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第一章

異類戦争の真っただ中、人材損耗の人類にとっては少年少女の戦闘員化は不可避であった。

しかし最前線に立った主人公にとっては絶望的な戦いでさえ、おのれの欲求を満たすための機会でしかない。

復讐という名の果てなき欲求のため、自らの生命をかける若者にとっては世界の行く末などどうでもよかった。

彼女をよく知るようになるまでは……。


第一章


「あー。あー。本番です。よろしいですか。こちらは総体軍(インテグラルフォース)日本語総合放送です。京都臨時スタジオより短波、AM、FM、デジタルTV、ネット送信を通じて臨時ニュースをお届けします。本日、日本時間午後五時、アルファケンタウリ絶対防衛線を突破した敵性艦隊に対し、空間防衛軍第四防衛艦隊が、アルデバラン星系同盟連合艦隊とともに防衛出動した模様です。この情報は異類技術通信(アンシブル)により、ケンタウルス座アルファ星A宙域よりリアルタイムでもたらされました。繰り返します……」




「いいか! 耳の穴、かっぽじってよく聞きやがれ! 総体空間防衛軍(ISDF)が誇る優秀な初陣戦士の諸君! これは訓練じゃねえ!  繰り返す! これはお前たちがこれまでにやり過ごしてきた300回のシミュレーターでもなければ、一万時間の慣熟訓練なんぞの生ぬるいモンとはわけが違う本当のホンモノの実戦だ!」

レーザー送信で指揮を執るGDN23大尉の怒鳴り声が送られてきた。

GDN23というのは彼の名前だが、部隊の日本人チームのあいだでは、『ゴードン兄さん』と呼ばれている。

アルデバラン星系同盟連合軍、ASSAFの中心的存在である『H星系同盟』種族の特徴である聞き取りにくい発音ではなく、普通に聞こえるよく澄んだ日本語だった。   

ただし、言ってる言葉に品がない。

「野郎ども! いや、お嬢ちゃんもいるんだったな! クソ根性なしの日本人ども! これからオメェらが目にするのは、まさしく敵さんのおっとろしい攻撃だ! 運がよけりゃあ帰れるってもんだが、覚悟しやがれっ!」

生還率の話をしているようだが、どうでもよかった。

彼のがなり声以外に音のないコクピットで、菅城慧(すがしろけい)は静かに眼を閉じていた。

アルデバラン星系の三種族と地球人類の連合軍はこれまでに何度も破れている。いや、敵の選択による撤退以外に戦いを終息させたことがないはずだ。つまりお情けで敵が退いてくれたことを勝利としてカウントしているから、実質連戦連敗なのだ。

だから敵、昆虫眼の地球外知性体、BEETIと呼ばれる異類文明との戦争はすでに地球が参戦して十七年を経ているが、僚友たるアルデバラン星系同盟の派手なプロバガンダにも関わらず、我々地球人はこれが勝ち目のない戦争だと、もうとっくに気づいていた。

慧ももちろん、戦争に身を置く者として最前線にいるにもかかわらず、この戦争の趨勢が決まっていることを知っていた。

そして、最新鋭の機動兵器を投入したところで、それが地球資源と人類の浪費でしかないことも意識していた。

しかし。

「この最優秀にして最強たる宇宙機動兵器を任されているのは地球人類の代表たるおめぇらの名誉と誇りの塊だ! と同時に総体政府通貨で三十億ユニット、日本円に換算すりゃあ、一兆五千億円だってことを忘れるな! お前たちがおっ死んじまっても代わりはゴマンといやがるが、その『XEエンダー、XRA―037雷撃猛虎(サンダータイガー)』の損失は地球総体政府にとっちゃあシャレにならねえもんになる! いいかっ!」

「はいっ!」

日本人の少年少女で構成されている、通称『チームカミカゼ』の面々が全員声を揃えた。

なるほど確かにXE(ズィー)エンダー、異類技術(ゼノエンジニアリング)ENDERの最新機種であるXRAー37は高価なシロモノだ。異類技術の集大成だということだが、噂によると前線で鹵獲された敵の兵器をアルデバラン同盟でコピーしたものだそうだ。

地球人類、それに類似する種族であるアルデバラン星系「H星系人」や「R星人」の四肢に合わせた手足の構成によるいわゆる人型兵器だが、もとは六肢三対の敵の姿をトレースした兵器だったらしい。それを無理やり人型にして使っているが、そんなものに依存しなければならない戦いだから、希みは確かに薄い。

