1.捨てられ聖女
古の時代、人族が平和に暮らしていた世界に、突如として魔族は現れた。
魔族は世界の支配権を求めて人族を襲い、人族はその圧倒的な力に恐怖した。
憂いた神は、無力な人族に、特殊な力を授ける。
力を与えられた若者は『勇者』と名乗り、その神聖な力を武器に、魔族の王である魔王へと戦いを挑んだ。
だが激戦の末に、勇者は敗れた。
勝利した魔王は地上を結界で覆い、世界の半分を占拠した。
――それから、長い年月が経った。
魔王軍は満足したのか、結界に身を潜めて大人しくなった。だが、残された世界を巡り、人族と魔族は未だに争いを続けている。
結界への侵入を拒むように、結界唯一の入口には魔王城が建設された。
誰一人として結界内外を行き来した者はおらず、結界の中がどうなっているのかはわからない。それゆえ、結界に取り残された人族の救出も叶っていない。
いずれ訪れる魔王軍との決戦に向け、人族は、結界の入口である魔王城の目と鼻の先に、砦となる『ロマーラ』を建国した。
――さらに、幾年の年月が流れた時。
再び神の力を手にした『勇者』と名乗る者が、ロマーラに現れる。
◇◇◇
――そして魔王城。
圧倒的な魔王の力を目前に、勇者様の頬を汗が伝う。
勇者様は聖剣を握り直すと、悔しそうに歯を食いしばった。
「くそ……ここまでなのか」
「あれ? ちょ、ちょっと、勇者様。待ってください」
まだ、戦闘開始直後。魔王から一撃食らっただけとは思えない勇者様の台詞に、思わず突っ込まずにはいられなかった。
勇者様は剣を構えただけで、まだ何の攻撃もしていない……ように見える。
戦士のおじさんと魔法使いのお姉さんも、勇者様の早すぎる戦意喪失に、ぽかんと口を開けたまま。
魔王討伐の為、突貫編成されたこの勇者パーティ。
ロマーラに突然現れた『勇者様』、ロマーラ王女であり聖女の私、たまたまギルドに居た戦士と魔法使いの四人組。
ろくに自己紹介も無しに「魔王は僕一人で倒せるから、君達の力は必要ないよ」と、前髪をふんわりとかきあげて魔王城へ駆けだした、あの自信に満ち溢れた勇者様は、今や見る影も無い。
魔王が薄く嗤い、その指が空を薙ぐ。
指の軌跡に沿って空間が裂け、異空間から飛び出した死霊達が一斉に勇者様へと襲い掛かった。
『……面倒だ。相手をしてやれ』
感情の起伏が薄い、気怠そうな魔王の声。その冷たい声に、背筋までゾクリと冷える。
「うわっ、何だこれ!?」
死霊を払おうと勇者様が剣を振り回すと、死霊達は軽々と勇者様から剣を奪ってみせた。
「くそ……やるなっ!?」
「や、やってますか!?」
肩で息をする勇者様から、『死闘を繰り広げている感』だけは立派に滲み出ている。
実際には、出鱈目に剣を振り回しただけにしか見えないけど。
「こ、これ、どう考えても魔王討伐なんて無理ですよね? 早く撤退しないと……」
「ええ。剣の修行から始めないと、これは難しいですね」
私の呟きに戦士が反応し、魔法使いが深く相槌を打った。
魔王には、勇者様が持つ『神聖な力』しか通用しない。戦士と魔法使いは、盾役としているだけで、私含めて魔王戦では役に立たない。
勇者様だけが頼りのパーティで、戦いを挑んで数秒後に絶体絶命という怒涛の展開に頭がぐらぐらする。
戦士が、大きく声を張る。
「勇者殿、ここは、撤退を――」
その戦士の言葉に、勇者様は振り返り、爽やかな笑顔を見せた。
「あ、ああ。そうか? お前達がそんなに言うなら、仕方ない。撤退してやる!」
「お前達が言うなら……?」
「仕方ない……?」
「撤退してやる……?」
