20話 親子喧嘩
恭二がソニアへと、研究所を巡る戦いの顛末を報告しているちょうどその頃。
勝陽市からほど近い、水城家が所有する森の奥深く。まるで広場のように木々が切り開かれたその場所にて。
緋乃と優奈。一見すると年の離れた姉妹にしか見えない母娘が、激しくその拳をぶつけ合っていた。
「お母さんの――」
剥き出しではあるものの、乾燥して硬く固まった地面。
緋乃はその地面にひび割れが入るほどの強烈な踏み込みを行い、常人の目では捉えきれない程の速度で一気に優奈との距離を詰めると、その勢いのまま拳を振るう。
「バカ――!」
怒りの咆哮と共に放たれた緋乃の拳が、優奈が防御の為に掲げた腕へと直撃。
それを受けた優奈は、ガードを取った姿勢のまま、派手に土煙を巻き上げながら十数メートルほど後ずさる。
「それは……こっちの台詞よ――っ!」
体勢を整えた優奈が、今度はこちらの番と言わんばかりに瞬時に距離を詰め、緋乃へと拳を繰り出す。
優奈の踏み込みの速度も尋常なものではなく、緋乃のそれに劣らないほど――否、むしろ緋乃よりもその速度は速く。また地面にひび割れを残さないなど、より洗練されたものであった。
「――ッ!」
しかし、いくら動きが速くても緋乃と優奈の間にはそれなりの距離がある。
その気になれば、回避はおろか尻尾による迎撃。または重力操作による干渉から、大地を巻き込み蹴り上げることによる撹乱。
多種多様な対抗手段が思いつく、そんな見え見えの突進からの一撃。
しかしその一撃を前にして、緋乃はあえてその場所に踏み止まる。腰を軽く落とし、眼前で両腕をクロスして、そこに気を集中させる。
そうして緋乃は、優奈の一撃を真正面からしっかりと防ぎ止めた。
「ぐっ――」
だが膨大な気に物を言わせてパワーを補うことはできても、緋乃と優奈との間にある体重の差までは補えない。
小さな緋乃の体は、勢いの乗った優奈の一撃に耐え切れず宙を舞う――ことなく、地に両足を着けたまま、数瞬前の優奈と同様に後ずさる。
「まだまだぁ……!」
緋乃が無様に吹き飛ばかなった理由。それはつい先ほどまで緋乃が立っていた地面へと突き刺さっている尻尾にある。
優奈の拳を受け止める直前。緋乃は尻尾を地面深くに撃ち込むことでこれをアンカーとし、体が浮くことを防いだのだ。
「引っ越しだなんて……! 逃げるなんて! わたしは絶対に嫌なんだから――ッ!」
尻尾を地面から引き抜いた緋乃は、十字に裂けたまま戻らない瞳孔の眼で、優奈を睨みつけながら啖呵を切ると再びその脚に力を込め。
拳へと気を集中させながら、勢いよく飛び出していった。
「おーおー、二人とも思ってたよりマジだね。優奈さんのガチバトル、久々に見たけど……やっぱり強いわねえ……」
「な、なに感心してるの明乃ちゃん。なんか思ってたよりずっと派手だよ? 『ちょっとした親子喧嘩』って言ってたのに……! ていうか優奈さん、なんか強くない……!?」
「そりゃまあ、ねえ? だってあの緋乃の母親よ? 猛獣の母親は、同じく猛獣に決まってるじゃない?」
「い、言われてみれば確かに……」
周囲へと激しい打撃音を響かせながら行われる、緋乃と優奈の親子喧嘩。
ただ交互に、全力で殴り合うという――技術や駆け引きといった要素が微塵も絡まない、純然たる意地と意地のぶつかり合い。
緋乃と優奈が激突する広場より、少しばかり離れた小高い丘の上。明乃と理奈の二人が、その戦いを観戦しながら言葉を交わしていた。
「ま、二人ともなんだかんだで周囲に気を使う余裕はあるみたいだし、大丈夫でしょ。理奈が心配するような大怪我はしないって!」
「そ、そうだね、うん……」
楽観的な感想を漏らす明乃に対し、浮かない表情のまま返す理奈。
尻尾による直接攻撃と異能を封印し、得意の蹴り技も控えめな緋乃。
緋乃よりも体が大きい分、純粋な殴り合いでは有利ということか。余裕をもって体勢を整えるのだが、あえて緋乃に攻撃の順番を譲る優奈。
確かに明乃の言う通り、本気の潰し合いという訳ではないのだろう。
そのことを理解して、理奈も小さく頷くのだが……それでもその声は暗く、目の前で行われる親子喧嘩に対しての罪悪感が感じ取れた。
「はあ、そんなに落ち込まないの。話を聞いた限り、優奈さんに黙って勝手に依頼を受けて、独断で研究所とやらに突っ込んだ緋乃が悪いんだからさ。理奈だって研究所の爆発に巻き込まれて、怪我しちゃったんでしょ?」
そりゃ緋乃にダダ甘な優奈さんでも、いい加減に怒るわよ。と訳知り顔で頷きながら、理奈に責任は無いと説く明乃。
しかし明乃のその説得を受けてもなお、理奈の表情は沈んだままだ。
「別に、私の怪我は大したことなかったし……。それよりもあの時、私がしっかり止めてれば……。そのせいで、遠くに引っ越しだなんて……」
母である優奈に黙ったまま、勝手にユグドラシルという犯罪組織に関わる依頼を受けた緋乃。
さすがにこれは一線を越えてしまったらしく、これまで緋乃の行動に口出ししなかった優奈もついに爆発。
緋乃は激しく叱られた上、これ以上この組織から狙われないようにと、遠方への転居と格闘戦の禁止を言い渡され――明乃や理奈と離れ離れになりたくない緋乃は、当然の如くこれに反発。