「しかしな。本当のところ、オレにとっちゃあ、そんな虫ケラどものオモチャよりよっぽどお前らのほうがかわいいわけだ」

おやおや殊勝なことを言うじゃないか。どうやらこれが今生の別れになるかららしい。

「そんなお前らだから……」

チームの面々はこの異星人の教官がつけたチーム名を最初から気に入らなかった。

神風はたしかにこの国のかつての勇気と武運を表しているように思えるが、その実、その名は生きて帰らないことをも表していたからだ。

「帰るんだぜ! 帰ってきやがれ! さあ、そうと決まったからにゃあ、お前ら、全員生きて帰りやがれっ!」

アルデバランH星系人らしい金髪碧眼の端正な顔だちの男だが、それにしても品がなく、現場叩き上げの軍人らしい人物だ。感傷的な場面でも、けっきょく威勢のいい言葉で締めくくりやがった。

彼に率いられた人類の総体空間軍宇宙機動兵器、通称XEエンダーとよばれる機動兵器の部隊は日本人で構成されており、今回出撃した二十四中隊の一隊だ。

母艦を射出されてから三十分。

ゴードン兄さんのような僚友アルデバラン軍の士官は母艦の作戦ルームで指揮を執っているにすぎない。

かわって真空の宇宙空間に放り出された兵員はすべて地球人で、日本人部隊はもちろん、全世界から集められたパイロット全員が二十歳に満たない新兵ばかりだった。

「敵戦闘ユニット展開中。距離十万。SFGBシフト。各隊、陣形維持」

「シフト維持。いいか、ブリティッシュ率いる第一小隊、リヴェンジャー、ウルスラ、シンガー。ライトマン率いる第二小隊、テツジン、ジャスティー、フジヤマ。おまえらはこのオレの大切な教え子だ。ここまで厳しいことも、きついこともたくさん言ってきた。だがな。それらは全て今日のためだ」

とってつけたように神妙なことを言い出すから、全員が覚悟を決めた。

実戦。この現実に直面した以上、無事に帰還できるとは誰も思っていなかった。

「善戦を祈るっ!」

「サァ、イエス、サァ!」

総体軍結成の要となったアメリカ軍式の返答をする兵士たち。

しかしそれに続く暗黒の宇宙空間での沈黙が重かった。


「ふん」

プライベート回線で鼻を鳴らす音を送ってきたのはウルスラ。それはコールサインで、名は白井紅羽(しらいくれは)という十七歳の女性だ。一言多いのが欠点で、五月蝿いから付けられたあだ名だが、なぜか本人が気に入ってしまい、そのままコールサインとして使っている。

「こんな正面突破の力押しで来る敵さんのテッパン作戦に打つ手がないのが現実なのに、生きて帰れなんざ、なんかの冗談かね」

「いや」

そう声をあげたのもやはり十七歳の女性。シンガーだ。紺野美穂菜(こんのみほな)。この中隊を構成する八人の中では操縦技術と攻撃スキルで抜きん出た成績を挙げているエースだった。

「前例がなければ作るだけよ」

「ふん」

「かわいこちゃんたち、おしゃべりはそこまでだ」

割って入ったのは指揮官であり、士官のスティーブン・倉崎少尉だった。

彼はこのチームでは唯一士官学校を卒業したエリートだった。

「作戦は予定通りだ。指向性水爆、みんなの切り札『正直者(オネストマン)』の最終点検を報告せよ」

「リヴェンジャー異常なし」

これまで無言だった小隊のもうひとりの隊員がまっさきに報告を入れた。それがリヴェンジャーのコールサインを持つ慧だった。

続いてほかの二人も報告を入れる。

「A小隊、セット」

倉崎少尉が報告を済ませるのを聞きながら、耐慣性粘液で満たされたコクピットの中で少年はそっと目を閉じた。

彼はほかの隊員がよくしているような音楽でのリラックスや、脳内伝達物質の投与による興奮抑制法もとらずに、静かに機体内に響く機関の稼動音を聞いていた。

「静かだ」

呟くその脳裏にこれまでの厳しい訓練や、六年間の軍隊生活が過ぎる。

そして。

そして、あの忌まわしい記憶が蘇ろうとした時。

慧の聴覚神経に接続されたプラグにいつものように聞こえてくるハミング。

シンガーの声だ。

これから死ぬかもしれないというのに、いつものように陽気なハミングを聞かせてくる彼女に違和感を覚えるものの、それが彼女だと納得の上で無視することにする。

なにせ、彼女はこのチームのエースであり、頼みの綱なのだ。

「シンガー、あの曲歌って」

ウルスラが余計なことを言うから、彼女が調子に乗って歌い出す。これはこのチームのしきたりのようになっていた。

「戦闘宙域に到達。敵機動兵器、十二方向へ展開。データリンクシステムへの侵入を確認。防壁展開。第一防壁を突破……第二防壁突破。これよりコンピューターシステムを、XEシステムのみに切り替えよ」

