4 ヘッドフォンと小さな一歩
その日の放課後。
紘は、帰路にあるファミレスに寄っていた。
テーブルの上にはメロンソーダとフライドポテト。あいにく席には紘一人しかいない。
普段なら、店員の目を気にして一人ファミレスに来るなんてことないのだが、今日は人を待っているのだ。だから、店員の目なんて怖くないし、気まずさからフライドポテトを二度も頼んだりしない。
ポリポリとしばらくフライドポテトを食べていると、来客を報せるベルが鳴った。
入り口の方へ視線を向けると、来客は一人で、峰ヶ原高校の制服を着た女子高生だった。
女子高生は店員に「待ち人がいるので」と一言告げると、目の合った紘の方へと真っ直ぐ歩いてくる。その顔はどう見ても不機嫌そうだった。
「なんで紘が幼なじみなんだろうね……」
紘にとって唯一の幼なじみである水姫は、席につくと挨拶がわりにそんな不満を吐く。この不満は紘にはどうしようもないことなので軽くスルーし、通りがかった店員にドリンクバーと機嫌取りのケーキを一つ注文しておいた。どら焼きがあれば一発で水姫の機嫌は直るのだが、残念なことにファミレスのメニューにどら焼きは無かった。今後のために是非ともメニューに追加してもらいたい。
「それで、大事な話って?」
水姫はカフェラテを注いでくると、口をつける前にそう聞いてきた。
猫舌なので、冷めるのを待っているのだろう。普段ならからかうところだが、わざわざ塾を休んでまで来て貰ったのでやめておいた。
「河風のことなんだが……」
「諦めたら?」
「いや、まだ最後まで言ってないんだけど」
「だいたい分かるよ。河風さん、人見知りだけど一度なつくとすごいというか……ね?」
眼鏡のレンズ越しに水姫が問う。
水姫の言わんとすることはよく分かる。というか、それが原因で紘は水姫を呼び出したのだ。
先日のストーカー事件?以降、夕は休み時間になるたびにバンドの勧誘に来ては、紘にプレゼントをしてクラスに帰っていくのだ。プレゼントはピックに始まり、クリームパンやジュース、変なキャラクターのストラップなど様々な物があった。
その中でも昼休みのプレゼントはひどかった。
「わ、私がプレゼントってことではダメでしょうか!?」
「いや、ダメに決まってるだろ」
「……もう私には体くらいしかあげれるものがなくて」
「だから、プレゼントとか貰っても俺はバンド組まないぞ」
「じゃあ今朝貰ったヘッドフォンを返すので……」
「……」
「……」
無言の応酬が続く。
体感にして数分、けれども実際は数十秒ほどだろう。しばらくの静寂の後、昼休み終了を告げるチャイムが鳴った。
「河風、隣のクラスだろ?」
「うん!わかってるよ!」
「クラス帰れよ」
「フッ……遠野くんがバンド組むって言うまで帰らないよ」
「……」
「あ、嘘です。足が痺れて動けないので助けてください」
ペコリときれいな土下座を披露する夕。昼休みに紘のクラスに来てからというものずっと正座していたので、足が痺れるのも当然だった。
その後、水姫が迎えに来たので夕は引き摺られるようにして自分のクラスに帰って行ったのだが、夕が今日ので勧誘を諦めるはずがない。
短い回想を終え、現実に戻る。
「河風って、クラスではどうなんだ?」
「そうね……かなりマイペースだし、自由だから見てて飽きないよ。それと、河風さんがいるとクラスが和むっていうか……そんな感じ?」
「和む?」
水姫の言うことに想像がつかず、疑問が口からこぼれる。
紘にとって夕は嵐のような存在なのだ。金曜の夜に出会ってからというものバンドの勧誘には事欠かないし、その勧誘の仕方がかなりズレている。夕の勧誘からたったの二日目だというのに、断る方が面倒なのではと考えるほどだ。
とてもではないが、夕と一緒にいて和んだことなどない気がする。
「なんて言えばいいかな、クラスにワンちゃんがいるとギスギスした空気にはならないでしょ?河風さんの前ではギスギスできない気がするというか……」
水姫もよく分からないのだろう。自分の感じたことを探り探りで言葉にしていく。話した後に自分の例えがおかしいと感じたのか、「まあ、犬がクラスにいるのも変だけど」と付け足していた。
「とにかく、河風さん本人がどう思ってるかは知らないけど、うちのクラスでは犬みたいな感じ」
「結局、犬に戻るのな」
「だって……おやつをあげると喜ぶし、お腹がいっぱいになるとすぐ寝るし、今日の5限なんて授業の最初に『先生!お腹が空いているのでパン買ってきてもいいですかー』なんて言うんだよ?本能で生きてるよ。あれはもう犬だよ」
クラスが和むという話はどこへいってしまったのか、結論として夕は隣のクラスでは犬ということになってしまった。
夕のために一つ言い訳をしてあげるのなら、夕がお腹を空かせていたのは、ご飯も食べずに紘のところに来てバンドの勧誘をしていたからなのだが、それを言ったところで、今度は夕がアホの子になってしまうので黙っておいた。
