7.聖女の猛勉強
ずぶ濡れになって泣くだけ泣いたら、随分と冷静になれた。新規一転、翌日から魔王城の図書室に籠って、回復魔法の勉強に没頭した。
猛勉強のおかげで、魔族用の回復魔法は大体理解できた。
基本的な魔法の仕組みは同じだけど、人族と魔族では体の構造が違う分、魔法を展開した後の手順が根本的に違うらしい。
理論的には、できそうな気がする。
「でもこのままだと、机上の空論なんですよね」
魔法を習得するには、知識を付けた後、実戦で修行をつける必要がある。
サツリに「師事してもらえそうな神官を紹介して欲しい」とお願いをしたのだけど。結界の神官不足は想像以上に深刻で、あっさりと「思いつかない」と言われてしまった。
落胆したものの、いつ運命の師に巡り合えるかは分からない。その時のため、とにかく今はひたすらに勉強をして、知識をつける事にした。
◇
「そういえば、一人ほど、師匠候補を思いつきました。会えるかどうかは、サン次第ですけどね」
サツリが、目の前に数冊の本をどさりと置いて、横に座る。
「会えるかどうかって……どういうことですか?」
「その本を読むと、分かりますよ」
直接教えてくれればいいのに、と渡された本をパラパラ捲る。
「神官不足はかなり深刻ですから、是非、サンには頑張って頂きたいです。その勉強量は、僕から見ても称賛に値しますよ」
最初、サツリは私を『生まれつきの聖女』だと勘違いしていたらしい。ここ連日の猛勉強で、聖女の称号も努力と根性の賜物だと気付いたようで、勉強に付き添ってくれるようになった。
図書室の本を端から読んでいた私に、それでは効率が悪いということで、こうして役立ちそうな本を見繕って渡してくれるようにもなった。
いつも渡される本は、回復魔法や魔族の構造に関する書物だったのに、今日は珍しく魔神官に関する書物が混じっている。
「あぁ、例の『魔神官様』……ですね」
思わず、眉間に皺が入る。
『魔神官』。ロマーラにいた頃は聞いた事もなかったけど、城下町の教会で散々聞かされたから、その存在はもう知っている。
城下町の教会で人族を回復した時、皆が「魔神官様が現れた」と、期待に満ちた目で私を見た。でも、私が魔族用の回復魔法を知らない事に気付くと、「魔神官様ではないのか」「すごいけど、聖女なのか」と一瞬で絶望の色に変わった。
あれは、聖女として自信を持っていた分、かなり苦い記憶となった。
それ以来『魔神官』という言葉を思い出さないようにしていたけれど、その本には目を背けられない程、びっしり『魔神官』について記述されていた。
――魔神官とは、魔王に仕える唯一の神官。
魔王の御膝元である城下町の教会には、通常、一人の魔神官がいる。神に仕える聖女と違うのは、仕えるのが魔王で、全ての回復魔法が使いこなせるという事。
逆にいうと、城下町の教会に魔神官以外は不要。この先、回復魔法の能力を活かして魔王城に居座るためには、悔しいけれど魔神官の職を目指すしかない。
「……魔神官になるには、どうすればいいのかしら」
サツリは私が読んでいた本を一旦手に取ると、別のページを開いて戻してくれた。眼鏡を押さえて本を覗き込み、中盤の一文を指でなぞる。
「ここです。初代魔神官を祀る祠の試練を越え、初代魔神官の修行と儀式を成し遂げ、認められた者のみが、唯一その称号を受け継ぐ事ができる、とあります」
「初代魔神官の修行? それって、魔神官を目指せば、初代魔神官に師事できるという事?」
驚いて顔をあげると、サツリがご名答とにっこり笑う。
「ええ、これ以上ない師匠でしょう。祠は魔王城と一緒に、城下町近くに移設してあります。はい、こちらをどうぞ」
「……あれ?」
まだ魔神官を目指すとは一言も口にしていないのに。ご丁寧にも、祠までの地図を渡されてしまった。
◇
図書室からの帰り、廊下でフライとすれ違った。フライが物珍しそうな顔で顎に手を当て、私とサツリが並んでいる様子をじっと眺めている。
「珍しい組み合わせだよな? 二人して、何やってんだ?」