人類がBEETIとの戦争で最も手を焼いているのが、このコンピューターシステムへの敵側のハッキングとクラッキングだった。

BUGS EYED EXTRA TERRESTRIAL INTELLIGENCE、昆虫眼の地球外知性体と地球で呼ばれる異星人は、人類はもちろん僚友たるアルデバラン同盟のコンピューターネットワークを出し抜くことに長けており、これを回避するためには、そもそもコンピューティングを利用しないという発想のもと、異類技術のコンピューター類似システムを鹵獲して使うこととなったという。

これにはそもそも防壁という考え方が存在せず、完全に晒してしまうことを前提にして使用することとなっている。しかし独自の符号型暗号の使用により、敵に解読のためのタイムラグを与えるから、リアルタイムでの内情を知られずに済むということになるらしい。

結果として人類はアルデバラン星系人たちと同じように、敵性技術を利用したこのXEエンダーと呼ばれる兵器群に頼るしかなくなっていた。

しかし、その技術の中身はブラックボックスの部分があり、これに依存して戦争を継続することに不安を覚える向きもあった。

「XE系統をアクティブにせよ」

慧はコクピットの底深くでひっそりと念じた。

この兵器には補助用の操縦桿やスイッチ類はどこにもない。神経接続による念動操作と、それに輪をかけたような思念送信、アンシブルがすべてだった。

そのアンシブルもまた、異類技術の中心となるものだった。

「う」

思わず声を出してしまう。

それは慧にとっても、また多くの兵士にとっても非常に不快な瞬間だった。

異類技術は人類にある種の拒否反応をもたらす。

慧はその瞬間を他人に心の中を覗かれるようだと感じていた。

そこにいる誰か。

兵士の間ではもっぱらBEETIそのものだと噂されているその不気味な誰かとの接触が一瞬の違和感と不安感を運んでくる。

「敵戦闘ユニットがパターンA14にて展開。総数は七百二十九。繰り返す。敵戦闘ユニットが七百二十九機でパターンA14にて展開」

「XEカメラに補足。敵を識別。既知。『烏賊(スクイド)』A12タイプと確認。各自戦術プランK18準備」

K18戦術は最新鋭のアイディアを持ち込んだ作戦だ。この新型XEエンダーであるサンダータイガーではじめて実現可能な高軌道戦術だ。旧式の『電光獅子(ライトニングライオン)』では不可能な攻撃パターンだが、戦闘単位が一大隊、二十四中隊の総勢百九十二機のXEエンダーで七百二十九体を相手にせねばならないのだ。

今更戦史ライブラリを引っ張り出してこなくても、この数を単純にとらえれば、勝ち目がないことくらいはわかっていた。

「最終点火まであと五秒。艦砲射撃の援護は最終戦闘陣形展開後に三秒単位」

いよいよだ。

慧はまるで子宮の中の胎児のように丸まった姿勢を取りながら衝撃に備えた。

粘性の高い液体の中で重加速を耐える。

いよいよ戦闘宙域に入ることを警報音と警告灯が知らせてくるが、それと同時に心の中へ知らせてくる何かがある。それがまさしくXE技術なのだが、その正体はともかく、慧にとっては違和感しかない代物だった。

