59 対決 陸上編
いよいよ、今日最後の対決が始まる。もうすでに時は午後である。対決に熱中しすぎて昼食をとることさえ忘れていた。
本来ならエネルギーチャージは大切なのだが、俺はそんなことさえ忘れて目の前のことに集中していた。
俺は、陸上クラブに入っていた時代の準備体操を始めた。これは、俺が県大会などの大会に出場するときにするいつもより入念な準備体操だった。
途中で関節等の怪我がないように入念に準備体操をする。もう既に4戦もしているため身体には疲労があり、怪我をしやすい。
だから、いつもよりもしっかりとした。
俺が準備体操をしていると、誰かの視線に気付く。その視線の方に、目線を向けると、そこには夏帆がいた。
少し驚いた様子で、こちらを見ていた。
「どうしたんだ?」
そんな顔をされる覚えがないので、そう尋ねた。
「……!い、いや、なんでも…………」
彼女は俺が尋ねると、慌ててなんでもないという。その表情は、どこかいつもと違う様子だった。
どうしたんだ?なにか、俺についてたのか?
そう尋ねようと思ったが、それを聞く前に、
「頑張ってね、ゴールで待ってるから」
そう言って、話題を変えられてしまった。
「ああ、わかった。任せろ」
彼女がなんであんな顔をしていたのか、少し気になるがまずは目の前の勝負に集中しよう。
俺は、準備体操を終えると、棚山の近くに向かった。
そして、棚山の隣につく。
「これで最後だ……夏帆は俺がもらう」
そんなことを対決前に堂々宣言されてしまったので俺も
「いつも通りの日常に邪魔が入らないようにしてやる」
と煽り返した。
棚山は、それを聞くとフッと笑った。そして、スタートの合図を待つ。スタートの号令は夏帆が務める。
この内容が濃い一日のフィナーレ。
それを完璧に決めてやる。
俺も棚山の隣に並び、一回深呼吸をしてから、スタートの合図を待つ。
スタート前の沈黙。これが一番嫌いだ。ガンガン照りの太陽、無風で熱中症を誘ってくるかのように暑い公園。太陽に照らされ暖められた下のコンクリート。
その暑さが、靴をつたって足裏に伝わってくる。裸足だったらどんな感じに火傷しただろう?
など要らない思考を張り巡らせてしまうほど、この時間は嫌いだ。
だから、早くスタート合図をしてくれ。
俺は、待っていた。そして、ようやく。
「よぉ〜い。スタート!!!」
夏帆の声が脳内に響く。その声を感じ取った瞬間に俺の脚が動き出す。
最後の陸上競技、3000メートル走が始まった。
長距離で大切なことは、スタートダッシュでもラストスパートでもないと俺は思う。
気持ちで思う分には、全然いいと思うが、それが行動に出てしまったらよくない。
長距離で一番怖いのは、ペースが乱れるということだ。最初にとばして距離を稼ぐ、この戦法も全然アリだと思うが賭け要素が強いと感じてしまう。
だから俺は、終始一定のペースで走るのだ。これなら疲労など少しで済むから。
走ってから500メートルライン。先に走っているのは棚山だ。さすがサッカー部なだけあって体力はあるらしい。
見事なスタートダッシュからの軽快な走り。本当に走るフォームも綺麗で陸上でも彼はいい成績を残せるだろう。
この走りを永遠に出来ていれば。
走ってから1500メートルライン。
勝っているのは、まだ棚山だが、明らかにペースが落ちていた。
一方俺は棚山の後方にピッタリとくっついて追い抜くチャンスを伺っていた。
このまま走ってもラストで抜き去ればいいかもしれないが、俺の体力はまだ残っている。
無難に勝つ。
それもそれでいいのかもしれないが、棚山に対して敬意を払っているとは、思えなかった。
どうせなら全力を尽くしたい。明日、筋肉痛になって登校がきついくらいに。
それに、俺は限界から逃げているかもしれない。この走り方だって、勝負にはもってこいのやり方だが、このままでは自分の限界を試さずに終わってしまう。
あの、小学生の県大会でもそうだった。
走り方にこだわりすぎて俺は負けてしまったんだ。
