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オフィスの片思い

作者: 山崎 純

どこにでもありそうなオフィスでの少し不思議なラブストーリです。


オフィスの片思い


 自分がいなくなっても、この町の歯車は何一つ狂ったりはしないのだろう。そんなことを考えながら、祐子はぼんやりとオフィスの窓の外に目をやっていた。ビルの東側にあるオフィスの遥か下で信号が変わり車の流れが変わった。砂粒のようにイチョウの葉が舞っていた。ついこの間までは熱戦の続く球場へ向かう人々の列が続いていたが、今はもうめっきり人通りが減っていた。

 オフィスの中に目を戻し、祐子は考え続けていた。この狭いオフィスにしても同じことだろう。会社が必要としているのは自分という人間ではなく、自分の労働力でしかないのだから。自分でなければできないというほどの仕事でもないし、代わりはいくらでもいる。小さな歯車がひとつ、新しいものと取り替えられる、ただそれだけのことなのだ。

 オフィスの中はがらんとしていた。他の社員はすでに帰った後で、今日限りで会社を去る祐子だけが、整理のために残っていた。その整理も終わり、祐子のデスクは空っぽになっていた。マットの下には写真を並べ、花も絶やさなかったスチールのデスクは灰色の無機的な表面をさらけ出していた。

 すべて片付き、ドアを開けオフィスを出ようとしたとき、祐子は背中に誰かの視線を感じたような気がした。祐子は振り向いてみたが、もちろん、そこには誰もいなかった。誰もいないオフィスを見回した祐子はオフィスのコンピュータが埃を被っているのに気がついた。それは会社が導入した巨大なコンピュータの端末機だった。一年前、そのコンピュータが会社に入った時は、その性能に誰もが目を見張った。AIを搭載したそのコンピュータの中では会社の全てのデータが管理されていた。監視カメラや空調その他のあるゆる設備とも連動していて、もはや会社そのものと言えなくもなかった。もちろん全社員のPCがこの巨大なコンピュータとつながっているのだが、要所要所に特別な端末があり、人事課の端末機の操作は祐子の主な仕事だった。

 ところが一月ほど前、そのコンピュータの調子が突然おかしくなった。祐子がそれに気づいたのは自分が結婚のために退職するというデータを入力しようとした時だった。入力ミスなどしているはずがないのに何度繰り返してもデータが入力できなかったのだ。同じ操作に嫌気が差した頃、突然入力が完了した。どうしてそんなことになったのか裕子には今もわからなかった。

 会社はもちろんすぐにコンピュータの修理を依頼した。技師がやってきてあれこれと調べたが、どこもおかしくないと言って引き上げてしまった。専門家がそう言うのだからと、会社もしばらく様子を見ることにしたのだが異常はますます加速してゆくばかりだった。ついには設計者が直々にやってきた。しかし設計者もどこにもおかしくないはずなのになぜと、頭を抱えてしまった。

「どこで歯車が狂ったのかな、コンピュータもうつ病になるのかね。」

そんな冗談を言う社員もいた。

 結局、そのコンピュータは異常の原因もわからないままに、新品と交換されることになり、誰にも省みられずに、ただ埃を被っていた。

 祐子は、その晩に業者がコンピュータを引き取りに来ることをふと思い出した。廃棄処分が決まり、まもなく業者が引き取りに来るコンピュータを今更綺麗にしても仕方がないとも思ったが、ながらく自分の相棒であったその機械を最後に綺麗にしてやることにした。コンピュータをすっかり綺麗にすると、祐子は本当にすべてのことをやり終えたような気がした。そうしてオフィスを出ようとしてドアのノブに手をかけた時だった。祐子は、また、背中に誰かの視線のようなものを感じた。振り返ってみたが、誰もいるわけがなかった。どこから来るのだろうか、遠くから見つめるような、この暖かな感じは。祐子は首をかしげながらドアを閉め、ゆっくりとエレベーターの方に歩いていった。

 

 5分後。すべての電源を切られた「彼」は、元来物言わぬスチールのデスクや椅子と一つのシルエットの中に同化してしまっていた。静まり返ったオフィスには誰一人としてそのことを知るものはなかった。「彼」が、ついさっきまで、自分のスクリーンの上で同じ言葉を繰り返していたことを。何度も何度もこんな風に。

・・・幸福ニナッテクダサイ・・・・・・幸福ニナッテクダサイ・・・

読んでくださりありがとうございました。数十年前に書いたものを書き直したので現在と合わない部分もありますね。感想を聞かせいただけると嬉しいです。

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