8.魔神官の祠
城下町を抜けた後、地図を頼りに祠を目指して草原を歩いていると、突然岩陰から数人の人族が姿を現した。
このガラの悪い独特の雰囲気は、おそらく解放軍。
無視して進もうとしたのに、進路を妨害するように取り囲まれてしまった。
「……何か、私に御用でしょうか」
ぐるりと見渡すように全員を睨みつけると、解放軍がニヤニヤと嫌な笑みを浮かべ、一斉に剣を抜く。
「あんた、聖女なんだって? 魔神官になるなんて、やめとけよ」
「聖女は人族を守っていれば、それでいいんだ」
「……すみません。急いでいるので、退けて頂けますか」
解放軍の考えはあまりにも自己中心的で、聞く価値もない。剣を突きつけられても毅然とする私の態度に、解放軍が動揺を見せる。
「くそっ舐めやがって。おい、捕まえろ」
「舐めているのは、そちらですよ?」
残念ながら、私も丸腰ではない。
私を捕まえようと襲い来る解放軍に、護身用として渡されていた宝珠を向ける。起動した瞬間、宝珠から轟音と共に炎が巻き上がり、解放軍全員が激しい炎に包まれた。
「ぐあああっ、何だ!?」
「そ、そんな力、卑怯だっ」
「卑怯……? そんな事を言われるなんて不本意ですから、一度だけは助けてあげます」
黒焦げになって動かない解放軍を全回復してあげると、全員頭を振りながらヨロヨロと立ち上がった。
「……次は不意打ちではありませんし、回復はしませんよ。まだ、やりますか?」
(サツリさん!これ、何の宝珠なの!?)
と、力一杯突っ込みたい衝動を抑えて。護身用の宝珠を片手に、極めて冷静に解放軍と対峙する。
この宝珠、サツリに護身用として渡されたけど、こんなに強力だとは聞かされていなかった。本気で使うと、軽く国を落とせそうな宝珠に、手が震える。
「ふざけるな、油断しただけだ!」
「やるに決まってんだろうが――」
「――お、おい、待て! 止まれ!」
解放軍が吠えた直後――私の後ろを見て一人が狼狽える。全員同様に私の背後を見て、ピタリと動きを止めた。
「折角、助けてやろうと思ったのに。何なの、お前……その物騒な宝珠は」
「あ、あれ。この声……フライ?」
振り返ると、後ろに居たのは、やっぱりフライだった。
フライは解放軍をじろりと見渡すと、威嚇するように目を細めて嗤う。
「それで……やるって、何を? 俺と?」
さすがに城下町付近の解放軍は、魔王の顔を知っているらしい。全員一目散に姿を消した。
◇
「あ、ありがとうございました」
とりあえずお礼は言ったものの、フライがこんな場所に姿を現した理由が分からない。
「助けてくれた、という事は……魔神官を目指す事に賛成……とか?」
「ばーか。ダメにきまってんだろ。連れて帰んだよ。宝珠は没収な」
フライはひょいと宝珠を奪うと、私を軽々と肩に担いだ。
「や、やだ、お、おろしてください」
護身用の宝珠は、ここまで察したフライの邪魔対策用だったらしい。人族の解放軍相手にしては、威力がおかしいとは思った。
手足をバタつかせて逃げようとしても、フライの腕はびくともしない。
「お前なぁ。魔王から逃げられるわけねーだろ。諦めろ」
「い、嫌です。フライが諦めてください。私、魔神官になります。絶対なります」
全身を捻じらせてフライの角と顔をぐいぐい押すと、フライが呆れた顔で、私の顔を覗き込む。
「っとに。なんでそこまで拘る必要があるんだよ。魔神官じゃなくても、どっか別の町で普通の神官になりゃいーだろ?」
「ち、違います。魔神官じゃないと意味がないです。それに……師事できる神官も、当てがありません」
雨の中、ただ泣くしかできなかった私の悔しさを、フライは知っている。師が見つからない限り、神官にもなれない私は、ただの役立たずのまま。
「もう、何もできないでいるのは、嫌なんです」
じっと睨みつけるようにフライを見つめると、根負けしたフライが先に目を逸らした。
「はぁ、めんどくせ……なら、もう好きにしろ」
フライは放り投げるように私を降ろすと、城下町へ戻って行った。
◇◇◇
「……魔神官がいなくて、フライだって困っているくせに。あんなに昔の女を引きずるなんて。あぁもう、私の好きにしますから。好きにしてやりますから」
フライと別れた後、ずっとぶつぶつと文句を垂れ流しながら、祠のある洞窟へと足を踏み入れた。
点々と松明に照らされただけの洞窟内部は、思っていたよりも薄暗い。足元に注意を払いながら進むと、突き当りに小さな祠が祀られていた。