もう、負けたくない。
だから、俺は、本気をだす。
そう心に決めると自然とスピードが上がっていく。棚山を悠々と追い越して、どんどん加速する。自分は普段から限界をどこかで定めていたのかもしれない。
自分がこんなに速く走れるなんて。スピードのおかげで風が頰にあたる。本来なら、生暖かくてあたりたくはない風なのだが、その時だけは妙に気持ちよく感じてしまった。
スピードを落とさずに、残り200メートルの位置まで来た。
もう遠くには夏帆たちの姿が見えている。
夏帆は俺の姿を確認すると、
「おーい!洸くーん!あとちょっと〜〜ガンバぁ〜」
と大きな声で手を振っている。その声援がさらに俺を加速させた。
ラストスパートなんて長距離では、不要だと思っていた。けれど、俺はなぜか自分の意思に反してすごい加速している。
あのゴールラインを越した瞬間に今度こそ俺の勝利が確定する。
そう思うと俺の脚は疲れることを知らなかった。
速くあのラインを越したい。そして、勝利を勝ち取りたい。夏帆にやったと報告したい。
その思いは、残り10メートルでも変わらずに俺は、全速力で走り、そして、
ゴールラインを突き抜けた。
この瞬間に俺の勝利は確定した。
しかし、まだ俺にはやることがある。減速させながら夏帆のところまで向かって、夏帆に抱きついた。
いつもならこんなことしないだろう。
しかもこんな夏の暑い日になんてなおさらだ。
自分は汗臭くないか?普段ならそんなことを気にしてしまうのに、この時だけは、何も気にならなかった。
ただ、抱きしめる。
「ど、ど、どうしたの?」
「勝った………」
夏帆は突然、抱きしめられて戸惑っていたが、俺がそう言うと笑みを浮かべて、
「おめでと………」
と言った。
「夏帆のおかげだ………ありがとな」
そう言うと、夏帆は少し涙目になり、
「わ、わたし、何にもしてない………」
と首を振りながら言う。
「夏帆のおかげだ。そばにいてくれて、練習も付き合ってくれて、それだけで本当に力になった………ありがとう」
俺がお礼を言って夏帆の頭をポンポンすると、
「ホントなんで………泣かせるようなこというの……」
と言いながら、俺の片口に額を当てた。俯むき気味なので、表情はよく見えないが、瞳からは涙が流れ、下のコンクリートを濡らしていた。
俺は、その言葉にどう返せばいいのか、わからずに返答を躊躇っていると、俯むきながら、夏帆はこう言った。
「ありがとう……」
と。
その言葉が妙にささった。いつも聞いているはずのありふれた言葉。その言葉の重要性を再確認出来るくらい。俺は、胸に響いた。
練習から苦しくて、当日も苦しかったが、その一言で全て報われた気がした。
ある程度言葉を交わしてから、後ろを振り返ると、棚山の存在に気付いた。息を切らしているが、しっかりとこちらを向いていた。
それに、俺は、
「これで俺の勝ちでいいよな?」
と再度確認する。
「あ、ああ………そうだよ」
棚山は悔しそうな表情をするが、最後は認めてくれた。
「そうか………ありがとな」
「は?なんでだよ?」
場違いな言葉を放った俺に棚山は尋ね返す。
「この勝負で色々なことを気付けた」
この勝負がなければ、俺は気付かないことがあっただろう。
それに気付けただけでも意味がある。
だから俺はお礼を言った。
「そ、そうかよ……わかんねぇけど………俺に勝ったんなら、その分、本気にしろよ?もし、振ったりしたら速攻で俺のもんだからな」
これは、棚山なりのエールなのか?
色々ツッコミたいところがたくさんあったが、俺は頷くだけにしておいた。
もう、時計は3時を過ぎていた。お昼を食べていない。
思い出すとすごくお腹が空いてきた。
だから、ここら辺で解散しよう。
俺は、夏帆に「帰るか?」
と尋ねると夏帆も頷いた。
「じゃあな。またいつか………」
「あ、あぁ……」
俺は棚山にそう言ってその場を後にした。
対決結果 俺の勝利。
この章は次回で終わります。