引っ越しの是非を賭けて、拳による話し合いが始まったという訳である。
「だ、大丈夫よきっと! いくらなんでも、一軒家を引き払ってのお引っ越しとか突然すぎるし? 勿体なさすぎるし? 緋乃に対する怒ってますアピールとか、たぶんそういうのでしょ……!」
不安そうな表情のまま呟かれた理奈の言葉に対し、明るい表情を作りながら答える明乃。
しかし、いざ答えているうちに不安になってきたのか。その後半は、まるで自分に言い聞かせるかのような調子になっていた。
「くぅ、優奈さんの前で、緋乃をおおっぴらに応援するわけにはいかないし……」
今回の件について、どう考えても悪いのは緋乃である。
しかし、この喧嘩で緋乃があっさりと負けてしまった場合。遊び半分の覚悟だったと判断され、本当に緋乃がこの町から出て行ってしまうかもしれない。
その未来を想起してしまったのか、心なしか焦った様子で、眼下にて行われる戦いへと明乃は目をやり――。
『おぼふっ!?』
「あ、モロに顔面に……!」
「あの馬鹿、何食らってんのよ!」
丁度その時。優奈の拳が緋乃のガードを突き抜けて、その頬へとめり込んだ。
緋乃は殴られた勢いのまま吹き飛び、そのまま地面の上をバウンドする。
「ああっ、鼻血出てるしめっちゃ涙目じゃない……! 耐えろ、耐えるのよ緋乃……!」
「嘘ぉ……。馬鹿みたいに硬い緋乃ちゃんの顔面に、真正面からダメージを入れるなんて……」
顔と髪は女の命と、緋乃は頭部の防御に関しては特に気を使っていた。
風呂場でリラックスしている時でも、寝ている時でも。どんな時でも無意識下のうちに気を纏えるようにと鍛え上げた結果、緋乃の頭部は異常なまでの防御力を誇る。
どのくらいの防御力かというと、下手に殴ると殴った側の拳が砕け、刃物で斬りつければ逆に刃物側が刃こぼれするほどだ。
その緋乃の防御を突き破りダメージを与えるなんて、いったいどれほどの威力の拳なのかと、理奈は体を震わせる。
『痛いじゃないのバカ――!』
『痛くしてんのよ大馬鹿――!』
しかし、殴られた緋乃はこれまで以上の大声で叫ぶとともに、より激しい勢いで優奈へと向かい拳を振るう。
それを確認した明乃と理奈の二人は、顔を見合わせてほっと一息を吐く。
「よかった、なんか平気そうだね……」
「そうね……。まあ無事みたいででよかったけど……いつまで殴り合ってんのかしら、あの二人……」
「周囲の生命力を吸い上げて自分のものにできる緋乃ちゃんはともかく、優奈さんもなかなかのスタミナお化けだね……」
「エネルギーお化けの緋乃は置いておくとして、優奈さんもかなりの気の持ち主だからね。こりゃ長くなりそう……。お昼ご飯、食べた後でよかったわー」
緋乃には自分の意見を押し通して、引っ越しの話を無かったことにして欲しいものの、さすがにこうも戦いが長引くと緊張感が保たない。
そう言わんばかりに、はははと乾いた笑いを漏らす明乃と理奈。
そんな二人の反応など露知らず、緋乃と優奈は広場にて激しい殴り合いを繰り広げ続ける。
『このっ! 自動で回復とかズルいわよ! それ止めなさい!』
『止めたくても止められないの! 大人のクセにガタガタ言うなー! こっちは子供だぞー!』
明乃と理奈の二人の見守る前で、緋乃と優奈による、心中を叫びながらの殴り合いは続き――。
日が落ちる直前になってすべてを吐き出し終わったのか、ようやく二人は和解。
今後は優奈に必ず話を通すという条件の元、引っ越しの件も水に流されるのであった。
◇
その日の夜。明乃と理奈と共に、自室にて床に就いた緋乃がふと目覚めると。
そこは様々な建築物の残骸や焼け焦げた瓦礫で埋め尽くされた、黄昏の世界であった。
「え、え? えええ?」
大部分が吹き飛び、基礎が剥き出しとなった民家。中ほどから崩れ落ちたマンションやビル。
地面には折れた電柱やへし曲がった街灯が転がっており、そこら中に穴が開いている。
無残に蹂躙され尽くした、誰もいない世界。そこに緋乃はただ一人、ぽつんと立っていた。
着替えた覚えも何も無いのに、いつの間にかタンクトップにホットパンツ、そしてジャケットを肩落としで羽織るという、いつもの私服姿でだ。
「えっと……。ここ、どこ……?」
予想外の光景を前に、一体何が起こったのかと狼狽える緋乃。
――なにこれ。わたし、普通に寝たハズだよね? 明乃と理奈と一緒に。
――じゃあ、これは夢? いや、夢にしてはちょっとリアルすぎ……だけど、やっぱり夢だよね? 明乃も理奈もいないし。
そうして混乱する緋乃の耳に、ふとその背後から。どこかで聞いた覚えのある声が届く。
『フム、ようやく我が声が届いたか……』
「――――!?」
慌てて声の聞こえる方向へと緋乃が向き直ると、そこには。
『久しい……というほどの時間ではないか。まあいい、よくぞ来た。我が後継者よ』
人間より二回りは大きい、鈍く輝く鋼色のボディ。背中から翼のように生える、6本のワイヤーランス。
まるで戦闘用のロボット兵器のような見た目をした存在――緋乃たちが半年ほど前に、死ぬような思いをして倒した大悪魔――ゲルセミウムが、腕組みをしながら佇んでいた。




