1.真っ暗な部屋に
真っ暗な部屋に光が1つ。その光の前に座り、光の源である「本」と向き合う、暗闇と同化した様な影。影の手は、本の上を素早く動き回っている。その暗闇の中から響いてくるのは、美しいソプラノの歌声。闇が深すぎて、どこから聞こえてくるのかわからない。
部屋の中は、痛い程の魔力で満たされていた。…その濃密な魔力は「本」から流れ出て、部屋を覆う闇を形成していた。
少なくない時間の中で、少しずつ歌声が大きく、さらに透き通っていく。
…どれくらい経っただろうか。部屋に充満していた魔力は段々と弱くなっていき、部屋は窓から入ってくる自然光で溢れた。歌声も聞こえなくなり、残されたのは本一冊と、少年少女の二人組だった。
「…ん、終わった」
パチン、とハサミを鳴らして本を綴じていた最後の糸を切ると、少年…ハーディは顔を上げ、相棒を振り返った。
「…お、疲れー……」
はぁはぁ、と肩で息をしていた少女…ルーシィは、汗を拭いながら応えた。
「今回のはちょっと厄介だったね」
「ホント。やっぱり闇系の本は相性悪いわ、私」
「うん。でも、"火"属性でなくてよかった」
「全くだわ」
互いに互いを労いながら、凝り固まった体を伸びをしてほぐしていく。流石に何時間も同じ態勢を取れば、身体中が悲鳴を上げている。撤収の準備をしていると、ノックもなしに扉が開いた。
「はいはーい。二人ともお疲れ様。今回はちょーっと手強かったかな?」
陽気な声が明るくなった部屋に響く。声の主は二人が所属するギルドの副リーダー、ディスタだった。今回の依頼もディスタ経由である。
「ディスタ…なんで毎回毎回、こうも厄介な装丁ばっかり持ち込んでくるのよ…」
普段だったら噛み付く様に出る文句も、今は疲れて息切れの合間にしか出てこない。
「仕方ないじゃない?人気の装丁師コンビなんだから」
「たまには休みたい」
控えめだけれども切実なハーディの要望に、ディスタはうんうんと頷いた。
「だよねー。10連勤だしね。というわけで、今日この後と明日は全休。明後日は昼出勤でいいよ。次の装丁の話はそこでするから」
その言葉にルーシィは嬉しそうに目を輝かせた。
「ホント!?何しようかしら…ハーディは」
「帰って寝る」
「と思った…。買い物にでも行ってこようかな」
「今からは止めとけ。明日の方がいい」
「え、なんで?」
「今夜は新月だからだ」
「あー…そうね、わかった」
今夜は新月。それは、ルーシィを留まらせるのには充分な理由だった。
「不便よねー…新月に外出できないなんて」
「そんな特異体質、聞いたことないしな」
うんうんと頷きながらディスタは相槌を打つ。
「ルーシィって変だよね、体も頭も」
「頭は余計だし、ディスタにだけは言われたくないわね」
「酷いなぁ、もう。そういうこと言うなら、もっとややこしい仕事入れちゃおうかな」
「そういうの、パワハラっていうのよ、ディスタ」
ルーシィとディスタの軽妙なやり取りを横目に、ハーディはてきぱきと装丁具を片付け、先程装丁が完成した本を装丁認証とともにディスタに手渡した。
「依頼人によろしく。次はもう少し酷くなる前に呼んでって言っといて」
「了解。…ま、痛い目に遭ったから、次からは気をつけるでしょ」
「じゃ、あとよろしく。行くよ、ルーシィ」
「ちょ、待ってよ!じゃ、またね、ディスタ」
片付けた装丁具が入った鞄を肩から下げると、ハーディはルーシィに声をかけて部屋を出ていった。それに続いてルーシィもパタパタと後を追う。
ディスタは、そんな二人を手をひらひらさせながら見送り、修復された本をまじまじと見つめた。それには、丁寧にそして完璧に修繕された証の、綺麗な模様が表紙に浮かんでいた。
「全く…長時間歌いっぱなし、集中しっぱなしであの元気…恐れ入るわ」
怖いねぇ…と呟くと、本を主に届けにディスタも部屋を出た。