精神を集中させようとすると、よけいにそのXEシステムからの呼応がある。

何かが、いや、誰かが呼んでいるのだ。

「殺してやる」

慧は呟いた。




「慧! 慧、起きなさい」

暖かいベッドの上で、目覚めると朝日が差し込んでいた。

「ママ……」

その温もりに触れると、まだ幼子の慧はむずがりながら母の腕に滑り込んだ。

「行きましょう」

母の言うことの意味がよくわからずに胸に抱かれると、大きなカバンを抱えた父の後ろ姿を見た。その脇にはまだ自分で歩くことのできない妹を乗せたベビーカーがあった。

「月軌道防衛網が突破された。大都会が狙われているんだ。とにかく東京(ココ)を離れるぞ」

父の言うことが母に向けられている言葉だとしても、そこに込められた何かを感じ取って不安になった。

「あなた、印鑑と貯金通帳を……」

「そんなのはいいから!」

父の怒声というのを初めて聞いた。不安になった慧は泣き出しそうになったが、母の次の言葉を聞いておしとどまった。

「慧。いいわね。あなたはお兄ちゃんだから、自分で歩いてついてくるのよ」

母はベビーカーの妹を慧にかわって抱きかかえると、玄関で慧の前に彼のスニーカーを置いた。

父、妹を抱えた母が家を出た。

けたたましい警報音と上空のドローンからふりまかれる緊急放送の声で、慧の幼い心のうちに今までに経験したことのないような不安が広がっていく。

しかしお兄ちゃんだからそんなことを母に言えるわけもなく、後に続くために、彼は自分のスニーカーのマジックテープを強く締めることしかできなかった。


東京近郊の古い団地をリノベーションした子育て世代用集合住宅の四階が慧の生まれ育った家だった。

共用廊下をエレベーターに向かって急ぐ家族が空に見たのは、落下してくるBEETIの機動兵器だった。

アルデバラン連合からの提供知識のとおり、地球・アルデバラン連合の太陽系最終絶対防衛線である月軌道防衛網を突破した敵はいとも簡単に地球大気圏内へ歩を進め、ついにここ東京をも貶めようとしていた。

総体防衛軍のテレビとラジオは繰り返し、大都市圏からの避難を叫んでいたが、これほどまでに早いとは誰も想像していなかった。

団地はすぐに停電になったから、エレベーターも使えずに徒歩で非常階段を降りた。父は慧の足では無理だと判断したのか、カバンの一つを捨てて彼を抱きかかえると足早で駆け下りた。

母もベビーカーを捨てている。妹を抱いたまま降りてくるのを待つ間、慧と父は次々と都心方面に軌跡を引いて落下してくる異星人の奇妙なカタチの兵器を見守った。

地上からの対空兵器がここまで轟音を轟かせながら抵抗していたが、それが何の効果も発揮していないのは火を見るよりあきらかだった。

「ダメかもしれないな」

父の呟くのを聞いたとき、慧の心のうちに広がっていたものが堰を切って溢れ出した。

「ごめん、泣かないでおくれ」

父に抱きしめられると、その温もりで少し和らいだから、慧は自分がお兄ちゃんであることを思い出した。


団地の駐車場に向かう。

すでに交通網は大混乱しており、逃げおくれた人々にとっては右往左往するしかない絶望的な状況だった。

この時の父に何らかのアテがあったとは思えない。ただ、家族を守りたい一心で、自宅をあとにしようとしていたのだ。

「あなた。ここにいた方が安全じゃないの」

都心の空が赤く染まると不安そうに母が言った。

「い、いや。総体軍が核兵器で応戦したら、それだけでアウトだ」

父は青空ガレージからシェア電気自動車を乗り出そうと考えたようだが、すでにほかの住民によってすべて乗り出されていた。

「こっちだ」

父は東京を脱出しようとする車列が続く幹線を、歩いて逃げる方策にでた。

無謀で無意味かもしれなかったが、それ以外に方法がなかった。

少し離れたコンビニの駐車場にパトカーが止まっていて、隣接県へ出る国道につながる交差点に警官が立ち、手に余る交通量を必死で整理していた。

慧の家族のように徒歩で避難する人達と、渋滞で動けない車列と、それをなんとか融通しようとする警官。

そこでありえない光景が生まれた。

大地を轟かせる大振動。

慧はそれが何の原因で起こった振動なのか理解できなかった。

ただ、父が自分をかばって抱きしめてくれていることだけがわかった。

息ができないほどの砂煙が収まって、慧が長い睫毛にとりついた埃をはらったとき、その黒い巨大なシルエットをみとめた。

それは幼児教育用ビデオでみた敵性生命体の機動兵器のCGイラストそのものだった。

全長二十メートルを超える異星人の巨大な物体は人類が嫌悪を催すには充分な不気味さと圧倒的な巨大感で、恐怖と戦慄の存在だった。

父は慧を庇うためにしゃがんでいたが、そのまま巨大なシルエットを見守るしかないようだった。

そして母にいたっては腰を抜かして慧の後方に倒れ込んでいた。

巨大な敵の兵器は二本足で立っていた。地球の重力を計算のうえで設計されたのかそのバランスは安定していて、しばらく頭部についている複眼のようなセンサー類で足元の小さな人類を見定めているようだった。

事前の情報では敵の兵器は人口の多い場所を集中的に攻撃するようにプログラムされているとのことだったが、この一機は大気圏突入時の抵抗に曝されたのか、どういうわけかここに着地したようだった。

