものでもないだろうに――よくここまで見事に抑え込んだものだ。その精神の強さには素直に敬服しよう』
そのようにご機嫌斜めになった緋乃へのフォローのつもりだろうか。これまで曲がりなりにも破壊衝動を抑え込んできた、緋乃の精神力を讃えるゲルセミウム。
「……ま、わたしはちょっぴり特殊な事情持ちだからね。体は子供だけど、精神は大人ですから」
賞賛を受けた緋乃は、それまで漂わせていた不機嫌オーラを瞬時に投げ捨て――少々得意気な雰囲気を漂わせながら、その薄い胸を張る。どこが大人の精神だと思わずツッコミたくなる、実にチョロい小娘である。
『成程。そういえばお前は“前世持ち”であったな』
「なーんだ、知ってたのか。つまんないの」
しかしながら、緋乃が得意気に語ったその“特殊な事情”もゲルセミウムにはお見通しだったらしく。
ここから『どんな事情なのか知りたい? 知りたい?』とマウントを取る予定だったのを崩されてしまった緋乃は、つまらなさそうに鼻を鳴らす。
『当然だろう。我はお前の精神の内側にいるのだぞ? ……とはいえ、こんな穴だらけの記憶で“前世持ち”などと名乗られても、正直困惑を隠せないのだが』
「う、うるさいな……昔は覚えてたの! 前世とか正直キョーミないから、自然と忘れちゃっただけで!」
自身のことを“前世の記憶を持ち越した人間”と自認してはいたものの、気が付けばその記憶はほぼ完全に忘却の彼方。
最近は自身でも“前世の記憶持ち”と名乗る事に躊躇いを感じ始めていた緋乃に、ゲルセミウムの言葉が容赦無く突き刺さる。
――いやだって仕方ないじゃん? 何をしたところで、もう前世には戻れないんだし? そんな“終わった出来事”にいつまでも囚われてウジウジ悩むだなんて、絶対無敵のわたしには似合わないし?
(そうだそうだ、わたしは正しい。わたしはいつだって間違ってない――ううん、わたしの歩む道こそが、正しい道なんだから!)
などと、内心で自己正当化の文言を並べ立ててみたものの。
『うっすらと前世の性別について覚えているくらいで、それ以外はほとんど何も覚えていないではないか。これでは、そこら辺を歩いている只人とそう変わらんぞ? 本物の“前世持ち”に謝罪すべきだと思わんか?』
「だから昔は覚えてたって言ってるじゃん!」
『嘘だな。お前の心は“実は最初からかなりあやふやだったけど”と言っているぞ?』
「ぐぬぬぬぬ……! 勝手に人の心を読むなぁ……!」
ダメだった。この悪魔、人が気にしてる点を、遠慮なくズバズバと言ってきやがる。デリカシーが無さすぎる、絶対に彼氏にしたく無いタイプだ。
ゲルセミウムからの正論パンチの連打を食らった緋乃は、悔しさから地団駄を連続で踏み――その衝撃で地震を引き起こし、荒廃した町を更に破壊していた。
『ククク、これは失礼したな。さあ、お喋りはここまでにして鍛錬の続きといこうではないか。まあ練り上げる事にさえ成功すれば、あとは大して“気”と運用法は変わらんのだがな……』
「はいはーい! わたしビーム、ビーム撃ってみたいから撃ち方教えて! 教えて教えて!」
『フム……よかろう。魔力を用いた砲撃は基本にして奥義のようなものだからな。では、その全身に纏っている魔力の一部を、指先に集中させるのだ』
「えへへ、りょーかい!」
こうして現実世界における夜明けまで、緋乃は精神世界の内部にて、ゲルセミウムから魔力の操作方について学んでいった。
既に気を扱える緋乃が、魔力について学ぶ理由はただ一つ。ゲルセミウムから“精神生命体である悪魔にとっては、気よりも魔力の方が重要”だと教えられたからだ。
ゲルセミウム曰く『お前たちの言う“気”は単なる未加工品。単純な出力こそ高いものの、肉体から離れればすぐ霧散してしまうので、自由度が低い』とのことらしく、極めれば魔力の方が便利……なんだとか。
更に緋乃の場合は既に魂の半分以上が変質し、もはや純粋な人間には戻れないのだから、早いところ魔力について学ぶ方が効率的である。遅かれ早かれ、学ばなければならない時は確実に来るのだから――と説かれたのもあって、意欲的に魔力操作の習得に取り組んでいた。
「なんでー!? 全然飛んでかないんですけどー!?」
『……ここまで遠距離攻撃の才能が無いとは、逆に凄まじいな。感心するぞ』
成果が出るかどうかは別として、取り組んでいた。