「今、サツリに色々勉強を手伝ってもらっているんです。私、魔神官を目指す事にしました」
深刻な神官不足も、城下町の魔神官不在も、フライの知るところ。
私が魔神官を目指す事に、フライは素直に喜んでくれるだろう……と、考えていた。
「…………あ? どういうことだ」
私の思惑とは裏腹に、一瞬でその場の空気が凍り付く。
魔神官という言葉で、さっとフライの顔つきが鋭く変わった。瞬時に目を赤く光せてサツリを睨みつけると、その胸倉を掴んで強く壁に押し付けた。
「ぐっ……」
「サツリ……お前、こいつに何を吹き込んだ」
瞬間、細い廊下が、ぶわりとフライの瘴気で充満した。冷たい空気を纏う、その魔王の姿に、背筋がゾクリとする。
怒りを抑える素振りのないフライに、サツリも怯む事もなく目を細める。
「人聞きの悪い……いい加減に諦めてください。どう足掻いても、魔神官は必要です」
「……知るか。いいか、勝手な事をするな」
フライはサツリが壁にめり込む程押し付けると、それ以上何も言わず立ち去っていった。
◇
「い、今の何ですか。……どういう事ですか?」
おろおろと焦る私に、サツリが乱れた胸元をパンと直し、呆れたように息を吐く。
「まったく、いつまで尾を引いているんでしょうか。フライ様は、先代の魔神官に惚れていたんです。……フライ様のせいで、彼女は命を落としましたけど。
魔神官は魔族の宝だというのに、こちらとしては、いい迷惑ですよ」
「……え?」
先代の魔神官は、フライの想い人。
喉をこくりと鳴らす私に気付いて、サツリが気まずそうに口元を引き攣らせる。
「あぁいえいえ。もう昔の話ですよ。サンが気にする事はありません。
ご認識の通り、城下町の神官不在は限界を超えています。フライ様のことは気になさらず、是非、魔神官を目指してください」
聖女候補も中々見つからないけど、魔神官候補も同様に簡単には見つからないらしい。
途中から無理やりサツリに誘導されていた感が否めないけど、私には知識も魔力も充分な素質があると、ぐいぐい私の背中を押してくる。
「ま、待ってください。もし魔神官になったら……私、フライに嫌われませんか?」
「その点は大丈夫ですよ。今ので、もう充分嫌われましたから。折角魔王城に残ったのに、残念ですねぇ」
「う、うそ」
参謀サツリの笑顔に、全身が固まってしまった。
◇
これ以上、フライに嫌われるのは嫌かもしれない。魔神官を目指すの、やめようかな。……と考えた事を、サツリに悟られた。
気が付いた時には、「魔神官候補が現れた」と城下町はお祭り騒ぎ。
ご丁寧にも何故か「候補者は、教会で奇跡を起こした聖女」という噂が知れ渡り、城下町で顔が知られてしまっている私には、後に引けない状態になってしまっていた。
与えられている部屋のクローゼットを開けると、コツコツと作っていた服はいつの間にか撤去されて、全て魔神官の正装と思わしき黒いローブに変わっていた。
「……『いいから行け』といわれている気がするわ」
サツリの予想は当たっている。確かに、連日の猛勉強で知識はもう充分溜まった。
身をもって、魔王軍参謀の恐ろしさを実感してしまった。
魔神官の祠は、城下町を抜けた先、洞窟の中にある。
覚悟を決めて黒いローブを纏い、城下町に足を踏み出した途端。私の姿に気付いた民から、大きな歓声に包まれた。
人族も魔族も分け隔てなく、期待に満ち触れた視線が、眩しくて痛い。これで、もし儀式に失敗して魔神官になれなかったら、間違いなく魔王城に居場所はなくなってしまう。
魔神官の試練に失敗したので、魔王城で別の職を探す……という道が、完全に立たれてしまった。
笑顔で手を振りながら、ダラダラ流れる冷や汗が止まらない。
きっと全てが魔神官欲しさのサツリの策略。魔王軍参謀は、敵に回してはいけない。しっかりと、身に染みて感じてしまった。
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