「パ、パパ……」

慧が声をあげたので、父は彼を抱き寄せると、後の母に駆け寄り、巨大な怪物の注意をひかないようゆっくりと後ずさった。

何台か踏み潰された車の一台から火の手があがった。

その炎の手前に同じように腰を抜かした警官の姿があった。

「に、逃げよう」

父が小声で言った。

警官は怯えているようだった。父に手を引かれてコンビニの建物まで下がろうとする中、それでも慧は振り返ったまま警官の動きを目で追った。

「慧、行くぞ!」

父が駆け出したその時、警官は腰のホルスターから拳銃を抜き、無意味とわかっているのに発砲した。

周囲には車を捨てて逃げ出す人々の悲鳴が渦巻いていたから、発砲音は聞こえなかった。

しかし慧は見ていた。警官の銃口から白煙が上がったのを。

次の瞬間、それまで不動にしていた巨大兵器が少し動いた。右手だ。人間で言うなら右手。胴体の左右に均等に生えているその四本のマニュピレーターのうちの一本が動いた。

その黒光りする装甲の手首にあたる関節部分に仕込まれた射出口から何かが無数に飛び出すと、あたりが阿鼻叫喚の地獄図へと変わった。

人間を殺傷するには充分すぎるほどの太い矢のような黒い針が無数に飛び出して、警官はもちろん、逃げ惑う人々を襲った。

それは慧の父や母にも降り注いだ。

慧は身をかがめて難を逃れたが、閉じた目を開くと一変した情景が拡がっていた。

さっきまで手を引いてくれていた父は直撃を受けて肉塊と化し、辛うじて死を免れた母も転倒していた。

よく見ると右手を失っている。

「け、慧!」

母の呼ぶ声を聞いて、事態を飲み込めないまま慧はよろよろと歩み寄った。

みるみるうちに広がる血の滲みが広がる中、母は胸に抱いていた妹を固定しているベルトを解いて、小さな妹を差し出した。

背後では逃げ惑う人々の絶叫が轟き、燃えさかる車から立ち上る黒煙が勢いを増している。

慧はその光景を振り返った。

「慧! こっちよ」

母の叫びに我に帰ると、駆け寄った。

わずか五歳とはいえ、母の生命が今にも潰えようとしているのはわかった。

そして、母からあずかった妹にもすでに生気がないことを知る。

言いようのない不安が心に拡がり、慧はとめどなく流れる涙で視界が曇ったことの理由を考えようとした。

いままでに経験したことのない感情。動揺? 悲嘆? それとも。 

「お、お兄ちゃんだからね。慧はお兄ちゃんなんだから……」

母はそう言うと笑みを浮かべた。

「うん」

血に塗れた妹には頭の一部がなかった。母の腕の中ですでに死んでいた妹から流れ出る血が暖かかった。

「逃げて。逃げるのよ」

母が事切れて、その場に(くずお)れた。

逃げろと言われてもどうしていいのかわからない慧は、妹の亡骸を抱えたままその場に留まっていた。

父と母と妹がどうなったのかを把握できずにいながら、それまでの世界が終わりを告げ、まったく違う状況が生まれたことだけがわかる。

慧は硝煙にけむる巨大な異星人の兵器に向き直った。

言葉は何も浮かばない。ただ、身体の中を貫く衝動だけが慧を一歩前に進めた。

黒い巨大な兵器が向きを変え、逃げ惑う人々に黒い針の雨を降り注いでいた。

理由はわからなかったが、慧は妹を抱いたままもう一歩前に出た。それを繰り返すうちに走り出していた。

どうすることもできない感情の奔流を抱えたまま、まだ幼い慧は黒い巨大兵器へ向かって走り出していた。

巨大兵器はその時、少しだけ首をこちらにむけた。

複眼のようなセンサーに自分が捉えられたことに気づく。

しかし走り出したその衝動をどうしていいかわからず、巨大な黒い敵の兵器に向かうしかなかった。

その時、心の中に何かがひらめいた。

誰かに何かを語りかけられた。

眠い目を擦って、もう少しだけおとぎ話の続きを聞きたい時の母の声。仕事から帰った父の今宵の再会を祝う喜びの声。

いや、あとで知ったことだが、多くのヒトがこの時経験したその感覚は、たしかに神という言葉で紹介される超常神秘の存在の声だった。

「ワタシタチハオナジ」

この時の慧は幼く、返答を発することができなかったが、その後の回想でははっきりと言うことができた。

「違う!」

巨大兵器がセンサーの集中する頭部を上に向けた。

悲しみのような、嘆きのような感傷的な気持ちが伝わるのを感じたが、この時の慧はその意味を知る由もなかった。

彼、いや、彼女なのか、それともソレなのかはわからないが、感情を押し付けてきた相手は何かを察知したのか、それとも観念したのか、背中や足の裏にあるらしい噴射装置に点火したらしく、白煙をあげて地面から離れた。