「これはかなり手強そうだな」
「なにが?」
「だから、バンドの勧誘。あれを断るのがさ」
「バンドねえ、紘はやっぱり嫌なの?」
少しだけ水姫のトーンが下がる。それは紘が怒らないように配慮した結果だ。
水姫は紘がバンドを止めた理由も知っているし、それが藪蛇だということもよく知っている。だからこそ、慎重に聞いてきた。
「わからない。けど、一度逃げた世界にノコノコ戻るのも違う気がする」
言って、かつての思い出が頭をよぎる。
ーー青春なんて時間の無駄だ。
多感な思春期だからこそひねくれてそう言っていたが、そんなこともう口にできないくらい、思い出される想い出は色褪せない出来事として心に刻まれている。そのほとんどが音楽を通して得られたものだ。
だから音楽は今でも大好きだと心の底からいえるだろう。けれど、バンドを組むとなると話は変わってくる。
楽器に手を触れた瞬間、大切だった人の泣き顔を思い出してしまうのだ。
そうなると、心の底から音楽を楽しむことができなってしまう。終いには演奏すら出来なくなる。
それはきっと、すべてから逃げてしまった紘への罰なのだろう。
「それにさ、俺はもうベースを弾くことすらできないんだ。そんな奴がメンバーにいるのは河風にも迷惑だろ」
実際問題、ベースを弾くことは可能だ。
正しいコードを弾き出し、一寸の違いもない音が鳴る。
だが、そこには感情がなく、楽しんで演奏することができないのだ。
そんなのは紘の好きな音楽でもなんでもない。
マニュアルに沿った教科書通りの音。
機械の方が幾分もマシな壊れた音楽だ。
「紘は少し勘違いしてるね。私が聞いてるのは、紘の気持ちのこと。今、紘が言ったのは言い訳だよ。わからない訳ない。紘は本当はどうしたいの?」
「俺は……」
紘が言い淀んでいると、水姫がこれ見よがしに大きなため息をついた。
「まったくもう、そんなものずっと付けてるくせに分からないの?」
イライラした様子で言う水姫が指差したのは、今も紘の首にかけられているヘッドフォンだった。
「私は、あのときのことよく知らないけどさ……もういいんじゃないの?少しは素直になっても」
水姫の言葉には少しトゲがあったが、それでも紘の心の中にすうっと入っては溶けていく。
紘の中で、今までと違う考えが浮かんでくる。
「けどさ……やっぱり河風も俺みたいな教科書通りのベースなんて嫌だろ」
それが、最後の砦。
本当の気持ちを抑える理性が用意した最後の理由。
これを壊すのは容易ではない。
そのはずだったが、
「だったら、直接聞いたらいいじゃん」
「は?」
「紘はそんなこと言ってるけど、河風さんはどう?」
「私は全然気にしないよ!教科書みたいに正確なベースなんて最高だよ!」
聞き覚えのある、元気な声によって簡単に壊されてしまった。
振り替えると、どら焼き屋の紙袋を持った夕が立っている。その瞳は真っ直ぐに紘を捕らえて逃がさなかった。
「河風!?なんでお前が」
「私が呼んだの」
紘が驚いていると、ようやく飲めるようになったカフェラテを口に運びつつ水姫が答えた。
「実は紘に言われるよりも先に、河風さんに相談されたの。紘とバンドを組みたいんだけどどうすればいいって。それでどら焼きを買ってもらうのを条件に手を組んだのよ」
「俺はどら焼き以下かよ」
「別に、紘のことは嫌いじゃないけど河風さんのことも嫌いじゃないし。そうなるとどら焼きを買ってくれる河風さんの味方をするでしょ」
「どんな理屈だよ」
「まあ、そんなことはどうでもいいの。それより、紘は河風さんに言いたいことがあるんじゃない?」
勝ち誇った笑みを浮かべる水姫。水姫からしたらやるべきことは終えたのだろう。隣の席にに夕を呼ぶと、どら焼きの入った紙袋を受け取っていた。
初めはキョトンとしていた夕だが、息が整うにつれて状況を理解したのだろう。席に着くと期待のこもった視線を紘に向けていた。
「そうだな……」
最後の砦が壊された今、紘に残っているのは「音楽が好き」という気持ちだけだ。
言うべき言葉は決まっているが、この際なので言いたかったことを先に言うことにした。なにしろ水姫は「河風さんに言いたいことがあるんじゃない?」と言ったのだから。
「まず一つ。河風って本当に音痴だよな」
「うぐっ」
「それと、ストーカーはよくないからな」
「あう」
「次に、河風はチビだ」
「それはただの悪口だよ!」
「あと、プレゼントに自分の裸はどうかと思う」
「うう……」
「最後に……」
「まだあるのぉ」
ここ最近の出来事を言われて、夕はもうヘロヘロになっている。
少し仕返しもできてスッキリしたので、本当に言いたかったことを言うことにした。
夕はこれ以上聞きたくないと机の上に頭を突っ伏しているが、紘も本当のことを口にするのは恥ずかしいので、好都合だった。
「最後に、俺も河風と一緒にバンドを組んでみたい……だから、河風のバンドに入れてくれないか」