撤退を私達のせいにする勇者様から、ダメ人間の気配がじわじわと漂ってきた。
戦士も魔法使いも、相当な手練れ。私も回復魔法を死ぬ気で習得して、王女ながらに聖女にまで上り詰めた。
こんな所で、ダメ勇者様の巻き添えは食らえない。
「皆さん、宝珠を……ここは一度、ロマーラへ戻りましょう」
一度訪れた場所なら、一瞬でどこにでも行ける希少な魔具『帰還の宝珠』。出発直前に、ロマーラ王妃が全員の道具袋に押し込んでくれていた。
宝珠に魔力を流して起動させ、天に掲げて行先を念じる。戦士と魔法使いも急ぎ宝珠を取り出し、天へと掲げた。
次いで勇者様も宝珠を掲げると、髪をふわりとかき上げ、魔王にビシリと指を向ける。
「いいか、魔王。今回は、仕方なく撤退してやるだけだ。勇者の僕が負けたわけではないし、次は必ず勝つからな」
勇者様の馬鹿げた挑発に、魔王が赤い目を光らせる。
『……そうか。では、お前は残ればいい』
魔王が長い指をピンと弾くと、その衝撃波で勇者様が手にしていた宝珠が粉砕された。パラパラと、乾いた音を立てて、宝珠の欠片が床に舞い落ちる。
「あ……あ、……宝珠が!?」
調子に乗って挑発して、逃げる術を失った勇者様が、青褪めて立ち尽くす。
「勇者様!」
こんな人でも一応は勇者だし、唯一魔王に対抗できる、人族の希望。
魔王城に一人残して帰るわけにはいかない。
勇者様を助けようと、片手を伸ばす。
一つの宝珠で二人転移できるかどうかは分からないけど、こうなったからには、やってみるしかない。
「勇者様、こちらへ!」
勇者様が手を伸ばす私に気付き、急いで駆け寄って来る。
――魔王が楽しそうに目を細め、その手に魔力を込め始める。
「ぼ、僕が助かった方が、世界のためだよな!?」
「――え?」
一瞬、勇者様に何を言われたのか、理解できなかった。
『……ここから、生きて帰れると思うな』
魔王が勇者様に向けて手をかざし、轟音と共に黒い炎を放出する――。
「うわっ、お、おいっ聖女! 何をしている。早く寄越せって!」
勇者様が、私から『帰還の宝珠』を毟り取る。
「……え――?」
突然の事に思考が追い付かず、抵抗する事もできず。
宝珠を奪い、笑顔を引き攣らせる勇者様を、呆然と眺める事しかできなかった。
「――勇者殿、なんという事を……聖女殿!」
「聖女様、こちらへ!」
戦士と魔法使いが私に手を差し伸べた瞬間――宝珠が光に包まれ、二人とも溶けるようにその姿を消した。
「こ、これは、もう僕のだ!」
私に宝珠を奪い返されないよう、しっかりと宝珠を胸に抱きしめた勇者様も、光と共に姿を消した。
「え……あ、あれ? どういうことですか?」
夢でも見ているのだろうか、と。
ぽつんと一人残され、勇者様がいたはずの空間を眺めたまま、首を傾げて立ち尽くす。
何故か、私より魔王の方が焦った様子で、大声で叫ぶ。
『うそだろ!? おい、そこの聖女、早く避けろ!』
「え? わ、私ですか?」
次の瞬間。勇者様に向けられていたはずの黒い炎が、標的を失い私に襲いかかる。
「――――っっ!」
あまりの痛みに耐えきれず、声にならない悲鳴が口から漏れ、視界が暗転した。
◇◇◇
(……今……魔王が……私に、話し掛けた?)
薄れていく意識の向こうで、
「うわ……やっちまった」
「あーぁ、さいてーです」
「さいてーです」
「これは酷い、最低ですね。まぁ、あの勇者も、大概最低でしたけど」
この場に似つかわしくない、軽い会話が聞こえたような気がした。
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