次の点火で轟音をあげて一気に加速する。

そこへ地球軍の誘導弾が殺到したが、激しい噴射風に慧たちを巻き込んで吹き飛ばしたそれは誘導弾の追撃を逃れて空の彼方へと去った。


吹き飛ばされた慧が次に意識を取り戻したのは草むらの中だった。コンビニの裏にわずかに残る雑木林の端だ。

黒煙がまだ空を焦がしていて、国道の交差点はぽっかりと空いた何もない窪みになっていた。コンビニの建物は骨組みだけを残していて、あたりに商品の残骸を撒き散らしている。

救急車のサイレンが響き、上空にはヘリコプターが飛んでいた。

慧が母から託された妹がいないことに気づいてあたりを探していると、防毒マスクを身につけた迷彩服の男たちと出くわした。

「ぼうや」

先頭の男が言ったが、フルフェイスのマスクのせいで顔は見えなかった。

「よく無事でいたな」

男が腰を屈めて頭を撫でた。

「いもうと」

辛うじて口を開くと、喉がカラカラなことに気づいた。

「こちらはダメです」

後で声が聞こえた。別の男が指差しているのは草むらに倒れるちっぽけな妹の遺体だった。

「残念だが」

男が言うと、なぜかまた涙が流れて止まらなくなった。

しかし、慧は知った。憎悪と復讐心と、果てなき殲滅への欲求を。



「殺してやる」

コックピットの中で慧は繰り返していた。

実のところ、敵性兵器が生命を持っているのかさえはっきりしていない。

十二年前の第一次地球侵攻で鹵獲されて敵の兵器に搭乗していたとされる捕虜は全長六メートルほどの昆虫型外骨格生命体で、辛うじて壊滅を免れたロンドン、ジャカルタ、ブエノスアイレスに見世物兼敵の襲撃避けのために展示公開されている。

BEETIは仲間を攻撃しない習性があるとのアルデバラン連合からの情報提供をもとにそうされているが、堅牢な外骨格はBEETIの内部構造を調べることを許していないのが現状だ。

人類が戦争の武器としておおいに利用している人工知能のいかなるアプローチをも跳ね返し、逆に得意のハッキングを仕掛けてくるため、調査研究が進められないまま放置されている。

だから慧の殺してやりたいという感情も、もしかすると正確ではないのかもしれなかった。

相手には生命がないのかも知れないのだから。


「最終点火。XEリンクを維持しながら、戦域情報を待て」

「先遣隊より入電。情報リンク」

敵は予想通りの中央強行突破陣形を維持している。

アルデバラン連合の提供した大型宇宙戦闘艦からのビーム砲照射が宇宙を切り裂くが、敵の先陣にわずかなダメージを与えただけで戦況に与える影響は軽微だった。

「これより作戦開始。各機、武運を祈る」

XEエンダーの編隊が予定通りの機動で敵を正面に捉える。

チームカミカゼは中団を形成している位置にいて、第二陣として切り札の戦略指向性水爆『正直者(オネストマン)』を発射する手立てだ。

先陣を切るチームスピリットオブアメリカが敵の先鋒にオネストマンを発射する。強烈な熱を媒介する大気が存在しない宇宙空間で、その効力を最大限に活かすために発生する爆発力を一方へと押し出す工夫がなされた人類・アルデバラン連合の切り札だ。

敵陣形の一角を崩す効果を発揮したが、それだけで勝てるわけではなかった。

続いて、直後のベルギーチームとインドネシアチームが攻撃を加える。

「敵がブースターを使用。速度加重」

常套手段だ。ここまではシミュレーションのとおり。何も恐れることはない。

「敵の実体弾射撃を確認!」

ジャムと呼ばれる液体の中で身を屈めていた慧も、アナウンスを聞いて視神経に集中する。機体のカメラは異類技術を介して視神経に直結されており、漆黒の宇宙空間から飛んでくる敵の砲弾を確認してマーカーをつけて表示してくれる。

その背後では閃光が瞬き、先鋒が敵の突撃と真っ向から衝突していることを知る。

「オネストマン準備!」

チームリーダーのブリティッシュが指示をだす。

慧も愛機に指令を出し、準備が整う。

「データリンク」

チームカミカゼの右翼にいたフランスのチームエトワールが協調を求めてきたから、二中隊の十六機が同時に中央突破してくる敵の鼻っ柱に指向性水爆をお見舞いした。

眩い光の放散にはフィルターがかけられ、視神経の負担を軽減してくれるが、それがどれほどのダメージを敵に加えたかわからない。

「ひゃっほー!」

声をあげたのは第二小隊のライトマンだった。右田(みぎた)右近(うこん)という名がコールサインの元になっている。

「敵単位の消散を確認。方位0で敵陣形混乱」

ライトマンだけでなく、リンクしているフランス中隊からも声があがった。

慧も一瞬の喜びを感じたが、それだけで勝利が決まったわけではない。

「会敵まで十秒。後方部隊の水爆導線からの離脱に注意しながら、各個敵を撃破せよ」

「簡単に言ってくれちゃって」

ウルスラが小言を言うのを聞きながら、慧は機体を安定陣形にすえて敵の動向を見守る。カメラを動かすと先頭に立つブリティッシュと右翼のシンガー、さらに反対側を守る左翼先端のウルスラが乗るサンダータイガーが見える。