書物にあった通りに、祠に魔力を流して祈りを捧げる。
直後、ずるり、と何かが視界の端で蠢いた。
「今の……何?」
その気配に顔を上げると――首をもたげた、数メートル級の大蛇と目が合った。
大蛇が、祠越しに私を威嚇する。
「ま、まさか、これが試練?」
確かに、書物には『試練を越えると祠に入れる』と書いてあった。その試練が実戦だなんて聞いていない。
大蛇が音も立てず、私を取り囲むように移動する。
松明に照らされたその姿には、見覚えがあった。
「……バジリスク」
蛇の王バジリスク。その牙には猛毒があるという。
魔神官の試練、ハードル高すぎる。
実戦があるなんて知らなかったから、武器なんて護身用のナイフぐらいしか――。
「……あっ! 護身用の宝珠!?」
サツリに渡されたあの宝珠は、解放軍避けでも、フライの邪魔対策でもなかった。きっと、試練対策として持たされていた。
それなのに、宝珠はフライに没収されてしまった。
バジリスクが大きく顎を開き、鋭い牙がギラリと光る。小さなナイフを両手で構えてみるけど、威嚇にも気休めもならない。
(ダメ、噛まれる――)
ナイフを突き出すと同時、洞窟内に強い突風が巻き起こり辺りが暗くなった。
握りしめたナイフから、肉を突き刺す鈍い感触が伝わってくる。
◇
「…………?」
しばらくしても、バジリスクが動く気配はなかった。奇跡的にナイフがバジリスクの急所を突いたのかもしれない。
暗闇の中、状況を確認しようと目を凝らすと、
「え……な、なんで――フライ!?」
暗くなったのは、突風で松明の灯りが消えたわけではなかった。フライが、バジリスクから私を庇うように覆いかぶさっている。
「あ……っぶね。おい、大丈夫だろうな?」
私のナイフはバジリスクではなく、フライの右腕に刺さっている。
滴るフライの血が、ナイフを伝い私の手を濡らす。体全体で私を庇ったせいで、バジリスクの牙が、フライの右肩に深々と突き刺さっているのも見えた。
青褪める私の頬を、フライがペチペチと軽く叩く。
「おい、しっかりしろ。聞こえるか? 怪我はないな?」
「は、はい、私は……それより、フライの方が」
フライの怪我を治そうと、魔族用の回復魔法を何度も展開してみるけど、どうしても上手くいかない。知識はあるのに、発動できなくてもどかしい。
泣きそうな私に、フライが頬を引き攣らせて笑う。
「あぁ、師事って……そういう事か」
フライが左腕を回してバジリスクの顔を鷲掴みにすると、強い電撃を打ち込んだ。一瞬洞窟内が昼のように明るくなり――バジリスクはビクリと大きく跳ねた後、動かなくなった。
◇
どうやらフライは、宝珠の威力が妙だと気付いて引き返してきたらしい。噛まれていた箇所に松明を近づけて確認すると、既に紫色に腫れあがっていた。
「傷はすぐ塞がるけど、毒はやべぇな」
「た、大変です。すぐに解毒をしないと……」
今度は解毒魔法を試してみる。人族用の解毒魔法はもちろん効かないし、魔族用の解毒魔法は仕組みが分かっているのに発動しない。
「ご、ごめんなさい。……役立たずで、ごめんなさい」
これまで聖女として救いを求められ、それに全て応えてきた。その分、目の前の傷や怪我が直せない事が、異様に怖い。
急いでローブの裾を噛みちぎり、震える手で包帯を作ってこれ以上毒が回らないよう止血をした。
「あー……いいよ。そもそも、バジリスクの毒なんて、解毒できるやつなんていねぇし。これは、お前が早く魔神官になるしかないな」
「え……」
驚いてフライを見ると――フライが諦めたように笑い、私の頭をぐしゃりと撫でる。
「分かってるよ……ただの我侭だって。新しい魔神官は……必要だ」
私が魔神官になってもいい、と。そう言ってくれている。
このまま嫌われる事も覚悟していた分、そんな場合でもないのに嬉しさがこみあげる。
「わ、私、すぐに魔神官になって、戻ってきます。だから、それまで絶対死なないでください」
急いで祠に触れると、体が吸い込まれるような感覚に陥って、ぐにょりと視界が歪んだ。
「おぉ、待ってやるから早く戻って来い」
「はい! ……あ、あれ?」
そういえば、魔王は勇者様の力以外で倒せなかった気がする。魔王にはバジリスクの猛毒すら効かないのでは。
それに気付いて顔をあげると、フライは全く痛がる素振りもなく、余裕そうな顔でヒラヒラと手を振っていた。