ちょうど平仮名の「へ」の字の左右をひっくりかえしたかのような陣形が『鋼鉄の(アイアンハンド)』と呼ばれるのだが、空戦時代から採用されている攻守そろった万能陣形でも昆虫どもに通用すると決まったわけではない。

それでも人類はこの型に固執しているのは、これしか選択の余地がないからだ。

「頼むぜ、サンダータイガー」

思わずこぼしたのか、ブリティッシュがつぶやくのが聞こえた。

第一世代のXEエンダーであるライトニングライオンの防御力を強化し、推進器の出力を増大させ、なおかつ軽量化を果たした人類唯一の対抗手段であるのがこのヒト型戦術兵器、サンダータイガーだ。

敵性兵器を改良したから、あの時慧の家族を皆殺しにしたものに似ているといってもよかったが、できるだけそのイメージを回避するために、ネコ科動物のイメージを被せてある。また、人間の脳神経系に合わせて腕になるマニュピレーターは二本にされている。

またライトニングライオンの名称の由来になった太陽光集積板である鬣状のブレードは縮小され、虎の名に相応わしい縞模様の部分がかわって黒の太陽光パネルと各種センサーを兼ねたものになっている。

しかも携行している指向性水爆はこれまでの水爆兵器『自由人(フリーマン)』に比べて三倍の威力を誇るオネストマンだ。

勝機があるとすればこれら初投入された新兵器が予想どおりの効力を発揮することだ。

しかしそれには新兵たちの練度が高くなければならない。

すでにアルデバラン連合との協定によって、遠い戦線に優秀な兵員を投入しているせいで、地球への防衛ラインであるこのアルファケンタウリ宙域での戦線維持には新兵を投入せざるを得ないのが地球側の事情だった。

「敵、陣形を再構築。近接戦闘準備!」

敵の推進剤が明るい光となって見える距離まで近づいた。

「すべて想定内だ! 訓練どおりやれば必ず勝てるぞ!」

ブリティッシュが叫ぶ。想定内でも敗れてきたのがこれまでの地球・アルデバラン連合軍の常であったというのに。

データリンクされた情報の整理と、パイロットへの提供にも異類技術が使われているが、慧の感じている違和感はここでは発現せず、冷静な状況の把握とパイロットへの伝達は地球側技術と同じように遂行された。

「超振動鞭(SVW)セット」

近接戦闘用武器として腕部に収納されているのは、あの忌まわしい黒い針ではなく超振動する鞭だ。この姿勢制御の不安定な宇宙空間では実体弾はあてにならず、大出力のビーム兵器を搭載するにはXEエンダーのジェネレーターでは出力が足りず、結果として制御が容易で、小出力で効果の高い鞭式の武器が主要装備として装備されている。

会敵(セッション)!」

ブリティッシュが声を上げるより早く、超高速の敵機動兵器が眼前に迫る。

「敵、ミュラー・リヤー錯視を展開!」

人類とアルデバランのコンピューターシステムは似通っており、デジタル信号の積み重ねでできている。BEETIはその脆弱性を知り尽くしており、いかに複雑な防壁を形成しようともやすやすと突破してくる。

地球時間にして一万年もの永きにわたって戦争を繰り広げてきたというアルデバラン連合は、この難題を克服する目的でBEETIの技術、すなわち異類技術XEに手を出した。

しかしだからといって、アドバンテージを取れたわけではない。

ある意味アナログ的な処理となるXEを採用するということは、地球人はもちろん、アルデバランの三陣営それぞれの現場兵士に、肉体的鍛錬を求めることとなった。

そしてまた、敵はきわめてアナログ的な手法で、欺瞞工作を仕掛けてくるのだ。

ミュラー・リヤー錯視は視神経と脳を持つ以上、防ぎ用のないシステム的限界に挑戦するための単純極まりないワナだった。

線分の両端に内向きの矢羽をつけたものと外向きの矢羽をつけたものでは本体の長さが違うように見える。

これを利用して個体間の距離を目視する相手を撹乱するのが、BEETIのやり口だった。

「見るな! ソナーに集中しろ!」

言われなくてもみんなそうしていた。

慧の直前に迫ってくる敵も錯視させるための矢羽を展開していた。

しかも通常カメラで写せば極彩色のカラーでさらに混乱を誘うように仕向けてある。

ムシどものアイディアはなかなかに秀逸なものだと、慧は今更ながら妙な感慨にふけりながた身構えた。

接近してくる敵。眼前に迫るが、錯覚を恐れてモニター情報はすべてソナーによる位置確認にしぼる。

近づく。

横切る。

「このっ!」

鞭の練度に自信があった。しかし敵の動きがシミュレーションと違っていた。

訓練では突破してくる敵の速度は一定で、その動きを予測して鞭を放出すればよかったが、実戦ではそうではなかった。

宇宙空間では抵抗による減速は考慮しない。だから加速はほんの少しの反作用を加えればそれでよかった。

「速度が増してる! 微増速してるぞ!」

「ダメだ! すり抜けられるぞ!」

レーザービーム送信が錯綜する中、あのハミングが聞こえてきた。

能天気なメジャーコードの曲を口ずさむ彼女の気が知れない。

しかしソナー表示のために小さく開けていた視界の端のウィンドウに右翼の彼女の動きを捉えた。

スーパーヴァイブレーションウィップが光跡を引いてしなる様子がCG補正で強調されて表現された。

その先端が全長五十メートルの巨大機動兵器に接触するのが見えた。

敵を粉砕したことを示す表示が赤く点滅する。

すごい! 慧が注意を注いでいる間に戦況が逐一動く。

敵の中団を構成する一団がまとめて接近してきた。

「うあああ!」

第二小隊のライトマンが悲鳴をあげた。

彼の戦域離脱を示す表示が瞬いた。この戦域から離脱なんてできるわけがない。敵のスクイド型機動兵器と衝突して、爆発四散したにちがいなかった。

「戦域情報にこだわるな!」

ゴードン兄さんがようやく口を挟んできた。

あの昆虫型異星人の攻撃パターンはいつもこれらしい。

物量で勝負しての一点突破。そういえば、父と母、妹を喪ったあの時の状況に似ている。降り注ぐ黒い針。今は感覚的には水平に降り注ぐ極彩色の機動兵器。

「陣形を維持せよ」

無能なブリティッシュの指示を無視して、こちらの陣形を崩そうと中央突破してくるイカのようなムシたちの兵器の次の一群を見守る。

後方部隊が指向性水爆を炸裂させるが、この宇宙空間ではその猛烈な太陽の出現もたいした影響はない。ただ、いくつかの敵を捉えて破壊したのは間違いない。

「撃ち漏らすな!」

手柄を後陣に譲りたくないとばかりにブリティッシュが叫ぶ。

慧の冷静な部分が手柄は生還して初めて意味があるのにと呟く。

「第二小隊、指揮はジャスティーが執れ!」

「フジヤマ、メインスラスターを損傷! OOA077」

OOAは戦域離脱を示す用語だ。077は理由記号で作戦維持能力の喪失を意味する。

「テツジン、制御不能!」

第二小隊が総崩れになる。位置的に敵の密集度が高かった領域を受け持ったことが不運だったか。

「艦砲射撃を行う! 位置情報を送信せよ」

警報が鳴りまくる。敵の数が膨大でこの辛気臭いムチだけで捌き切れないから、自決用の小型水爆を点火してやろうかとさえ思う。

「どうやら最新兵器のオレたちでもムリっぽかったな」

ブリティッシュが妙に冷静なつぶやきを送ってきた。

戦域情報を確認した慧は各国が繰り出した中隊の七十八パーセントが残存していることを見止めた。まだ負けたわけじゃない。

後方からの僚軍艦砲射撃を警告するブザーが鳴り響いた。

漆黒の宇宙空間を一閃する光の束が近くを駆け抜ける。その先でまるで花火のように爆散する敵のイカども。

「へっ! ざまあ見ろ!」

ウルスラが無駄口をたたく。

まだ可能性は残っている。慧もそう思った。

「これはオレたちへの支援じゃないからな」

 中隊内守秘回線でブリティッシュが静々と言った。

「へ? そ、それじゃあなんなのよ」とウルスラ。

「我らが地球第四防衛艦隊の逃げ出すための時間稼ぎだ」

「え?」

その声にウルスラが反応した。

小隊長が吹っ切れたかのように言った。

「オレたちは地球から三光年も離れた宇宙空間で見捨てられたのさ」

第二章は2021年4月1日に公開されました。

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